センセイはタイで疲れをとっているようです。



とてもいいこと。



タイは、衛生もかなりしっかりしてきたし、

治安もよくなった。



とってもいいです。



とくに、周りのカンボジア、ミャンマーなどから

タイへもどると、その違いがよく分かります。



タイ料理は、一説では中華料理よりも

バリエーションが多く、食べ物がおいしい

という理由だけで、タイへ移住した

日本人もいるとか。



それに、値段が高ければおいしい、

というわけでもなくて、安くても店に

よってとてもおいしい。



そういうところが、タイの観光立国を

成功させたのではないか、と思います。



ここのところブログで毒舌をふるうと、

各方面からお叱りを受けるように

なりました。



だから、ソフト路線に向かいます。



いってみれば、ルー大柴さんが

昔はすごいハイテンションの芸風だったのが

今はゆっくり話すようなものです。



そういうソフト路線になるのは、まあ

よくあることなのに、やっぱり根性あるなと

思うのは江頭2:50さんです。



まったく芸風かえない。

どこまでもぎりぎりで攻める。

すごい。



つまりこのブログの毒舌をつづけるか

どうかというのは、江頭さんと同じくらいの

覚悟をもてるか、という話。



持てません。



軟弱なので。



ミャンマーについても、さんざんひどいことを

言って来ました。



それでも人はとても優しいのです。



それに、ものごとをおろそかにしない。



ひとつひとつをきちんとこなす。



ある意味、その真面目さが、急激な

経済発展をスローダウンさせているのかも

しれません。



もう少し治安がよくなれば、旅行に行く

にはとても魅力的な国になるでしょう。



他の東南アジアの国ではもう出会えなく

なった、いろんな興味深いものが残って

います。



もう少し、いろいろな事情がととのえば、

もう一度ミャンマーへ行ってみたいです。



こんどは、もう少し奥の方まで・・・



と、尻切れトンボなのは片腹痛いですが、

このあたりでヤンゴンのお話しを、

しめとさせていただきたいです。



やつがれミャンマー記、完。



センセイがタイからテラの会ホームページに書き込みしています。



文体からして、そうとうリラクゼーションされてるのが分かります。



いいことです。



さてビルマの話なのですが。

ですます調ではじめてしまったので、さいごまで通します。



慰霊を終えて、近くの屋台でひといきついたわれわれ。



屋台といっても、じべたに座って麺るいを売っている。



「ここで昼ごはん食べよう」とセンセイ。



いいよ・・・と言いかけて、屋台の兄ちゃんの顔みて、「う」とうなった。



鼻毛がそうとう出ている。

その顔でにこにこ。

悪い人ではないんだろうけど、衛生が心配だな・・・



その心配は大当たり。



そこの麺類の作り方をみてガクゼン。

兄ちゃんが、おわんに汁をいれ、そこに「手づかみで」麺をべちゃっといれ、「素手で」ぐちゃぐちゃ混ぜる。



その手を、どこから汲んできたか分からない水にべしゃっとつけ、また次の麺をつかむ。



ひかえめにいっても衛生的ではありません。



作家の曽野綾子という人が、

「最近の若い人は不潔を怖がる」

というようなことを言っています。



最近の若者は、不潔や不便がイヤで、冒険をしなくなった、とか。



立派なご高説すばらしい。

その通りです。



しかし曽野さんに何と言われようが、不潔は怖いです。

腹こわすから。



鼻毛の兄ちゃんがお椀をさしだす。



センセイは「おいしそうだねえ!」と平気で手で食べる。

当然。センセイは素手でGOKIをつぶせる漢(おとこ)。



自分なんて軟弱なので、BURIでも新聞丸めてたたきます。



だから、手づかみぐちゃ混ぜの麺を食べるのも、抵抗がありました。



それでも、食べました。



味は悪くないのだけど、どうしても、素直においしく感じられませんでした。



その麺には当たらず、運がよかった。

しかし。



その次の日か、センセイが屋台でスイカを買った。

そのとき、ピンときた。ここはヤバイ、と。

でっかいナタでスイカをばつばつ切る。

そのナタは、その辺につるしてある。



洗ってない。



「暑いときはスイカにかぎるね~」とセンセイ。



いやな予感はしても、なぜかそういう時は食べてしまう私。

で、その30分後。



腹の中を、右に左に何かが動いている。



見事大当たり。

発熱、トイレかけこみ。



なかなかひどかった。



旅先でおなかこわすと、体力なくす。



もうへろんへろんでベッドに横になっていると、また

ガコン。



停電。エアコンストップ。



はいわたくし、不潔と不便をいやがる軟弱な人間です。

それでも翌日タイへ帰るため、飛行場へ行かなくてはならなかった。



這うようにして行った。そのへんの記憶はあんまりない。帰りの飛行機の記憶も薄い。



安心できるタイにきて、ぐっすり寝て、起きたあとからしか記憶がありません。



ヤンゴンに行くのは4年に1回以下でいい、と真剣に思った。



思えば、ほうぼうで、しょっちゅうかるい食中毒みたいになっている自分です。



よくもまあアジアで活動をつづけられるものだと思う。



(つづく)




たぶん夜だったと思う。



ホテルの食堂で従業員の若者たちが、テレビを見ていた。



おっと、いきなりの展開で恐縮。

テラの会ビルマ・ヤンゴン活動です。

慰霊を終えて、屋台で一休みしたところまで、お話ししたところ。



ちょっと寄り道。



ホテルの一階には食堂があって、テレビが一台ある。

といっても衛星放送とかはうつらず、ミャンマーの国営放送だけがうつる。



それは軍事政権が、その当時、アメリカとかヨーロッパとかの文化がたれ流しになってミャンマー文化を破壊する、という名目で情報制限していたから。



そのミャンマー国営放送を、仕事の終わった従業員たちが、ビール片手に見ていた。



なんか、民族衣装で踊る女の子がうつっている。



それ見て、若い男の子たちはやんや、やんや。

もちろん、ビルマのテレビではミニスカートもホットパンツもご法度。



AKBなんか、ぜったいビルマのテレビには出れない。



少女時代もムリ。足の露出が多すぎるから。



で、ビルマのアイドルはひざ下のスカートしかはけない。

それでも精一杯ファンをつかもうとするあたりが、けなげ。

もしかしたら日本のアイドル好きが、純粋さを求めてビルマアイドルのおっかけになるかもしれない。



まあこっちからすれば刺激が少なすぎて、見てても眠くなるだけ。



するとテレビ画面に、洋服を着たちょっとおしゃれっぽい子らが出てきた。



ダンスミュージックみたいなので踊る。

するとビルマの男ども、大うけ。



ほんとにきゃーきゃー叫んでる。



すると後ろから!



「ダメ! こんなのダメ! 

西洋のコピーじゃないの」



とヒステリックなおばさまの声が。



ふり向くと、しかめ面のホテルオーナーの中年女性が、テレビに向かって悪態をついていた。



「あ~なんもかんもマネばっかり。

なんて嘆かわしい若者かしら」



おばさんはスラスラした英語で言う。



いきなりですまないが、さっきカンボジアから帰ったセンセイから電話があった。



そして興奮して言うには、



「プノンペンで18才の男の子に出会ってさー!

もう日本の大学生より英語ペラペラで

ぴしゃっとしててきりっとしてて・・・」



本当かな~。



ちなみに昔、ひとりでフィリピンのマニラに行ったセンセイから、いきなり電話があった。「あ~、もうとっても安全なホテル見つけた! ここだったら人が24時間いるし、鍵もかけないでいいし。

最高!」



とやたら興奮して話す。その後、たまたま私もそのホテルに行くことがあったのだが、何と周りはスリやかっぱらい、暴漢やストリートチルドレンだらけの、めちゃくちゃ治安の悪いところだったのだ。



安全と言ってたホテルは、ようはラブホテルで、窓も何もない、監獄みたいなホテルだった。何でこれが安全なんだか。私にはまったく分からなかった。



というわけでセンセイが興奮して海外から電話をするときは、要注意。だいたい疲れがピークに達している場合が多い。



話が寄り道からわき道にそれました。



話をもどすと、ビルマ人のおばさんは、若者たちが、西洋かぶれになる、といって嘆いていた。



しかし私の目から見ると、何というか、昭和40年くらいのテレビって、こんなだったのかな、というか・・・



ミャンマーはいってみれば、校則が厳しすぎ、逆に浮き世ばなれした全寮制女子高みたいなもの。



経済の自由化がすすむことで、そのあたりも緩和されるのかな、と思う春の一日でした。







テラの会の子供服等支援活動は、寄付していただいた方のおかげでやれています。



そのことにあらためて感謝します。



現在、支援物資は、衣類、文房具、その他全て、十分すぎるほど集まりました。



支援物資の受付は、少なくとも1年間は行いません。



それでも連絡がてっていしないためか、送ってくる方がまだいます。



どうにか処理してきましたが、今後は、受け取りを拒否する他ないのが現状です。



つまり、送られたとしても、返送されるということです。



送料のことなど考えると心苦しく、今までは何とか受け取ってきました。



それでも状況がかわり、事務所に工事が入ったことなどもありまして、これからは宅配業者の方に受け取り印を押さないことになります。



せっかく送ったものが、送り返されてくると、おどろくだろうことは、よく分かっているつもりです。



いいことをしたつもりなのに、「要らない」と言われたときの、恥ずかしさや辛さは、テラの会の活動を通して、身をもって知っています。



それでも状況はひっぱくしているので、やむを得ません。



支援物資を送ることや、善意とはどういうものか、ということについて、支援者のみなさまと、一緒に考えていきたいと思います。






ミャンマーのヤンゴンにサイクロン被害者支援のため訪れたテラの会。2009年のこと。すったもんだの挙句、ホテルマンに重要情報をきき、慰霊することに。



ホテルマンのインテリ青年によれば、私たちの泊まっているホテルは、反政府デモを撮影していて、銃に撃たれて亡くなった長井健司さんの、さいごに泊まったホテルという。



実際にデモ隊と治安部隊の衝突した交差点は、目と鼻の先だった。



朝、まずホテルの祭壇にお参りして、慰霊に出かけることにした。




のびのびボランティア紀行
(ビルマ仏教の祭壇)



件の交差点に向かう。



ホテルマンから、あまり目立つことはしない方がいい、とアドバイスを受けていた。



交差点には急ごしらえの警察署があり、市民の動きを24時間監視しているようだ。



慰霊の時間を1分以内と決め、近くの木から枝をとり、御幣をまくと、即慰霊を開始した。




のびのびボランティア紀行



着物を着ているセンセイが、きゅうに現れた、それだけでも目立つ。



みんな腰巻姿だからだ。



その上御幣を振って祈るのだから、いやがおうにも人目を引く。



カメラで撮影するこちらはハラハラした。




のびのびボランティア紀行



ほんの短い間だったが、何十分にも感じた。




のびのびボランティア紀行



センセイが慰霊を済ませてその場をはなれた。



何くわぬ顔をしてその場を去ろうとした時。



「何をしていたんですか?」



いきなり日本語できかれた。



ドキッ!



ふり向くと、ビルマ人男性。一見して普通の市民のようだが、いきなり日本語を話すあたり、決して油断できない。



「あ、観光です」



そうですか、と歩いて消える男性。



ほっとした。やはりみんなその場所のことは、そうとう敏感のようだ。



誰の記憶からもそう簡単には消えないだろう。



流血沙汰のあった交差点。



とはいえ、それだけで、他は何もおとがめはなかった。



慰霊を終えて、どっと疲れた。

近くの麺類屋台に腰かけ、昼ごはんを食べたのだが・・・



(つづく)




ヤンゴンの夜はとても怖い。



まず電気がついてない。



だいたい夕暮れどきから、外はスモッグがかかりはじめ、リアルお化け屋敷。



そこへ持ってきて旧植民地時代の200年以上たったイギリス風の洋館とか、そのまま残ってるもので、不気味ったらありゃしない。



街の真ん中にあるお寺も、はっきり行ってホラー。



女の人たちが床にひたいをこすりつけて、祈っている。

線香の煙がモワ~・・・



夜は出歩かないに限るが、たまに日本食を食べようと、夜のヤンゴンへ繰り出した。



「道に穴あいてるから気をつけて」

とボク。



人でぎゅうぎゅうの道ばたで、小さな雑貨店をやる人がいる。一人で小さなテーブルをまもっている。まもっている、というのは大げさな表現じゃない。



強盗とか平気でうろついているから。



まず非行少年の多いこと。小学6年生くらいの子たちが、モヒカンすれすれの髪型をして群れとる。日本の愚連隊じゃかなわないくらいスレにスレて。



目の下にくまがあったりして、本当に凄みがある。



あんな少年が大きくなったらおっかない。



とか思いつつ日本料理やについた。



なかはいきなり「日本」を前面に押し出した空間。

アサヒビールも飲める。



たまには豪勢にと寿司を頼んで待つことしばし。



「どうぞ~」

とほんわかした日本語の女の子がきた。



顔に白絵の具で絵を描いたような、「タナカ」を塗ってるので、ビルマ人とすぐわかる。



食前にビールをやってほろ酔いだったボクは、その子にからんだ。



「名前なんてーの」



「ミャーミュートゥエ」



「え? ミューミャー? ミャーミュー?」



「ははは。

ミャーミュートゥエ」



どうやら名字はない。

アウンサン・スーチーとかいうのは特別で、普通は名前しかないと。他にも”アエアエミャット”とか、名前が可愛いビルマ人だ。



ミャーミューさんは浴衣を着ていて、なかなか愛嬌があった。



日本の回転寿司で、17年働いたビルマ人が、国に帰って寿司やをはじめたりする。



その店の寿司もおいしかった。



食った食ったとヤンゴンの危ない夜道を帰っていると、路上でトラブルが起きていた。



インド人の物売りのおばちゃんが、ものすごい剣幕で怒鳴り散らしている。



周りの人たちは、こわごわと事の成り行きを見守っている。



おばちゃんと言い合いをしている男たち。何が発端かは分からないが、一触即発の雰囲気。



どうなるんだろう、と見ていると、男の一人がいきなり、どこから出したのか、警察の使う手錠を振り上げ、おばちゃんの手にかけようとした。



おばちゃんは「ざけんじゃねー!」と振り払う。



おそらく男は、政府から密告者を取り締まる役目をもらっているのだろう。だから威張り散らし、市民をいきなり逮捕してもいい身分なのだ。



そのときはおばちゃんの剣幕の方が勝った。



男は舌打ちして立ち去った。



路上で商売するだけでも命がけ。



ヤンゴンで暮らすのは本当にたいへんだ。



日本に生まれてよかったな、と思いつつホテルに帰った。



(つづく)

カンボジアのプノンペンにいる木村センセイ。



予定どおりホテルに泊まったようです。



しかし向こうから連絡がないので、どうしたのかな、

とこちらからかけてみました。



すると、一回だけつながりました。



ホテルの受付が英語が話せない。



その上要領がめちゃめちゃ悪い。



センセイ「こっちから電話つながらないんだよ」


プーーーー



これだけ。とりあえず無事ということは、分かった。



アジアでありがちパターン、「アホの兄ちゃんにほん弄される」という状況におちいっているようだ。



昔、僕も泊まったホテル。



だからだいたい、何があるかは分かっている。



入り口のところに国際電話がかけられる、電話機がある。それを使うには、国際電話カードを買わなくてはならない。



そして使い方にも微妙にコツがあり、分かる人でないと、分からない。



ここで気のきいたカンボジア人がいれば、カードも受付で売ってくれるし、かけ方も教えてくれる。



だ~がしかし受付が「おアホさん」な場合、何もかもはむずかしくなる。



まずこっちが国際電話をかけたい、という意思すら通じない。



さっきも、もう一度電話をかけてみた。



アホの受付兄ちゃんが出た。

朝かけた時は、ちょうど英語のできる、普通のお姉さんがいた。

それでセンセイの部屋までつなげてくれた。



しかしアホの兄ちゃんは・・・



僕がいくらテンザン・キムラにつなげてくれ、と言っても。



「あー、わたし、キムラ、ではない、

英語話せない。

あなたの国に%&$’(”」



意味不明。



はじめっからこっちの言いたいことが伝わってない。

頼むから、英語のできる姉ちゃんと代わってくれ!

といくら英語でいっても、向こうは英語がわからんのでムダ。



あーじりじりする。



センセイも、本当は公衆電話を使って日本にかけられるのに、アホの兄ちゃんが全てを混乱させ、「かけられない」となってるんであろう。



アホの兄ちゃんは、すぐ「アイドンノー」という。だからセンセイがいくら「電話を」と言っても、知らん分からん、と言ってるんであろう。



は~。

疲れる。

早くカンボジアから出てタイに帰って欲しい。

そうしたら全ての問題が解決なのに。



ホテルのオーナーも、いくらなんでも、そんなアホの兄ちゃんに受付さすなよ。



頼むよ~~(半泣き)

スパイか? 

とびびるような6ヶ国語ペラペラのホテルマン。

とつぜんの秀才の出現にあたふた。



ビルマのヤンゴンの安ホテルの食堂。



そこでホテルマンはおどろくべきことを言い出した。



「これは、日本大使館から1年は伏せるように、と言われたんですけどね・・・」



2007年の民主化デモのとき、

政府軍の水平射撃により撃たれたジャーナリストの

長井さん。



その長井さんが最期に泊まったのが、なんとこのホテルだという。



長井さんが銃撃を受けた交差点も教えてくれた。



本当に目と鼻の先だった。



「うーん、慰霊しなければ」

とセンセイ。



偶然といえば偶然。

でも、これまでのヤンゴンでのごたごた、

その他の経緯を経て、このホテルへ来たのは、

何やら感じるものがあった。



というわけできゅうきょ、2007年の民主化デモで

流血さわぎのあった現場で慰霊することに。



それでもホテルマンは言う。



「あんまり目立つことしない方がいいですよ。

この間も日本の遺族の方が、長井さんの撃たれたところで

お花を供えてお経をあげようとしたんです。


そうしたら警察が来て、取調べを受けていました」



つまり反政府デモの記憶の薄れない、今は、

ヤンゴンの住民に少しでもそのことを思い出す

きっかけを与えたくないようだ、政府側は。



何がきっかけで、また大規模なデモ、暴動につながる

か分からなかった。



本当にそういう緊張感がヤンゴンにはあった。



そのイライラをさらにあおるのが、停電。



もう2時間に1回くらい、

ガコン!

といや~な音とともに電気が止まる。



ホント気が滅入った。



部屋でエアコンつけてても、

ガコン!



とたんに蒸し暑くて部屋にいられなくなる。



ホットシャワー浴びてても

ガコン!



お湯が水になる~



・・・・・・。



ヤンゴンの住民は、よくこれで平気だなあ、と思った。

多分平気じゃないだろうなあ。すごく不便だと思う。



それで、次の日に、反政府デモ隊と治安部隊の衝突の

あった交差点で、誰にも気づかれないように、さっと

慰霊することに。



花も供えない。

ただ御幣(お祓いの棒)をもって、清め払いするだけ。



もっとも単純なやり方の、テラの会の慰霊法が、

ここでは役にたった。



そのあたりの木の枝を一本もらって、それに紙切れ

(いや、御幣)をまきつけるだけ。



次の日の予定は決定。



夜になり、近くの日本料理屋へ行ってみることにした。



(つづく)



プノンペン!

むやみにハイテンションにいってみよう、

プノン! ペン!



・・・テンション下がった。



センセイが日本をたってから早3日。

今日は予定どおりカンボジアへ、旅立ちました。



空港から電話。



「今日混んでるよ」



つまり、飛行機の後ろで寝れないということ。

それは疲れる。



きっと今頃、ホテルで爆睡してるでしょう。



あさってくらいに、孤児院を訪れる予定です。






インド人と激突し、ホテルから脱出した

テラの会。



なんかこう言うとスパイでもやってる

みたいだ。



それがわりと冗談でもなく、ミャンマーには

スパイがうようよいるみたい。



それが普通の人にまぎれてるから、まず

分からない。



まあスパイが身元がばれてたらスパイじゃ

ないか。



「私スパイやってます」



と名詞の肩書きに「スパイ」とか書いてる

やつはきっと大ぼら吹きだ。



それはいいとしてインド人のホテルから

出た私たちは、別のホテルに向かった。



こんどのホテルは、昼食がタダ。



エレベーターなしの4階に部屋をとり、すぐ

下の食堂に向かった。



フライドライスを頼み、待つことしばし。



フランス人みたいな西洋人の夫婦がすぐ

となりで食べている。



旅行カウンターのデスクみたいなのが

あって、そこにビルマ人のビジネスマン

みたいなのが座っている。



フランス人っぽい夫婦と、フランス語っぽい

言葉でペラペラしゃべっている。



もち内容わからんチン。



あのビルマ人フランス語しゃべれるんだ、

すごいな~とか思いつつ、センセイと

さっきのホテルの悪態をさんざんついた。



「あ~もうあそこは汚いしホットシャワー

出ないし最悪!」



「あのインドの野郎、人のことバカに

してるよねー」



するといきなり日本語がとんできた!



「失礼ですが、どこのホテルのことですか?」



うぉ!

さっきのフランス語しゃべってたミャンマー人が

こんどは日本語しゃべってる!



きゅうにしおらしくなる我々。



「あ、Wハウスっていうホテルっす・・・」



ビジネスマンふうのビルマ人は話好きだった。



いったい何ヶ国語しゃべれるのか、きいてみた。



「えーと、多分6ヶ国語か7ヶ国ぐらいです」



さらりと言う。

すげー。

日本語のレベルも相当なもので、「てにをは」

もちゃんとしている。



ふつう日本語うろ覚えの東南アジア人だと、

うまく説明がむずかしいけど、例えば;



「ワタシ日本行ったからー 

日本語ちょっとね、話せる

恋人いただからー」



みたいな感じになる。

東南アジアの言語にはあんまり

「てにをは」がないので、使いづらいみたい。



それでもこのビルマ人は違った。



ていねいできちんとした日本語。



日本で働いてたんですか、ときくと、

品川でホテルマンをしていたという。



ヨーロッパでも働いた経験があり、

そういった経験を活かし、ヤンゴンでホテル業

をやりたいという。



こういう、もう経済成長のゴーサイン

出たら、がんがんビジネス起業するような

秀才がビルマにはごまんといる。



それなのに今までは「外国の影響が入って

来るのはビルマの自立性をさまたげる」とか、

「資本主義、自由主義は国を堕落させる」

みたいなことを言っては、国民にチャンスを

与えてこなかった、軍事政権。



もったいないお化けが出るぞー。



今ビルマが経済自由化にふみ切った。

一気に成長するはずだ。

タイとか、ケツまくられる。

もうちょっとヒヤヒヤした方がいいと思う、タイ人は。



その話好きのホテルマンに(ちなみにオーナーは

その人のお姉さん)、昨年のサイクロンのときの

話をきいた。



このホテルの周りも相当ひどかった。



どこからかビルの看板がふっとんできて、

ガラスに激突してやばかった。



ホテルのビル自体がぐらぐら揺れて、

へたしたら倒壊するかもしれなかった。



それでも外にも出られず、ホテルに泊まってる

人みんなで一階に集まって、悪夢のような

一夜を過ごしたという。



そんな話をきくうちに、びっくりするような

話まで出てきた。



(つづく)