読みかけの本があるにもかかわらず、新しい本に手を出し、読みかけの本を3冊も4冊も作ってしまうネオフィリック(新しもの好き)な私の、この本を読んで思ったことの2回目です。
「ロボット」心理学/文芸社

¥1,404
Amazon.co.jp
・一つの「ロボット」の使用が行き着くところまで行き着いたとき、ほかの「ロボット」を動員して、同じことをやってみるのは、飽きやすいという性質に対して、大きな意味を持つ。セリフを読むといういつもどおりのやり方は、「ロボット」がほとんど無意識のうちに代行してしまうが、絵の方に<マンガの話をしていた>意識を切り替えるのは、自意識的でなければムリである。少なくとも私にはそうだった。このようにして、一つの同じ行為から、「新しいロボット」の使い方を導き出せる。ここには「新しい」楽しみの発見もある。
これは、筆者がとても読みたかった漫画を読んだ時の体験談です。1度目に読む時は、それこそワクワクして心を踊らせて読んでいた。しかし、ネオフィリック(新し物好き)な筆者は2度目に読む時には、初めて読む時のような心踊るワクワクはなく、別の新しい漫画を欲している。そんな時に、「絵に注目して読んでみれば?」と言われる。1度目に読んでいた時は、自分の中のロボットがストーリーを追うように漫画を読んでいたが、2度目に絵に注目するように同じ漫画を読んでみると、違った楽しみが生まれた。
というようなエピソード(だったと思います・・・)
これは、同じことを黙々と続ける際に生かせないか、と感じました。
私は、小学生の頃からサッカーをやっていました。例えば、壁に黙々とボールを蹴り、跳ね返ってきたボールをトラップし、また蹴るという練習。蹴る・止めるという、サッカーにおいて最も大切な要素を鍛える練習ですが、文字にしてみるといかにも淡々とした退屈そうな練習です。

しかし、これを「足の振りをコンパクトに出来ないか」「次に蹴りやすい位置にボールを止めることは出来ないか」「速いボールを蹴ることは出来ないか」「受け手が止めやすいようなボールを蹴ることは出来ないか」など、同じ動作を繰り返すにしても、新しいロボットを導入することによって、退屈そうな練習が、奥の深い価値のある練習になるのではないか、と感じます。
学習においても、それまで読んで覚えようとしていたことを、書いてみる、声に出してみる、その声を聞いてみる、などなど、同じ動作でも新しいロボットを使うことによって、ひたすら苦行のように書くだけ、といった学習よりも、退屈や苦痛をまぎらわせながら、効果的に学習が出来るような気がします。
・「道が細くなっていく」ジレンマを解決するには、意識的に「ロボット」をコントロールすることだ。それには、自分の中の「新しもの好き」を外部に向けるのではなくて、自分の中の「ロボット」に向けるようにすることである。「新しいロボット」を作り出すのが大変すぎるなら、自分の中にある「ロボット」の、「新しい使い方」を工夫してみることだ。
教員にとっては、例えばAの面において手のかかる子がいた時に、Aの側面ばかりに注目していたら、その子と接するのがどんどん嫌になってくる。しかし、Bの側面、Cの側面を見るロボットを見るロボットを自分の中に作り出すことによって、その子に対する接し方も変わるような気がします。、Aの側面を見ない、という新しいロボットを作り出すのは、「その子を見る」というロボットを作ることに比べたらはるかに難しいことだと筆者は述べています。だったら、「Bの一面、Cの一面を見るロボット」を作り出す方が簡単だということのようです。同じ「その子を見るロボット」だからです。
私から距離をおき、次第に避けていくようになっていった子は、学習には真面目に取り組み、宿題を出さないということはまったくなく、日々の漢字小テストでは毎回100点をとるような子でした。
私の中には「避けられていることを感知するロボット」は常に作動していましたが、「その子の日々の頑張りを感知するロボット」「真面目に取り組んでいることを感知するロボット」の動きは鈍かったんだな、と今になり実感しています。「避けられていることを感知することロボット」だけが日々、高速で歯車を回し、それによりうつ病を患ったのだな、と、この本を読んで実感しました。
そして、最後にはこのような文章がありました。
そして、ここからが重要であるが、「運転」のように、上達することが望ましい「技術」については、「ロボット」の働きを大いに受け入れる一方で、アルコールやニコチンのような「たんなる楽しみ」においては、「ロボット」の働きを抑制するようにすればいい。そのように「心がける」だけでも、無意識下にあるはずの「ロボット」がこちらの意図に、意外なほど協力的に活動してくれるものである。
今、現時点で自分に存在しているロボットの力を信じさせてくれる一言です。
そのように「心がける」だけでも、無意識下にあるはずの「ロボット」がこちらの意図に、意外なほど協力的に活動してくれるものである。
教訓:今あるロボットを信じる。そして、使い方を少しだけ変えてみる。
「ロボット」心理学/文芸社

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・一つの「ロボット」の使用が行き着くところまで行き着いたとき、ほかの「ロボット」を動員して、同じことをやってみるのは、飽きやすいという性質に対して、大きな意味を持つ。セリフを読むといういつもどおりのやり方は、「ロボット」がほとんど無意識のうちに代行してしまうが、絵の方に<マンガの話をしていた>意識を切り替えるのは、自意識的でなければムリである。少なくとも私にはそうだった。このようにして、一つの同じ行為から、「新しいロボット」の使い方を導き出せる。ここには「新しい」楽しみの発見もある。
これは、筆者がとても読みたかった漫画を読んだ時の体験談です。1度目に読む時は、それこそワクワクして心を踊らせて読んでいた。しかし、ネオフィリック(新し物好き)な筆者は2度目に読む時には、初めて読む時のような心踊るワクワクはなく、別の新しい漫画を欲している。そんな時に、「絵に注目して読んでみれば?」と言われる。1度目に読んでいた時は、自分の中のロボットがストーリーを追うように漫画を読んでいたが、2度目に絵に注目するように同じ漫画を読んでみると、違った楽しみが生まれた。
というようなエピソード(だったと思います・・・)
これは、同じことを黙々と続ける際に生かせないか、と感じました。
私は、小学生の頃からサッカーをやっていました。例えば、壁に黙々とボールを蹴り、跳ね返ってきたボールをトラップし、また蹴るという練習。蹴る・止めるという、サッカーにおいて最も大切な要素を鍛える練習ですが、文字にしてみるといかにも淡々とした退屈そうな練習です。

しかし、これを「足の振りをコンパクトに出来ないか」「次に蹴りやすい位置にボールを止めることは出来ないか」「速いボールを蹴ることは出来ないか」「受け手が止めやすいようなボールを蹴ることは出来ないか」など、同じ動作を繰り返すにしても、新しいロボットを導入することによって、退屈そうな練習が、奥の深い価値のある練習になるのではないか、と感じます。
学習においても、それまで読んで覚えようとしていたことを、書いてみる、声に出してみる、その声を聞いてみる、などなど、同じ動作でも新しいロボットを使うことによって、ひたすら苦行のように書くだけ、といった学習よりも、退屈や苦痛をまぎらわせながら、効果的に学習が出来るような気がします。
・「道が細くなっていく」ジレンマを解決するには、意識的に「ロボット」をコントロールすることだ。それには、自分の中の「新しもの好き」を外部に向けるのではなくて、自分の中の「ロボット」に向けるようにすることである。「新しいロボット」を作り出すのが大変すぎるなら、自分の中にある「ロボット」の、「新しい使い方」を工夫してみることだ。
教員にとっては、例えばAの面において手のかかる子がいた時に、Aの側面ばかりに注目していたら、その子と接するのがどんどん嫌になってくる。しかし、Bの側面、Cの側面を見るロボットを見るロボットを自分の中に作り出すことによって、その子に対する接し方も変わるような気がします。、Aの側面を見ない、という新しいロボットを作り出すのは、「その子を見る」というロボットを作ることに比べたらはるかに難しいことだと筆者は述べています。だったら、「Bの一面、Cの一面を見るロボット」を作り出す方が簡単だということのようです。同じ「その子を見るロボット」だからです。
私から距離をおき、次第に避けていくようになっていった子は、学習には真面目に取り組み、宿題を出さないということはまったくなく、日々の漢字小テストでは毎回100点をとるような子でした。
私の中には「避けられていることを感知するロボット」は常に作動していましたが、「その子の日々の頑張りを感知するロボット」「真面目に取り組んでいることを感知するロボット」の動きは鈍かったんだな、と今になり実感しています。「避けられていることを感知することロボット」だけが日々、高速で歯車を回し、それによりうつ病を患ったのだな、と、この本を読んで実感しました。
そして、最後にはこのような文章がありました。
そして、ここからが重要であるが、「運転」のように、上達することが望ましい「技術」については、「ロボット」の働きを大いに受け入れる一方で、アルコールやニコチンのような「たんなる楽しみ」においては、「ロボット」の働きを抑制するようにすればいい。そのように「心がける」だけでも、無意識下にあるはずの「ロボット」がこちらの意図に、意外なほど協力的に活動してくれるものである。
今、現時点で自分に存在しているロボットの力を信じさせてくれる一言です。
そのように「心がける」だけでも、無意識下にあるはずの「ロボット」がこちらの意図に、意外なほど協力的に活動してくれるものである。
教訓:今あるロボットを信じる。そして、使い方を少しだけ変えてみる。


















