読みかけの本があるにもかかわらず、新しい本に手を出し、読みかけの本を3冊も4冊も作ってしまうネオフィリック(新しもの好き)な私の、この本を読んで思ったことの2回目です。

「ロボット」心理学/文芸社

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一つの「ロボット」の使用が行き着くところまで行き着いたとき、ほかの「ロボット」を動員して、同じことをやってみるのは、飽きやすいという性質に対して、大きな意味を持つ。セリフを読むといういつもどおりのやり方は、「ロボット」がほとんど無意識のうちに代行してしまうが、絵の方に<マンガの話をしていた>意識を切り替えるのは、自意識的でなければムリである。少なくとも私にはそうだった。このようにして、一つの同じ行為から、「新しいロボット」の使い方を導き出せる。ここには「新しい」楽しみの発見もある。 

これは、筆者がとても読みたかった漫画を読んだ時の体験談です。1度目に読む時は、それこそワクワクして心を踊らせて読んでいた。しかし、ネオフィリック(新し物好き)な筆者は2度目に読む時には、初めて読む時のような心踊るワクワクはなく、別の新しい漫画を欲している。そんな時に、「絵に注目して読んでみれば?」と言われる。1度目に読んでいた時は、自分の中のロボットがストーリーを追うように漫画を読んでいたが、2度目に絵に注目するように同じ漫画を読んでみると、違った楽しみが生まれた。

というようなエピソード(だったと思います・・・)

これは、同じことを黙々と続ける際に生かせないか、と感じました。

私は、小学生の頃からサッカーをやっていました。例えば、壁に黙々とボールを蹴り、跳ね返ってきたボールをトラップし、また蹴るという練習。蹴る・止めるという、サッカーにおいて最も大切な要素を鍛える練習ですが、文字にしてみるといかにも淡々とした退屈そうな練習です。



しかし、これを「足の振りをコンパクトに出来ないか」「次に蹴りやすい位置にボールを止めることは出来ないか」「速いボールを蹴ることは出来ないか」「受け手が止めやすいようなボールを蹴ることは出来ないか」など、同じ動作を繰り返すにしても、新しいロボットを導入することによって、退屈そうな練習が、奥の深い価値のある練習になるのではないか、と感じます。

学習においても、それまで読んで覚えようとしていたことを、書いてみる、声に出してみる、その声を聞いてみる、などなど、同じ動作でも新しいロボットを使うことによって、ひたすら苦行のように書くだけ、といった学習よりも、退屈や苦痛をまぎらわせながら、効果的に学習が出来るような気がします

・「道が細くなっていく」ジレンマを解決するには、意識的に「ロボット」をコントロールすることだ。それには、自分の中の「新しもの好き」を外部に向けるのではなくて、自分の中の「ロボット」に向けるようにすることである。「新しいロボット」を作り出すのが大変すぎるなら、自分の中にある「ロボット」の、「新しい使い方」を工夫してみることだ。

教員にとっては、例えばAの面において手のかかる子がいた時に、Aの側面ばかりに注目していたら、その子と接するのがどんどん嫌になってくる。しかし、Bの側面、Cの側面を見るロボットを見るロボットを自分の中に作り出すことによって、その子に対する接し方も変わるような気がします。、Aの側面を見ない、という新しいロボットを作り出すのは、「その子を見る」というロボットを作ることに比べたらはるかに難しいことだと筆者は述べています。だったら、「Bの一面、Cの一面を見るロボット」を作り出す方が簡単だということのようです。同じ「その子を見るロボット」だからです。

私から距離をおき、次第に避けていくようになっていった子は、学習には真面目に取り組み、宿題を出さないということはまったくなく、日々の漢字小テストでは毎回100点をとるような子でした。

私の中には「避けられていることを感知するロボット」は常に作動していましたが、「その子の日々の頑張りを感知するロボット」「真面目に取り組んでいることを感知するロボット」の動きは鈍かったんだな、と今になり実感しています。「避けられていることを感知することロボット」だけが日々、高速で歯車を回し、それによりうつ病を患ったのだな、と、この本を読んで実感しました。

そして、最後にはこのような文章がありました。

そして、ここからが重要であるが、「運転」のように、上達することが望ましい「技術」については、「ロボット」の働きを大いに受け入れる一方で、アルコールやニコチンのような「たんなる楽しみ」においては、「ロボット」の働きを抑制するようにすればいい。そのように「心がける」だけでも、無意識下にあるはずの「ロボット」がこちらの意図に、意外なほど協力的に活動してくれるものである。


今、現時点で自分に存在しているロボットの力を信じさせてくれる一言です。 


そのように「心がける」だけでも、無意識下にあるはずの「ロボット」がこちらの意図に、意外なほど協力的に活動してくれるものである。


教訓:今あるロボットを信じる。そして、使い方を少しだけ変えてみる。 


私は、シゴタノブログの他に、もう1つ、読んでいるブログがあります。

もぎせかブログ館

これも、シゴタノブログと同様に、初めから読み進めています。

なので今、東日本大震災における政府の対応のまずさや、それに関連するチェルノブイリ原発、日本・中国・韓国との関係についての記事を読んでいます。

きっと今ごろ(この記事は11/18に書いています)は、フランスのテロ事件とその背景などについて、きっと分かりやすく解説しているのでしょうが、何しろ私が気に入ったものは初めから読まないと気が済まない性格なので、テロ事件の背景を知るのはいつのことになるやら・・・

茂木さんのブログは、歴史書の引用や、図解、写真などを用いて、難しい事柄をすごく分かりやすく解説してくれています。

私がこのブログを読むようになったのは、茂木さんの本がとても分かりやすく面白かったからです。

茂木さんは、駿台予備校の講師をしています。私は受験生ではないので、書店の参考書のコーナーに立ち寄ることはありませんが、近所の本屋さんのおすすめ本コーナーでこの本を見つけました。

世界史で学べ! 地政学/祥伝社

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もともと、浪人生の時には、世界史が得意科目でした。

また、小学校の社会の授業で、豆知識・雑談のような感じで、

「このころ地球はまっ平らだとみんな思ってたんだよ」

「この頃アメリカはまだなかったんだよ」

と、どうにか浪人生時代の遺産として残っている世界史の知識を伝えると、「えっ!」というようなリアクションを子どもたちがとってくれることが嬉しく、小学校の歴史の内容はほぼ日本史ですが、「その時世界はこうだったんだよ」と伝えられれば良いなと思い、試しにこの本を読んでみました。

すると、とても分かりやすく面白く、立て続けに、この本と、

経済は世界史から学べ!/ダイヤモンド社

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この本も、

世界のしくみが見える世界史講義 (Knock‐the‐Knowing)/ヒカルランド

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即座に購入。あっという間に読破してしまいました。

時々、このブログでも、教員に役立つような自己啓発的なものとは、関係ない話が出てくると思います。

その時は、自分が趣味で読んだ本や、誰かに教わった知識を、もぎせかブログ館に触発されて、分かりやすく解説したい、という欲が出たものだと思ってください。

そして、世界史だけでなく、様々なジャンルに自分のアンテナを広げることが、いつかどこかで自分の今後に役立てば良いなと思います。それが、何の役にも立たないくだらない雑談や先輩とのコミュニケーションの中に自分も入っていけるような豆知識、いつでもなんでも良いからとにかく!って思いました。

そして、自分のブログに書くことで、その知識・雑談の種をいつでも思い出せるようにしておこうと思います。


教訓:アンテナを広げる。くだらない雑談の種を蓄える。



今回もこの本からです。前回は、話し方についてピックアップしましたが、今回は、人との接し方についていくつかピックアップしてみました。

5000人を変えた! 話し方の新・習慣77/ポプラ社

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子どもたちへの聞く姿勢の意識感化として、次の一文が使えそうでした。

・<聞く>と<聴く>、この2つには大きな違いがあります。<聞く>と漢字には「耳」という字しか含まれていません。でも<聴く>には「耳」「目」「心」という3つの字が入っています。


私の技術論的な話をすると、話を聞いて欲しい時には、

低学年:ちゃんと聞く姿勢がとれている子を誉める

いつでも:聞く姿勢ができてない子をじっと見る。→その子が気付くか、周りの子が注意してくれる。

聞いて欲しいことを伝える時の直前:敢えて黙る。「あのさ~」と言ってからしばらく黙る


など。

子どもによって、こちらがどういう態度をとれば聞く姿勢をとってくれるかは、個人差があります。

上記の、「聴く」というエピソードは本を読んだり知的好奇心が旺盛な子にとって、有効なのではないかと感じました。

一人一人異なる感じ方をもつ子どもたちと接する仕事である教員にとって、このような聞かせる技術においても、引き出しを多く持っておいておいた方が良いことは言うまでもありません。この、「聴く」という字の成り立ちのエピソードも、自分の引き出しにしまっておきたいと思います。

・たとえ、同じ内容であっても、冒頭に「NO」「YES」どちらが来るかによって、相手の受け取り方が天と地ほど違います。また、最初にいったん肯定すると、話しているうちに「このアイデアも悪くないな」と<妥協案>が生まれることがあります。頭ごなしに<否定・拒絶>していたら、絶対に生まれない展開です。100%「YES」でなくていいのです。人の話はとりあえず、冒頭「YES」で受ける習慣をつけてください。


子どもがトラブルを起こした時、子どもの主張には、怒られたくないから、相手にも非があるから、など、言い訳が付き物です。

また、自分はまだ2年目のぺーぺーなので任されていることは少ないですが、それでも自分が任された仕事において、曲げたくない方針なども、時々あります(無知な私はほとんど先輩の意見はありがたいものであり、ほぼ100%採用していますが…まあ、いつかの話として、話を進めましょう)。そんな時、単刀直入に「それは違う!」と私が言うことで、相手の気分を害する。振り返ると子どもが悪いことをした時に、その子の言い分を聞かず、さらに言い訳や嘘を重ねられる、といった経験を数多く思い出します。

共に妥協案を考える、良い解決策を考えるという点でも、YESで始めるということは大切だと感じました。対子どもでも、対先輩でも。

私は波風立てたくない平和主義者なので、自分の意見を通したい時、生意気にも相手の間違いを指摘したい時、このスキルは使えそうです。

・謝罪というシチュエーションはある意味、サバイバルです。<そこまでの関係>か、<それを乗り越える>関係か。怖い場面で逃げない人とは<人との関係を深めていける人>。人の<信頼を勝ち取れる人>です。
謝罪のポイント
①言い訳をしない
②相手の言い分を全て聞く
③<感謝>と<対応策>を伝える



大人になればなる程、自分の非を受け入れ、謝罪をするのが難しくなってくるように感じます。

なので、

「謝罪というシチュエーションはある意味、サバイバルです。」

という言葉はズシリと響きました。

①言い訳をしない
②相手の言い分を全て聞く
③<感謝>と<対応策>を伝える


特に、自分の非を誰かに指摘された時に、 「ご指摘ありがとうございました。」と言えるかどうかは大切だと思いました。

今でこそ、ぺーぺーの立場ですから、私が困っていたり間違っていたりすると、優しい先輩がアドバイスや鋭いご指摘を、遠慮なく言ってもらえる身分です。

しかし、キャリアを重ねていくにつれ、後輩が増え、いずれ自分が間違っていても面と向かってご指摘をいただける機会は減っていくはずです。

それでも、いずれ増えていく後輩に対しても「それ気づかなかった。教えてくれてありがとう」と言える自分でいれば、間違いを正すチャンスは増えるし、自分の周りの雰囲気も良くなっていくはずです。

そのためにも今から、間違いを指摘されても決してふてくされずに「ご指摘ありがとうございます」と素直に言える器の大きさを、意識しながら、仕事に復帰できたらなと思います。


教訓:イエスで受ける。「ご指摘ありがとうございます」の気持ちを忘れない

特定のこと以外は、非常に飽きっぽい私が、こんな本を読みました。

「ロボット」心理学/文芸社

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はじめに
 私には長い間、解決しなければならない問題があった。
 それは私の退屈しやすいという性質と、飽きっぽいという性質だった。なぜこれらふたつの性質が問題かと言えば、退屈と飽きっぽさは私の生活を難しくしてしまったからである。


飽きっぽいくせに、物事はわりと一から順にやりたいと思いがちな私は(シゴタノブログも最初の記事から読み、そこでお薦めされた本を順番に読み漁っています。つまり、今読んでいる本は約10年前に売り出された本ばかりです。)長続きするものは数少なく、一から三まで進んだところで飽きる、など、かじってはすぐ辞めた取り組みや習慣が数多くあります。

学生時代、買ってはみたものの、難しくて2、3ページで読むのをやめてしまった参考書。

本を読んで良いな、と思ったページを切り抜いて貼る読書ノート。

ダイエットに有効なのでは、と始めた体重記録アプリ。


今、思い付くだけでも山のように出てきます。

そんな私も、心理学用語(?)で言えば「ネオフィリア」の一人。人間はみな、ネオフィリック(ネオフィリアの形容詞?)なのだそうです。

確かに、生活には困らない数の洋服があっても、「あ、おしゃれ!」と思えば新しい洋服を買い、期間限定や、見たことのないパッケージのビールをスーパーで見つければ買っている自分がいます。

筆者の悩みと自分が、共感するところがあり、内容的には未知の心理学的な本なのですが、頑張って読み進めていきました。

まず、人間は、同じことを繰り返すと、次第にその行動に関してはロボット化していき、その行動はロボットが無意識に行っていくのだそうです。

・生きていくことは、じつに複雑で大変な作業の連続だ。だから、もっと容易にヒトが生きていけるように、「ロボット」が手助けしてくれるわけである。重要でない仕事は「ロボット」に任せてしまおうということだ。
 つまり、「ロボット」の目的とは、「重要なことだけに、ヒトの注意を向けさせること」である。重要でない仕事は「ロボット」に。大事なことは「人間」が。


例えば、自分に置き換えると、私は幼稚園の年長か、小学1年生の時に、補助なしの自転車に乗る練習を近所の公園で、何回も転んでは練習をしていた記憶があります。自転車の後ろを父親に持ってもらい、慣れてきたら手を離してもらう。そういう練習を繰り返して、少しずつ転ばずに乗れるようになる。きっと、ハンドルをどう操作したら良いかとか、右に転びそうだから左に重心をかけようとか、そのようなことを考えながら。




しかし、今では自転車に乗る時に、ハンドルだバランスだなんて、一切考えずに乗ることができます。これはきっと、私の中に自転車に乗るロボットが完成され、ロボットが自転車を漕いでいる。そういうことを言いたいのではないかと思います。ここまでを読んだ時には、「なんだ、ロボット使えるじゃん!どんどん自分の中にロボットを作り出せばいいじゃん!」そんな風に楽観的にこの本を読んでいました。

自分の目標を叶えるために、やらなければいけないことも、自分の中のロボットにやってもらえればいいのに。あの仕事も、この仕事も、自転車を漕ぐようにロボットにやってもらっちゃえばいいのに。そのように思ったのですが、人間の心はそのようにはできていないようです。

さきほど書いたように、人間はネオフィリックな(新し物好きな)生き物で、つまり飽きっぽいということ。期間限定と書かれた商品や、今持っているものより1つ機能が追加された商品などを見ると、すぐに手を伸ばしたくなるのは、既存の習慣や商品による楽しみは繰り返し楽しむにつれて、次第にロボットのものとなり、自分自身があまり楽しめなくなってくるというのです。そこで、人間は、ロボットのものになっていない、新たな刺激や娯楽に手を伸ばしたくなるのだというのです。

そして、こんな文章を目にしました。

・「新しいロボット」を一体導入するのは、「古いロボット」の副作用に苦しむことの、さらに十倍も苦しい。

自分のやるべきことがロボット化されている分には(自転車の乗り方)、ロボットはありがたい存在ですが、仕事におけるやりたくないこと、逃げだしたいことを自分の中のロボットがやってくれるまで、継続して取り組むことは、とても難しいのだそうです。

私で言えば、テストの後にすぐ丸付けをする、学級通信を毎週末に発行する、週の頭にその週のやることリストを作る。などの、教員におけるルーティンワークは、ロボットにやってもらっちゃえばいいのに・・・と思うのですが、やりたくないな、面倒だなと思うことのが多く、やらざるをえないからやっている、というのが現状です。そんな時に、例えばチョコレートを食べたら美味しかった。甘いコーヒーを飲んだら美味しかった。などと、こんなことを繰り返してると、「やりたくない仕事の時にチョコレートを、コーヒーを嗜む」といったロボットができてしまう。確実に、私の中に、このチョコレートロボットは存在していました。

読み進めていくと、こんな言葉に出会いました。


・初めて何かを体験した際の喜びを記憶しておく「ロボット」

このロボットが、自分を望ましい方向に導くのに重要なのだそうです。

例えば、初めて「先生の学級通信楽しく読んでますよ!」などと誉められた時のことを思い出すやることリストを書いたことによって、計画的にその週の仕事を終えることができた時のことを思い出す

このロボットなら、苦痛なく作り出せそうです。嬉しかった時のことを思い出す、というのは、やりたくないな、と思うようなことではないからです。

私は、幼稚園の頃、父親に補助してもらいながら、初めてけのびの姿勢で身体が浮いた時のことを覚えています。

そして、大学生の頃にスポーツジムで水泳のインストラクターをしていたこともあり、泳げない人が泳げるようになった時の気持ちを理解しようと、自分の身体が浮いた記憶は、度々脳裏に引っ張り出されていました。

初めてお箸でご飯を食べられるようになったこと。初めて蝶々結びができるようになったこと。これらはまったく思い出せないのに。

いまだに水泳が趣味の1つとして続いているのは、初めてできた時の記憶を定期的に呼び覚ましていたからなのかもしれません。



教訓:初めてできた嬉しかった記憶を呼び起こす
元々私は、「ながら〇〇」をしていることが昔からよくありました。

中高生の時は、試験前になると必ずと言って良いほど、「ラジオを聞きながら勉強」でした。

教員採用試験に臨む際には、アルバイトの帰り道に、一駅手前で下車して「ノートを読みながら帰宅

うつ病になる前も、同期の頑張りに感化されてやる気に満ちていた時は、駅から家までの帰り道、暗い中、ケータイの懐中電灯アプリを使いながら、「歩きながら読書」をしていました。(危なくて誰にもお薦めできませんね・・・)

最近は、「リンスをなじませながらスクワット」というものにも取り組んでいます。

通勤時の混んでる電車や、買い物をして両手が塞がっている時は、お薦めできない「歩きながら読書」も出来ません。

そこで、以前からなんとなく聞いていた番組もあるのですが、手は塞がったていても耳が空いているじゃないか、と、狭かったり両手が塞がったりしていても出来る、耳からの学習に、改めて意義を感じ出しました。

ということで、今回は私が今聞いているpodcastの紹介をします。

①週刊日経トレンディ




この番組でツムツムの存在を知り、私はツムツムが流行る前に手を出していたので、LINEで繋がっている知り合いの方の中では、常に1位です。(やればやるほどレベルが上がり、点数が高くなるので、あくまでも上手なわけではありませんが・・・知るのが早かっただけです。)

私にとっては、時代のトレンドになんとかついていくための番組です。渡辺さんと縫さんの掛け合いが楽しいです。


②伊藤洋一のRound Up World Now



主に世界情勢について真面目に話す番組。ニュース・・・というか、テレビをほとんど見ない私ですが、ギリシャの混乱や、日本人記者が韓国で拘束されていたことなど、この番組で知りました。私にとってはこの番組も、なんとか時代についていくための番組です。


③世界一周!チラ見の世界史



毎回、ビンゴによって1つの国を選び、その国の歴史について話すという番組。皆さんはニウエという国を知っていますか?赤道ギニアという国が実は赤道と接してないことを知っていますか?
受験生時代、世界史は得意科目でしたが、知らないことばかりで聞いていて勉強になります。

④主に日本の歴史について話すラジオ




これは、過去15回分しかダウンロード出来ないので、主要なテーマはほぼ終わってしまったのかもしれませんが(私がこの番組を知り、聞き出したのが第96回から)、毎回1つのテーマで、日本の歴史について話す番組です。

日本史は苦手だったので、予備知識がほとんどない私ですが、教科書のような硬い話ではなく、ゆるーく話が進められていくのでとても聞きやすいです。



さすがに読書しながらというのは内容がどっち付かずになり、頭に入ってきませんが、料理しながら、ランニングしながら、ゲームしながらでも聞けるという点で、非常に重宝しています。

仕事においては私は幾つものことを同時にやるのが苦手で、1つのことが終わらないと次に進めない性格なのですが、狭い、手が塞がってるなど物理的に何も出来ない状況や、料理をする、ゲームをするなど、機械的な作業をしながら学習も出来るというのは、二兎を追って二兎を得るような、充実感を得ることも出来ます。

「〇〇ながら聞く」という点で、集中力MAXで聞いているわけではないので、知識が100脳内に残るわけではありませんが、聞かないことによって0だった知識が20でも30でも身に付くという点では、なかなか意義のあることのように感じています。



教訓:耳が空いているじゃないか!
10月26日の『プロフェッショナル仕事の流儀』を、もう5回見ました。

この回のプロフェッショナルは、岡村隆史さん。ただし、岡村さんの仕事に密着するのではなく、この番組の視聴者でもある岡村さんが、過去に取り上げられたプロフェッショナルの人の中から、話を聞きたいプロフェッショナルのもとを訪ねるというものでした。

私は、中学生、高校生の頃、ラジオ「ナインティナインのオールナイト日本」を聞いていました。

岡村さんの真面目に努力してストイックにふざける、馬鹿をやるという姿勢は、カッコいいなと今でも思っています。

岡村さんも、精神的に苦しくなり、仕事を休んだという過去があります。

私は岡村さんほど真面目でもストイックでもありませんが、現在仕事をうつ病で休んでいるので、非常に感情移入しながら、何回も何回も、この回の番組を見ました。

岡村さんが訪ねた1人目のプロフェッショナルは左官:挾土秀平さん



左官とは壁を塗る職人の事です。以下、ウィキペディアによる挟土さんの紹介:

普段は、近代的な建設物や個人住宅の壁塗りを行う傍ら、日本の伝統な土蔵から茶室等を行う。東京の一流ホテルのエントランスロビーまで、天然の土と素材を使った独自の世界の塗り壁づくりは、モダンかつ斬新で他に類がなく日本全国に活躍の場を広げている。また、左官職人にこだわらない新しい手法を試み、自然に還るものだけを使った空間や作品を、数多く発表し、画廊、ギャラリーによる個展活動も含め、幅広い活動を展開している。

挟土さんの作品






番組でも作品のいくつかが紹介されていましたが、それらはすべて美しいものばかり。左官について何も知らない私としては、これらが土を塗られて作られていることすら驚きでした。

番組では、挟土さんの紹介になると、まず最初にこのような文字が映し出されます。

臆病者でもいいじゃないか


そして、実際に挟土さんが働く姿、挟土さんの作品などが紹介されます。そんな挟土さんの貫く仕事の流儀は、このようなものでした。

職人は臆病であれ


挟土さんは、このように語ります。

私はとても臆病者。大きな仕事の前には、眠れなくなるし逃げ出したくもなる。プレッシャーに押し潰されて、自律神経がダメになったこともある。「これで大丈夫か、大丈夫か」と、毎日毎日とても不安の中で仕事をしている。

でも、だから成功してきたとも思う。




挟土さんと比べたら、私なんか何も成功なんかしていないちっぽけな人間ですが、私も臆病者です。今まで、臆病に仕事をしてきました。

昔は、一つ一つの授業に、自分が言うこと、子どもにさせること、黒板に書くことをノートに事細かに書き、それでも「大丈夫かな・・・」と不安の中で授業をしてきました。

仕事が増え、そのような時間がなかなか捻出できなくなった今でも、たくさんの先生が見に来る研究授業に臨む際には、前日までに、黒板にいつ、どこに何を書くか、また何を話すか、子どもに何をさせるか、それぞれの所要時間は何分か、などを事細かに書いたノートを作り、それでも不安で不安で仕方がないまま、授業に臨んでいました。

それが、今年の研究授業前に作ったノート。臆病者っぷりがよく分かる、「これで大丈夫だろうか・・・」という不安をどうにかかき消そうとしているのがよく表れています。



また、私が進行を務めた運動会では、開会式や閉会式、お昼の休憩のアナウンスなど、自分が話すことをすべて文字に起こし、パソコンで台本を作って当日に臨んでいました。それでも当日は心臓はバクバクし、震える足をどうにかピンとしながら立っていました。

私は、自分自身がうつ病を患ったのは、臆病が故に子どもとの関係作りに慎重になり過ぎ、関わりをもたずに次第に距離が開き、最終的に避けられるという結果に至ることが大きな要因となりました。

そのため、これを見る前の私は、臆病な性格を変えなければいけない、自分を変えなければいけない、と落ち込み、自暴自棄になっていました。

しかし、臆病が故に成功したと、自ら語るプロフェッショナル・挟土さんを見ることが、大きな励みになりました。


挟土さんは、もう一つ、私の心に響くことをおっしゃっていました。

周りからのプレッシャー、責任など、仕事の質が大きくなるにつれ、自分なりの息抜きもレベルアップさせていかないといけない。

例えば、今まではカラオケで1曲歌えば、友達とお酒を飲めば解消できたストレスも、背負う責任が増すにつれ、通用しなくなる。責任の重さに比例して、それに合ったストレス解消法もバージョンアップしていかなければいけない、ということを挟土さんはおっしゃっていました。

こんな視点、私にはありませんでした。その時の自分に合った息抜きの方法も常に見つけていかないといけないのだなと、勉強になりました。


教訓:臆病なままでいい。変えなければいけないのは、性格ではなく、やり方だ!
ずっと昔に買っておいて、本棚に眠っていたこの本を読んでみました。

5000人を変えた! 話し方の新・習慣77/ポプラ社

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うつ病を患う直前、私はこんなことすら出来ていなかったように思います。

・人と会う前には身だしなみを整えるように、声も<人に会うトーン>に整えるのがマナー。<人に会うトーン>の基準は、ドレミファソの<ソのトーン>と覚えましょう。

通勤し、朝、職場に入る時の、私の第一声。誰にも目を合わせずに、出勤ボードのマグネットを動かしながらか細い声で

 「おはようございます…」


・目線の配り方を工夫してみよう。目線のルールは<ワンセンテンス・ワンパーソン>。人は3~5秒、目が合うと「自分に語りかけてくれていると意識すると言われています。


教室に入る時も、教室の後ろのドアから入り、誰に目を合わせるでもなく、

「おはようございます…」

これではいけませんね。子どもとの人間関係、信頼関係が作れなかったことは、このような些細なことから始まっていたのかもしれません。

また、私は人前で話すのがすごく苦手です。そのため、保護者会や、私がリーダーとして運営していた運動会の全体練習や本番、多くの先生が見に来る研究授業などでは、万全の準備、カンペを用意して臨んでいました。

・多くの人は話すときに十分呼吸をしていません。慣れるまでは、話し出す前に必ず<鼻から静かに息を吸い込む>ということを意識してください。


しかし、緊張をかき消すためにカンペをすがるように見るのではなく、鼻からしっかり息を吸い、お腹から声を出すことを意識することによって、自分の思いがさらに子どもたちに届いたのかもしれません。

また、保護者会や日々の授業では、こちらが伝えたい事柄や、その日教えるべき授業の目当てなどが必ず存在します。

・魅力のある話し方と面白くない話し方の違いは何なのか?ひと言で言うならば<説明>するか、<表現>するか。それに尽きるでしょう。
 多くの人は、話をするとき、気概だけを浅く広く話す、いわゆる<説明>になってしまっています。プレゼンや商談でもそうですが、<説明>では相手の心は動きません。商品については理解できたけど、「買いたい」という気にはならない。それが<説明>なのです。話上手な人は、必ずしもキレイにまとまっていなくても、楽しませたり、驚かせたり、想像させたりしながら、聞き手の心を動かす、<表現>する話し方ができるもの。



保護者会では、「私はこんな人間です。」「こんなクラスにしていきたいです。」誰にでも言えそうなマニュアルに即した言葉でなく、自分の思いを自分なりに表現しないといけないのだと感じました。

また、授業においては、例えば米作りに励む農家の苦労を「こんなことしています。」「こんな工夫もしています」と黒板に羅列するのではなく、「こんなに苦労をしているんだ!」という知識を、色々な視覚教材を見せながら、子どもたちに考えさせながら、子どもたちに表現することも必要なのだと感じました。

出来ることは限られますが、実際の苦労を体験させたり、実際に米作りを行っている映像を見せたり、子どもたちに驚きや感動を伝えることが、教師ができる「表現」なのかな、と感じました。

本のタイトルは『5000人を変えた!話し方の新・習慣77』ですが、私のような教員にも、生かせそうなことがたくさん載っている本でした。


明日やること:気持ちよくおはようを言う
今日もこの本からです。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら/ダイヤモンド社

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 あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。自己管理目標が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。
 成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である、成果とは長期のものである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。



また、最近読んだ別の本には、このように書いてありました。

仕事は楽しいかね?/きこ書房

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試してみることに失敗はない


実際の野球においては、貴重な場面での、1打数1安打のバッターはヒーローかもしれません。しかし、コンスタントに打席に立ち、100打数30安打のバッターの方が、70回失敗しているとはいえ、チームにとっては価値があるでしょう。

仕事において打席に立つとは、自分なりの考えで何かアクションを起こすことだと思います。失敗を恐れて、起こすべきアクションがあるのに従来通り、様子見といった仕事は、打席に立ったとは言えません。

私は今年、どうしても人間関係において距離を感じる子どもがいました。高学年ということもあり、私は必要以上に近づいて「うぜ~」と思われるのを恐れ、私自身も心の距離を近付けることができずに、あまり関わりをもてずにいました。私は、自分が正しい振る舞いや良い授業をしていれば、心の距離はいずれ縮まるのだろう・・・そんな風に考えていました。そして、特に積極的に関わることもなく、しばらくは様子を見るといったつもりでいました。

しかし、距離は縮まるどころか、さらに開き、最終的に私は避けられるようになっていました。

当時の私は

0打数0安打

とるべきアクションすら起こさず、打席にすら入っていなかったのだと思い知らされました。

もっと、世間話や親父ギャグなどでも何でもいいから、積極的に話しかける(打席に立つ)ことで、もしかしたら1安打、2安打と結果が積み重なっていったのかもしれません。

もちろん、近付き過ぎればうざがられるのは分かっていますが、それでも打席に立たなければ、ヒットを打つことはできないのです。そのバランスを考えつつも、積極的に打席に立ち、空振りを恐れずバットを振らなければ、いずれバットの振り方を忘れ、バットすら振れなくなってしまうのです。

教訓:打席に立つ。三振を恐れずバットを振る。
以前にも一度、流行りものに乗っかる思いで読んだことがあったのですが、まだ手元にあったので、もう一度読んでみました。

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これまでマーケティングは、販売に関係す全職能の遂行を意味するにすぎなかった。それではまだ販売である。われわれの製品からスタートしている。われわれの市場を探している。これに対し、真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち、現実、欲求、価値からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである」と言う

小学校は義務教育で、教育基本法や学習指導要領で「これこれを教える」と定められています。

われわれは何を教えたいか。というものは国によって決められた、ぶれない軸が存在します。

私が今までやっていた保護者会というのは、自己紹介、子どもの様子をざっくり話す、その学期の予定、行事の予定を伝える、という自分の鋳型があり、学期毎にそれぞれの鋳型に必要な情報を流し込むといったようなものでした。

それはそれで、保護者にとって必要な情報を鋳型に流し込めていた回もあるでしょう。保護者からしたら、行事などの必要な情報を聞いてさっさと帰ることが一番の目的の人もいるかもしれません。

しかし、私は「私は、学校は何を教えたいか」だけでなく、「顧客は何を買いたいか」つまり、保護者会においては「保護者は何を知りたいか」を意識して保護者会の準備をしなければいけないな、と感じました。

そして、教員にとっての顧客とは何かを考えてみました。広く考えれば社会や日本なども入ってくるのでしょうが、まず考えられるのは目の前の子どもたちと保護者かな、と思います。

何回か、子どもの体育での様子を撮影し、保護者会の最後に見せたことがあります。

3分間での大縄の記録が、一年間で100回も延びたこと。(最初の一回目と、最高記録を出した時の回を続けて流しました。)

もう一つは、爆弾ドッジボールという、体育での取り組み。

保護者の見終わった後の表情などを見ると、にこやかな方が多く、保護者が保護者会で求めているものの一つは、子どもの学校での様子、変容だと思います。

しかし、これは私が今までのちっぽけな経験から導き出したものであって、もっと別のニーズを持っている保護者もいるのだと思います。

また、この本の中にこんな会話があります。


「今度ね、マーケティングを始めたんだ」
「マーケティングですか?」
「そう、みなみと私で、野球部のみんなに、色々聞いて回ろうと思ったの。『野球部に求めるものは何か?』って」
「え?」
「それを聞いてね、参考にしたいと思ったの。今後、野球部をマネジメントしていくにあたって、みんなの意見というのはものすごく重要なの。みんなが、何を考え、どうしたいかというのが、とっても大切になってくるの。私たちは、それをもとに、野球部をどうマネジメントしていくか、決めたいと思ったの」


この会話を読み、思いついたことがあります。

①保護者会の事前に、当日お聞きしたいことは何ですかと、お手紙などを出す。
②新しいクラスを受け持った4月に、どんなクラスにしたいか子どもたちに聞く。


②は、既にやってきたことですが、これもマーケティングの一環なのだなと感じました。

また、運動会などの各行事や学校公開後のアンケートなどに、しっかりと目を通すことも、マーケティングの一環と言えるのかもしれません。

国の定めた指導内容や、自分の思いも大事にしながら、私にとっての顧客に対するマーケティングも大事にしていきたいな、と感じました。
私は、小学校3年生からサッカーをしていました。とは言っても、小学生の頃は、学校から帰ればスーパーファミコンに夢中。周りの友達は、自主的に練習をしていたので、私はただ毎週日曜日のサッカー教室に通っていただけの下手くそなポンコツでした。

そんな私にも、ある日大好きになった選手がいました。



ドラガン・ストイコビッチ選手。愛称はピクシー。

来日当初は、日本と欧米のレフェリングの差、また監督との相性が合わずにイライラして、イエローカードやレッドカードを貰いまくっていました・・・。しかし、所属していた名古屋グランパスの監督にある人が就任してから、ストイコビッチ選手は水を得た魚のように大活躍。その監督はこの人。



アーセン・ベンゲル監督。フランス人です。

ベンゲルが監督になってから、当時Jリーグのお荷物と言われていた名古屋グランパスは、その年、年間総合3位になります。

また、ストイコビッチ選手はその年、JリーグのMVPに輝きます。

私の脳裏に今でも焼き付いているプレーがこちら。
雨の日の試合で、ピッチは水たまりだらけ。ボールをドリブルしようにも水たまりで止まってしまう。そんな状態でストイコビッチ選手は・・・



全力疾走でリフティングしながらボールを運んでいくのです。

中学高校と、青春時代にサッカー部に所属していた私にとって、ストイコビッチ選手はアイドルであり、スーパーヒーローでした。

時を経て、名古屋グランパスの監督になってからも、私の脳裏に焼き付いている、ストイコビッチ監督のプレー(監督なのにプレー!)があります。



スーツなのに・・・革靴なのに・・・予期せぬ瞬間に飛んできたであろうボールなのに・・・



今では、BS放送で海外サッカーが放送されているので、Jリーグはダイジェスト版のニュースを見て、試合は海外サッカーを主に見ています。

私が好きなチームは、ストイコビッチを日本で復活させてくれた、ベンゲル監督が率いているということもあり、イングランドのアーセナルというチームです。特にサッカーのスタイルを見て気に入ったというわけでもなく、あのストイコビッチ選手を活躍させた監督だからということで、盲目的にアーセナルのファンになり、今もそのまま応援しています。



新スタジアムの建設のため、新しい選手を獲得する資金が、他のお金持ちのチームより乏しい中、若い選手を育て、一流選手として活躍させるベンゲル監督の美学が、私は好きで、今ではアーロン・ラムジー選手、フランシス・コクラン選手などなど、ベンゲル監督に若くして見出された選手が、チームに欠かせない選手になっていることが嬉しく思います。

本当は、

サッカー観戦力 プロでも見落とすワンランク上の視点/東邦出版

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この本を最近読み、その中から、ハイ・プレッシング志向、リトリート志向について紹介しようと思ったのですが、長くなってしまったので、今回はここまで。

ストイコビッチ選手のスーパードリブルとスーパーシュートが、この記事がアップされる日まで残っていることを祈っています。