今日もこの本からです。

アイデアのつくり方/CCCメディアハウス

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以下がこの本に記されている、アイデアを作る過程・方法の順番です。


第一 資料集め-諸君の当面の課題のための資料と一般的知識の貯蔵をたえず豊富にすることから生まれる資料と。
第二 諸君の心の中でこれらの資料を手に入れること。
第三 孵化段階。そこでは諸君は意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事をやるのにまかせる。
第四 アイデアの実際上の誕生。<ユーレカ!分かった!見つけた!>という段階。そして
第五 現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階


と、書いてあったのですが、このままでは馬鹿な私はいまいち理解しきれないので、私自身の言葉で噛み砕いてみたいと思います。

①資料やアイデアを探す

②見つけた資料やアイデアを自分なりに解釈する。
→「心の中で手に入れる」という言葉が引っ掛かったのですが、その見つけたものを、あれに使えるかな?これに使えるかな?と自分なりに考えることが、「心の中で手に入れる」ことかな?と考えました。

③一旦逃げて違うことをする。
→例えばランニングをしたり、旅先で何かに触れて感動したり、友達とたわいもない話をしている時に、「あ!」と何か思い付くことがあるでしょう。もしくは、芸能人の名前や曲名など思い出したい時に思い出せず、何か全く別のことをしている時に思い出すような体験。やらなければいけないけれど逃げ出したことは、結局頭の片隅に残っていると思うので、別のことをしていても何かをきっかけに、逃げ出していた事柄とつながる。そういうことなのかな、と解釈しました。

④上記のように、別々の資料やアイデアがつながる。

⑤つながったアイデアを形にする。



こうして自分なりに解釈してみると、私にも昨年、このような経験がありました。

それは、持久走を行う体育朝会について計画を立てていた時のこと。


教員室での私:
「体育朝会の後にも、体力作りとして走ることを子どもたちに続けてもらいたいなぁ。前の学校ではマラソンカードを作ってたなぁ。」

教室での子どもたち:
「ウォッチ!今何時?一大事~。ウィッス!」

私:
妖怪ウォッチって子どもたちに大人気だなぁ。


教員室での私:
マラソンカードの形式を、書籍やインターネットで調べる。

教室での私:
「妖怪ウォッチってどんなアニメ?どんな妖怪が出てくるの?」と子どもたちに聞く。


別の仕事に取り組んだり、おうちで食事とともにビールを飲んだり…


ある時の私:
「マラソンカードを妖怪ウォッチの絵にしたら子どもたちは、ジバニャンに色を塗りたくて休み時間に校庭を走ってくれるかも!」


ジバニャンの絵を妖怪ウォッチのホームページから印刷。絵心のない私は自分ではジバニャンが上手く描けないので写し絵の方法をインターネットで検索。ジバニャンを写しとり、耳や目、身体などパーツごとに番号をふり、校庭を走った周の数だけ色が塗れるカードの完成。




当時受け持っていた2年生の子どもたちは、「やっと顔が塗れた!」「ここって何色?」など、楽しそうにマラソンカードのジバニャンに色を塗っていました。

なんて私自身の、ジェームスW・ヤングさんの記述にあった成功体験を書いてみましたが、「ふ、妖怪ウォッチなんてもう見ないよ」というような高学年の子どもたちには、別のアプローチをしなければが必要だったことは言うまでもありません。

そして、この「アイデアのつくり方」を読み、私が感じた教訓は、アイデアは寝かす、熟成させる時間がないと生まれにくい、ということと、気晴らしになるような逃げ場所がないと生まれにくい、ということです。

つまり、時間のゆとりと、プライベートでのゆとりが必要なのだな、と感じました。


教訓:アイデアは寝かす時間が必要。そのために、早め早めに、いつも心にアイデアの種を植える。
私は、文章を書くこと自体は、あまり苦になりません(読みやすい文章かどうかは度外視)。

今は、仕事を休んでいる罪悪感、成長が止まったのではという停滞感をまぎらわせられるのでは・・・という目的で書いていますが、昔々、一生懸命ブログ、あるいはmixiを更新している時期がありました。



私は大学入学と同時に、大学の生協でパソコンを購入しました。

大学のレポートの提出等に必要となるから、そしてパソコンの普及という時代の流れもあり、十数万もするパソコンを、両親にお金を出して買ってもらったのです。

その後しばらくし、私たちは大学の友達とフットサルチームを作り、チーム名を夢庵というレストランで決め、ユニフォームを揃えるなど、青春じみた生活を送っていました。

ある時、チームの一人が、チームのホームページを作ろうと、フットサルの活動自体はたいして行っていないのに、ホームページを作りました。

そこには、10個のコンテンツが載せられ、メンバー紹介や雑多な掲示板の他に、競馬予想のコーナーや野球好きの友達の野球日記、このお題でボケるなどの大喜利的コーナーなど、それぞれが書きたいことをコーナーにして載せていました。

そのうちの一つに、私の日記のようなコーナーがありました。

私は、通学に2時間かけていたので、その時間を利用し、頻繁に書き込みをしていしていました。

しかし、みんなすぐに掲示板にも飽き、その掲示板は廃れていきました。

その頃、多数のテレビに出演されていた眞鍋かをりさんが、ブログの女王と世間で言われるようになりました。




そんな世間のブログブームに乗っかるような形で、「おれらもやってみない?」と、そのフットサルチームのメンバーたちが、それぞれにブログを始めました。

私は、ブログを自分で書くのも面白かったし、良い息抜き(当時はいつ息を張り詰めていたんだというような暮らしでしたが・・・)にもなっていました。2時間ある通学の間は、ブログのネタ探し、書き込みに多くの時間を費やしていたような気がします。

当時の私の目的はこうでした。

交差点で信号待ちしている時や、一人で電車に乗って私のブログを読んでいる友達をニヤつかせる。

一人でいる時にニヤニヤさせられたら恥ずかしいじゃないですか。私は、自分の文章で友達をそのような状況にさせることが目的で、日々、ブログやmixiを更新していました。

そして毎年、自分のブログを本にして残していました。



幼いころなど、過去に何度か日記を書いてみたこともありますが、まったくと言っていいほど続きませんでした。

しかし、ブログを本にすることにより、手元には写真やインターネットから取り込んだ画像などが入ったハイクオリティな日記(自分の文章は驚くほどくだらなく、ロークオリティ・・・)が手元に残る嬉しさがあり、長続きしたのかな、という気がします。

本にする際に用いるサイトは、

ブログ製本サービスMyBooks.jp

というサイトです。

今回のブログも、今は4日に1記事になるように続けていますが、ずっと続けて、いつか本にしたいなと思います。

自分が読んだ本や、自分が学んだこと、実践したことを忘れた頃に読み返せる。自分専用の最高の自己啓発本に、やる気UP本になったらいいな、と思います。


私は大学生の頃、とある新橋の居酒屋で、キッチンスタッフとして働いていました。当時は、大学一年生。大学入学と同時に、個別指導の塾で働いていたのですが、指導の対象は中学生。大学がある時期は、授業を受けた後にアルバイト先へ行き、英語や数学などを教えていたのですが、夏休みや冬休みなど、大学がお休みの時期は、午前から夕方の時間を持て余していました。

そこで、料理の経験など皆無なのに、単なる好奇心で、大学に通う途中の駅にある、居酒屋のアルバイトに応募しました。

料理経験のなさなど、正直に話したにもかかわらず、何故か採用され、その年の夏から、慣れないキッチンでの業務に携わりました。

勤めて1か月余りで、キッチンのチーフが変わり、「俺がお前の面接の時にチーフだったら採用してないよ」などと言われながらも、チーフの奥さんがたまたま私と同じ大学卒だったことも親近感を持っていただいた一因となったようで、チーフにはとても可愛がってもらった記憶があります。

その頃から10年以上が経ち、いろいろな物を食べてきたからこそ当たり前のように感じますが、当時はそのレシピの数々に驚いたことは言うまでもありません。

私以外のキッチンスタッフはみな、調理師免許を保持していました。キッチンスタッフのみな(もちろん私以外)は、常に変わらないグランドメニューとは別に、定期的にそれぞれがオリジナルメニューを考案し、試作品を会社の偉い人に食べてもらっていました。偉い人から合格をもらった物が、季節限定のメニューとして売り出されるのでした。きっと、期間ごとに、キッチンスタッフの人が会社から課されたノルマのではないかと、今振り返ると思います。

油揚げを焼いて、醤油をかけると、それだけでビールのお友になります。
あるスタッフが考えたのは、油揚げに、生麩や何か(詳しくは忘れましたが)いろいろな物を乗せて醤油ベースのたれを塗ってオーブンで焼く、「京風ピザ」。

クリームコロッケと栗というダジャレのようなアイデアから生み出された、「栗ーむコロッケ」。

肉じゃがにチーズを乗せて温泉卵を乗せ、オーブンで焼いた、「肉じゃが温玉チーズ焼き」。

和風の出しで、根菜などを煮た「和ぽとふ」。

まだ、食べられるけれど、仕込んでから時間が経ってしまってお客様には出せない物は、スタッフの賄いとして振る舞われることがありました。

調理師免許をもったプロフェッショナルが考え抜いて作り出されたすべてのレシピが、私には箸が止まらないご馳走でした。

最近、

アイデアのつくり方/CCCメディアハウス

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という本を読みました。そこにあった一文。


「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何もでもない」


油揚げとピザ。和の出しとポトフ。栗とクリームコロッケ。それらは新しく発明されたものではなく、元々あるものとあるものの組み合わせ。しかし、その組み合わせ方が新しいものだったのです。

私はサッカーをやっていました。例えば強いボールをトラップをする時には、「足をカーテンのようにしてボールの勢いを吸収する」など、イメージしていました。

足とカーテン。サッカーとカーテン。まったく異種のものを結びつけることによって、動作化しやすくする。このように考えると、ジェームス・W・ヤングさんがおっしゃっていることも、意外と身近に感じられるような気がします。

また、最近再読した、

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら/ダイヤモンド社

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これも、野球部のマネージャーと、経営におけるマネジメントを掛け合わせたアイデアで、大ヒットとなった作品の一つだと思います。

私は、このブログをきっかけに、ブログと精神の安定(心の膿のはけ口)とノウハウと気付きと読書等で得た知恵を・・・などなど組み合わせられたら、と思っています。

こんなこと、世の中のビジネスシーンでは当たり前のように行われていることだと思いますが、私にとっては、今までやってこなかったことや、別々にやっていたことの新たな組み合わせ。自分にとって有益なものになるように、続けていけたらいいな、と思います。

きっと、あれとあれを組み合わせたら・・・というものが仕事の中でも日常生活の中でもきっと埋もれているのではないかと思います。実践してみて、これは!というものがあれば、報告します。
この本を読んで、感じたことブログの最終回です。

小さな「悟り」を積み重ねる (集英社新書)/集英社

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今という時間のとらえ方は、短い方が賢いと思います。なぜならば、何をするべきか、ということが明確になるからです。
今は一年間だと思う人には、やることが大量にあるのです。自分にもわからないほどあるので落ち着きがなくなります。やるべきことをやらなかったり、忘れたり、後回しにしたり、手抜きをしたりするなど、たくさんの問題が起きます。何よりも、精神的に落ち着きがないということは、不幸なことです。
つまり、今を活きることは、ファストライフでも、スローライフでもなく、ノーマルライフなのです。今という時間が短くなればなるほど、成功する確率が高まります

私は毎週、自分の手帳にやることリストを書いていました。

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これはこれで、自分がその週にやるべきことが明確になり、自分の中での道標として大いに役立っていました。

これは、毎週月曜日に、その週のやるべきことをがーっと手帳に書き出すのですが、毎週のルーティンワークにはできず、書いてない週もありました。

特に、気分が乗らない週や大きな悩みを抱えている週、また前の週に書かれたことを終えられなかった週は、やることリストを書くことがなく、その日の雰囲気や気分で仕事を進めていたこともありました。

道標は必要ですが、道標を見るのが嫌になって道に迷うのは本末転倒。アルボムッレ・スマナサーラさんのこの文章を読み、このようにすれば良かったのでは、とアイデアが浮かびました。

その週のやることリストは今まで通り書き、隣の一日一日の欄に、その日にやることを書く。

IMG_20151103_104825120.jpg

私の手帳は右側が上の写真のようなメモ欄、左側がこのように一日一日の欄になっておりますが、こちらの欄は、まったく活用できていませんでした。

右側のその週にやるべきリストの中から、その日やるべきことを優先順位を考えながら選択し、その日にやるべきことを明確にすれば、その週の見通しも、その日の見通しも立てられるのではないかと思いました。

そして、その日のやるべきリストを見ながら、その日その時にやるべきことにエネルギーを集中する。こうすることで、週単位のあれもしなきゃこれもしなきゃという大きな悩みが、その日その時の小さな悩みへと細分化されます。さらに、その日やるべきことをすべて終えれば即帰宅、達成感を得ながら帰路につくことができるのではないかと思います。

今という時間が短くなればなるほど、成功する確率が高まります

今という時間を週単位から日単位に、さらにその日のやることリストの一つ一つの単位に小さくすることで、今という時間を短くできるのではないか、そんな風に思いました。



スラムダンク、桜木花道くんの名言が、心に突き刺さるのでした。
今、シゴタノブログを2005年の初めの記事から毎日少しずつ読んでいます。

今読んでいるのは2008年の記事で、いつになったら現在に追い付くのだろうと思いながらも、一つ一つの記事を興味深く読んでいます。

自分に置き換えると、もし自分がブログを書き続けることができたら、1年前の自分は、五年前の自分は、こんなことを考え、こんなことを感じてたんだと、ブログを書いたその瞬間だけでなく、読み返した時に何か気付きや学びがあるのではないかと思います。

ということで、重荷にならない程度に、楽しみながら、自分のブログを続けていけたら、と思います。

そして、本の感想や学びだけでなく、こんなことを記録しておいたら、未来の自分に役立つのではないか、と気付いたことがあります。

それは、

誰かに言われて救われた何気ない一言

誰かに言われて深く傷ついた何気ない一言というのは、きっと何年もずっと根深く心に残り、それがトラウマになるなど、記憶から消したくても、消そう消そうとすればするほど、深く深く心に根を張っていくような気がします。

しかし、ある時救われた何気ない一言は、時間の経過や別の成功を掴むにつれ、だんだんと薄れていくような気がします。

だから、誰かに言われて救われた何気ない一言は、記憶ではなく記録に残しておくことで、いつまでも記憶に残しておけるのではないか、と考えました。

今、私はうつ病を患っているため、いくつかの場所にカウンセリングに通っています。

行くまでは非常に億劫で、自分の心の傷をほじくりかえされるのではいかと、行きたくない憂鬱な気分なのですが、終わってみると、疲れはあるものの、気分はすっきりします。

私は元々、人に悩みを打ち明けるのが嫌いでした。

青春時代に、「おれ、あの子のこと好きなんだけど」と、誰かに打ち明けた上で、どのようにその子を振り向かせるかといった、作戦会議などを周りでとる友達がいましたが(たぶん大多数の人はそれができるのだと思いますが)私はそれができない人でした。

自分が誰かに「あの子が好きなんだけど…」と言ったら、それが広まって別の子に冷やかされたり、もしくは先にその子に伝わって嫌われたりするのを恐れるような人間でした。

今でも、悩みや愚痴はうちに秘める方で溜め込んでしまうタイプの人間です。

今回、うつ病を患う前も、悩みを誰かに打ち明けたり相談したりということは、ほとんどしませんでした。

今、信用できる人がいないというわけではありません。ただ、悩みや愚痴を打ち明けるのが苦手でもあり、自分の弱い部分を見せたくなかったのだろうと感じます。

また、信用できる、一緒にいて楽しい人との前では、明るく振る舞って楽しい気分で過ごしたいのです。

カウンセリングに行くと、カウンセラーの方は、優しく、私が心の膿を出すことに苦痛を伴わせることなく、自然にリラックスした状態のまま、私の膿出しに付き合ってくださいます。

私はただ思ったままに、聞かれたこと、聞かれてないことまで喋っているだけなのですが、カウンセリングが終わった後は、非常に疲れを感じました。自分の膿を出しきる作業ですから、やはりエネルギーを使っているのでしょう。しかし、その一方で、非常にスッキリとした自分もそこには存在しているのです。

カウンセリングで、一番心に響いた一言は、

きっと自分でSOSを出すのが苦手だったのよ。

というものでした。

私が仕事で上手くいかず、うつ病を患った原因には、様々なものがあると思います。

A:20点
B:50点
C:40点
D:79点
SOSを出す:0点

80点が自分の中での合格点だとしたら、AもBもCもDも不合格です。

しかし、それら全てに目を向けて落ち込むのではなく、SOSを誰かに吐き出すことを覚えたら、その相乗効果でDなんかはあと1点上積みできるかもしれないし、SOSを出すことができることにより、ABCDに立ち向かうモチベーションも、上がるかもしれません。

今後、辛いこと苦しいことがあったらこの「きっと自分でSOSを出すのが苦手だったのよ。 」という言葉を思い出せたら、何かが変わるような気がします。

しかし、性格はなかなか変わらないでしょうから、悩みを誰かに打ち明けることはできないままかもしれません。

そんな時のために、定期的にカウンセリングという言わば強制的に悩みを吐き出す場に行き、自分から膿を出しきる機会を作ることも、こんな私にとっては良いアイデアかなと感じました。

SOSを出せない自分を自覚する→SOSを意識的に出す 

今後の自分の課題を、一つ知ることができました。
私は、自分のこの「うつ病教師のへたれ日記」を、このブログのようにしたい、という憧れのブログがあります。

シゴタノ

このブログには「仕事を楽しくする研究日誌」という副題がつけられていて、読んでいてなるほどと思うノウハウや考え方に、読む度に感心させられます。

6年前、自己啓発本やノウハウ本が好きだった私は、たまたまこのブログを見つけました。

6年前と言えば、私が初めて教師として働き始めた年。教師用の本も手当たり次第読んでいた記憶があります。

当時、同じ学年を組んでいたA先生は、面倒見も良く、日々こなさなければいけない仕事を常に前倒しで、余裕を持って取り組んでいました。

とにかく、すごいな!この人、すごいな!
この人みたいになりたいな!

そんな風に思いました。

日々私も、受け持っていたクラスで授業をしていたので、A先生の授業を見ることはできませんでしたが、教員室での仕事の方法などは、たくさん真似をし、とにかくA先生を追いかけていたような気がします。

隣の席だったので、A先生が自分の引き出しを開け、すごく整えられている引き出しの中を見たら、自分の引き出しを同じように整理しました。

また、前倒し前倒しで、何でもてきぱきと計画的に取り組むA先生が取り組んでいる仕事を追いかければ、成績処理など締め切りのある仕事に遅れることもなく、教員として初めての年に、何か締め切りに遅れてバタバタするということもなく一年を終えることができました。

もちろん、A先生のようにてきぱきとはこなせないので、A先生と同じ内容の仕事をするにも、何倍もの時間はかかりましたが。

A先生は、銀色の缶ペン(缶の素材のペンケース)をいつも使っていました。

そして、その缶ペンの裏蓋に、学校でやるべきこと、家に持ち帰ってやるべきことを、付箋の色を変え、リストアップしていました。  

その缶ペンは、学校でも家でも、肌身離さず使っていたものだと思います。

「私はバカだからこうしないと忘れちゃうのよ」

A先生は、笑って私にそんなふうに自分を卑下して言うのでした。

その頃、私が読んだいたシゴタノの記事で紹介されていた本(6年も前のことなので何の本かは忘れてしまいました。)に、

安心して忘れるためにメモを取る

というようなことが書いてありました。

頭の中であれもしなきゃこれもしなきゃと常に不安を抱えながら物事に取り組むのではなく、メモを取ることで必要な時にそれを思い出せば良い。思い出す必要がない時は安心してそれを忘れ、目の前のことに没頭すれば良い。

というような内容だったと思います。

身近にいる、憧れの先生がやっていたことが、シゴタノで紹介されていた本に書いてあったことがきっかけで、私はこのブログのファンになり、定期的に読むようになりました。

しかし、時の経過とともにシゴタノをチェックする機会が減り、いつしか読まなくなってしまいました。

6年後、うつ病になってしまった私は、仕事を休んでいる罪悪感と、自分の成長が止まるのではないかという停滞感を少しでもまぎらわせられるのではないかと、シゴタノの存在を思い出し、2005年の記事から一つ一つ読み直しています。そして、記事に紹介されていた本は手当たり次第に、Amazonのほしいものリストに入れ、少しずつ読んでいこうと思っています。

一緒にお仕事できたのは、6年前のたった一年間ですが、A先生は今でも私のカリスマ的存在です。

自分でもせっかちだと自称していたA先生が、私におっしゃってくれた、

「一年目の先生が私のペースについてこれるなんて、すごいことなのよ」

という言葉は、今でも嬉しくて胸に残っています。

それと同時に、二年目以降、バタバタと締め切りに間に合わなかったり、計画性もなくバタバタと毎日を過ごしていると、

今の状況をA先生が見たらどう思うだろう…

と、自分を責める気持ちが生まれます。そして、年月が過ぎて隣で毎日見せていただいたA先生イズムが、少しずつ風化していってるのを嘆く自分がいます。

自分が憧れたA先生にはいつまでも、誉めてもらいたい。いつかどこかで私の仕事ぶりがA先生の耳に伝わった時、頑張ってるじゃん!と思ってもらいたい。

そんな気持ちを心のどこかに抱きながら、働いていたような気がします。



そんなA先生が、シゴタノというブログを知らずにやっていた缶ペンにやることリストを貼るという知恵。その知恵を知るきっかけをくれたシゴタノ。

今は仕事を休んでいて、もっぱら本を読んで知識をインプットするのみですが、うつ病を治して、仕事に復帰したら私も、シゴタノブログのように日々実践したことを、このブログに書いて、自分を成長させていけたらな、と思います。

目指せシゴタノ!
今日も、この本の抜粋です。

小さな「悟り」を積み重ねる (集英社新書)/集英社

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人は仕事や勉強をする際、必ず“完成”という目標をイメージします。料理、掃除、洗濯といった家事も、それをする人の頭の中にはいつも完成のイメージがあるはずです。
すなわち人は何かを行うとき、いつも目標があってそれに向けて完成をめざします。
しかし、完成という状態は、精神にとって何を意味するのでしょうか。
その都度、その都度、たしかに完成もいうものはあるのでしょうが、この完成にこだわりすぎると、人は精神的な病にかかってしまいます


私は、例えば学級通信などを書く時や、各行事の実施案、研究授業の指導案などを作る際には、以下のプロセスを踏んでいました。

①ノートに思いつくままにアイデアを書く。

②パソコンで清書する。

自分が思うこのプロセスのメリットは、一つのことにエネルギーを一点集中できること。

例えば、三人の人がいて、

①封筒に書類を入れる
②切手を貼る
③封筒を糊付けする

という作業を行うとします。

その場合、一人一人が①②③を順番にやるよりも、①担当、②担当、③担当と、役割を分担した方が、確実に早く終わります。

それと同様に、一人で何かを行う時も、
①ノートに思い付くままにアイデアを書く→②パソコンで清書する
という、一人分業の方が効率が良いのでは、と思うからです。

二つのことをいっぺんにかじるより、一つのことにエネルギーを集中する方が、途中で慣れや思考がの深まりが生まれ、効率がよくなるのではないか、と考えています。

しかし、このやり方のデメリットは、

①ノートに思い付くままにアイデアを書く

のアイデアが浮かばなかったり、路頭に迷うと、いつまで経っても②の完成へと進まないことです。

そして、①を作成している段階で、完成形への強いこだわりがあると、いつまで経っても完成形は作れず、アルボムッレ・スマナサーラさんの言うように、

その都度、その都度、たしかに完成もいうものはあるのでしょうが、この完成にこだわりすぎると、人は精神的な病にかかってしまいます。

という状況に追い込まれていくのではないでしょうか。

私がこのような状況になったのも、学級はこうあるべき、子どもたちとの人間関係はこうあるべき、高学年とのかかわりはこうあるべき、という完成形に強くこだわりすぎたために、それとかけ離れた現状に、心が折れてしまったような気がします。

私は、臨機応変という言葉が好きではありません。

上手くいかなかった時の逃げ道というか、「だったらもっと起こりうる状況を想定しておいて、その際の対応策を用意しておけばいいじゃないか」と思うからです。

しかし、いくら起こりうることを想定したところで、それ以上の事態は起こるし、そもそもリスクばかりを考えていたら、何も行動に移せない、縮こまったことしかできなくなってしまいます。

こうあるべき、こうあるべき、それに縛られ、それとは別の事態に縛られた時にどうにもほどけなくなってしまった無力感。今の自分はそんな状態です。

だったら、こうあるべきという理想は持ちつつも、別の事態に縛られたところで、一つ一つ理想とは違う結び目をほどいていく、そんな精神状態でいる方が、ずっと精神的に落ち着いていられるのではないでしょうか。

理想は大事。でも、その理想もがっちがちの固い結び目ではなく、いつでもほどける蝶々結びで。そして、別の事態に結ばれても、自分のこだわる結び方に無理矢理変えるのではなく、一つ一つ結び目をほどける余裕を持つ。
小学校、中学校と、勉強することが苦じゃなかった私は、取り立てて努力をしたという記憶もなく(勉強はしていました。きっと、やるものだと習慣化されていたため、苦痛という思い出がないのでしょう。)、とんとん拍子で高校受験をクリアしました。

この頃の私は、典型的な「どうにかなるさ主義者」。勉強が嫌いではなかった分、どうにかなっていたため、このような考えに至るのも無理はないような気がします。

しかし、勉強に関しては苦労をしなかった一方で、優等生というレッテルにすごく嫌気がさしていました。

正確に言えば、誰もそんなことを思っているわけではないのに、自分で勝手に「優等生に思われている」と思い込んでいました。そのため、悪いことをしたり、身体を張って笑いをとっている周りの友達を見ながら、自分もあんな風になれたらいいのに、と自分で作った優等生に思われているという殻に閉じ籠っていました。

高校へ進学すると、周りは同じ受験を経て入学した人たち。少し勉強をサボると、一気に劣等生へ。その頃、初めて味わう感覚に、自分の殻が破れていく気分になりました。

髪を茶色く染めたり、コンビニの前でたむろしたり。おそらくその世代の人間が当たり前のようにやっていたことが、私にはそれだけでとても新鮮に感じました。

そうこうしているうちに、高校三年生になり、部活も終わり、周りは受験勉強に励んでいても、私は変わらず、遊び気分を引きずっていました。

漠然と大学受験に臨み、当然のように玉砕。一年間の浪人時代を迎えました。

浪人時代は人が変わったように勉強に励み、(この頃は、小中学生時代と違い、勉強が苦痛で仕方がありませんでしたが)志望校に合格しました。

この経験を糧に、大学ではしっかり勉強に励めばよいのに、やはりまた遊び気分に逆戻り。四年間で学んだことと言えば、競馬と麻雀、ウイニングイレブンとフットサル。その程度しか思い浮かびません。

また、漠然と就職活動を行い、やっとの思いで内定をもらうも、就職した会社は二ヶ月で辞めることとなりました。

浪人、就職と二回の失敗を経て、自分の中での「どうにかなるさ主義」は、完全に消え失せました。

その後、ようやく自分の将来と真剣に向き合い、教師になろうと志し、アルバイトをしながら、通信の大学で単位を取り、教員免許を取得しました。

どうにかなるさ主義」を完全に捨てた私は、アルバイトの帰り道、家の最寄り駅の一駅手前で下車し、自分が間違えた教員採用試験の問題を書き留めたノートを、ひたすら音読しながら家まで歩くという行為を毎日のようにしていました。

免許はとったものの、教員試験になかなか合格することができず、産休代替教員として働きながら、毎年一回の採用試験に臨み、五回目の試験でようやく合格することができました。

どうにかなるさ」でどうにもならないことに気付いた私はずっと、自分の力で「どうにかしてやる」ともがいていました。

やっとの思いで自分の人生を一歩進めることができた私。しかしこの頃にはすっかり、「どうにかなるさ主義」が、身体の中に一パーセントも残っていませんでした。

晴れて正規の教員となった、二年目。前回のエントリーで書いた事態に陥りました。

どうにかしてやる主義」は、言葉こそ聞こえはいいものの、失敗してしまうと心に余裕がなく、どうにかしてやれない時、「どうにもならない」と、最悪の事態に陥ることに、今更ながら気付きました。

きっと、身体の一パーセントでも、「どうにかなるさ主義」があれば、玉砕覚悟で思いきった手段を講じたり、言葉は悪いですが誰かのせいにして自責の念をまぎらわせたり、自分の中に蓄積された負の思いを軽くすることができたのではないか。そんな風に思います。

私が四回目の教員採用試験に不合格になり、教室で呆然としていた時、当時の管理職の先生に、飲みに誘っていただきました。

小さな「悟り」を積み重ねる (集英社新書)/集英社

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これは、その時に頂いた本です。

今、うつ病になり、休職している身なので、この時に貰った本を読んだら少しは心が救われるのではないか、と再読してみました。

何かをして成功したとしましょう。そこで舞い上がって驕ってしまうことがあります。そうなると自分のことを正しく見られなくなり、今度は失敗する可能性が高まります。でも、それを「たまたま」と思っていれば、心は健全な状態を保っていられます。失敗しようと成功しようと、そう思えるくらいの冷静さがあれば、ストレスなどたまらないでしょう。


きっと私は、「どうにかしてやる主義」で、なんとかなってきたたったここ一、二年で、自分を過大評価し、自分の能力を驕っていたのだと気付かされました。

何でもかんでも、やれることは精一杯やって、成功してもたまたま。失敗してもたまたま。そう考えながら次の成功へ向けてまた、やれることを精一杯やっていく。それくらいに考えることが今の私には丁度良いのかなと、感じさせられました。

もちろん、失敗には必ず原因があり、それと向き合うことで人として成長していくのですが、その失敗を重く考え、「どうにかしてやる」を打ち砕かれてうつ病になったという今の現状を考えたら、アルボムッレ・スマナサーラさんの語る仏教的考え方を、身体の中に取り入れていく必要があるのだなと、感じました。

一生懸命やったら、成功も失敗も、たまたま
「この給食誰が用意したの?」
「Aだよ。」
「よかったー。だって、(私を見ながら)が用意してたらオエーだもんね。」
「ねー。」

このやりとりで、私の心は折れました。

私は4月から今の学年を担当することになりました。初めての高学年。

小学校高学年女子の指導―困ったときの処方箋/学陽書房

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前年度のうちにこんな本も読み、心の準備はしていたつもりでいました。
昨年は2年生相手に悪いことはその場で叱り、良いことは誉めつつ、くだらない冗談なども言いながら、自分の中で、ある程度の及第点、やりきった感は抱いていました。

3月。次に自分が受け持つ学年が5年生だと知り、私は思春期の女子との距離感には細心の注意を払おうと心に誓っていました。

近づき過ぎず、遠ざかり過ぎず。

程よい距離感で、トップダウンではなく、前年度までの彼らの慣習を踏襲しながら、学級運営を行っていきました。

委員会決めの際は、希望が大きく偏りました。その時も、じゃんけんで決めては希望の委員会になれなかった子はしこりが残るのではないかと、話し合い、妥協点を探し、最後はみんなが納得、という形で決めました。

高学年ということで、今までの経験の中で一番、人間関係作りには細心の注意を払っていたつもりでした。

しかし、5月ごろから、Bさんが私を避けていることに、少しずつ気付くようになりました。

避けられていることには気づきながらも、話しかけると余計に避けられるのではないか・・・と私も距離を縮めることができずにいました。

魅力ある授業をしていれば、分かりやすい授業をしていれば、きっと子供たちはついてきてくれる。そんな私の思いは、甘い幻想でしかありませんでした。

私以外の先生とは、とても楽しそうに話すBさん。
私はBさんに声をかけることもできず、どんどん距離は遠ざかっていきました。

私とすれ違うと、Bさんと友達がこそこそと何かを話している。
Bさんのいるグループに私が伝えるべきことがあって、話しかけると、他の子の後ろで「げー」とか言っている。

私の自意識過剰かもしれませんが、そんな日々が続きました。

10月、私が主となって運営される行事、運動会がありました。そのため、9月は私の頭の中は、運動会の運営が多くを占めていました。

そして、運動会も終え、打ち上げでは美味しいお酒を飲み、振り替え休日には職場の先輩とゴルフにも行きました。

次の週、頭の中から運動会の運営についての思案が消えました。すると、Bさんグループの私への様子が、頭の中を占めるようになりました。

私の受け持っていた学級は、私を避けているBさんのグループと、それまで学級の中でスポイルされていた子たちが仲良くなりだしたもう一つのグループがありました。

この2つのグループも不穏な関係。Bさんのグループは陰でもう一つのグループの悪口を言い、もう一つのグループは、被害を受けないようにBさんたちのグループを避けているような状態でした。

運動会の次の行事は、学習発表会。Bさんのグループともう一つのグループ。それらをまとめつつ、Bさんたちの私への行動にも耐えなければなりません。

運動会を終えて1週間。学級と向き合わなければいけない状況で、上記のような子供たちの言動が聞こえ、それまでずっと我慢していた、私の心は折れました。



簡単に言えば、私の力不足。今までの経験の中で最も人間関係の構築に気を配り、悩んできたつもりでしたが、何一つ効果的な行動に移せず、私は職場に行けなくなりました。



学校に行けなくなったその日から、食事をしてはそれを嘔吐し、夜は眠っても夜中に目が覚めるようになりました。身体はそこまで異常がないのに、仕事にいけない罪悪感で、自ら喉に指を突っ込み、嘔吐することで仕事に行けない自分を正当化していました。

今は、胃腸薬、抗うつ剤、睡眠薬を処方してもらい、3月末まで休職するということで、少しは心が落ち着きました。しかし、私の代わりに誰かが私の分まで働いていると思うと、医師や管理職に勧められた「気晴らし」は、なかなかできそうにありません。

私はいろいろとため込んでしまう癖があるので、匿名の場で今の思いや現状を吐き出してみようと思いました。

いつか、この日記を読んで、こんなこともあったな・・・こんな経験を糧にして、立派な人間になったな・・・と思える日が来ることを祈って、こんな日記を残します。