ネグロスの通りで会った子どもたち。

学校にも行かずに、通りにずっといる。

彼らと仲良くなった私たちは、

おなかがすいたというので、

近くのフライドチキン屋に

ついれいくことに。


フライドチキン屋は、地元でも

有名な店で、昼も夜もお客で

いっぱい。


丸ごとチキンをそのまま

味付けするので、すこぶるうまい。


その店に入ったとたん、

なかなら身体の大きな男が二人、

猛然とダッシュしてきた。


わっと逃げる子供たち。


しかし大人の足にはかなわず、

すぐにつかまった。


一人は逃げて、遠くから見ている。


つかまった子は、道に座らせられ、

大人たちに何事かきつく言われている。


いそいでかけつけた。


「何があったんですか?」


「うん、この子たちは、昨夜食べ物を

盗みに店に忍びこんだんだ」


どうやら、昨夜の閉店後、

おなかをすかせた子どもたちは、

店のフェンスをよじのぼって、

中に入り、盗みを働いたらしい。


「警察にはつれていかないんですか?」


「警察につれていっても、すぐ釈放する

だけだ」


たしかに、金もない子供を、

いつまでも牢屋に入れていても、

どうしようもない。


センセイがきた。


自分たちは日本人で、

ストリートチルドレンに衣服を

渡したりする活動をしている、

と店の人に説明する。


しかし、子供たちを店の中に

入れるわけにはいかないという。


それでは、お持ち帰りでチキンを

買って、食べさせるのなかいいか、

ときいた。


それならいいという。


店で、チキンを丸ごと一羽と、

いつの間にか一人ふえた子の

ために、3人分のご飯を買った。


店の前に公園があった。


3人にチキンとご飯を渡した。

さっきまでしゅんとしていた

子供たちが、ぱっと笑顔に

なって、むさぼるように食べ

はじめる。


久しぶりのちゃんとしたご飯

なのだろう、本当においしそうだ。


それを眺めていると、

さきほど子どもを叱った男の人が、

近づいてきて、握手を求めてきた。


彼はジェイソンと名乗った。


(つづく)



さて、次の日、いろんな用事を

済ませて、ホテルのあたりを

歩いていたら。


昨日のストリートチルドレンの

二人が、走ってきた。


昨日、衣服も渡してあった。


私たちを、悪い人間じゃないと

わかったようで、顔には笑顔が

もどっていた。


慰霊に使った日本国旗を

持ちたがるので、貸してあげた。


のびのびボランティア紀行



きっと、甘える相手がいないので、

私たちに甘えたいのだと思う。


街の人たちからは、白い目で

見られている子たち。


万引きなど、いろんな悪さを

するんだろう。


それでも私たちには笑顔を

見せた。



のびのびボランティア紀行


誰だってこんな環境に、

生まれたくて生まれるわけじゃない。

どうしようもない貧しさの中で、

それでも生きていく子供たち。


二度と会うかもわからない

子たちなので、何かをしてやりたくなった。


おなかが空いているというので、

近くの食堂に連れて行った。


そこでハプニングがおこった。


(つづく)


ネグロス島についたテラの会。


ホテルに泊まり、次の朝、

下の階のレストランで朝食を

食べた。


ふと外を見ると、

子供が二人じべたに

座っている。


身なりはぼろぼろで、

一見してストリート・チルドレン

のようだ。


センセイがすぐに外に出た。

一人の子がどこかへ行っている

あいだに、ペットボトルの水を

買ってあげる。


子供はほとんど笑わない。


またレストランにもどり、

食事をつづけていると、

さっきどこかに行っていた

もう一人がもどってきた。


ペットボトルを見ると、

怒り出して取り上げる。


そして、そのボトルを

道に投げ捨てた。


どうも嫉妬されたようだ。


すぐにまたセンセイが

外に出て、こんどは

アイスクリームを二人に

買った。


二人いっしょなら、問題

なさそうだった。


ずっと道でくらしているのだから、

いろんな悪さをするだろう。


そんな中で、性格もまっすぐ

ではなくなっていく。


それでも、アイスを食べる

その顔は、8才くらいの

ふつうの子供と同じだった。


その二人とは次の日も

出会うことになった。


(つづく)

ネグロス島へ行く飛行機から、

下をみおろす。


美しい海また海。


その中に、ちょこーっと小島。


島というより、砂がたまたま

集まって盛り上がったような感じ。


そんな猫の額みたいなとこにも、

人の家がびっしり。


これにはびっくり。


あんな海のど真ん中の

小島にも、生活してる人が

いるんだ。


驚いているうちに、

ネグロスのドマゲッテに着いた。

早かった。ほんの2,30分ほど。


小さな小さな飛行場。



のびのびボランティア紀行


荷物を受け取ると、

三輪タクシーをつかまえた。

市内まで、ごとごと揺られていく。


平和な島。

子どもたちが登校している。

市内に着くと、センセイが

ガイドブックで見つけた

ゲストハウスに着く。


受付のおじさんに、

ダブルかツインの部屋はあるか、

きくと、


「あるけど、今はない」


とぶっきらぼう。

笑顔もなし。

仕方なく、空くまではシングルの

部屋にいることに。


早起きしたので、眠かった。


シングルの部屋に入ると。

何だ、ここは。

窓なし、せまし、

刑務所の独房かい。


こんなとこに何時間もいてたまるか。


と私はべつのホテルを探しに。


ホテルはすぐ見つかった。


新しすぎてまだガイドブック

にものってない。ビジネスホテル

らしい。


値段も、わるくない。


ゲストハウスにとって返し、

愛想の悪いおじさんに、


「もうダブルの部屋はいいから」

と断りをいれ、うきうきと

ホテルへ向う。


ホテルの部屋は、

クーラーつきで、

飾りつけもきれいで、

なんだか落ち着けそう。


ネグロスといったら、バナナ

くらいしかイメージがなかったけど、

いがいと開けた場所もあるんだ。


新しいことを知った私。


つぎの日からの活動のために、

とりあえずは休むことにした。


(つづく)






(帰りも乗りたかったな)



(フィリピンビサヤ編。

セブ島での活動を終えた私たちは、

いよいよネグロス島へ)


朝。

まだ暗いうちにタクシーを呼ぶ。

ホテルから、車に荷物を運び、

マクタン島の空港をめざす。


空港につくと、

セブパシフィックのカウンターへ。

チェックインを済ませ、

準備万端ととのい。


9番ゲートだというので、

まだ開いてなかったけど、

確認しにいった。


すると。


私たちのこれから行くのは

ドマゲッテ。


これは、手違いで、本当は

バコロドへ行きたかった。


ふと9番ゲートの掲示板をみると、

なんと、ほんの30分後に

バコロド行きがあるじゃないか。


何の問題もさらになく。

ふつーにバコロドにとんでる。

どーいうこったい。


のびのびボランティア紀行

(我われの行きたかったバコロド行きがあった。どういうことだ)



力がへなへなと抜けた。

とりあえず煙草を吸いに

カフェに入るセンセイについて、

一緒に入る。


日本から必ず4カートン持参する

ケントワン・ロングに火をつけ、

うまうまと吸うセンセイ。


「あのさ。バコロド行きあったよ」


「何だって」


「しかも同じゲートで、30分後」


「あらー」


もう他人事の顔で煙草を吸う

センセイ。


「今からかえられないかな?」


「もう無理でしょ。やめときな」


私も無理だろうと思った。

後からわかったことだけど、

セブパシフィックは、

ウェブサイトでチケットが

予約できた。

日本からとっていけば

よかったということ。


とはいえ仕方ない。


やがて搭乗時刻がきて、

飛行機にのった。


ミニミニな飛行機。


私たちのほかの客は、

数人のアメリカ人。

何をしにいくのやら。


飛行機が飛び立つと、

美人のスチュワーデスを

見つけたアメリカ人たちは、

さっそく話しかける。


このへんの軽さとしつこさは、

アメリカじるし。


もうのべつまくなしに

話しかけ、しかもスチュワーデスの子も

(最近はフライトアテンダントっていうかな)

フィリピーナらしい気楽さで、

何だかんだと話してる。


「フィリピンの女の子ってのは、

日曜日は何しているんだい?」


「そうねー。教会行って、犬の散歩かな」


「グレート。こんどご一緒させてくれないか」


「OKよ。でも日曜はいつもフライト入ってるの」


みたいな話しがえんえんつづく。

よく飽きないよなー、と思いつつ、

外を眺めた。


まあきれいな海。

その中に、マクタン島が見える。

と。

その中に見たことのないものを発見。


何だか、島の岸から、家みたいなのが、

ずーと海の上に伸びている。

ほとんど村。


かなり大きな水上住宅地だ。


そのときは誰が住んでるのか

知らなかったけど、

後にその家は海洋民族バジャオ

のものと知る。


さて、飛行機はネグロス島へ

向うのであった。


(つづく)

(フィリピンセブの活動を紹介している。

サンペドロ要塞での慰霊、港での

衣服支援を終え、いよいよネグロスへ。)


さあネグロスへ。

準備は万端ととのった。

たとえ行く街が、バコロドじゃなく

ドマゲッテでも、このさい気にしない。


早朝6時に、タクシーをよび、

安宿を出る予定だった。


前日の夜、セブの盛り場を

ぶらぶらする。


「お兄さん、ビキニバーだよ、

寄ってかない?」


とポン引きに何回も誘われた。

それでもお化け屋敷みたいな、

くらーい照明のバーに入ると、

きっと気が滅入ってしまう。


やめた。


ホテルに戻ると、従業員と、

遊びにきていた健康そうな青年が

楽しく話していた。


健康そうな青年に話しかけられた。


「日本人かい?」


「そうだよ」


「セブはどうだい?」


「人もいいし、食べ物もおいしいし、

気に入った」


彼はミンダナオ島から働きに

来ているという。


ちなみにミンダナオは9割がた

イスラム教徒。


フィリピン全体では9割がキリスト

教徒なので、ちょっと毛色が違う島。


彼は熱弁する。


「もともとフィリピンは、イスラムの

国だったんだ。国民的英雄の

ラプラプも、イスラム教徒だったんだぜ」


と、フィリピン人にめずらしく、

お国自慢をきかせてくれる。


フィリピン人は、だいたい、

外国の方がフィリピンより

すみやすいという憧れを抱いて

いるので、あまりお国自慢は

きいたことがなかった。


ミンダナオの青年は違う。

フィリピンの未来について、

あつく語るのであった。


それから、ビサヤの言葉と

マニラの言葉は違うと、

教えてくれた。


きれいだね、とか、

こんにちは、などの

簡単な言葉を教えてくれた。


「ほら、そこの彼女に話してみろ」


と青年。


受付の前のいすに、

えくぼのかわいい女の子が、

くっちゃべりに来ていた。


おそるおそる話しかける。


「キレーデスネー」


「ありがとう」


セブの女の人は、性根が優しい。

それに、男女のあいだのかるい

冗談や、ボディコンタクトも、

わりかし許されている。


日本だったら、「変態!」の

一言でけいべつの眼差しを

もらうような行為でも、わりに

スルー。


それから私たちは、みんなで

メガネザルの生息地の話題で

盛り上がったのだった。


メガネザルは、セブのすぐ近くの

小島にいる。

とてもちっさくて、現地の言葉では

タシェールという。

絶滅危惧種であるとか。


そうこうしているうちに、

12時を過ぎたので、

おやすみなさいとみんなに

あいさつして、明日に備えた。


(つづけたい)




(港で衣服支援をはじめたテラの会)


港には、港湾労働者たちや、

その家族など、たくさん住んでいる。

どこかの島から仕事をさがしに

やってきて、とりあえず、

港で働く、という人も多いに

違いない。


とうぜんながら、そんな人たちは

持ち物が少ない。


服も油が染みて、

二着目はなさそう。


センセイが服をわたしだすと、

わっと人だかりができた。


汗だくになって、

服をどんどん手渡す。



のびのびボランティア紀行


港には子供たちもいる。

学校に行ってるか、行ってないか、

ぎりぎりの線だと思う。


服は、すぐになくなった。

それでも、つぎからつぎから

来る人びと。


「アタシ、娘一人いるの!」


と叫ぶ、働く母さんがいた。


ちょうど残っていたので、

手渡す。
のびのびボランティア紀行


「もうない! もうない!」


と叫ぶセンセイ。それでも

人々が追いすがってくる。


もうむりやり脱出するしかない。


ちょうど目の前の通りを、

ジプニという乗り合いタクシーが

通りかかった。


「あれに乗るよ!」


とダッシュ。


ジプがいっしゅんスピードを

おとす。そのタイミングで

とびのった。


港の人たちをふりかえった。

あげた服をふりふり、

私たちを見送ってくれていた。


(つづくということ)

(サンペドロ要塞の慰霊を終え、

港近くに衣服支援に行ったが・・・)


まずは慰霊に使った御幣(お祓いのための枝)を

海に流す。



のびのびボランティア紀行


すると、ポーッと汽笛がなった。

港に中ぐらいのフェリーがやってきた。

橋が渡され、中から疲れた

顔の人びとがわらわら出てきた。


「どっから来るんだろうね」と私。


「んー」とまったく興味のないセンセイ。


この時点では、私たちには、

フェリーはまったく「他人事」

だった。


たぶんどこかの島から来るんだろうな、

くらいにしか考えてなかった。


港には、フェリーから降りてくる

家族を迎える人たちでいっぱい。


きっと久しぶりに会うんだろう、

娘とお母さんが、抱き合って

喜んでいる。


荷物を抱えたお父さんを、

迎えに来た母や息子もいる。


飛行機場とはまた違い、

どこか出会いと別れの風情

を感じた。


と、感傷的になれたのは、

それが他人事だったから。


旅の終わりにかけて、

私たちは、ひょんなことから、

このフェリーにひと晩

揺られることになるんである。


まさか、そんなことはつゆ知らず、

港の周りでたむろする、

港湾労働者などの人たちに、

衣服を渡しにいく。


たくさん人が群がっているところ

があった。


何があるのか、のぞくと、

腰が抜けそうになった。



のびのびボランティア紀行


あ、赤ちゃんだ!

それも、どうみても生まれて

一週間くらいじゃないか。

病院とか行ってなさそうだ。

きっと、そのへんで産婆さんと

生んだんだろう。


自宅出産なんてまだ甘い。

セブでは、港出産。

でも何となく、母なる海のそばだと、

赤ちゃんも風景になじんでる感じ。


そのまま海に入れると、

ふわーっと泳いで魚に

なりそうだった。

(ずっと後、ほんとに半魚人

そのものの人たちを見ることになる)


(つづくのさ)


足かけ2年もつづいている、

ビサヤ活動紹介。

時のたつのって、早い。

一ヶ月前くらいにビサヤのこと

話し出したのに、もう2年だものな。


くだらないつぶやきはさておいて。


ビサヤのダウンタウンにうつった

私たちは、港の近くの

サンペドロ教会にも、慰霊に行ったのだ。


昔は、スペイン人たちの根城だった。

そのころの大砲がたくさん落ちてる。

(いや、据え付けられてる)

日本軍が来たときは、

フィリピン人捕虜の収容所にもなった。


で、今は。


セブ市で指折りのデートスポット。

観光名所でもある。


私たちは、これまでのフィリピンの

歴史や、日本軍の占領のこと、

さまざまに考えながら、

サンペドロ要塞についた。


かなり深刻ムードだったのに、

入り口まで来ると、

なんだか観光バスが乗り付けてる。


きこえてくるのは、韓国語。

ハッとしてふりかえると、

韓流スターみたいな、

目鼻立ちの整い過ぎてる

韓国の女の人たちが、わんさか。


着物のセンセイと、深刻な顔つきの

私を、何だこいつら、とけげんそうに

見ている。


何だこいつらは、アンタたちのほうだっ、

と言いたかったけど、韓国語が苦手なので

やめた。


さてサンペドロ要塞の中に入る。


フィリピーナの元気なヤングレイディーが、

受け付けをやってる。


どうも歴史公園として、

セブ市がかなり力を入れているみたい。

ランプが灯してあったり、

花が活けてあったり、

何だかムーディー。


そのとき、私たちは、支援物資を

入れたカバンを持ってきていた。

受け付けのヤングさんに

預かっててと頼むことに。


タイの警察の人でも預かってくれたし、

問題ないはず。


「これ、なか服が入ってるんですけど、

ちょっとここ置いといていいですか?」


急に、目を大きく見開き、

となりの銃をもった警備員を呼ぶ、

ヤングさん。


な、何だ。


ヤングさんは、私から目を離さず、

カバンをゆっくりと開けた。

警備員とひそひそ話している。


そして、声をひそめて、言った。


「今、テロリストの特別警戒中なんだ」


「は?」


「爆弾入ってないよね・・・」


ないない、と必死で否定する私を見て、

ヤングと警備員は、大笑い。

ハイタッチまでして、腹を抱えている。


・・・どうやら、はめられたようだ。


なんという迫真の演技か。

困っている私に、


「オッケーよ。冗談冗談」


とフィリピーナ・スマイルを

投げつけてくるヤングレイディー。


もう、いちいち腹立ててられない。


なかに入ると、立派な庭園になっていて、

流しのギター弾きが歌まで歌ってる。

ちょっとお洒落な洋食屋まである。


これは慰霊って雰囲気じゃないなー、

と思いつつ、

上の階まで上がって、

大砲のそばで、ひっそりと

慰霊した。



のびのびボランティア紀行


10分ほどで済ませ、

すぐに下の階におりた。


受け付けのヤングさんは、

私の顔をみて、にんまり笑う。


カバンを渡しつつ、


「大丈夫、爆発しなかったよ」


と明るくコメント。


こういう人びとを見るにつけ、

セブは、やっぱり関西ノリなんじゃ

ないか、という疑いが

濃くなるのだった。


(つづくってばつづく)


今年ものこりあと7時間19分。


いまのうちに、年忘れの”お焚き上げの儀”

をやっときます。


何よりも忘れたい記憶といえば・・・


フィリピンのマニラで盗難にあったこと!


すこーんとバッグごともってかれた。

もうきれいさっぱり。


それでも地獄に仏っていうのか、

パスポートと金品だけは、

別に持ってて無事だった。


警察に行っても、捜査する気まるでなし。


「あ、いまテトリスしてるから、後にして」


とタガログ語で言われたような気がした。


そんなことも、2010年、平成22年、

皇紀2670年に置き去りにしたい。


それから、インドネシアのバリ島で、

入国管理局の軍人と、本気でケンカ

になりそうだったこと。


おちどは100パーセント、あっちに

あった。


拳銃で撃たれなくて、運がよかった。


そんなことも、残り7時間2分の中に

おしこめて、置き去り。


その他、こまかいことは、

もう数え切れないほど。


みーんなまとめて、

お焚き上げ!


さいごのさいごで、

ほんとうに悪いのだけど、

こんな私たちを、かげにひなたに

応援し(あるいは面白がって)

くれたみなさん。


昨年度のスカやポカは

きれいに忘れて、

新年はゼロ才の赤ちゃんみたいに

純粋無垢で迎えよう!


素直に、ありがとうっていえる

人間になるはず、新年から。