ヤンゴンへ行こうとして、

飛行機でマッタをかけられた

われわれ。


その隙に、ナゾの坊さんが

あらわれた。


センセイと親しげに話している。




疲れきっていたコータは、

あまり係わりたくなかった。



しかしセンセイが泊まる

ホテルを教えてしまったため、

坊さんはその日6時に来る

という。



ちなみに防さんは、

ビルマ南部の県の出身で

故郷に立派な寺を建てるため

アジア各国をまわって

寄付金集めに奔走中だった。



坊さんの名前さえ分からないが、

とにかくビルマに行くことに。



2時間ほど待たされて、

飛行機はやっと飛んだ。



1時間ほどのフライトで

ヤンゴンに到着。



日本から大枚をはたいて、

到着ビザを旅行会社に

頼んでおいた。



その係りの女の人に迎えられた。



われわれは荷物が多い。



なかを見られて、

「何の目的か」

とか入国管理係員に

とがめられると面倒だ。



できるだけしらばっくれて

入管を通ろうとした。



係員の女の人に



「ちょっと待って」



と呼び止められる私。



しぶしぶながら中を開ける。



中身をみて、目がテンになる

係員の女性。



カバンの中は、女物の

派手な服とか、ハイヒール

でいっぱいだった。



もちろん全部支援物資。



私の顔を見つめ、何が何だか

分からない顔をしている女性。



センセイがハイテンションで

横から余計なことをいう。



「この人レディボーイだから!」



・・・違うったら。



係りの女は、途中から面倒

くさくなったのか、なはなは笑い

つつ、カバンを閉めた。



入管ではそんなことがあった

ていど。なんなく通れた。



ホテルへ行く送迎バスを

頼んでいた。



中にのると、ビザ係りの

女の人も来た。



なんと日本語がぺらぺら。



「日本にいったことあるんですか?」

とセンセイがきく。



「ないです」と女性。



すごい。日本行ったことないのに、

こんなに日本語話せるなんてさ。



サイクロンの被害のことをきいた。



海岸の方は相当ひどい。



その人たちを支援にいくんだっ、

と鼻息荒いセンセイ。



それに比べ、まったく普通の

テンションのビルマ女性。



なんというか、センセイが、



「私は、ビルマのためにっ、

日本人としてぇ!」



と語っているところに、



「はぁい。

たいふうは、

たいへんでした。」



とおひさまのように

微笑みつつビルマ女性が

お話ししてるというか。



センセイはもっと熱く語り

たがっていた。



もう少しで、



「テンノーヘーカから

使命を与えられ・・・」



とゼッタイないことを言い出し

そうだった。



ちなみにセンセイは妄想

スイッチが入ると、何かと

そういった発想をしだす。



あるとき、朝、真剣な顔で

悩んでいるセンセイを見かけたので、



「どうしたの」

と声をかけた。



「うん。

このことを言おうかどうか、

迷ってたんだけど・・・



今朝、まだ寝てたとき、

昭和天皇がそこのドアのとこに

いらっしゃってたんだ。



それでテラの会の慰霊活動を

つづけなさい、とおっしゃった

んだよね・・・」



このような話を、私はいつも、

うんうん、そうだね、ときいている。



決して、



「ンなわけないでしょ」



と本当のことを言っては

いけない。



センセイに百倍返しをくらうからだ。



やっぱりアンタは悪魔だ、

そうだと思っていたんだ、

ああ気をつけなけりゃ。



ぐらいならまだいい。



アンタは生まれたことが

間違いだった、と言われた

こともある。



だから、センセイの妄念・妄想チックな

話には、決してつっこみを入れず、

神妙にきくことにしている。



さてホテルに着いた。



それからが、困難のはじまり

であった。



(つづく)







前回のブログでは

ちょっと偉そうなことを

いい過ぎたかもしれません。



当たり前のことですが、

今まで私たちテラの会が

慰霊にいった先で



現地のみなさんと

深く交流できたのは、

衣服や文房具の

手渡しを通してでした。



私は昔から旅が好きで、

アジアを一人で旅行したり

してきましたが、衣服支援

をはじめるまでは、

現地の人に本当に

近づけたとはいえませんでした。



ほとんどは通りすがりの

他人として、ほんの少し

現地の人とふれあった

気分になっていた程度です。



衣服や文房具、靴や帽子と

いったものを、プレゼントする

だけで、本当に現地の

皆さんは心を開いてくれました。



今まで、衣服などを手渡して、

喜ばれたことこそあれ、

嫌がられたことは一度も

ありません。



ミニカーを配ったときも

ありました。



男の子たちが、まるで

サンタさんにでも出会った

みたいに、喜んでくれた

のをよく覚えています。



そのような貴重な経験は

私の血肉となりました。



それをさせていただけたのは、

物資を寄付していただいた

皆様のおかげですし、



テラの会代表の木村先生や、

いつも協力を惜しまなかった

国内、海外の協力者さんの

おかげです。



今日も、前回ビルマに行き、

訪れた孤児院の子供たちの

写真をアップするため、

眺めていました。



すると、訪れたときには

みんな恥ずかしかったのか、

なかなか感情を表に出して

くれず、



嬉しいのかどうなのか、

本当に衣服やお米やお菓子

など、持っていってよかったのか

分かりませんでした。



こちらの善意の押し付けに

なってはいないか?



本当にこの行為は相手に

とって必要とされているか?



疑問はずっと胸にありました。



それでも写真をみると、

意外にみんな、とてもいい

表情をしているのです。



いやいやする笑顔や、

つくり笑顔なら見れば

分かります。



ビルマの少数民族の

孤児たちは、どんな理由で

親とはなればなれに

なったか、分かりません。



きっと壮絶なもの語りを

一人一人もっていると

思います。



そのせいなのか表情が

ぱっと見るだけでは

分かりません。



写真を見て、

ああやっぱりみんな

嬉しいんだ、



私たちのような外国人

でも、訪れて無意味では

なかったんだと、



やっと気が付きました。



衣服支援にしろ、

文房具や食料支援にしろ。

国連の活動のように、

ぜったいにしなくては

ならないこと、では

ありません。



テラの会にできること

なんて、地味で、素朴で、

ささいなことです。



それでも子供たちの

心が、少しだけうるおった。



外の世界と隔絶され、

孤立しているとも言える

孤児院の子たちが、



多少なりと本心からの

笑顔を見せてくれた。



それだけでも、

嬉しいです。



理屈や分かったような

ことはこの際、どうでもいい。



人は信じられるもの、

誰にでも善い心は

そなわっている、



そう思うことほうが、

きっといいのです。



テラの会の活動を

通じて私の見つけたことは

そういったことです。














 支援について誤解している方が

多いようなので、ここではっきり

した方がいいように思います。



 支援物資を送るだけでは

支援にはなりません。


 

 どういう意味でしょうか?



 衣服や文房具を集めて、

困っている人のために送る。

それの何がいけないのか。



 あまり偉そうなことを言っては

各方面からお叱りを受けますが、

ほんとうの支援とは何をすることか。



 それは、「自分で費用を負担して」、

必要としている人のもとへ行き、

「相手の必要としているものを」渡す。


 あるいは労働奉仕する。



 ボランティアをしている人は、

はじめに何をしているでしょうか。


 

 それは、自分のお金を注ぎ込んでいる、

のです。



 テラの会代表の木村先生も同じです。



 現地への移動費、自分用の食費。



 大きな団体からまかないを得て、

自分のお金を使わないで済む人は、

幸いです。



 ずっと昔から、海外支援にしても、

国内支援にしても、自分の財産をきり

崩してやるのが普通なのです。



 さて、支援物資を集めて、活動を

している団体に送ることに、どういう

問題があるのか。



 それは、「物資を運ぶ費用を負担

していない」ということです。



 また費用だけではなく、運ぶための

労力も負担していません。



 だから、支援物資を送るだけでは、

まだ支援したことにならないのです。



 「できることをしたい」という気持ちは

よく分かります。



 それでも、よくよく支援のことを考えた

ならば、「したい」という気持ちを抑える、

というのも大事なのです。



 たとえば部屋に、人から集めた

衣服が詰まった段ボール箱が2箱

あるとします。



 それをどうしても送りたい。いつま

でも部屋にあると、自分のスペース

もせまくなるし・・・



 だから、団体に寄付する。そういう

考え方をする人はいませんか。



 その段ボール箱が、あなたにとって

邪魔ならば、それを送られた団体に

とっても、邪魔なのにかわりないのです。



 先に、支援することは、必要とする

人のところまで自分で行くこと、と言い

ました。



 そうしたいけど、できない・・・

 年齢的にも、体力的にもできない・・・

 仕事が忙しいので、動けない・・・



 もっともです。

 そのとき団体に物資を送るという

選択も出てくるでしょう。



 そこで、立ち止まって考えて

下さい。



 この物資を送ったら、相手の団体

はどんなふうに使うのだろうか・・・



 テラの会のように、手渡しを原則

としている団体の場合は、海外

(もしくは国内)へ行く渡航費が

かかります。



 渡航費には、ビザの料金や、

燃油代金もとうぜん含まれます。



 カンボジアに入るには、一人に

つき30ドルの入国費がかかります。



 ビルマに入るのにも、10ドル

必要です。



 そういった費用を、団体に全く

負担してもらい、物資だけを運んで

もらう・・・



 これって、厳しい言い方をすると、

あまりにむしがよくないでしょうか。



 物資を寄付したいならば、同時に

送料や渡航費の一部をも、負担

しなくてはならないのです。



 つまり寄付金を供出しなくては、

支援になりません。



 大きな海外ボランティア団体は、

衣服の寄付の場合、だいたい

一箱につき5.000円の現金を

先に振り込むきまりがあります。



 それは海外へ送る送料です。

5.000円でも決してじゅうぶんでは

ありません。



 5キロにつき、船便でも5.500円

ていどはかかりますから。



 話が長くなりました。



 私の言いたいことは、物資を

団体に送るだけで、支援は終わり、

というのは大きな間違い、誤解だ

ということです。



 海外ボランティア団体に、

いいことをしたい、という善意

を押し付けてはいけません。



 1.000円でもいいから、寄付を

することです。



 自分にとって、もっとも大切な

お金を出すことで、支援活動に

対する意識も変わるでしょう。



 

飛行機に乗る前ってのは

緊張する。



一日に何千機という

飛行機がとびかう

いまの現在であるが。



以前のむかしは

そんなに飛んでなかった。



だから事故も

ないとはいえない。



運の悪い一機に

のりあいませんように、

といろいろ考える。



とくにミャンマーに

行く格安航空機とも

なったら。



あたまの中は

えらいことだ。



ひんぱんに

停電するミャンマーの

航空管制塔は

信頼できるか。



いきなり市民デモが

はじまって

飛行場占拠とか

なったらどうする。



そんな考えが

次から次へと

出てきて、脳内は

へとへと。



それでなくても

前日、日本からタイに

来たばっかり。



待ちくたびれて

ぐだぐだのところ、

やっと



「ヤンゴンへ行く

お客様は、バスに

お乗り下さい♪」



とアナウンスが。



なんで飛行機じゃなくて

バスなのか。



それはヤンゴンに

行くなんていう客は

あんまりいないからか、



飛行機の発着場が

飛行場のはるか

はしーっこだから。



そこまでバスで

のりつけなきゃならない。



それでバスに

乗ったはいいけど。



ぐるーっと

飛行場をまわって、

元いたところに

戻ってきた。



「みなさん、

バスから降りてくださ~い」



だって。



何が起きたのか。

ヤンゴンの空港から

連絡があり、

天候が不順なので

もう少し待ってほしいと

いわれたらしい。



もう発進直前に

なってそれかよ!



センセイなど、

酔い止めの薬とか

いろんなのを

一時間前から

たくさん飲んで

ばっちり準備していた。



それが2時間おくれ。



たまりません。



もう薬が効いてきて

センセイはふらふら。



コータも疲れで

意識もうろう。



すると目の前に

僧衣をまとった

お坊さんが。



センセイと親しげに

話してる。



コータははっきり

いって、



「メンドくせーな」



とムシしていた。



無視してたのに、

センセイが



「ちょっと、この人の

英語わかんないから

通訳して」



ときた。



お坊さんは、

僧衣を着てるのに

デジカメでまわりを

ばしゃばしゃ撮ってて、

何者か分かった

もんじゃない。



係わり合いに

なりたくはない。



だってさ、

前の年のデモの

中心になって

たくさん投獄されて

たりするビルマの

お坊さんだよ。



そんな坊さんなのに

デジカメもってタイで

ふらふらしてるなんて

何だか分からない

じゃないか。



あー複雑なのに

からまれたなあ、



と思った覚えあります。



疲れはピークに

達しながら、

その坊さんとセンセイの

話を、



いやいやながら、

ものすごくテキトーに

通訳した。



何だか意気投合して、

坊さんがホテルに来る

とか。



センセイは



「よかったね!!」



と上気してる。



私は、

(何がよかったもんか。

めんどくさい事になるぞ)

と内心思いつつ、

お坊さんの手前、

にこにこしといた。



やはりその坊さんが

関わってきたことで、

後々えらいことに

なったのである。



(つづく)



3年前にミャンマーの首都、

ヤンゴンで活動したことを

お話ししようと思い立ち、

はや一日。



よく思い出すと

あの頃と今とでは

ぜんぜん違う。



ミャンマーはとても

ひらかれた国に

なってきてる。



とはいっても、

まだ反政府ゲリラの

ボスとかと話ついて

ないみたいだけど。



反政府ゲリラの

方たちは、

かなりやばいビジネスを

やっていらっしゃる。



ので簡単に

民主化もできないの

かもしれない。



それは全部

わたくしの憶測。



前置きが

長くなりました。



日本を出るとき

ミャンマーに行くことを

まだよく分かってなかった。



センセイなど

一ヶ月に二回も

行こうとし、

航空券を二回分

とろうとしたほど。



カード会社が

東南アジアからの

請求が同時に二回も

来た、あやしい、

とわざわざ電話してくれて、



二回分とった航空券が

一回になった。



後から思えばそれで

本当に助かった。



連続で二回行こう

なんて、まず思えない街、

それがヤンゴン。



そうそう

タイに着いて

空港で一晩

過ごしたんだった。



空港で一晩

すごすというのは

くたくたに疲れる。



それでもミャンマー行きの

飛行機を次の日の午前12時

ごろに取るという、

殺人的スケジュールを

自らたててしまった。



だから一晩

空港にいるしか

なくなった。



センセイは

イスラム教徒用の

「祈り室」に入ろうとした。



悪いこと言わないから

止めといた方がいい、

ととめた。



着物着た

もろジャパニーズが

イスラム教徒の

礼拝所でぐーすか

寝てたら目立つだろう。



お祈りのための

部屋としてわざわざ

別にしてあるんだから。



もしも喫煙室で

タバコ吸ってたら、

いきなり白服の

イスラム教徒が来て、

その場でおでこを床に

つけてお祈りしだしたら、

きまずいでしょう。



それと同じ。



それでもセンセイは

かまわないと言い張り、

祈り室に入ろうとして、

ドアの張り紙をみて

あきらめた。



張り紙には、



「この部屋でご飯を

食べないで下さい。

それから、

寝ないで下さい」



とあった。


「あらー。

それじゃ

しょうがないね」

とセンセイ。



当たり前だ。



だってアラブ系の

航空会社の機長が、



「飛行機落ちませんように」



って祈りに来るとこだもの。

もち本気、真剣。



だから軽いノリで

入ったらダメなの。



それで結局

いちばん下の階の

冷たいベンチに

横になりましたとさ。



つぎの日はいよいよ

ヤンゴン入り。



(つづく)


経済的に非常に

厳しい状況がつづく

テラの会。



ふと3年前の

センセイの旅日記を

再アップした。



そしてもう一回

みてみた。



ホントに無茶なことを

平気でしてる。



今だったらゼッタイ

無理、という強行軍。



日本からタイへ

渡り、そのまま空港で

ひと晩すごして

ヤンゴンへ。



なんて、

お前はバカチンか、

と金八にたしなめられる

ようなことやってた。



それから

3年。



まったく

誰からも頼まれて

ないのに

よくもやってきた。



その間、企業からも

ホトケさんからも

資金援助を

もらわなかったので、



おかげで

財布はすっからかん。



3年前のミャンマー

行きのことを、

いま思い出して

お話しします。



ぞーっとするよな

つな渡りの旅でした。



気がついて

なかったから

平気だった。



いや、自分は

スイカを食べて

七転び八転びした。



お腹のなかで

ムシがぐりぐり

動くのをマジに

感じた。



ヤンゴンに

行くはめ、もとい

行くことになったのは、

これまたセンセイの

思いつきだった。



新聞を見て、

サイクロンで

農村がぼろぼろに

なり、14万人の

死傷者が出た、と。



「これは行かなければ」



の一言で決まった。



今から思っても

14万人というのは

相当な数。



昨年の東日本震災でも

亡くなった方は

2万人以下だった。



その被災者たちを

当時のミャンマー

軍事政権は

ほとんどほったらかしに

していたとか。



これは実際に

ヤンゴンへ行き、

どれっくらい

ひどい街かと

身にしみて分かる

私には、リアルな話。



ミャンマー人の

なかでも、ヤンゴンの

停電は政権が

市民にデモを

起こす元気をなくさせる

ために起こしている、

と信じられてた。



それも100パーセント

思い込みじゃないと

今なら思う。



そういうわけで、

センセイの旅日記も

あわせて見ると

なお面白いはずですよ。

↓↓↓


木村天山旅日記「ヤンゴンへ」



そんな私たちの活動を

みて、



「アンタたちようやった」


とか


「あきれた」


と感動できたら、

ぜひ、こちらのページも

見て下さい。

↓↓↓

木村天山ホームページ「寄付金のお願い」


(つづく)


















いままでタイの人は

だいたいのんきで

あんまりキレるところを

見たことなかった。



それが

今年2月にタイに

行ったとき、



キレるタイ人を

二回も見た。



珍しいことです。



タイの人は

よほどのことが

ないとキレず、



キレるときは

とことんキレるという

イメージがあった。



キレた一人は

屋台の焼き鳥売りの

おばさん。



深夜の歩行者天国で

ヨーロッパ人とか

アフリカ人とか

マイケル・ジャクソンの

そっくりさんとか(本当よく似てた)

がうろつくなかだった。



コンビニの前で

ぼけーっと豆乳を

のんでいた私。



目の前で焼き鳥屋の

おばさんがとつぜん

キレた。



相手は若い

ヨーロッパ人の

グループ。



ビールを手にして

ほろ酔い加減。



「あっち行け!」



とおばさん。



「アッチイケー」



と口まねして

からかうヨーロッパ人。



ちょっとやばいかな、

と思った。



するとおばさん、

とつぜん油につっこむ

おたまをふりあげ、



ヨーロッパ人の

肩をこつん!



こつん、

だったのか

ゴツン

だったか

ゴッツンだったかは、



わからない。



ヨーロッパ人は

へらへらしつつも

さすがに黙った。



おそらくほろ酔いの

ヨーロッパ人は

一生懸命商売してる

おばちゃんに

からんだんだろう。



おたまでこつんで

本当によかった。



まかり間違ったら

包丁でバサリだった。



タイの人を

キレさせると

本当にデンジャラス。



30秒後のことさえ

頭からさっぱり消える。



とある本によれば、

ひとが怒ると

いうのは、



”自分の領域を犯すな”



というメッセージらしい。



だから怒ってる人を

なだめるのには、

30メートルくらい

はなれて、遠くから

メールうつ、とかの

ほうがきくのかも。



とかくキレるタイ人を

見かけるようになったのは、



ながらく政治のこととか

洪水のこととかで、

経済がうまくいってなく、



その影響が

ろこつに出てきた

からなんでは

ないかしら。



タイトルからタイに関する

話だとは、推測していただけたかと

思う。かと思う。



じつにもったいないニュースが

あって。



どんだけもったいないか。



100万バーツがパー!



30才のウォラパンさん(男)は、

警察が100万バーツを

燃やして捨てた犯人を

探しているときいて、

警察署に出頭した。



自分が燃やしたと

認めている。



ちなみに100万バーツは

いまのレートで日本円にして

250万円。



なんでそんなことしたのか。



ウォラパンさんは

日ごろから父親にうらみを

持っていた。



というのは兄のやっている

ゴールド・ショップ

(タイではよくある銀行ならぬ、

金行、貴金属店と、金銀売買

などをかねている)

に二年間に渡って、



父親が資金援助

しつづけたからだ。



その二年間のお金が

今回燃やされた100万バーツ。



ウォラパンさんは

2~3年の間、ゴールドショップから

使い込みしつづけ、

とうとう最後は燃やした。



兄の店はパタヤにあった。



ウォラパンさんも

ルンジャルーン・ゴールドショップ

という店を持ってたみたい。



ちょっとはっきり

分からないけど、

ようするに兄弟で

それぞれ貴金属店を

やってて、兄の方にだけ

父親が出資しつづけた・・・?



そのへんから

よく分かりませんな。



結局人さわがせな

ウォラパンさんは、

自分の店から30メートル

のところのゴミ箱に、

燃やしたり、ひきさいたりした

1000バーツ紙幣を

大量にすて、



それから警察官に

知らせることにしたのであった。



ニュースは

それだけでも

奇奇怪怪なのに、

なんと警察はウォラパンさんを

不起訴処分にするという。



お金は父親のものだから

というのがその理由。



さらにはお金に印刷

されているタイ国王の

肖像画を傷つけ、

ひいては王室の権威を

傷つける

「つもりはなかった」

ため、この罪での告訴もなし。



また仏教をないがしろに

する

「つもりはなかった」

ため、その罪もなし。



というわけで事件は

解決。



お見ごと!



ぜったい日本人には

まねできない解決法だ。



ニュースのさいごは

脱力するようなお知らせで

しめられている。



タイ銀行は、ボロボロに

なった1000バーツのお札を

調べて、そのうち何とか

使えるやつがないか、

これから調べまーす。



だって。



へなへな~(脱力の音なき音)



そんな250万円も

ただのシットから

捨てるんなら、



自分にくれよ、と

思うよな。



ほんと、

テラの会に

寄金して

いただきたい。



ウォラパンさんと、

そのお父さんと、

のんきなお兄さん。








ずっと長くあたためて来た

アイデアですが、



私たちはアジアの各地で

他では手に入らない

宝のようなものを

たくさん集めてきました。



その中には

ぜひ日本に紹介

したいものもあります。



そんな品物を

通じて、支援者の

方がたとつながる。



それが

「チャリティーマーケット天山」。



少しずつ内容を充実

させていきます。



売り上げは

100パーセント

テラの会の活動資金と

なります。



テラの会の活動には

お金がかかっています。



もっともお金を

使うのは移動です。



たとえば今回

バンコクからチェンライへ

向かった飛行機。



格安航空会社の

エアアジアを

使いました。



荷物が多いので、

オプションで荷物30キロ

までオーケーにしました。



それで往復5565タイバーツ。

いまのレートに換算すると

14.360円です。



そしてチェンライから

タチレクの孤児院までの

車チャーター料が1500バーツ。



3870円。



つまりビルマの孤児院へ

行くのに、タイ国内の移動

だけでも


およそ18.000円

かかってます。



これにプラス

日本からタイへの

航空券代もかかります。



財政難におちいるのは

まったく当然のことです。



さらに、

衣服を保管するための

倉庫代が月に

2万円ほど。



海外支援の活動は

このようにお金が

かかります。



明らかにしてしまえば、

もう次回の活動も

できるかどうか、



というほど、

資金は底を

ついています。



現地で安ホテルに

泊まり、



安い食堂で食事を

することで、

なんとか長らえて

きましたが、限界は

こえています。



たとえばホテルは

ゲストハウスで、

チェンライでは一泊350バーツ、

つまり900円です。



食事は一回につき

二人ぶんで70バーツ、

かける3回で一日210バーツ。

つまり540円です。



このように

自分たちの出費を

ぎりぎりまで減らして

しのいで来ました。



だから寄付金を

これまで以上に

必要としています。



チャリティーマーケットも

その手段のひとつです。



どうぞ1品だけでも

いいので、お申し込み

下さいナ。



それがテラの会の

苦境を救い、

そしてアジアの各地で

私たちを待つ、



生活の苦しい子供たちや

大人たちの

夢と希望になります。




どろどろの暑さから

ずぶずぶの寒さへ

急転直下。



ぶじに帰国できたから

ラッキーです。



暑いのと寒いのと、

どっちが辛いかというと

やっぱり暑い方が

辛いと思う。



少なくとも自分は。



それでも暑いといいのは、

性格がてきとうになること。



そうすると

ハッピー感が増す。



暑いとお互いに

バカ(あるいはアホ)になれる。



たまたまとなりにいた

ロシア人と、



「よし、ヒップホップ

やろうぜ」



などと意気投合して

その場でラップやる

なんていうこともある。



自分はさすがに

ロシア語ラップは

できんけども。



モスクワから来た

あのロシア人は

今もタイにいるのかな。



とにかく寒いと

内気になりがちです。



いっぱつロシア語で

ヒップホップでもやって、



寒さをふきとばしましょ。



ちなみにスウェーデン人の

スウェーデン語による

「浪曲」みたいのも

きけました。



貴重な体験をくれる国

それが、タイランド。