国語の授業では音読や黙読を行う機会が数多くあります。

 

 

国語の授業・物語文では地の文という学習があります。

 

地の文とは、会話ではない文章のことです。小説でもそうですが、地の文が、主人公の目線で主観的に書かれていたり、筆者の目線で客観的に書かれていたり、はたまた別の登場人物の目線で書かれていたりすることがあります。

 

その、地の文が誰の目線で書かれているのかを読み取るというのは、なかなか容易ではありません。「私」とかで書かれていると、読解が苦手な子は、 「私」が誰なのかわからないままストーリーが進んでいくので、読めば読むほど誰が何をしてどう思っていてどう気持ちが変化していくのか、まったくついていけなくなります。

 

そこで、この本で提案しているのがこんな読み方。

 

 

○「考える音読」でイメージしながら読む【焦点化】
 音読は「すらすら型」だけではありません。「イメージ型」や「論理型」があります。
・イメージ型
 例えば、「ごん」を「おれ」に変えて音読してみる。すると、ごんの心情をイメージしながら音読することになります。
・論理型
 結論から言えば、兵十の「おれ読み」は、文章の視点に合ってないから変になります。
 この場面は、語り手が、ごんの目と心から地の文を語っています。つまり、ごんの視点から書かれているのです。だから、「ごん」を「おれ」という一人称の呼称表現に直して音読しても違和感がありません。しかし、「兵十」を「おれ」に変えると、視点が合わなくなるので変になるというわけです。

 

まず、「ごん」という部分を「おれ」という風に勝手に変えてしまう。それで読むことによって、ごんの気持ちを自分に置き換えて読むことができます。「ごん」が「おれ」になれば、読解の苦手な子どもも、「おれ」の気持ちになって読むことができるかもしれません。

 

さらに、地の文の視点でない兵十の部分を「おれ」にして読んでみる。すると、矛盾が生じます。そこで、あれ?となり、地の文の視点はごんなんだということを強く意識することができるようになるというわけです。

 

 

一見、一人称を「おれ」に変えてみただけですが、それだけで、地の文の視点は誰かというのを論理的に学習できる、すぐに使えそうなテクニックでした。