教師もののドラマは数多くありますね。私はほとんどドラマは見ないですが・・・

 

伝説の教師

 

女王の教室

 

ごくせん

 

GTO

 

いずれも“伝説の教師”と言えるのではないでしょうか。

 

さて、私のようなすぐ鬱で休職してしまう一般以下ピープルが、伝説の教師になるのにはどうしたらよいのでしょうか。

 

 

この本には、以下のように書いてあります。

 

・自分に付加価値をつけるためには、人生で何度か、自分をトコトン安く売らなければいけないときがあるのです。
自分をトコトン安く売り、その引きかえに、経験と実験の場を手に入れる。
会社という舞台で「タダの社員」という立場をフルに活用し、「伝説」をつくる-。
そう、「伝説の社員」になるのです。

 

まずは、自分を安売りする。自分のできることはすべてやる。人が困っている仕事は進んで助ける。とにかく自分を安く売り込んでいく。

 

ある程度の地位や権力を手に入れたら、そのぐらいやって当たり前でしょ?というような仕事に、「僕にできることありますか?」と首を突っ込んでいくくらいの大安売り。さらに、誰もやらないような雑用も進んでやる。「あいつただの先生なのに・・・」と思われるくらいになったら伝説の第一歩かもしれません。

 

非常に労力がいりますが、伝説を作るのならそのぐらいにならないといけませんね。私にはできそうにありませんが・・・。

 

そして、さらに伝説の教師になるためには、このようなことをすればよいそうです。


・だから、成功するのは簡単です。
 成功する5%の法則に当てはまる人、つまり聞いたことを実践し(全体の20%)、習慣にする人間(その中の20%、全体の4%)になればいいのです。

 

私はセミナーなどは就活時くらいしか行ったことがないので、本で話を進めましょう。本を読んで、読んだことを実践する人は、全体の20%くらいだそうです。さらにそれを習慣にする人はその20パーセントの中の20%。つまり、全体の4%になるのだそうです。つまり見聞きした知恵を習慣にすることができれば、もう成功したも同然だそうです。

 

つまり、私の場合、本から得たノウハウをブログに書いているのだから、それをすべて習慣にすればもう伝説の教師になれるのです。

 

 

今日の時点でブログの記事はゆうに100を超えている。待てよ・・・これ全部習慣にしたら伝説の教師って・・・・・・

 

 

できるわけねぇ~~~~~~~~!!!

 

国語の授業では音読や黙読を行う機会が数多くあります。

 

 

国語の授業・物語文では地の文という学習があります。

 

地の文とは、会話ではない文章のことです。小説でもそうですが、地の文が、主人公の目線で主観的に書かれていたり、筆者の目線で客観的に書かれていたり、はたまた別の登場人物の目線で書かれていたりすることがあります。

 

その、地の文が誰の目線で書かれているのかを読み取るというのは、なかなか容易ではありません。「私」とかで書かれていると、読解が苦手な子は、 「私」が誰なのかわからないままストーリーが進んでいくので、読めば読むほど誰が何をしてどう思っていてどう気持ちが変化していくのか、まったくついていけなくなります。

 

そこで、この本で提案しているのがこんな読み方。

 

 

○「考える音読」でイメージしながら読む【焦点化】
 音読は「すらすら型」だけではありません。「イメージ型」や「論理型」があります。
・イメージ型
 例えば、「ごん」を「おれ」に変えて音読してみる。すると、ごんの心情をイメージしながら音読することになります。
・論理型
 結論から言えば、兵十の「おれ読み」は、文章の視点に合ってないから変になります。
 この場面は、語り手が、ごんの目と心から地の文を語っています。つまり、ごんの視点から書かれているのです。だから、「ごん」を「おれ」という一人称の呼称表現に直して音読しても違和感がありません。しかし、「兵十」を「おれ」に変えると、視点が合わなくなるので変になるというわけです。

 

まず、「ごん」という部分を「おれ」という風に勝手に変えてしまう。それで読むことによって、ごんの気持ちを自分に置き換えて読むことができます。「ごん」が「おれ」になれば、読解の苦手な子どもも、「おれ」の気持ちになって読むことができるかもしれません。

 

さらに、地の文の視点でない兵十の部分を「おれ」にして読んでみる。すると、矛盾が生じます。そこで、あれ?となり、地の文の視点はごんなんだということを強く意識することができるようになるというわけです。

 

 

一見、一人称を「おれ」に変えてみただけですが、それだけで、地の文の視点は誰かというのを論理的に学習できる、すぐに使えそうなテクニックでした。

いやぁ~金曜日の午後は何もしたくなくなりますね~。

 

アフターファイブだ~。

 

花金だぜ~。

 

なんて言ってちゃいけないのでしょうか。

私は今、鬱で仕事を休んでいますが、金曜日の午後は、いつやっても良いような仕事しかしていませんでした。たまった不要な書類のシュレッダーや、かなり先の行事の実施案の作成など、次の週につながらないことばかりしていたように思います。

 

そのため、日曜日の夜が不安で不安で仕方がありませんでした。なぜなら、月曜日の準備ができていないからです。

 

 

土曜日も日曜日も、「今日学校行って仕事しようかな・・・でもせっかくの休日だしな・・・行きたくないな・・・でもでも・・・もう知らない!・・・いや、でも。」

 

と休みの日でありながらも、頭は仕事のことがこびりついており、休んでいる気がしない休日が多々・・・。さらには金曜日の午後をぐずぐずに過ごしたせいで、土曜日曜と休日出勤をして仕事をしていた日もざらにあります。

 

 

休日出勤しないために、さらに土日を休日として休みに専念するために、この本にはこのようなことが書かれていました。

 

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○金曜は翌週の準備にあてる
 金曜の午後に、翌週の精密なスケジュールを組む。準備万端整えることで、土・日に仕事のことを考えなくてすむことになる。

 

さすがに金曜日の午後は気を抜けなくなりますが、その分土日に休めるならプラマイプラではないでしょうか。金曜日の午後に、先行投資をすることによって、土日を有意義にお休みすることができます。幸いにも私はほぼ日手帳カズンユーザーですから、スケジュール管理をするページは大きい。使わない手はないのです。

 

あとは、一番気が抜けやすい金曜日の午後に、真剣に仕事ができるかが一番の問題。

 

土日の休みをご褒美に、だらだらの誘惑に負けないように努めなければなりません。

 

しかし私の勤務区は、土曜日に仕事がある週もあるのです。うえ~ん。

 

キーンコーンカーンコーン・・・

 

今日も○○くんが遅い・・・挨拶をしてから授業を始めないと規律は乱れるし・・・

いや待てよ、挨拶するまで授業は始まらないから別に遅れてもいっかって思っているのかな・・・

俺、完全に舐められてる!?

もう嫌だ、俺、先生に向いてないのかな・・・

もう死のう。。。

 

 

極端な例ですが、授業開始の失敗で究極にネガティブになってみました。

 

そんなネガティブが乗じて鬱になって休職中の私が、せめて休職中はポジティブを学ぼうと、こんな本を読みました。

 

 

さて、冒頭のネガティブの例ですが、遊びに夢中になる子どもは、ついつい休み時間明けの授業には遅れてくる子が多いです。そのくせ手洗いうがいとかはしっかりやってさらに遅れたり・・・

 

 

そんな時には、このような状況を作りだすことを提案しています。

 

○掃除も授業も、時間に遅れてしまう
 時間を守っていると得な状況にする
授業の開始には必ず楽しい復習クイズをします。
「徳川家康が言ったとされるのものは次の3つのうち、どれでしょう?
①鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス
②鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
③鳴かぬなら食べてしまおうホトトギス」
例えばこのようなクイズをして楽しい雰囲気で授業を始めます。遅れてくる子を待ちません。時間を守っていると楽しいクイズに参加できて、得という状況にします。楽しそうにやるのがポイントです。ゲーム、歌、雑談など楽しいことで始めます。

 

いきなり挨拶、授業のめあてから始めるのもいいですが、このように、クイズや歌、ゲーム、雑談などから始めるというものです。

遊びたがりな子はたいていクラスでも目立ちたがりな子が多いですから、答えを知っているクイズなんかに参加できなかったらさぞかし悔しがるでしょう。

 

 

授業の最初は楽しい何かが待っている・・・そんな風に思わせることができたら、教師の勝ちと言ってもいいでしょう。

低学年だったら、それこそ季節の歌やクイズ、ゲームなんかは使えそうですね。

しかし、ませた高学年だったら、私の場合、

 

「ど~せ~うつ病教師~の雑談?つまんね!」

「歌?つまんね」

「クイズ?幼稚だ。つまんね」

 

なんてよけいネガティブなことになりかねないので、低学年向きのテクニックかもしれません。

さて、以前に70:20:10という読書術を知り、自分の専門分野に70%、ちょっと外れた分野に20%、完全に外れた分野に10%投資しながら読書をするといい、とある本で読みました。

 

そこで、10%にあたる、こんな雑学的な本も読んでみました。

 

 

「高校生からわかる」という題名が、身体はおじさんでも頭の中が中学生の私にはぴったり。そんな私でもすらすら読める読みやすい本でした。

 

さて、日本は唯一の被爆国として、平和維持を唱えていますが、こんな一面を持っていたなんて初めて知りました。

 

・日本は唯一の被爆国です。でも、その日本も、原爆の開発をひそかに進めていたことを知ると、私たちの歴史へのイメージは変わってくるのではないでしょうか。
 日本は原爆開発を本格化させる前に敗戦を迎えましたが、もしいち早く原爆を製造していたら、日本は果たして戦争で使用したのでしょうか。製造して保有していることと、使用することの間には大きな隔たりがあります。とはいえ、敗色濃くなっていた日本は、「起死回生の兵器」として、これを使ったかもしれません。

 

もう読んでいてびっくりしました。唯一の被爆国になったのもたまたまで、加爆国(?)になりかねなかったのではないでしょうか。当時日本は、燃料がもたないと、いきなり真珠湾を予告なしに攻撃した荒々しい国家です。もし、原爆を持つことができていたならば、勢い余ってどこかの国へドカーンとやっていたのかもしれません。

 

でも、今日の安全保障理事会の常任理事国はすべて原爆保有国です。原爆を落とさないまでも、持っていたら今の日本は世界の舞台で発言力をもっと増すことができていたのかもしれません。なんて書いたら不謹慎でしょうが。

 

さて、そんな唯一の被爆国である日本が、原子爆弾ではなく被爆してしまった(?)東日本大震災。あの時は、日本は原子力発電所の報道を制限していたなどと海外では噂されており、原子力発電所が地震にあったというニュースは海外の方が早く報道されていたと、Podcast番組・チラ見の世界史で言っていました。

 

日本では民主党がもたもたしている間に、ドイツではこのような対応をしていたそうです。


・福島の事故を受け、いち早く方針転換を打ち出したのが、ドイツでした。
 ドイツ政府は、福島の事故の翌々月の2011年6月、国内にある17基の原子力発電所すべてを、2022年までに廃止することを決定しました。

 

福島の事故の翌々月といえば、まだまだ民主党がもたもたしている時期です。チェルノブイリ原発事故を見てきたヨーロッパだからでしょうか。対応の早さに驚きます。

 

こういう、仕事とは関係ない本も、たまには面白いです。

この仕事は明日締め切りだ・・・やべ!

 

 

この仕事は今週末だからまだいいや・・・

 

 

この仕事?今月末。じゃあ余裕だわ・・・

 

 

さて、私は今、鬱で仕事を休職していますが、働いている時は、毎日締め切りに追われていたような気がします。

 

・明日返したいプリントの○付け

・毎週末発行の学級通信

・毎月行う時数の入力

・その他各行事の実施案

・明日の授業の準備

 

などなど・・・・・・・・・

 

この重要かつ緊急な仕事は一体どこから降ってくるのでしょう。この本ではこのように紹介しています。

 

 

・「重要かつ緊急な」仕事はいったいどこから来るのだろう。そう、それらはあなたが「重要かつ緊急な」仕事にかまけて無視していた、「重要だけど緊急ではない」仕事からくるのだ。この現象は世界中どこにでも見られるものだが、残念なことに放っておけば治るというものではないし、さらに悪いことに何もしなければ、この現象は繰り返し繰り返し再現され、永久期間さながら、永遠に断ち切ることのできないものである。

 

それまで無視していた「重要だけど緊急ではない」仕事を、放っておいた結果「重要かつ緊急な」仕事になり、それが私たちの首を絞めている、と説明しています。

 

つまり、締め切りを収穫時だとしたら、日頃から種まきをし、こまめに水をあげ、雑草抜きをし、あとは収穫するのみ、といった状況を作りだしておかないと、その日に種をまいて促進剤を使って無理矢理大きくして一気に刈り取るという、とんでもない労力を使う作業になりますよ!ということです。

 

 

一つ一つ、すべて種まきをすることはできないにしても、何曜日はこれをやる、何曜日はこれを少しかじる、など、「重要だけど緊急ではない」うちから、少しずつ手を加えることが大切になってきます。

 

ここで役に立つのが、ToDoリストでしょう。

 

 

いつ何をやる。いつ何をやるというのを前もって決める時間を設け、それに沿って、それだけに集中して仕事を行うことができれば(できれば!)余裕をもって収穫の時期を迎えられるのではないでしょうか。

 

 

ロシア

 

ウクライナ。

ど素人には、なんでいざこざが起こるのかさっぱり分かりません。

 

どちらも旧ソビエトの国です。日本は、関東と関西でも県を隔てての戦争なんて起こりませんが、ウクライナは独立か否かでもめまっくていました。

 

さて、私はもぎせかブログを読んでいます。

 

詳しいことはプロの専門家のブログを読んでいただくとして、ロシアとウクライナにはこんな違いがあるのだと、この本で学びました。

 

 

○ウクライナ
 モンゴル支配を脱したウクライナとロシアは、まったく違う道を歩むことになります。モンゴル人の撤退にともなってウクライナに進出してきたのが、ポーランドでした。(中略)もともとのギリシア正教会の文化に、モンゴル帝国の文化がプラスされたのが、ロシア人です。一方、ギリシア正教会の文化に、ポーランド系カトリック文化がプラスされたのがウクライナ人です。

 

・ロシア

ギリシア正教会+モンゴル

・ウクライナ

ギリシア正教会+ポーランド系カトリック

 

という構図なのだそうです。

 

これだけでこんなにも相容れないものなのかと思いますが、世界は私達島国で育った私達とは想像もつかないほど、宗教・民族・過去にどこの国の影響を受けたか(文化)などが入り混じっています。

 

私が大好きなイビチャ・オシム元日本代表監督は、かつてユーゴスラヴィアという国の代表の監督をしていました。

 

 

旧ユーゴスラビアは今は、

①スロベニア

②クロアチア

③ボスニアヘルツェゴビナ

④セルビア

⑤モンテネグロ

⑥コソボ

⑦マケドニア

 

と、7つの国に分裂しています。内戦真っ只中、あっちの国の選手を選べばこっちの国の国民が「差別だ!うちの国家蔑視だ!」と叫ぶような状況です。この大変な状況の中、オシム監督は母国をワールドカップベスト8まで進出させます。

 

しかし、オシムはその後、監督を辞任します。出身のボスニアは、内戦の惨禍にあり、「私の祖国でどのようなことが起きているか想像してほしい」と、母国の監督を辞めたのでした。

 

さて、国外のニュースは、利害関係が正直イマイチ分かりません。そんな時に、この本を読むと少しはニュースが分かるような気がします。

 

 

さて、2年生算数の山場。掛け算九九。2学期はほとんどが掛け算九九なんじゃないかというほど、2年生では掛け算九九の勉強があります。

 

 

どの学校でも、掛け算カードを使ったり、掛け算小テストなど、工夫しながら掛け算の学習に取り組んでいると思います。

 

しちいちがしち

しちにじゅうし

しちさんにじゅうし

しちしにじゅうはち

しちごさんじゅうご

しちろくしじゅうはち

しちしちしじゅうく

しちはごじゅうし

しちくろくじゅうさん

 

・・・・・・できた~!

 

 

なんてことも・・・

 

この本によると、このように1度間違えて覚えてしまうのは、ポイントを外しているということだそうです。

 

 

間違いをうろ覚えの状態で言わせるぐらいなら、正しい九九を、九九表なりなんなりを見ながらとにかく言わせる。とにかく正しい九九をゆっくりでもいいから正しく言わせるということが大切なのだそうです。

 

・九九指導のポイントの一つは、「間違った九九を言わせない」ことです。間違った九九を言えば言うほど、間違いが頭に残ってしまいます。暗唱の前にやるべきことは、教科書や黒板に書いた九九を見て何度も読むことです。九九の音読と言ってもよいでしょう。九九を教えたすぐ後あわてて暗唱をさせてしまうと、間違って覚えた九九を何度も何度も唱えてしまう子どもがでてきます。暗唱の前に大切にしたい活動が、「正しく読む」ことなのです。
 

私はゴルフに時々行きます。私はだれかに教わったわけではなく、いわば我流でスイングを作ってきました。一時期真っ直ぐに飛ぶ時もあったのですが、今では変な癖が染みついてしまって、なかなか直すことができません。いわば「しちさんにじゅうし」状態です。

 

 

変な癖が完全についてしまうと、真っ白な状態からよりも、直すのが難しくなります。白い絵の具を赤くするのは簡単ですが、灰色の絵の具を赤に戻すのは大変です。

 

子どもも同じように、一度「しちさんにじゅうし」と覚えてしまったら、そこから「しちさんにじゅういち」い変えるのは、そうとうな労力がいることでしょう。

 

だから、この本では、正しく九九を読むこと推奨しているのだと思います。

 

正しく読ませること、つまり間違った九九を言わせないことを意識した授業づくりを大事にしていきたいですね!
 

かつて同じ学校で働いていた先輩にこんな風に言われたことがあります。

 

「まとめ・振り返りのない体育なんて遊びと一緒だからな!」

 

 

確かに。。。

 

準備運動をしました。

チーム決めをしました。

キックベースをしました。

おしまい・・・

 

これでは、準備運動のある休み時間と何ら変わりはありません。私は、一時期、「とにかく体育なんだから、体を動かすことこそ大事」と思い、振り返りなどを軽視していた時代があります。

 

この本には、このように書かれています。

 

 

・学びのない体育授業は、息抜き体育とか放任体育などと言われています。もちろん、体育授業は息抜きの時間ではありませんし、放っておいて学べるようなものでもありません。
 

振り返ると、あるかもなぁ・・・息抜き体育。。。

 

息抜き体育にならないように、体育でどんなことをしたらよいかというと、このように書いてあります。

 

・授業で扱った内容が、休み時間や放課後の遊びの中で自然と行われるようになると子供の身体能力は飛躍的に向上します。授業で鉄棒運動を行えば休み時間も鉄棒で遊び、なわ跳び運動を行えば休み時間もなわ跳びで遊ぶようになるのです。そこで、授業で扱った運動を子どもたちがすぐに遊びで行えるような、教材を選ぶことや環境づくりが大事になってきます。

 

体育でやったことが楽しくて、それを休み時間にもやっちゃいたくなる!という体育が一つの理想の形だということです。確かに、鉄棒の授業をしていて、休み時間も楽しそうに逆上がりの練習をしていたら、その体育の授業は成功といえるでしょう。体育の授業の後、女の子たちだけで、今までやったことのなかったサッカーを休み時間に始めたりしたら、素晴らしい体育の授業だったということになるのでしょう。

 

 

他にも、授業中になわとびカードなどを配布することで、休み時間のなわとびへの意欲付けを行うこともできます。

 

 

いずれにせよ、息抜き体育にならずに、休み時間につながる体育の授業を心掛けるということ が大切だということですね!

 

では、具体的にどのようなことが、この本に書いてあったかというと、それはまた今度紹介します。



 

私は、勤務校の一部の女子にばい菌扱いされ、結果勤務校に行くのが辛くなり、鬱を患い仕事をお休みしました。

 

簡単に言えば、仕事から逃げ出したのです。

 

 

さて、教師の仕事は、逃げ出したくなることがたくさんあります(向いてないのかな・・・)。

子どもとの関わりはもちろん、授業の準備もそうです。

 

私は、子どもと同じノートを使い、子どもが黒板に書くことを同じように自分のノートに書き、その他しゃべることなどを吹き出しなどでメモ書きし、絶対に外せない質問などは蛍光ペンで目立つようにしていました。

 

しかしそれでも、授業がうまく流れていくか、とても不安です。

ここであの子がつっかかりそう・・・

この説明じゃ理解してもらえなそう・・・

そもそも授業が面白くなさそう・・・

 

などなど、これで良いやと妥協してしまう、いわば逃げ出してしまいたくなる瞬間の一つです。

 

 

 

さて、私は箱根駅伝を見るのが好きです。

 

 

常勝軍団・駒澤大学の大八木監督は、選手にこのように伝えているそうです。

 

 

「前を追いかけても、全然背中が見えない。それでも気持ちが切れない選手が強いんだ」

 

 

強い時の駒澤大学は、1人1人が自分のベストの力を発揮して、とても強いです。10キロを過ぎると、大八木監督の選手への喝がテレビの音声でも拾われていますが、選手たちはあの声を聞いて、さらに力がみなぎるそうです。

 

たとえ答えが出なくても、たとえ最善策が分からなくても、それでも気持ちが切れない教師が強いのかもしれません。そんな教師になりたいです。とりあえず、休まないようになりたいです。