のびのびボランティア紀行 -25ページ目
センセイがカンボジアへ行ってしまい、
事務所で留守をまかされているコータ。
朝から晩まで忙しく立ち働いていた
センセイがいないので、事務所はしずか。
なんとなく心もブルー。
ああ春だしな、とか勝手にセンチメントに
ひたっていた。
雨がしきりに降るので何気なく外を見ると・・・
あ布団がびしょぬれになっとる!
昨日センセイが旅たつ前、晴れていたので
布団を干した。干し手はワタクシ。
でそのまんま忘れー。
あわてて布団とりこんだ。
もうびしょびしょ。
これほど情けない一品(ひとしな)は
ないです。
濡れ布団。
なんでそんなこの世に必要ないものを
つくってしまったかな。
自分をうらみます。
濡れ布団は、もうどうしようもないので
空が晴れるまでベランダに放置。
おそらくこの記事をセンセイもカンボジア
あたりで見るだろう。
やっぱりあいつに留守をまかせるんじゃ
なかった、と思われたくないなー。
でも思われるかなー。
テラの会代表、センセイこと木村天山が、
いってしまいました。
いや。
恍惚の世界とか、ホトケの世界とかじゃなく。
カンボジアのプノンペンへ活動に
出かけたのです。
わたくしことコータは、今回は事務所の整理
のため留守番です。
事務所のビルが外壁を修理する
工事をはじめました。
それでバルコニーを片付けたりなど
住民も協力することに。
それに対応するため、わたくしは事務所に
残りました。
タイやカンボジアは、余震とかがありません。
関東にある事務所は、よくゆっさゆっさします。
それがないところに行くだけでも、
わりと心は休まるもの。
センセイには是非、充実した活動をして
来ていただきたいものです。
ちょいとたてこんでて、更新が遅れました。
テラの会初のミャンマー活動を、
お話ししてました。
今を去ること4年前。
ミャンマーのサイクロン被害者の
ため、とるものもとりあえず、
ヤンゴンへ向かったのです。
ミャンマー記 ⑫
「たたかえインド人と」
村人たちに支援したあと、
無事帰路についたわれわれ。
ほっとひといき、会話がはずむ。
日本語の話せる怪しい男、
通称ねずみ男がだらだら話す。
「おれ10年ぐらい日本で
働いてたんすよ。
自動車の部品、ミャンマーに
送る仕事で。
でもパチンコにはまっちゃったんです。
稼いだ金全部つぎこんじゃって。
だから今はぜんぜん金ないっす」
うわ~。
やっぱりねずみ男だ!
せっかく日本でがんばった
お金をパチンコですった。
いまはインド人にこき使われる身。
そんな話をしているうちに
ホテルに着いた。
インド人の社長が待ち構えていた。
われわれがホテルに入るなり、いう。
「あんた、2時間オーバーだ。
追加料金払え」
私はげんなり。
いい人の顔して、支援活動
手伝うふりして、結局これか。
「いくら」
「50ドルだ」
は?
どこからそんな計算が出てくるのか。
日本人と思ってすぐ金出すと思ってる。
あの、この人50ドル払えていってるよ。
とセンセイにいう。
何で? と不思議な顔のセンセイ。
追加料金の車代を払えと、
言っていることを伝える。
「何だって!」
センセイがプッツン。
「何だお前!
それでもミャンマー人か!
いい顔して騙すつもりか!」
もうホテル中にひびきわたる
大声。
インド人もびびった。
「に、20ドルでいいぞ」
せいいっぱい虚勢をはって言う。
20ドルでいいってよ、とセンセイに
通訳した。
「払うよ。
これでここともおさらばだ」
20ドルを払い、その日もう一泊
する予定だったけれど、
荷物をまとめて出ることにした。
インド人社長はいう。
「おれを疑うなら、この寄付金も
自分で寺にもっていけ」
と朝渡した、お金を入れた封筒を
見せる。
いい、あんたを信じる、と言った。
何だか、どっと疲れを感じた。
ゆっくり休みたかった。
坊さんが、また今日も来る、という。
それもお断りしたかった。
センセイと相談して、
全然別のホテルに移ることにした。
誰にも行き先は教えない。
ゆくえをくらます。
さっさと荷物をまとめて、
タクシーをひろった。
(つづく)
やっと衣服手渡しがはじめられた。
乳飲み子を抱えたお母さんもいる。
我さきにと、混乱する様子はない。
じっと自分の番が来るのを待っている。
そいうところが、ミャンマーの人の
美徳だと思う。
この人たちは、サイクロンの被害にあい、
農業ができなくなった。
森の中にかくれるようにして、
身をひそめていた。
たぶん、あまり目立つと、被害から
復興できていない現状が海外に
知れ渡るので、目立たないように
させられていたのだろう。
農業を再開できないので、支援を
受け続けているうちに、働く気力を
失くしてしまう人も出ていた。
支援とは、する方もされる方も、
とても難しい問題を抱えている。
せっかく物資を集めて持っていっても、
あまるほどすでに集まっていたり、
逆になくて困るものが、一つもなかったり
する。
そういった困難は、東日本大震災で
被災者支援をした人などは、よく
分かるはずだ。
テラの会では、できることから
はじめようということで、衣服を集めて
支援してきた。
それでも、実際に活動してみて、
衣服ももちろん必要とされているが、
他にもさまざまなニーズがあることが
分かった。
だから、この春から、抜本的に活動
内容を見直すことにしている。
話はそれたけれど、ビルマの村。
センセイが一枚一枚、衣服を渡す。
本当に子供たちはしずかである。
わーいと喜ぶこともしない。
インドネシアやフィリピンなら、
身体全体で喜びを表すものなのに。
それほどビルマの人たちは、穏やかで、
争いを好まない人たちなのだろう。
そんな国の人たちなのに、あんな激しい
反政府デモを起こすということは、
よほどのたまりかねる事情が
あるに違いない。
それはさておき、
衣服支援は順調に進んだ。
さいごは、お茶のようなもので
もてなされた。
なぞの坊さんも、ばしゃばしゃ
デジカメで写真を撮っていた。
あまり反応をみせない村人
たちだったけど、おしゃれな靴
を手にして、はにかんだ笑顔を
見せる女性もいたりした。
そんな笑顔に出会うと、今までの
苦労がいっきに吹き飛ぶ。
それは実感としてある。
だから、こんな無茶苦茶な強行軍
でも、つづけて来れたのだ。
(つづく)
ヤンゴンから1時間あまり、
サイクロンの爪あとすさまじい
廃村。
廃村とはいっても、村人は
なんとか生きていた。
なりわいである農業もできず、
ただただ途方に暮れている
村人たち。
そこへ乗り込んでいった
テラの会だった。
(軒先に村人が集まる)
最近よく思う。
もっと、ハッピーなブログの
かき方したほうがいいのか、と。
でもね。
私たちの目にしたものは、
けっしてハッピーなものじゃない。
だからハッピーに描こうにも
無理がある。
それでも無理矢理ハッピーに
描くとすれば・・・
「村のみんなとスマイル交換!」
ぼくらは、いろんな壁をのりこえ、
やっと村のみんなのところへ
辿りついた。
センセイも、汗だくで、でも
よくみると頬ににじむのは、
涙だった。
「ほら、みんな並んで!」
センセイが大きな声でいう。
ビルマの子供たちは、
顔中に白い化粧みたいなのを
つけてて、とってもキュート。
本当は抱きしめたかった。
でもぼくは、「今は活動中なんだ」
と心を鬼にした。
一人一人に、日本で応援してくれる
みんなの気持ちのこもった、
衣服をあげていく。
「チェーズベー!」
と幼い男の子が、ビルマ語で
ありがとうという。
それをきき、本当に来て
よかったと思った。
日本のみんな。
ビルマのみんな。
そのスマイルを、ぼくらが
仲介して、交換してるんだ。
きっとそうだと思う。
だから地球って、丸いんだ。
もし四角だったら、こんなに遠い
国の人たちと、ハートとハートで
つながれるわけが、ない。
村人の中にまじって、
心の優しいお坊さんが、
じっと微笑みを浮かべて
たたずんでいる。
ありがとう、と言いたいのかな、
と思った。
ほら、この写真見て。
こんなにピュアな人たちが
いるなんて。
なんてかわいいんだろう!
ぼくはこの思い出を、ゼッタイに
忘れまいと、胸の奥に大切にしまう。
-----(ハッピー編、ここまで)-----
どうだ。
皆の衆ら。
ハッピーな気分になれたかい。
おいら、こんなの見ると
バカにされてんのかな、
と思うけどね。
どっちがいいのか。
どろどろしたものを
そのまま描くのと、
そういうのをキレイに
漂白して、真っ白ピュアーに
描くのと。
どっちだっていい。
ともかく支援はつづくのだ。
(つづく)
「またひとつ、村が死んだ・・・」
このセリフにぴんとくる人は
かなりの宮崎アニメ通だ。
『風の谷のナウシカ』の冒頭シーン、
廃村の中に入り、人形をとりあげる
ユパ様。
ぼろぼろと崩れる人形。
そのときにつぶやくセリフがそれ。
まさしくそんなユパっぽく
つぶやきたくなるような、
ヤンゴン郊外の廃村。
村人の姿はどこにもない。
ひたすら秋枯れのような
田んぼの残骸がひろがる。
(サイクロン被害の爪あと)
その村の中を、坊さんを先頭に
どんどん入っていく。
奥の方に、田舎風の寺があった。
「ここでやりましょう」
と怪しい男。
いつまでも怪しい男と呼び
つづけるのもなんなので、
これからねずみ男と呼ばせて
もらいたい。
まさしくねずみ男そのまんまの
性格だから。
で、ねずみ男たちに
連れられて、着きましたるは
破れ寺。
たぬきでも出てくるか、と
身構えたら、そのかわりに
白黒の猫がニャ~ン。
ふつうに可愛い。
そんな猫に少し人間らしい
感情をとりもどしながら、
寺のなかに入った。
衣服を寺の床に並べていく。
寺男(てらおとこ、とよむ。
ヤングボーイは分かるかな)
がやってきて、「ありがとう」
とお礼を言われた。
さあやっと支援だ、
と思っていると、ねずみ男。
「あの~、ここじゃなくて
向こうの家の方がいいと思うんで。
そこだったらみんな集まって
来ますんで」
よく分からないまま、
ひろげた衣服をまたバッグに
つめ直して寺を出る。
あぜ道を歩くことしばし。
やっとけやきのなかの民家に
着いた。
そこは外からは家があるとは
分からない。
その民家の縁側(?)を
解放してもらい、衣服を
再び出した。
寺男たちが、村人を呼びに
いく。
すると、いったいどこにいたの
やら、わらわらと村人たちが
姿をあらわすではないか。
私は唖然としていた。
それも出るわ出るわ、あっと
いう間に100人をこえた。
衣服足りるかなー?
いろいろあったけれど、
やっと本来の目的が果たせそうだ。
気持ちがひきしまってきた。
(つづく)
うよ曲折ありつつも、やっと
支援活動に出られた私たち。
ヤンゴン市内からどんどん
遠ざかる。
車で大きな河口の橋を渡った。
その先がサイクロン被害の
大きかった区域だ。
ほとんど何もないような農村の
風景だった。
刈り取りの終わった、茶色い
田んぼがひたすら広がっている。
そのときは、ずいぶんほこりっぽい
土地だな、とぐらいにしか
考えていなかった。
道ばたに、草でふいた、農具
置き場のような小屋がところ
どころにぽつんとある。
驚いたことに、その中には人が
住んでいた。牛小屋より粗末な
小屋だった。
車は道ばたに止まった。
しばらく止まったままで、
運転手は誰かとずっと話している。
後で分かったことだが、話していた
のはおそらくホテルのインド人
オーナーだった。
むやみに長引かせて、車チャーター
料の延滞料金をとるこんたん
だったのだ。
だがその時は知るよしもない。
どうして長々と待たされるのか
分からず、少し車の外に出て
水を飲んだりした。
かなりたってから運転手が
車のエンジンをかけた。
すぐ近くの農道に入っていく。
「このへんでいいんじゃないすか」
と全く計画性のないことを口ばしり、
運転手は車を小川のほとりに
とめた。
一見して、人っこ一人いない。
何が何だか分からないまま
車を降りる。
全体は秋枯れしたような田んぼだ。
じつは、その一帯は、サイクロンで
海の水が入り、塩水にひたされて
しまっていたのだ。
そのまま塩は田んぼに残り、
米をつくりたくても塩害でつくれない
状況だったのである。
そのときはそれさえ気がつかなかった。
支援物資をかついで、廃村のような
ところの、お寺に入っていった。
(つづく)
金ピカのビルマ仏教の寺を
あとにしたわれわれ。
やっとこさ、長い長い一日が
終わって休んだ。
日本からタイ、タイから
ミャンマー。
いっきに移動した。
今から考えると、よく分からない
からこそできた。
だがしかし、休む前にまだ
ひどい目にあうのである。
センセイが、日本から一度も
入ってない風呂に入ろうとした。
風呂といってもシャワーしかない。
ホテルのオーナーは温水シャワーが出ると
言っていた。
そのつもりで入ったセンセイだったが・・・
風呂場から悲鳴ともつかない声が
した。
「ちょっと、これ水だよ」
その後私もシャワーを浴びて、
たしかに水なのを確認した。
暑いミャンマーとはいえ、夜は
それなりに気温が下がる。
疲れた身体は、あったかいお湯
で流したいもの。
それが、たぶん停電の影響で、
水しか出ない。
ムカーッとした。
ただそれだけの理由で、
反政府デモに出てもおかしくない
気分。
さらには。
夜寝ているとき、必ずエアコンが
いった。
蒸し暑くて、とても寝られないから。
それが、2、3時間に一度、
ガコッ
という音とともに止まる。
停電である。
ったく。おちおち寝ても
いられない。
ミャンマーのヤンゴンに来た
ことを、だんだん後悔しだした。
それでも疲れに疲れていたので、
なんとか眠れた。
次の朝。
ゆっくり用意をしていると、あの
坊さんがはやばやと来た。
それをホテルの従業員が部屋まで
知らせてきた。
あわてて下に降りるセンセイ。
朝に極端に弱いコータも、
睡眠不足のアタマを抱えて
なんとか用意して、降りた。
あの坊さんが待っていた。
インド人オーナーは、
昨日はもう一度金ピカ寺院に
行くといっていたのに、
いかなくていいという。
はてなマークがとびかった。
政府が発行する証明書を
とりに行くのじゃなかったのか。
どうもおかしい。
もしかして証明書うんぬんという
話自体が、でたらめで、
私たちに
おのれの力を見せつけようとして
インド人オーナーが
芝居をうっているのかもしれない。
それでも用心にこしたことはない。
センセイが、それなら寺に寄進を
する(徳を積む)という名目で、
ミャンマーチャットの入った封筒を
オーナーに渡した。
いっしゅん、たじろいだような
様子を見せるオーナー。
それでも、うなずいて受け取った。
そして、
「車のチャーター料は2時間20ドルだ」
という。
まあ仕方ない。20ドルを渡した。
さて外に出ると、
ホテルの前に昨日のオンボロ
車が停まっていた。
運転手は、あのよくしゃべる
男だ。
支援物資をトランクにつみこみ、
朝8時半ごろに出発した。
それからがまたまた大変
なのだった・・・
(つづく)
センセイがうっかりビルマに来た
目的をナゾの坊さんに話して
しまった。
サイクロン被害者に衣服を
とどけたい、と口を滑らせた。
これで事態が妙ちきりんな
方向に進むことになる。
インド人のホテルオーナーに
「ミャンマーで6番目に偉い
お坊さんに会わせてやる」
と車に押し込められた私たち。
オンボロの日産車で、乗り心地は
とっても悪い。
そのうえ、その日に来たばかりの
ヤンゴンなのだ。
いやがおうにも不安は募る。
車内は無言である。
ヤンゴンの町をしばらく
走った。
途中でネオンぎらぎらの
カラオケ店とか、何の営業
しているのか分からない店が
たくさんあった。
あとで別のホテルの経営者
からきいた話だが、ヤンゴンは
売春がとても盛んだという。
ディスコに行くと、身体を売る
女性がわんさかといるらしい。
その上麻薬も出回っており、
相当ヤク中も多いとか。
危ない街、ヤンゴン。
そんな夜のヤンゴンを
どこへとも知れず連れて
いかれる気持ちが分かりますか。
もうまな板の上の鯉と
腹をくくるしかない。
どうやらアウンサン・スーチーさん
のお宅あたりを過ぎ、へんな
観覧車の近くを通った。
そしていやに新しい、
舗装された道路の先に、
その金ピカ寺院はあった
どでかいパゴタ、
何というか、ドラゴンクエストの
スライムを黄色く塗ったような
建物がある。
どでっかい金色のキングスライム。
とまで言ったら、ビルマ仏教の
信者の方に怒られるかも。
そのキングスライム、
市内は停電で真っ暗
なのに、思いっきり電飾を使って、
夜空にこうこうと、いやビカビカと
光っていた。
こういうのは、へん。
われわれはビルマ六番目という
坊さんの部屋に通された。
その坊さんの人相の悪さは一筋
なわではいかない。
その上、部屋にオーロラビジョン
みたいな巨大なプラズマテレビがある。
それを使って、自分が説教する
ビデオをえんえんと流している。
ますますもって怪しい。
それでも、私たちを連れてきた
若い坊さんと、ホテルのインド人
オーナーが、その偉い坊さんの
足におでこをつけて土下座する。
われわれも、即まねした。
土下座。こういう時は、
へんに意地張らない方がいい。
坊さんは、むっふっふと笑った
(ように私には見えた)。
そしてビルマ語で二人に
何かいう。
明日の朝に政府から許可証を
もらうのでもう一度来い、とか
おっしゃっとる。
来るわけね~だろ! と内心は
思っていたが、それは表に出さず、
「ハハ~、ありがとうごぜぇますだ」
とまた頭を下げた。
偉い坊さんは、プラズマテレビの
画面を指差し、見ろ、とわれわれに
無言でいう。
へへぇ~、と大げさに驚いておいた。
やっと解放され、外に出ると、
小僧さんたちがたくさんいた。
みんなやせ細っていて笑顔が無い。
貧しさから寺に身を寄せているに
違いなかった。
近くにベンジョがあったので
入った。
すると電球の一個もついてない。
真っ暗闇だ。これじゃおしっこが
どこに飛び散るか分かったもの
ではない。
下手をすると便器に足をつっこむ。
ひどいな、と思った。
自分はプラズマテレビ買って、
小僧さんたちにはベンジョの
電球一個買ってあげないなんて。
何度もいうが、外の仏塔は
ぎらんぎらんの、ビッカビカ。
これっておかしくないですか。
市内は停電してるのに、
何でここだけ電気のムダ使い
ができるのか。
分からんちん。
これも、頭いいと自分で
思っている自称国際派の
インテリなんかだと、
「人もそれぞれ、国も
それぞれ」
とか言うんだろう。
そういう人間は、「それぞれ」
とか言ってるあいだに、
人権無視の国家に毒盛られて
死んでも文句はないのだろう。
私は文句ある。
やっぱり国民をひどい
生活に追いやっておいて、
自分だけいい生活をするような
やつは許せない。
ヤンゴンの女の人は、
街中に仕事がないから
無理してでもタイに出る。
そしてものすごく辛くて
苦しくて、それでも給料は
タイ人より安い仕事につく。
なんという不公平か。
あんまりだ。
だからビルマは変わらなくては
ならん、と思うよ、マジに。
(つづく)
タイへ着いた日そのまま
空港で夜を過ごし、ミャンマー
へ向かったテラの会。
搭乗ゲートでなぞのミャンマー人
のお坊さんと出会った。
あとでホテルに来るという。
さて、空港からホテルへ。
着いたところは、まあホテルとは
名ばかり。
エレベーターもない。
階段で4階まで登る。
しかも全体的に暗い。
何というか、石の牢屋に
閉じ込められるみたい。
えらいところに来たな、
と思った。
それでも疲れていたので
部屋に入るとすぐに爆睡。
いつの間にか外は暗く
なっていた。
約束の6時きっかりに
坊さんが現れた。
ホテルの従業員が
私たちの部屋まで
連れてきた。
中に入れるセンセイ。
私は眠っていたので
起きるのがとてもしんどかった。
それでも通訳しなくては
ならないので無理やり起きた。
坊さんはベッドの端に腰かけて
一生懸命しゃべる。
そのとき。
ガコーンと音がして、
停電した。
部屋は真っ暗。
「・・・・・・」
みんな無言。
従業員が電池でつく
電気スタンドのようなものを
持ってきた。
ろうそく一本くらいの
明かりしかない。
その中で坊さんが話し
つづけた。
「拙僧の友がらは
反政府デモのあと、
たくさん逮捕されました。
手首に手錠をかけられた
ままタイへ逃げたものも
います。
その場で殺されたものも
いました」
といった話がえんえんと
つづく。
暗い。部屋も暗い。
いやヤンゴンの町全体が
暗い。
気分がずーんと重くなる。
真っ暗な部屋で暗い話は・・・
まるで怪談大会だ。
センセイが慎重に言葉を
選びつつ、いまの政権について
どう思うかきいた。
すると坊さん、もうせきを切った
ように批判しだした。
いまの政権は最悪。
この停電も、市民の力を
そいでデモを起こさせないために
わざと政府がやっている。
アウンサン・スーチーに
期待している。
などなど外で話したら即、
お縄になるような話をめったやたら
とやる。
こっちが心配になる位だった。
外国人相手なので安心して
話していたんだろう。
坊さんは夢を語った。
自分の故郷に立派な寺を
建てたい。
そういって、写真のアルバムを
見せた。
何にもない赤土の田舎風景と、
できかけの寺がうつっていた。
ご両親の写真も見せられた。
センセイが好意を見せ、
「使ってください」
とミャンマーのお金を渡した。
坊さんは驚いて、何度もお礼を
いいながら受け取った。
・・・と、ここまではよかった。
話も尽きてきたので、そろそろ
お引取り願おうか、と話を止める
タイミングを見計らっていた私。
センセイがとつじょいった。
「私たちは、サイクロン被害者の
ために衣服を持ってきたんです」
うっ!
私は通訳するのをためらった。
ミャンマーでは、壁に耳あり、
障子に目あり。へたに支援活動
などと正体をばらすと、政府に
目をつけられてしまう。
それでも、センセイは私に通訳
しろとせかす。
仕方なく、覚悟を決めて坊さんに
話した。
すると坊さんは急に神妙な顔つき
になった。
分かった、というようにうなずいて、
下に行こうという。
ホテルの下には、インド人の
オーナーがいた。
私たちを連れて一階に下りた
坊さんは、インド人のオーナーと
何やら話した。
私たちが支援活動をしたがって
いる、とか何とか話している。
そこへ、にやにやしながら
怪しげな男があらわれた。
「日本人ですか」
とそいつ。やつはど近眼なのか、
めちゃくちゃ目つきが悪い。
普通に見てるだけなのに、
まるで愚連隊(今で言うヤンキー)
が他の学校の奴と
ケンカ始める前の「メンチ」
なみだ。
そいつはいう。
「あのー、ミャンマーでは
NGOとかNPOとかあんまり
やらない方がいいんスよ。
てのは、この間も日本の
団体が建物たてて、日本から
中古パソコン送ったりして
学校はじめようとしたんス。
そしたらまだはじまる前から
政府が中止させて、パソコンとか
みんな持ってっちゃったんスよ。
もし街の中でモノ配ったり
してたら、すぐ警察きて尋問スよ。
外国人だったら署まで
連れてかれていろいろ
きかれますよ」
とわれわれを脅す。
「でもうちのオーナー、
ミャンマーで6番目に偉い
お坊さん知ってるんで、
そこ通せば何とかなります」
といいつつ、インド人のオーナーは
どこへやら電話する。
しばらく長電話して、
チーンと切った。
「よしこれから寺行くぞ」
とオーナーはいきなり
言った。
なんだなんだ。
この急展開。
部屋で話した坊さんも一緒に
行くらしい。
どうも政府筋に顔がきく
ビルマ仏教の偉い坊さんに会い、
明日支援活動ができるように
取り計らってもらうらしい。
私は頭をかかえた。
めんどうなことになった。
ほら言わんこっちゃない。
しかしもうどうしようもない。
オンボロの日産の車に乗せられ、
真っ暗の停電中のヤンゴン市内を
走り出した。
(つづく)

