ジャパメタ ~似てる!?かも知れないバンド~ | ドレミファ空4℃♪

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雰囲気がにひひ

DRAGON辰EZO北海道

曲はどうかなはてなマーク



1988年、GuitarのShingoがREADY(レディ-)を解散し、元MEDIA(メディア)のVo,JAYと元FLASH, CATCH(フラッシュ,キャッチ)のDs,Shigeki, Bass のHIRO(後にGUSTY BOMBS、etc)と共に米国進出をにらみDRAGON(ドラゴン)を結成。都内ライブハウス、横田米軍御用達の今は無き福生CLUB49、を中心に米軍キャンプ、そして関西方面ツアーを精力的に開始。全て英詞であり、サウンドはエアロスミス、シンデレラを彷彿とさせる本格的アメリカンヘウ゛ィロックンロ-ルサウンドが特徴のVNYL盤LP『UNTOUCHABLE LOVERS』をブロンズエイジレ-ベルよりリリースし、3000枚を完売。そして、HIROの脱退後、元WOLF・RATTLESNAKEのANI-Katsuこと関勝美が加入、3曲入りプレゼントテープを配布。更にGuitar,MASAがSLENDERより加入、新たなメンバー構成にて2ndアルバムの準備と渡米予定も具体化していたが諸般の事情により活動停止、1992年そして解散。2010年、鹿鳴館で復活LIVEを果たしている【myspace参照】



1985年にFLATBACKERとして、アルバム『戦争 -アクシデント-』でデビュー。1986年には2ndアルバム『餌 -ESA-』を発表。その後、世界規模での活動に向けて渡米。渡米直後に所属事務所をアミューズに移籍し、バンド名もFLATBACKERからEZO(イーズィーオー)に改名、ゲフィン・レコードと契約。なお、“EZO”の由来はメンバーの出身地である北海道の旧国名、蝦夷からである。EZOとしてのデビュー時のキャッチコピーは「隠れて何をしてたんだ!」。EZO改名後の1987年に1st(FLATBACKER時代から数えれば3rdにあたる)アルバム『E・Z・O』を発表。プロデューサーにキッスのジーン・シモンズを迎える。アミューズの戦略により歌舞伎を彷彿させるメイクを施し、当時アメリカでショー・コスギが忍者ブームを巻き起こしていたことに着目し『忍者メタル』として売り出す。デビューアルバムの歌詞カードにはメンバーがそれぞれMASAKI(風)SHOYO(火)TARO(地)HIRO(水)とキャラクター設定が決められていた写真が掲載されている。同年、ガンズ・アンド・ローゼズとのクラブツアーも実施。1989年、隈取りメイクを落とし、2ndアルバム『FIRE FIRE』をリリース。プロデュースはストライパー、サヴァタージ、サクソン等との仕事で知られるスティーヴン・ガルファスによる。また、ジョディ・グレイとジェイムズ・パレスがアソシエイト・プロデューサーとしてクレジットされている渾身の作品だったものの、アメリカでの成功も日本凱旋公演も実現出来ず、1990年に解散。【wikipedia参照】