分かったぞー


何がおかしいかー





衣服整理に行きました。


そして現実をこの目で見ました。


六畳一間の倉庫が、


天井いっぱいまで、




大人の女の服





で埋まっているのを。



つまりね、

テラの会の衣服そうこ、

9割がた、

大人の女の服なの。




コート、パジャマ、

ランジェリー、帽子、

パンティー、ジャーブラ。



来い、下着泥棒!

もってけ、ドロボー!



でね。


やっとこ、「大人の女の服はいりません」

って、ホームページにかいたの。



もういっかい言うよ。

言わせてちょーだい。


六畳の倉庫が

天井一杯、しかも2つ、




大人の女の服



でいっぱいなんです。

こんどはちょっと控えめ。



テラの会では、

子供たちの孤児院に

行ったりするのが

中心です。


だから、毎回子供服を

もって行くのがほとんど。


さいきんはとくにそう。


で、子供服は、

大人の女ものの

服といっしょに、


送っていただくので、


子供福だけなくなって、

大人の女ものだけ残る。


ね。


自分、分数のかけ算は

苦手だけど、


足し算と引き算なら、

2ケタまでなら、大丈夫。



服、来る。

来る量がすでに、

大人の女ものが

多い。


服、もってく。

もってくもの、こどもふく。


残るのは・・・・・・?





大人の女の服




こんどはさらに控えめ。



そんなこんなで、

私の住環境には、

もうアリさんが巣をつくる

場所もないほど、


支援物資が詰まったのです。





ゴメンネ、

大人の女の服、

あげられないのは

天国に行っていただきます。




決して Go to hell !!

てわけじゃないからね。




服を整理し

福を呼びたい。


本当に。




ほんにゃら、ほにゃらか、ほ~いほい


って、誰のギャグかご存知の方は

ご一報ください。


じつは「ほんにゃら」なんていう

地名が世界にはありまして。


ほんとうに、ほーんとーに、

「ホンニャラ」ていうんです。


そこは南太平洋の島。


ガダルカナルです。


その首都名が、「ホンニャラ」



もしも東京都が、ほんにゃら都

だったらどうするか。


普通は地名は感じなので、

奔仁矢羅、とかそんなふうだろうけど。



高校生が、お父さんアンドおっかつぁん

の前で、


「オレ、どうしてもほんにゃらの

大学に行きたいんだ!」


とか目を輝かせていうのか。


おとっつぁんは、



「うん、ほんにゃらは厳しいところだぞ。

心して行くんだぞ」



とか言うのか。



そしておっかつぁんは、

ほんにゃら大学に入学した

自慢の息子に、手紙を書くのか。



「ほんにゃらは、暑いですか。

あなたもほんにゃら生活3ヶ月、

だいぶ馴れてきたと思います。


ほんにゃらの女の人には、

気をつけて下さい。


都会の女性は、めぎつね、

あばずれ、愚連隊です」



とかさー。




とにかくほんにゃらが首都じゃ

なくてよかったと思う。



将来息子が立派な大臣に

なって、老いた父と母を

故郷に訪ねたときでも、



「ほんにゃらから帰ったよ!」




とか言ったら、なんというか、

ほんにゃら~としてしまう。




じっさい、ガダルカナルの人に、

わたしが、「どこから来られたんですか」


ときいたとき、


「ホンニャラ」



と言われたときは、

ドリフみたいにこけた。




ホンニャラ行きの飛行機、

定刻通り出発します!



ホンニャラみやげの

ホンニャラばななはいかが~!?






















さいきんは事務局の

愚痴ブログになっている、

のびのびボランティア紀行。


それがのびのびもしてられなく

なってきたんです。


今朝がた、ヤマト運輸さんから

お電話。


「複数のお荷物がありますが、

これから、お届けいいですか」


ちらりとヤーな予感はしつつ、



「いいですよドキドキ」



とこころよく応えたわたくし。



やがてピンポーン。

マンションの画面に、

きれいなヤマト運輸の

女性たちが。


女性「たち」?


ふつう荷物を届けにくるのは

一人。


それが、3人もいる。


どういうこってい。


んで、受け取りましたってば。


支援物資、


はい、3箱、


はい、4箱、


はい、5、6、7、

8 9 10 11 12・・・・・・



ドドドドーンと20箱近く!!



おく場所ほんきで無い!



事務所の前の廊下に

山のように詰まれる

支援物資。


とうに事務所の中は、

すーみずーみまで

物資の山。


物資で圧死、

ブッシでアッシ、

なんてしゃれにもなりませんわ。



こいつは

本気で参りました。


ええ、

お手上げです。

もう屁のつっぱりは、

いらんですよ、だ。


分かるかな、筋肉マンだ。



それでわたくし、

かなりバタンキュー

になりまして。


もう、荷物を目に入らない

ように帽子をかぶり、

自転車で海を見に。


ひろーい、

ひろーい、

海を見て、


世の中、

まだまだ広いぞ、

と気を持ち直して

ブログでぐちっています。


アメーバさん

ありがとう。


ストレス解消です!



支援物資は、

もういっぱいいっぱい。


お願いだから、

送らないでちょーだい!

(なみだ目)



このへんでセンセイの

いろんな発言と、

ごちゃごちゃに

なってしまいます。


センセイは


「まだ支援物資は必要です」


とか、かく。



しかし現実は、もうどーっこにも

置き場所なし!!



生活空間をあっぱく

することはなはだし!!



おいら、どんだけ

頭をひねっても

分からねーだよ。



一ヶ月にいっかいしか

活動に行けないし、

60キロくらししか、

もってけないのに、


でっかい倉庫2つぶん、

6畳一間ひとつぶん、

ぎゅうぎゅうの、

ぱんぱんの、

ぎっちぎっちに

支援物資で埋まっとる。



そこにどうやって

さらなる物資を受け入れるんですかー。




「まだまだ要ります」




とか言ったら、

みんな誤解するじゃん!



送る方もお金かかってる。

だからムダにしたくない。




しかーし、

20箱以上、

およそ300キロの

衣服、どうしたら

いいんだい。




もう、あたしゃ、

木枯らし紋次郎みたいに

いいたい。




「あっしにゃ、関係ないこってす」




といっても事務所のほかに

行くところのない、


子羊さんなコータでした。



ひでぶーーー!!





ちょっと真面目なお話しをしたい

と思います。


お付き合いいただければ、幸いです。


テラの会は、国際ボランティアとして、

およそ6年のあいだ、活動を

つづけて来ました。


それは、支援者のみなさんの

応援あってのことだし、

何より木村代表の

つよい意思あってのことです。


これから語ることは、全て

事務局のコータの意見です。


テラの会は、2つの「お悩み」

を抱えています。


その「お悩み」は、

一年以上も持ちつづけていて

不肖コータも、

考えてもどうにもならないので、

いままでは「回避」、

つまり考えないようにしてきた

ものです。



手短にいいますと、


1.資金面

2.支援物資の管理



この2つです。



人はふつう、苦労話を

あまり好まないものです。


自分の苦労も、他人の苦労も、

たいがいはお酒でも飲んで

笑いとばしておわります。



それでいいのです。



テラの会の活動は、

個人活動です。


全く私的なものです。


だから、やれなくなったら、

やめればいいだけのことです。


もともと、テラの会は、

戦没者追悼慰霊から

はじまりました。


はじめた頃は、

今のように衣服支援を

することなど、

あまり考えていませんでした。


それでも、海外の、

あまりにも貧しい生活状況を

見るにつけ、何か少しでもしないと、

気が済まなくなりました。


ある意味、自分たち

日本という国の消費生活が、

他の国々の貧しい人たちに

圧迫を与えているのかもしれない、

という自責の念を解消するため

でした。


そこで支援物資の寄付を

つのったところ、

想像以上の反応を

いただきました。


一箱こちらへ寄付するのに、

数千円はします。


なかには新品を送って

くれる方もいました。


その善意は本当に嬉しかった。


さて「お悩み」のことです。


資金難は、とうに峠を越して

います。


個人活動なので、

どこからの支援も

受けていません。


企業などのバックアップが

あればどれだけ楽でしょう。

しかし小グループのこの活動、

大きな団体に勝てるわけない。

つまり企業の求める「広告・宣伝効果」

が弱いです。


だから、企業の支援を受けられない

のは、市場論理からいって、当然です。

どこの企業も今はたいへんです。

そんな慈善事業に資金をさいては

いられません。


だから、個人からの寄付に

頼るほかはありません。


しかし問題があります。


寄付金をもらったとして

それをどのように使ったか

明確にしなくてはなりません。


不正に着服してないか

ムダなことに使ってないか。

そのチェックをするのは当然の義務。



ここが難しい。

海外支援活動は、複雑です。

たとえば現地の人をガイドに

やとって、飲食をさせたとする。

それは、活動費にあたるか。


そういうことを考えると

けっきょくは自由に使える

個人資産を中心に使うことに

なります。


具体的にいうと木村代表の

ポケットマネーです。


もちろんのこと個人資産には

限りがあります。


こうして資金の「お悩み」は

一年以上つづいています。


また2つめの

支援物資の管理について。

これがなかなか難しい。


テラの会の事務所は

関東の都市部にあります。

つまり地価が高いです。


地方のように、だだっぴろい

敷地を自由に使えるわけじゃない。

だから倉庫を2つ借りて

毎月お金を払っています。


そこに入りきらないもの、

また、次の活動に使いそうな物資は、

事務所に置くことになります。


事務所は、3部屋あります。

リビングとキッチンと含めて、

いまは足の踏み場もないほど

物資に埋まっている状態です。


そこにも置けなければ、

ベランダに置きますが、

そこも、ぎゅうぎゅうづめ。


寒い時期は、服を重ね着している

みたいなものだから、あったかくて

いいです。


この状態が一年以上つづき、

また少しずつ空間が物資に

埋まっていっています。


個人活動の限界を感じます。


こうした「お悩み」を解決する方法は、

ひとつあります。


海外に活動するさい、

手伝ってくれる人を3人から4人

頼むことです。


旅費は自分たちのだけで

精一杯なので、もちろん実費で

いただきます。


そうすると、一人につき、

飛行機にのせられる重量が

10~20キロあるので、

たくさん持っていけます。


そうすることで、倉庫や事務所に

集まり過ぎている物資を、

効率的に海外の相手に

あげることができる。


支援物資について「お悩み」

がちょっとひねっているのは、

どの物資も海外に持って

いきさえすれば、

とてもとても価値あるものだから。


それが分かっているので

むやみに捨てられない。


とはいえ、現実的な話をして

二人や三人で持っていける

量はせいぜい60キロから80キロ。


いまある物資の量から逆算して

みて、何年間、何回行けば

あげ終わるか、おそらく数年かかります。


そこへもってきて木村代表も

いっては悪いですが、もう年齢的に

重いものをたくさんは持てません。


数十キロの支援物資を抱えて

今まではどんなところへも

行きました。


コータもどうがんばっても身体は

一つだけ。


腕も二本しかない。


ただ木村代表の意思は強いので

それだけで何とかもっていました。


事情はこくこくと変化します。


来期はどうなるか、

いまでも分かりません。


テラの会は、心ある人の寄付金と、

若い人の身体をつかった協力とを

切に求めています。



以上、ちょっと真面目な話しでした!





















ホテルの部屋は慎重に選びましょう。

不潔な部屋に泊まると、南京虫に

くわれて、しばらく非常にかゆいです。


と、イタイ目にあって

はじめてわかる旅のコツを、

みなさんと共有してみました。


それとは何の関係もないですが

日本語のヒミツに気がつきました。


「わび」「さび」

というでしょう。


日本文化の真ずいは

「わび」で「さび」で

うんたらかんたら、と。


じっさいわびさび、とは何か、

はっきり分かってる人はいない。


これね、


要するに


寒い

↓

さぶい

↓

さびい

↓

さび



なんではないか。


つまり日本に住んでた

原始人が、あるとき、

メッチャ寒い日があった。


そのとき、


「さっびーーーーィ!!」


と叫んだ。


それがそのまんま

日本語のナゾとして

残ってるんでないか。


いやこれは

本当にけっこう

信憑性のある説だと

思います。


というのはタイには

秋や冬がないのです。

暑い、もっと暑い、

くらいしかない。


だからあんまり

枯山水とか

「わび」や「さび」を

感じる文化はないですね。


なんとゆーか、

座ぶとんに正座して、

ちゅうっと緑茶をすすり、

一枚だけ残った庭の木の葉を

ながめつつ、

意味もなく哀しくなったり。


そういうのがない。

それを日本的情緒とか

よくいう。


やっぱりそれは、


「さむっ!」


という朝のある季節、

秋や冬がないと、

どうにもしっくりいかない。


京都あたりの

お寺さんの

ぼんさん(お坊さん)

なんかが、


「やはりわび、さびを

感じる季節こそ、

日本ですね」


みたいなことをいう。


そんなとき、なんというか、

「さび」はすごく偉いというか、

とっても高尚な、分かる人しか

分からんナゾとして語られる。


しかし私の説をききたまえ。


「さびーぃ!」

↓

「さび」


要するに、そんなもんでないの。


わび、はたぶん、


「わー、さびーぃ!」

↓

「わび」


こんなもんだよ、きっと。




そして「わび」と「さび」の

最強コンビを合体させたのが、



「わさび」



ほれ、日本文化といえば

寿司、そして「わさび」

じゃないか。


あの辛いものにめっぽう

強いタイ人でも悶絶する、

それが「わさび」


わさびを平気で食べれる人は、

世界中の外人から


「Oh, Cragy!」


といわれること受けあい。


だから、急にわびしくなったり、

さびしくなったりする、

彼氏いない、彼女いない人でも、


それは「寒い」からだと思えば、

ちょっとは気が楽になる。


なるよね?

ならないかー













アイスカフェラテの中に

突き落とされたのかーっ、

てくらい寒い。


ほんのつい二日前まで

タイにいまして。


それも南の方も行ったから、

気温31度くらいで。


北の方は、けっこう

涼しかったけれど。


それで日本に帰った

とたんに、この寒波。


いわば、温泉につかって

のんびりしていた日本猿(ワタシ)を、

いきなりフィギュアスケートの

グランプリ・ファイナルに

出場させたようなもの。


日本猿はあわてますよ。

ええ、浅田真央選手も

帰国するくらいだ(関係ないし)。


まだ頭にのせたホカホカ

手ぬぐいも乾かないうちに、

スケートリンクは、ちょっと・・・


焦って、イナバウアー

しながらバナナ踏んで

転んだり。頭打って重症。


そのくらい、混乱してるんです。


寒さと暑さがチャンポンで。


それでボス猿(センセイ)

とも縄張り争いです。


ボス猿の言い分は、


「お前はヒキョーリョクテキである」


つまり、この間、衣服の保管

してある倉庫の整理に参加

しなかったこと。


ワタシの言い分は、


「何をどこに入れてるか、

分からないのに、

整理もなんもない」


どちらも正しく、

どちらも自己中心的。


そこでワタシはボス猿に

したがうことを誓い、

その代わりに、


帰りがけにラーメンを

食べさせてくれと

頼むことに。


寒いときのラーメンは、

失恋した直後に

新しい恋人候補に

出会うがごとく、

心をホットにします。
















帰りんさったとな。


〈日本語訳〉

お帰りなさったんですか。


そう、お帰りなさったんです。

センセイと、コータっていう人が。

どこからか。


ミャンマーです。

あの自由化運動のすすむ

ミャンマー。


そんな話しを、古くからの

近所の友だちにすると、


「どがしこ」


とか


「がばいやっけん」


と言われる。


みなさん、意味分かりますか。

たぶん1億2千万人中、8千万人は

分からない。


くわしく解説します。

ミャンマーなんていう、

遠いよく分からない国に

行ってきたなんて、

まあ、ご苦労なことで。


といった意味合いの

感嘆詞として、


「どがしこ」

があります。


また、よくやるよな、

すごいよな、と半分つき

放した言い方として、


「がばいやっけん」


があります。


たとえば、いたずら小僧が

駄菓子屋で「梅干くってスッパマン」

というお菓子を30袋万引きした。


それを知ったときの反応が、


「がばいやっけん」


・・・なんとなくイメージがつかめた

かな?


いや、そんなことどうでもいいのです。


タイのチェンマイと、ミャンマーのタチレク

から帰って来たんです。


おみやげは、パパイヤ茶とか、

いろいろあるんですが、

何よりすごいのは、


チェンライのオンボロホテルの

ベッドで南京虫に食われた跡。


かゆい。

もうさんざんぱらかいた。


今回は、体調も崩さず、

とても充実した活動が

できたのに。


南京虫にやられるとは。

悔しいっす。


タイからミャンマーに

行く途中で南京虫に

全身食われた、

と言ったら、古くからの

友人はいうだろう。


「どがしこね」


「がばいやっけん」


何とでもお言い。

地道な活動の先には

きっと素敵な朝が来るのさ。




押入れを開けたら、

冬物衣服が虫に食われてた、

湿気てカビていた、

そんな経験はありませんか?


そう、衣服は傷みやすいんです。


それでテラの会でも、

定期的に衣服倉庫の手入れが

必要です。


今日は、センセイとT女史が、

2つ借りている倉庫の手入れに

行きました。


私ことコータも、手伝うはずだった

のです。


しかし、夢見が悪かったので、

手伝うのを遠慮しました。


衣服は、みなさんの

寄付のおかげでたくさん

集まりました。


これから行くミャンマーでは、

手に入りにくいものです。


できるだけ、寄付していただいた

そのままの状態で、手渡し

したいのですが、


どうしても飛行機にのせる

荷物の制限があります。


また海外の協力者の方へ

送るのにも、一箱につき

およそ1万から1万5千円は

かかります。


資金の寄付は、ようやく

集まりつつありますが、

まだまだ足りないのが

現状です。


だから寄付していただいた

衣服は、倉庫の中で、

少しずつ傷んでいくのは

さけられません。


またどうしても衣服の

在庫に、かたよりが出ます。


いちばん多いのは成人女性物。

これは8割がたを占めます。


いちばん少ないのが、

男の子の服です。


倉庫の中をさがしても、

1割ほどです。


たぶん、男の子はもともと、

服をそんなに欲しがらないのと、

着ているうちに

ボロボロになるので、

捨てるからでしょうね。


じつはミャンマーでは、

ストリート・チルドレンの

少数民族の男の子たちと

会う予定です。


だから男の子の服が

あるといいのですが・・・


あとなかなか無いのは、

お年寄りの女性、70代

80代の女性が着れるもの。


こういう細かいことも、

じっさいに活動をつづけて

みて、分かってきます。


海外ボランティアを論じる、

それはけっこうなことですが、

何より役に立つのは、

じっさいの活動からの

失敗や成功のつみかさね。


いちばんよくない、

と私たち自身も気をつけて

いるのが、


「丸投げ」

です。


海外などの施設へ行き、

じゃあお願いね、とばかり、

ドーンと支援物資を置いていく。


これでは、ほとんどゴミの

不法投棄とかわりません。


相手が何を求めているか、

また、必要としていないか、

ちゃんときいて、

話しあいながら、支援を

行わないといけません。


そうしないと、

ただの善意の押し付けになり、

それは「小さな親切、大きなお世話」

になります。


などなど、慰霊活動や、

衣服支援活動といっても、

ただやるだけじゃなくて、

いろんな下準備がいるんですね。


今日は、こんなところで

サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ

(淀川長治っぽく)









































テラの会は今月28日より

タイは北の方、チェンマイから

チェンライ、そしてミャンマーへ

行きます。


タイに行くのは何度目か・・・

数え切れないほど。


センセイもパクチーに食べなれ、

コータはタイ語の読み書きが

できるようになりました。


たとえば・・・


ปวดฉี่


(オシッコしたい)


อยากกินผู้ชาย


(オトコたべたい)


ดิฉันชอบคนมีตังค์


(わたくしは銭のある人が好き)





・・・われながらよく勉強した

ものだと思います。


その他、クァイ、クラチァオ、

などなど上品なタイ女性から

いろいろ教えてもらいました。


その意味は・・・

決してタイ人にはきかない方が

いいですヨ!!


こんな会話も耳に残ってます。


「ウェーラー・プーッ・”チンチン”・

ペン・パーサー・イープン・

ミー・クワームマーイ・マイディー」


「プレーワー・アライ?」


「プレーワー・クァイ・シー」


「タンモット・ルゥ・トロン・ニー」


「タンモッ・ルーイ」



いちおう日本語に訳しますと、


「”本当”って日本語でいうとき、

意味はよくない」


「訳したら何?」


「クァイだってば」


「全部? それともここだけ?」


と、20代のタイ女性が、

空に棒状のものを描く。


「ぜーんぶ」


タイ人女性は、日本の男性の前で、

あんまり「本当? 本当?」と

タイ語できかない方がいいでしょう。


いろいろ誤解を受ける可能性が

あります。


日タイ友好を心から希望する、

私設外交団を自任する私たちは、

できるだけヘマをしないように

気をつけますが、

ヘマの連続です。


センセイが、100人の女子高校生の

前で、


「国王陛下と、天皇陛下は、友だちです!」


といったのを、訳せといわれ、

私は自信たっぷりに、


「お釈迦さまと、天皇陛下は、友だちです!」


と言いました。


お釈迦さまは、もう涅槃に入って

いるというのに。


タイでは、お釈迦さま関係と、国王陛下関係

の冗談は、ゼッタイにタブーですので、

女子高校生たちは、非常に気まずい

顔をしていました。


学ばなくてはならないことが、

まだまだたくさんあります。










さいきん、某C国にサイバー攻撃を受けた、

アメリカの人口衛星、名前を「テラ」ちゃん

っていうんだって。


なんだか可愛い名前。

あ、自分らもテラの会っていうんだっけ。

「テラ」つながりで、他人事とは

思えません。


某C国は、テラちゃんのスカートの中身を

のぞくようなことを、すぐに止めなさい!


とまあ、青年の主張をしつつ、

また行ってくらぁ(お伊勢参りにする、いなせな若衆ふうに)


こんどはタイの北の方でござんして。


まあチェンマイの方には、

マブなダチもぽつぽつおります。


いや失礼、毎回私どもを

手伝って下さる協力者の方がいます。


だからそれほど大変なことは、

ないかと思います。


その都(みやこ)を出ましたらば、

次はメーサイっていう宿場町に

泊まります。


ビルマ国への、関所があるところでさ。


関所抜けは、お上の通行手形さえ

あれば、さして難しい話ではないんで。


ビルマの童っこなんざ、

手形もなしに行ったり来たり

してたりする。


そのタイとビルマの関所の下には、

そうとう流れの早い川がありまして。


3年くらい前に、そのへんで

童っこらに、べべをあげたんです。


あの子ら、大きくなってるかな。

市場のカカァに、


「学校で勉強しなよ、あんたたち」


と説教されてた童だけども。


親もいないんじゃ、食べるので

精一杯で、学校行く暇もないやねぇ。


このニセ江戸風の語り口、

自分でも書きつつ、いやになって

参りました。


では、これにて。