はい。テラの会のセンセイと、コータは

無事です。


ご安心を。



それでも、テラの会事務所は、マンションの

5階にあるんだけど、モノが倒れまくって、

たいへん。


いちばんヤバかったのは、

天井近くにおいて(?)いた本棚が、

センセイのいつも横になる場所に、

ガバーンと倒れていたこと。


センセイは、地震の前、寝ていた。


その頭上には、ヤバイ本棚が。


この本棚は、1年ほど前、

センセイが、「ぜったい大丈夫」

と言い張って、棚の上にのせたもの。


ふつう、本棚は床に置くよね。

それを、ほかの棚の上に、無造作に

のせただけ。


どこも壁とつなげて無いし、

どうみても、めちゃくちゃ危ない。

その本棚に、また無造作に、

本を何冊も並べていた。


その行動を見ながらわたくし

コータは声をからして止めた。


「もし地震とかきたら、

いっぱつで倒れて、寝てる

ところにもろ直撃だよ」


「あ~! うるさいっ

大丈夫だって」


・・・と言っていたあの頃。


今回の地震で、本棚はもろに

ぶっ倒れ、本は全部ぶちまけられ、

バキバキに壊れていた。


センセイが、もしも気が付かずに

寝ていたなら・・・


悲惨なことになっていた。


と、いっている側で、また同じ

ところに、無造作に本を積み

上げはじめるセンセイ。


この人の行動を変えることが

できるのは、この世に誰もいない

のかもしれない。




ネグロスってどこにあるか知ってる人、

さあ挙手を!


えーと、ざっと見渡して、日本人1億人中、

1万2千人ほどか・・・


その中で、実際にネグロスに

行ったことある人!

手をあげて下さい。


・・・コアラのマーチの中から

のっぺらぼうコアラ見つけるよりたいへんだ。


かってに試算してみたけど、

ネグロスはもっと有名なはず。


なぜなら、島の人口は600万人

以上だから。横浜市なみでは

ないか。


その600万人の中から、

たった2人だけ、テラの会の活動に

協力してもらっている。


RさんとAさんの、母子ふたり。


べつに実名を出してもいいのだけど、

ふたりは極度のはずかしがり屋なので・・・


そのA&Rコンビ。


住んでるのは、ネグロスで1、2を争う

大都会バコロド市。


フィリピンのネグロス島なのに、

日本のらーめんも、刺し身も食べれる。

意外でしょう。


だけどやっぱりネグロスは遠い。

先日、活動に協力してくれたお礼の

手紙を出したけど、

届かな~い!


手紙に「この手紙を読んだらメール

下さい」とかいておいたのに、

いつまでたってもメールは来ず。


堪忍袋のお(尾? 緒?)が切れて、

とうとう電話をかけた。

向こうとは英語で話さないと

いけないので、ドキドキ。


「は、はろー」


「オッォー、コータ!

グッイブニ~ン」


やはりフィリピン。やたら明るい。


「あい、せんどゆー、れたー」


といった具合に、ところどころ

つまりながらも、英語で話した。


それでわかったことには、

ネグロスでは、自宅に海外からの

郵便物は、直接とどかない。


郵便局止めになるので、

そこまで行って確かめなくては

ならない。


もちろん、郵便局から、

「○○さん、日本から手紙が」

とか気のきいた電話一本くるわけない。


かつてA&Rコンビのおばさんが、

ニューヨークからフルーツサラダを

送ったことがあった。


届いたのはなんと、5ヵ月後。


もちろんフルーツはご臨終。


というか、なんでニューヨークから

フィリピンにフルーツサラダを

送るのか!?


その辺りの疑問は、こっちの

英語力不足で、くわしくきけず。


ということで、ネグロスに支援物資

を送るのは、ひじょーに厳しいと

わかった。


日本でコータは郵便局へ行き、

事情を話した。


すると、どうやら国際郵便には

何種類かあるらしい。


2キロまでなら、国際小型ナントカ、

という奴で、格安で送れる。

安いかわりに、補償もつかず、

追跡もできず、送ったら送りっぱなし。


着くかどうかは運しだい。


そんなのじゃなく、ちゃんと保険付き、

追跡OKの国際小包というのがある。

それなら、船便、SAL便、航空便の

順に値段がはり、かつ早くとどく。


とりあえず、小さなぬいぐるみや、

おもちゃなどを、船便で送ってみた。


それも、前回A&Rコンビの自宅に

送ってダメだったので、Aさんの

働く会社あてで送った。


しかし、それがちゃんと届くか

わかるのは、23ヶ月後・・・


海外の協力者と連けいをとるのは、

こんなにいろんな苦心があるんだ。


それでも、こうして心と心でつながる

相手が海の向こうにいるってことは、

何だかワクワクする。


しないかなー?


(つづくだろう)


海外での協力者もぽつぽつ増えてきた

テラの会。


そんな人たちと何とか連携をとりながら、

つぎなる活動をやっている。


何とか、といったのは、わたしたちの協力者は、

だいたい、ほぼ100パーセント、かなりの

へんぴなところに住んでいるから。


どうやって連絡をつけるか。

まずはそこからバトルははじまる。


たとえば、次の活動を支援して下さる

Hさん。


彼はタイとミャンマーの国境の町、

メーソートというところに住んでおられる。


わたしたちも、一度行った。


バンコクから夜行バスも出ているのだけど、

10時間以上かかる。いちおうVIPバス、と

名前はいいけど、日本の市バスよりオンボロ。


そんなオンボロバスに10時間のってられるか?

若い旅行者ならそれも楽しい思い出だろう。

だけれど、センセイはどこへ行くにも着物。

襦袢に、合わせに、羽織姿。


粋といえば粋。

不便といえば、ものすごく不便。

このあいだメーソートに行くときも、全身着物で

武装(?)していった。


バンコクからスコータイまでは飛行機。

でもそこからは市バスしかない。

しかもその日はタイの仏教の祭日で、

バンコクなど都会で働く人たちが、家族に

会うために田舎に帰る日だった。


市バスの乗車率200パーセント。

荷物なんか、入れるところがないので、

とうとうボイラー室まで開けて、ほりこんでた。


そんな中センセイは立ちっぱなし。


やっと着いたバスターミナル。

こんどは、さいごの目的地、メーソートまで

のミニバスがない。あまりに人が多すぎて、

チケット買うだけで長蛇の列。


途方にくれるとは、このこと。


その後、昼寝タクシーと交渉して、何とか

メーソートまではつけたけれど。


ハンパじゃない旅路だった。


そんなところにお住まいのHさん。

どうやって連絡をつけたらいいのか!?


ご自宅に電話をかけるのにも、一苦労。

というのはHさんがぐうぜん受けて下されば

日本語が通じるけれど、誰か他の人だったら、

まずタイ語でHさんを呼ばなきゃならない。


電話をかける前に、タイ語ひとこと会話帳で、

○○さんをお願いします、と電話でいうときの

会話をチェック。


しばらく練習。


また、もしHさんがいらっしゃらなかったら、

こちらから電話をかけ直す、という表現も

用意する。


ややしばらく練習。


そして深呼吸して、電話をピコピコ。

息をつめて、着信音をきく。


プルルル・・・


この時間のなんと長いことか。


プルルル・・・


「ハロー」


うわっ、やっぱりタイ人だ!

えーと、サワディー・カプ・・・


「もしもし?」


急に日本語にかわる。なーんだ、

Hさんじゃないか!!


それでほっとして日本語で会話。


まあそんなふうに、妙な苦労がいろんな

ところであるんです。


つぎは、フィリピンの海こえた島の

そのまた向こうの、ネグロス島の

協力者さんと連絡つける話しでも

しようかな。


(またしばらくつづけます)

いやー、ほんと。

帰ってきたってば。


手羽先たくさん食ったってば。

インドネシアは豚食べれんから。


ほんと、今回の旅もいろいろ

あってさ。


しみじみと、やっぱりおいしい水の

飲める日本は、いいなと思う。


しばらくゆっくりさせて下さい…


(と、行く前に記事投稿予約機能を

セットし、あらかじめ無事だった自分を

演出しとく。これ、旅の無事のおまじない)

フィリピン、ビサヤのことを

お話ししてきたけれど。


じつは、急用が出来まして・・・


インドネシアのスラバヤってとこに、

明日行くことになったのだ。


飛行機に乗る時間を計算してみると、

なんと16時間!!


まる一日、ちっこい席でちゃんこ。


運がよければ、ちっちゃなテレビ

で、最新映画が見れるかも。


でも飛行機の機種によるから、

何ともいえない。


誰か16時間座りっぱなしで

なーんもしない時のための、

お楽しみ方を教えてほしい。


あやとり東京タワーまでやるとか。

あ、さいきんのちっこいゲーム機

とかは、目がチラチラするからパスね。


16時間連続空気いす、とか

アクティブ派にはいいかも。


わたしとしては・・・

いろいろ考えた結果、

寝る。


ことにしました・・・


ではグッナイ。


ネグロス西部の州都ドマゲッテ。

日本のみなさんからお預かりした、

衣服を手にもち、いざ川沿いの

雑居地帯へGO!



のびのびボランティア紀行


まずおもちゃを配って、

子供を釣る。

そうやって、ちょこっとずつ

心のかべをとかしてゆく。


ふふふ、全ては作戦のうちヨ。


雑居地帯の子供たちにして

みれば、えべっさんか、サンタさん

みたいなものであろう。


暑くてもサンタが来る。

それがフィリピン流。



のびのびボランティア紀行


われわれの術中にはまり、

見る見るうちにうちとける

住民たち。


気づいたときにはもう遅い!

そこにはスマイルがひろがっている。

そこまでいけば、後はわりと楽。


デイケア・センターの中に入れて

もらい、衣服を取り出して、

お母さんたちを呼ぶ。



のびのびボランティア紀行


センターの職員の人たちも

手伝ってもらった。

というより、むりやり手伝わせた。


だって、こっちはたったの2人、

住民たちは何人いるかわからない。

4本の腕では足りない。


写真をとるためにコータは

かかりっきりだし。



のびのびボランティア紀行


若いお母さんが多かった。

こどももわんさかいた。

日本の少子化問題なぞ

どこ吹く風。


フィリピンは食費が安いから、

何とか子供も育ってしまう。

それに、親戚中で、べた甘えさせて

「逆たらいまわし」する。


子供のいない家庭など、

淋しいからってんで、

そのへんから子供を

「レンタル」してくるくらいだ。


そしてレンタル先の家が焼き鳥屋

だったりして、そこで買った焼き鳥を、

借りた子供たちに食べさせたりする。


どういうこっちゃいな。


そんなこんなで、子供たちは

育つ。


でもやはり物が足りない。

とくに服なんて、お下がりの

お下がりを着ている。


だから、大量の衣服を

持っていって手渡すと、

こーんなに仲良くなるんだ。



のびのびボランティア紀行


ふつうの観光旅行とか、

バックパッカー貧乏旅行とかしてても、

なかなかこんなに現地の人と

通じ合えない。


衣服やおもちゃ、ぬいぐるみを

通して、コミュニケーションが

できる。


もしかしたら、それこそ何より

重要なのかもしれない。


衣服はそのうち古びて捨てられる。

でも、わたしたちがそこに来たという

ことは、決してなくならない。


わたしたちが伝えた、

あなたたちと友だちになりたい、

というメッセージは、きっと

いつまでも残るはず。


そう信じて、手から手へ渡す

やり方をかたくなにまもってる。


30分ほどで、全部渡しおえた。


帰るときは、雑居地帯ぜんたいから、

やんや、やんやの大歓声。

何だか、人気モノになった気分で、

こそばゆい瞬間だ。


そうしてドマゲッテでの衣服支援は

またもや大成功だった!


ドマゲッテのみんな、また会おうぜ。

地球がまわっている限り、

わたしたちが旅をつづける限り、

またどっかで会えるはずさ。


(さわやかさを印象づけつつ、

またつづく)

(おおまかなあらすじ)昨年の12月フィリピンの
ビサヤ諸島で活動したテラの会。
セブ、ネグロスと場所をかえながら、
慰霊や衣服支援をこなす。
いつものことだが、トラブル続出。


ネグロス島のバコロドに行くつもりが、
間違ってドマゲッテに来てしまったわれわれ。

ドマゲッテは、バコロドからすると、
地球の裏側のような場所。

うんちくを語るとするなら、
バコロドがネグロス東部の州都で、
ドマゲッテは西部の州都。

どっちかがオリエンタル州で、
どっちかがオキシデンタル州だった。
あー名前が似ててややこしい!

ドマゲッテへ来てしまったわれわれだけれど、
活動はそれでも出来てしまう。
これ、当意即妙と、昔の人は言いました。

いまでいうフレキシブル、
別の言い方をすると、てきとー。


衣服支援をできそうなところがないか、
コータが一人でロケハン(ロケーション・ハンティング)
しにいった。

すると、まああるわあるわ、
川ぞいにスラム街がずーっと
つづいてる。

さいきんは気候変動が激しいので、
これまでにない未曾有の台風や大雨に
フィリピンは見舞われる。

そんなとき、いちばん酷い被害に
あうのが、川沿いのスラムの住人。
川があふれて決壊し、家もろとも
流される。

政府は、あまりにも危ないので、
そんなところに住まないように、
と移住計画を持ちかける。

でも引越しの資金のない人たちは、
川沿いにいすわるしかない。

そんなスラムが、ドマゲッテの
街中、つまり河口のあたりから、
ずーっと奥の山の方までえんえん
つづいていた。

歩いても歩いても終わりが
見えない。

そんな川沿いの集落の一つに入った。

なかに入ると、井戸があったり、
教会やモスク(イスラム教徒の礼拝所)もある。
デイケアセンターや、小さな寺子屋みたいな
のもあった。

デイケアセンターの職員をさがした
けれど、その日は休みで、ドアが閉まってた。

誰かと先に話しておきたい、
と思っていると、おばちゃんが
通りかかった。

「何かようかい?」

「じつは、ぼくは日本人で、
服をたくさん持っているんだよ。
あとでお邪魔して、手渡したいんだけども」

「ああ、いいよ。デイケアセンターの
人たちにゆっとくから」

「かたじけない。それではよろしく」

まあこんな会話を、片言のタガログ語で
話した。

いや、片言どころじゃない。
ホテルの従業員のひとに訳してもらった
ことばをそのまま言っただけ。
棒読みもいいところ。

そうして、モノホンの「井戸端会議」
をする奥様方に笑いかけつつ、
いったんホテルにもどったのであった。

(きっと、つづく)

1、

2、

3、


無事だァ~~~!!


ハイ、無事です。

別にあんときの猪木の

まねをするまでもなく。


フィリピンのセブとネグロスに

行ってたの。


とっても、明るくて、悲惨な

ところだった。


どんなところか、ひとつ話しを

紹介すれば、足りると思う。


海に、ひとびとがたくさん

集まってた。


みんなダイビングや釣りやらに

いくらしい。


そんな中、フィリピン人の男の子が、

生まれたばかりの子猫の首ねっこを

つかんで、歩いてきた。


「それ、どうするの?」


ときいてみる。


「耳きこえないの、この猫。

ママが可哀そうだから・・・」


「え、可哀そうだから何?」


答えを言わずにその子は、

海に向かって、ニィニィ鳴く子猫をば、

ぽーーん、と・・・


ぽちゃん、と海で音がしましたとさ。


ハイ、それまで。


うーん、ちょー厳しいというか、

現実的というか。


うーん・・・


にわかには受け入れ難い光景だった。


まあそんなところさ。

はっはっは。


では、また前回のセブ・ネグロス

の話をつづけようかねぇ。


さて、ビサヤビサヤと

いいつづけたけど、

じつは、しばらくビサヤに

いっていたのだ。


テラの会は、ふたたび

ビサヤのセブ、ネグロスへ

活動しにいってた。


予定どおりなら、

今日帰っているはず。


予定どおりじゃないんなら・・・

知りません。


もしかしたら、ネグロス島で

ワニに片足食べられたり、


でっかくて長い大蛇に

巻きつかれてたり、


あるいはメガネザルをポケットに

入れて持ち帰ろうとして、

ラムサール条約違反で

今ごろ成田で取り調べ受けてたり、


してるかもしれない!


そうならないように、

銭洗い弁天でもらった

縁起のいい五円玉を

持っていったんだけど。


とにかく無事なはずです。



ジェイソンさんは、フライドチキン屋の

オーナーだという。


ネグロス島の人ではなく、

ミンダナオの人だ。


ネグロスの奥地で農園をしており、

その店は産地直送のものを

料理にしているわけだ。


どおりでおいしいわけである。



「あなたたちのやりたいことは、よくわかる」

とジェイソン氏はつづける。


この街には何人かストリート

チルドレンがいる。彼らは学校にも

行けず、いつもおなかを空かせている。


だから、あなたたちが、食べ物を

食べさせたい気持ちはよくわかる。


これは私からの提案なのだけど。

食べ物をただあげたりするのは、

いってみれば、傷口に絆創膏を

貼るようなものだ。

ほんとうの問題の解決にはならない。


それよりも、継続的な支援活動を

考えてみたらどうか。


ネグロスにも、LCCという、孤児の

子たちに住まいと、教育を与える

施設がある。


そのように、何年もつづけて、

愛情をこめて、面倒をみるのが

必要ではないか。


私たちは、ジェイソン氏の話しに

ただただうなずくばかりだった。


ジェイソン氏は、自分の農園に、

人を積極的に雇うことで、

お金の無い人たちに現金収入の

道を与えていた。


なかには子供を働かせようとする

親もいるけど、そんな親には、

自分が働いて、子供には学校に

行かせなさい、と言う。


ジェイソン氏が私たちに話して

くれたことは、実感がこもっていた。


ただ、思いつきで横やりを入れて

いるのではなかった。


私たちは、意見をきかせてくれた

ことに礼を言い、それでも食べ物を

あげるのは、とくべつな場合で、

いつもやっているわけじゃない、

と言った。


ジェイソン氏のすぐよこで、

子供たちがチキンをほおばっている。


彼はそれ以上しかることもなく、

優しいけれど、厳しさのある目で

子供をみている。


「こんな子供たちは、物乞いをする

ことに馴れてしまうんだ。子供の

ころからこうして暮らしてるから、

大人になって、働ける年頃になって

も、働かずに、バイクだけ買って、

そのへんを乗り回している。

お金がなくなったら、また物乞いを

するだけだ。そんなふうになって

欲しくない」


とジェイソン氏は語った。


確かに、もういい年をしていて、

見たところ健康そうなのに、

私たちをみると、お金をくれ、と

手をさしだしてくるフィリピン人も

よく見かけた。


ジェイソン氏は、フィリピン人に、

誇りをもって生きていって欲しい

のだろう。


「出会えて嬉しいよ。また会おう」


といって、彼は店にもどった。


ミンダナオの人は、どこか筋が

通っているというか、雰囲気が

違う。


いつかミンダナオを訪ねるのが

楽しみになった。


(つづく)