EF58型電気機関車デビューの概要 | terkey 鉄道・今昔物語

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1980年代の鉄道少年。。。
2012年より鉄道写真復帰。。。
少年時代と現代をタイムスリップしながら投稿しています。

EF58型電気機関車は、戦後の東海道・山陽本線及び、東北本線や高崎線と直流幹線区間の客車列車を一手に引き受けた、第一級の機関車でした。
 
自分も学生時代、そのEF58の魅力に魅かれた一人でした。
これから、その学生時代に撮影した写真を少しずつアップしてゆきたいと思います。
イメージ 1
1985. 4. 29 米原機関区
 
EF58がデビューしたのは、戦後間もない1946年(昭和21年)でした。
当時は流線型車体ではなく、それまでの旧型電気機関車を踏襲するデッキ付きのタイプでした。
 
自分がデッキ付き時代の写真を持っている訳もありませんので、イメージとしてEF59形電気機関車の画像をアップします。
イメージ 2
1985. 8. 3 米原機関区
 
EF58のデッキ付き時代も、このEF59のように先台車2軸タイプのものでした。
 
EF58がデビューして数年で、戦後占領期の1949年(昭和24年)、GHQが日本の経済の安定と自立のためのインフレーション抑制政策「ドッジライン」が布告されました。
これにより、電気機関車の新製も許可されなくなってしまい、EF58も1~31号機までの31両で製造が中断されました。
 
しかし「ドッジチライン」が布告された時、すでに32~36号機は製造途中でした。
その後の貨物需要の増加に伴い、ほぼ完成に近かった32,33,34号機の3両を貨物用電気機関車に改造してEF18形電気機関車としてデビューさせる事になりました。
 
この3両のEF18は、1,2,3号機とならずに1~31号機を欠番にして32,33,34号機となっていました。
また、この後増産される事となるEF58も32~34号機が欠番となっている事から、EF18は後にEF58へ再改造される予定だったと言われています。
結局、EF18はEF58に再改造される事なく1979年(昭和54年)に全機廃車となりました。
 
このEF18デビューの数年後、いよいよEF58が流線型車体となって新造される事になります。
次回はその「EF58・流線型車体の誕生」について述べます。