前回、「EF58型電気機関車デビューの概要」を書きましたが、今回は「EF58の流線型車体の誕生」について述べたいと思います。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190711/21/terkey-rider6633/99/36/j/o0560034514499132966.jpg?caw=800)
1985. 4. 29 米原機関区
GHQのインフレーション抑制政策「ドッジライン」によって、製造途中で中断していたEF58の32~36号機のうち32,33,34号機はギヤ比等を改造して、1951年(昭和26年)に貨物用電気機関車「EF18」となってデビューしました。
その後、高崎線電化に伴って列車暖房用の蒸気発生装置を搭載した旅客用電気機関車が必要となりました。
そこで、残るEF58-35,36号機に蒸気発生装置を搭載させて落成させる事となりました。
しかし、デッキ付きスタイルのEF58には蒸気発生装置を搭載するスペースがなかったため、デッキ部分まで車体を延長する事となりました。
本来なら車体を新造するべきところを時間的余裕がなかったため、台車や機械室部分とデッキ付きの車体をそのまま使用し、運転席部分だけを新造して既存の車体に溶接するという方式がとられました。
このような経緯を経て、1952年(昭和27年)に流線型スタイルのEF58-35,36号機がデビューしました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190711/21/terkey-rider6633/3b/3d/j/o0560037314499132985.jpg?caw=800)
1985. 8. 3 米原機関区 EF58-36(米原機関区)
運転席部分の車体を溶接によって作られた35,36号機は、今後量産されるEF58と外観上大きな違いが見受けられます。
35,36号機はデッキ付き時代の車体をそのまま使用した関係で、機械室の側面窓が写真のとおり7枚となっています。
35,36号機はデッキ付き時代の車体をそのまま使用した関係で、機械室の側面窓が写真のとおり7枚となっています。
量産型EF58は、下の写真のとおり機械室側面窓が5枚となっています。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190711/21/terkey-rider6633/5f/e2/j/o0560037314499132995.jpg?caw=800)
1983. 3. 15 山陽本線・朝霧-明石 EF58-138(宮原機関区)
その後、EF58は37号機以降、ラストナンバーの175号機までが1952年(昭和27年)~1958年(昭和33年)にかけて流線型車体で新造されました。
次回は、デッキ付き車体で製造された1~31号機のその後について述べたいと思います。