や~っと、ゆるいお話しが、できますっ



ハノイの夜は、もちろんベトナム料理で決まり!

というわけで、ホテルのななめ向かいの店にゴー。



そのお店は、1階でめん類を売ってて、

2階でごはんが食べられます。



メニューにも英語がついてて、わかりやすくて。



おなかが減ってたから、ついたくさん頼んじゃった。

やっぱりベトナムといったら、生春巻きでしょう。



生春巻きというのは、なかにパクチー、イタリア料理では

バジルというけど、それがふんだんに入ってる。



その野菜とひき肉のつめものを、やわらかいギョウザの

皮みたいなもので、くるんである。



それを少し濃い目のおしょうゆだれで、食べます。

うーん、おいしい!

日本で食べるベトナム料理とはちがって、

本場の味です。



日本人の味つけに変えてないから、ほんとうに

ベトナムッって感じ。



それに、焼き豚チャーハンも頼みます。

ベトナムは中華料理のエッセンスもあるので、いため

ものはとってもおいしい。



それから、揚げシューマイみたいなのも、食べたかな。

それもおいしかったなー。



何よりうれしいのは、どれだけお腹い~っぱい食べても

お財布にやさしいことです。



2人でたくさん食べて、600円くらいだった。

まわりを見ていると、ベトナム人の家族づれも、けっこう

来てました。



地元でも有名な安くておいしい店、なんだね。



あとベトナムで外せないのは、フォー。

これは、きしめんみたいなひらべったい麺の、

もっとやわらかくなったようなスープ。



食欲がないようなときでも、するするっと入りますノ。

おつゆは透明で、クセのない味。

日本人の舌にもあいます。



ベトナムは、お米の文化の国。だから、日本ともいろいろ

似てるところがある。



おなかいっぱい食べて、お支払いを済ませました。

外に出ると、食堂のとなりに、なにかお堂のような

ところがあって、お線香がもわもわ。



何だろう、となって、なかに入ってみました。



(つづくさつづく)




木村天山ホームページに、ミニブログを付け足してみました☆



そうしてセンセイに、何かつぶやいて、と頼みました。



するともうつぶやくことがニアデス。



「みんな何書いてるの 意味不明 死んだ方がまし」


とか


「こんなのが日本人なんだ」


とか。



やっぱりセンセイにツィッターみたいなミニブログは

似合わなかったかー。



はじめて6時間で閉鎖の危機です。





ベトナムの首都、ハノイのロンビエン橋付近で、

衣服支援をした私たち。


みんなによろこばれ、うきうきと帰りのタクシーをひろった。




のびのびボランティア紀行




これはタクシー運転手のお父さんが、息子をのせて

お仕事中という、貴重な写真。




たぶんお母さんに、子守をまかされたのでしょう。

たまたま一つだけ、ミニカーが余っていたので、渡した。

その場にお父さんもいたので、男の子も、安心して

受け取った。




とても嬉しそうに、しげしげとミニカーを眺めてた・・・

ハノイの人も、ほんとうは、珍しいものが好きなのかも。

このミニカーは、日本のプラモデルメーカーに働く方が、

展示会につかったものを、寄付してくれたもの。




いっかい開けているので、売り物にはならない。

それでも、捨てるに捨てられず、工場の脇に山づみに

なっていたとか。



ベトナムで売られているおもちゃは、おせじにもつくりが

いいとは言えません。




だから、日本製の、しっかりしたミニカーは、現地の男の子

たちの心をバッチリつかむ。



日本の製品って、とても信用があるし、人気がある。

そのことは、もっと日本の人に、知られていいと思う。



おもちゃにも、安全基準がもうけられている国なんて、

アジアの中では、日本と韓国くらいじゃないかなー。



東南アジアでは、子どものおもちゃはてきとうな扱いを

受けているのか、安全性なんて、はじめから考えられて

ないようなものが、へいきで出まわってる。



ちょっと横道にそれたけれど、ハノイのお話しはまだまだ

つづきます。




ホテルにもどり、しばらく休むとお腹がへってきた。

ホテルのななめ向かいにある、ベトナム料理屋へ行くことに。



(コンテニュー)




ロンビエン橋のふもと、長屋式住居にお邪魔。

楽しい支援になった♪




のびのびボランティア紀行



写真ではわかりづらいけど、ここはけっこう、たいへんな環境で・・・



すぐ脇に下水道があるので、汚水が流れっぱなし。

においはさすがにキツい。

この日もとっても蒸し暑かった。



中はもちろんクーラーなんてない。

電気は来ているので、扇風機があるだけ。

窓もあったり、無かったり。



でも、みんな仲良く暮らしてた。

みんなが親戚で、家族みたいなものなんだ。




のびのびボランティア紀行



子だくさん。ビッグダディもまっさお。

お母さんも若くて、若くて。

お父さんの姿がなかったのは、きっと働いていて、いなかったのでしょう。




のびのびボランティア紀行



子どもは多いのに、お年寄りは少ない。

このおばあちゃん、たった一人きり。

何だか日本と、正反対かも。






のびのびボランティア紀行



おばあちゃんは、このあたりでとても尊敬されていた。

子どもから大人まで、みんなおばあちゃんを大切にする。

さいごに、みんなを代表して、とっても丁寧に、お礼をいってくれた。



ハノイでの支援は、むずかしいかなーと思っていたけど、

場所さえ見つければ、もらってくれる人はたくさんいた!



ほんとうに衣服を持って来てよかった。

みんなに喜んでもらえたし、ふつうは入れないようなところまで、入ることができた。



ハノイに遊びに行く日本のみんなは、ロンビエン橋近くを通ったら、あのへんにこんな人たちが、住んでいるんだな~と、ちょっと思い出してくれたらいいな。



(つづくって)






写真右下の方に、子供たちの姿が見えますか?




のびのびボランティア紀行
                                                             




センセイの目はキビシ~な。

何かにらまれてる感じする。

それをぐっとガマンして、右下を見て下さいな。



小さく子供たちが見えるでしょう。

その子たちに会いにいったんだ。




のびのびボランティア紀行



長屋式住居の中は、こんな感じだった。

一階建てで、ずーっと奥までつづいてる。

ここもやっぱり、猫的な洞くつみたいな住居だった。




のびのびボランティア紀行



写真だとしずかだけど、みんな大興奮!

どんどん人が出てきて、服やぬいぐるみを「わたしも! わたしも!」と欲しがった。



あれ? ハノイの街中とずいぶん違うぞ。

思うに、このあたりは、昔からハノイにいたわけじゃない、地方出身者の、簡易住居。



だからハノイの市内に住む人とは、生活状況が違うんだ。

つまり、よりたいへんだってこと。



だから子ども服も、ミニカーも、ぬいぐるみも、大うけ。

こんなに喜んでもらえると、こちらもハッピー。



のびのびボランティア紀行





大にぎわいの支援になりました!

もう少し写真あるから、また明日紹介するね~!




(ゆるくつづく)


平成21年の6月に、ハノイへ活動に出かけたテラの会。

見間違えないで下さい、”ハワイ”じゃなくて”ハノイ”。

ベトナムという、日本から飛行機で6時間くらいの、

たて長の国の首都だから。



ずっとまえ、ベトナムの21才の女の子に、



「ベトナムの国ってどんな形ですか?」



といって、絵をかいてもらった。

するとその子は、うーん、と悩み、

なんかキュウリみたいな絵をかいた。



それを見ていた19才の子が「何これ~」

と吹き出してた。



そんなハノイ。

そんなって言われてもねー。



朝、歩きながらミニカーやぬいぐるみを配ろうとして、まったく相手にされなかった。



どうしようかな、とホテルでいろいろ考えて、とりあえず慰霊に行こう、ということになった。



慰霊ってなんだろ?



よそのおうちに行ったとき、ときどき、仏壇にお線香あげたりするよね。



基本的にはそれとおんなじ。



つまり、相手を大切に思ってることを、表すひとつのやり方。

ベトナムという素晴らしい国を、つくってきたご先祖さまに、ごあいさつです。



とくにハノイは、さいきんまで戦争をやっていて。

たくさん、たくさん人が亡くなっているの。

その中でも、いちばん激しい戦いのあったひとつが、

ロンビエン橋っていう、大きな橋。



ロンビエン橋は、ホン河という、隅田川よりもう少し大きい

くらいの河にかかってる。



その橋は、田舎とハノイを結んでるんだ。

だから、戦時中、何回も敵にねらわれた。

ハノイは、北ベトナム軍の本拠地だったから、そこにお米とか、弾丸とか、武器なんかを運ぶのに、その橋を使ってたんだ。



敵にとっては、なんとしても落としたい橋だった。

そこを壊せば、ハノイに物が入ってこなくなる。

そうするとハノイの人たちは、お腹が減ったり、弾が無くなったりして、戦争できなくなる。



そのころの敵はアメリカ軍だった。

とっても大きな飛行機で、高いところから1トン爆弾をたくさん落としたんだ。



それで何回も落ちたロンビエン橋だったけど、ハノイの人たちは勇敢だった。爆弾の雨あられを、かいくぐり、何回もつくり直したんだ。



そして最後までロンビエン橋をまもり通した。

そんな大事な橋だから、テラの会で慰霊するには、ぴったりだった。



タクシーで橋まで行くと、あとは歩き。

橋は真ん中が線路で、その両隣が、車、バイク、自転車が通る道路になっていた。



その道路がとても細くて。

高さは10メートル以上ある。

歩道もいちおうついてるけど、ところどころ穴が開いてたりして、下の川がもろ見え。



怖いったらない。

茶色の川がうずをまきながらゆっくり流れてるのが、ありありと分かる。



それにすぐとなりを、バイクやトラックがびゅんびゅん通りすぎる。



その橋の上を、自転車で女の人が走っていく。

これが、信じられないくらいたくさんのペットボトルをのせていくんだ。

それこそ、その女の人の身体のゆうに10倍くらいはありそうな荷物を、自転車の後ろにくくりつけていく。



こけたら川にぼっちゃん。

多分助からない。



そこで慰霊しました。




のびのびボランティア紀行
エラく怖い橋の上で慰霊




無事に慰霊を終えて、帰ろうとすると、橋の下の方で、座り込んでる人がいた。



上半身裸で、何してるのかなーと思ってのぞくと、何か注射器を腕にさしてる・・・



病院でもないのに、どうしてそんな草むらで?

よく分からないことが、世の中にはあるものだね。



それで、向こうの方を見ると、コンクリートでできた、平屋だての長屋地帯みたいなのがあった。



生鮮食品の市場で働く人たちのための、簡易住居だった。



そこで、中が暑いからか、子供たちが外に出て立ってた。

こっちから手をふると、みんなわらって手を振り返してくれる。

ちょうどそのとき、子供服や、赤ちゃんのおむつなどを、持ってきていた。



それをふりまわして、これを持ってくよー、と言うと、

待ってるよーみたいなことを言われた。



よし!

橋から下りて、その長屋地帯に行くことに決めた。




(つづくので)


ハノイ市街のみなさんに、日本からのおみやげを渡そうとし、すげなく断られた。かなりショゲてホテルへもどった。



朝のハノイ市の散歩は、仰天の連続。

細い道のなかに入ると、そこは別世界。

うねうねと、自転車くらいしか入れない道が、ずーっと奥まで

つづく。



まっすぐじゃなくて、ところどころ「うにょ」と曲がってる。



何のために?

その「うにょ」となったところに、さりげなく柳の木が

植わってたりする。



誰のか分からないバケツがあったり。



果たしてどこからどこまでが、Aさんの家で、

どのあたりからBさんの家なのか、まるで分からない。

ふつうに石垣をくぐり抜けようとしたら、ひとん家だったり。



うーん、ハノイの人たちは、みんな猫系なんでは・・・?

たぶん、猫にとって住みやすい街づくりをしたら、こういう

ふうになると思う。



その洞穴みたいな下町が、えんえんと、途切れなく

どこまでもつづいている。



迷いそうになりながら、歩いていると、しぜんに、

ほんとにす~っと納骨堂に入ってた。

これは、びっくらこいた。



壁全体が、墓石みたいなので、しきつめられてる。

ぎんぎらの電飾つきの、仏像があり。

とりあえず、お参り。



それにしても人の家と納骨堂が、向こう三軒両どなりに

あるなんて・・・



ある意味とても便利だけど。

お葬式も何もかも、家から出て30秒で済ませられる。

楽ちんだよね~。



ちなみにうんちくいいますと、この猫的な生活というか、

省スペースな暮らしが、北ベトナムの人たちを、戦争の

勝利にみちびいたみたい。



ベトナムは、むかし北と南に分かれて、戦争をしていたのだけど、南の人たちは、けっこうのんきで、まさか首都のサイゴンまでは、北のひとらは攻めてこないでしょう、と思ってたらしい。



でもいつか来るかも、と内心ヒヤヒヤしながら、普通の暮らしをしていたとか。



それがある日・・・

サイゴンの街を望む丘に、ぽっかりと穴があいた。

そこからミサイルがボンボン出てきた。



あれよあれよという間にサイゴンは、北ベトナムの兵隊さんによって占領されたそうです。



2年ほど前から、北の人たちは、細ーくて、長ーい、洞窟を、ちょっとずつ掘っていたらしい。



本当に誰もその洞窟に気づかなかった。



その勝利のほら穴と、ハノイの人の暮らしぶりは、まさしく

ピッタリ。



その後に行った、橋の下のコンクリートの集落も、そんな

猫的な空間でした。



(つづく、ふわっと)




(1話目のまとめ)

テラの会の活動のため、ベトナムのハノイに来た。

飛行機でタイ人のCAにいやされ、やっとホテルにつく。



とってもからだの大きなお兄さん。

背はそんなでもないんだけど、二の腕とか、肩とか、ボディビルダーみたい。



その人は、受け付けだった。



デスクをはさんで、ホテル代を払う。

むずむずと何かいいたそうな、お兄さん。

私たちが立ちかけると、



「ハノイ観光ツアーはどうですか?」

だって。



センセイは



「私たちは活動に来ましたので、観光はいいです」

といって断る。



観光ももちろん楽しいけれど、慰霊や衣服支援は、とても体力を使うんだ。



だから、なかなか観光までは、できない。



ハノイの近くには、いろんな観光名所があるので、旅に行った人はぜひ足を伸ばしてみて下さい。



ハノイはとっても暑い。

ただ座ってるだけでも汗がたらり。

筋肉マンのお兄さんは、もうTシャツも着ていられなくて、上半身はだか。



部屋は二階で、アンティークのつくりつけが素敵な、いい部屋。



清潔なシーツにくるまって、つぎの朝まで夢心地。



あさ、6時半に目がさめた。

よーし、散歩がてら、ハノイのみなさんに、おみやげを配って歩くぞ!



荷物の中から、新品のミニカーを取り出し、バッグにつめて、レッツゴー。



ハノイの皆さんは、とても健康志向で、公園に集まって体操してる。



お年が上の女性たちは、扇子をもって太極拳。

若い男の人たちは、ダンベルもって筋トレに余念がありません。

腹筋したり、走りまわったり。



それがもう、並みの気合じゃないのです。



腹筋はものすごい高速。こめかみに青筋が立ってそう。

走りこみも速い速い。

健康増進という域をこえて、ほとんど、「開戦準備」みたいだなあ、と頼もしく眺めた。



さてそんな人たちでいっぱいの公園をはなれ

下町にいってみた。



子供たちが家の前でものを売ってる。学校に行く前に、ひともうけするのかな。リアル、お店やさんごっこ。あ、ごっこじゃないか。



その小さな男の子に、センセイがミニカーを渡そうとした。

すると、首をふって、いらない、だって。

あれ、と思って近くの女の子にぬいぐるみを渡そうとしても

やっぱり受け取らない。



こういうのは、はじめて。



子供ならミニカーやぬいぐるみには、とびつくのが普通だったのに。



もしかして上から目線の、イヤな外国人になってないかな、と心配になってきた。



渡したものを受けてくれないのは、渡そうとしたものを横から盗まれるより、心がいたみます。



ハノイの人のプライドを傷つけてしまったかな・・・



けっこう落ち込みました。

それでも、親御さんといっしょの子供なら、親御さんが「いい」といえば、受け取る。



つまり、親の言いつけをよくきく、しつけの厳しい子たちみたい。



立派なことだなあと、思った。

おもちゃもぬいぐるみも、バッグの中身はほとんど減らなかったけど、途中で喫茶店によって、ちょっとお休み。



喫茶店といっても、プラスチックのいすと、低いテーブルがあるだけの、簡単な店のつくり。



そこで給仕をしている女の子たちは、みんな高校生ぐらい。

すごくきびきびしていて、注文が来たら、すぐ動く。

私たちは、ベトナム式コーヒーを頼んだ。



一杯30円もしなかったんじゃないかなあ。



ガラスのコップの上に、アルミ製の抽出器をのせて、ぽたりぽたりと一滴ずつコーヒーの落ちるのを、じっと待つ。



その待つあいだが、せわしないハノイ市民の、心の余裕になっているよう。



一生懸命働くけれど、コーヒーの落ちるあいだくらいは、仕方ない、ちょっと休もうか、みたいな。



落ちきったコーヒーはとっても濃ゆい。

アメリカンが好きなセンセイは、お湯をもらって、割って飲んでる。



ぼくはコンデンス・ミルクをいれて、純ベトナム式に挑戦。

やっぱりとてもおいしかった。

ベトナムのコーヒーは、カンボジアにも輸出されていたり。



日本にも、なんと六本木交差点に、ベトナムでいちばん売れているコーヒーチェーン店が、出店してた。

今もあるのかな。



そこで女の子たちに、ベトナム語でありがとう、を教わったけれど、何回発音しても、通じなかった。

「カームオン」みたいな感じだけど、「オ」に「エ」が混じってる感じで、とってもムズイ!



あきらめて終了。

ハノイの皆さんはなかなか、一筋縄ではいかないね、と2人で話しあい、次なる作戦を練るために、ホテルへもどった。



(ゆる~くつづく)


毒舌を封印してるので、どーんといいたいことが

あっても、ほんわかいきます(‐^▽^‐)



いま事務所のマンションは、改装中。

外のタイルとかが、きれいきれいに、なるんだって。

でも、住んでる人にとっては、べつにどうでもいいんだ。



そんな、とつぜんふって湧いた、計画のため、

ベランダのものを片付けて下さい、て頼まれたの。



ボクの事務所のベランダには、軽トラックいっぱい分

くらいの、大量の衣服、文房具、などなどが積まれて

いるんだ。



それは、ひとりではさばき切れない量なの。



それをね、いままで3回にわたって、ムリクリ

移動させたんだ。



一回うごかすので、ほんとうに、夜から朝まで6時間

以上かかるんだ。



マンションの人たちに気づかって、じゃまにならない

ように移動するのはだいたい夜。



それを、いままでもう3回やったの。



で、それは、部屋から部屋への移動だったから、

まだ何とかやれたんだ。



それが、今回とうとう、ベランダに作業が入るって

いうことで、さ。



ぜーんぶ、5階下の、仮置き場に移す、っていうこと

になったの!



センセイに「やって」と頼まれたので、やってみたけど、

ほんわか風に言いたいのは、やまやまだけど、



はっきし言って



ナチの強制労働



これが、善意のしわよせ、なのね。

たまりたまった、好意、善意。



それが、さばき切れなくなって、とってもすごい負担に

なってる。



悪意じゃないから、どうしようもないじゃない?



だから、もうこれ以上は、フィギュアの浅田選手に

「5回転とんで」

っていってるみたいなものなの。



でなっかたら、横浜DeNAの、中畑監督に、

「今年横浜を優勝させなかったら、球界から追放する」

っていってるみたいなもの。



ぜったい、ぜったいに、受付はムリ~~~~

ウフフドキドキ



それなのに、まだお電話を、いただくのね。


「中古の衣服を、寄付したいんですけど・・・」


との、お問い合わせ。この状況を見ていたら、

もう180パーセント無理なので、もちろん、ていねいに

お断りするだろう、とセンセイの口もとを見ているとさ。



とっても元気よく、



「はい、基本的に、何でも受け付けてます!」



どどどどどどどどどどどどどどどどどど


どア・・・・・・インシュタイン。





・・・ふ~、

ちょっと取り乱しそうになっちゃった。



ゆるゆる、ほんわか、脱力、だもんね!

テヘッ



そうゆう感じで、衣服支援、物資支援は、まず

どこにおくか、誰が整理するか、どうやって移動させるのか

がとってもむずかしい、解決不能のモンダイなのさぁ。



だから、日本では、もうだ~れもやってない。



やめてってる。仕方ないよなー、と

リアルに、ほんわかわかと、思う

ぽかぽか春の夕でした!






どうしてハノイに行くことになったのかな。

いま思い出してます。

う~ん・・・



忘れた!



くわしいことは、センセイのブログにゆずりましょ!


木村天山旅日記「悲しみを飲み込んだハノイ」



のっけから肩に力はいってるよ。

ベトナム戦争で全滅した兵隊さんの

思い出からはじまる。



ひとがたくさん、あちらへ行きます。



センセイはこういうのを書いてるから、

肩がとってもこってる。



その硬さは超人ハルクなみ。



だからこっちは肩の力を抜いていきましょ~。



たぶんハノイに行く飛行機の中だったと思う。

コータが、ベトナムに行くんだから、ベトナム語を話さなきゃ!

ということでCAさんとお話ししてみた。



「シンチャオ!」



思いっきり「?」の顔をする、CAさん。

あれっと思い、名札を見ると、「パーン」だって。



もしかして・・・タイ人?

と思ってきいてみると、そうですって。



わー、タイ人なんだ。

コータはちょっぴりタイ語が話せるので、

とたんに嬉しくなった。



「サワディーカップ」


と合掌すると、CAのパーンさんはびっくりした。

タイ人のとても人なつっこい黄金のほほ笑みで、


「サワディーカー」


と返してくれた。ますます嬉しくなった。



それでCAさんをみんなつかまえて、ひとりひとりに、

サワディーカップとやってみたら、なんとみんなタイ人だった!



日本語を話してたCAさんたちだけど、タイ語で話すときは、

ほんわかタイ人にもどってくれた。



向こうも親しみを感じてくれたみたい。



横を歩くたびに、ほほ笑みかけてくれるようになった。

タイ語を勉強してよかったな、と思った。



とくにパーンさんと仲良くなり、タイ文字まで教えてもらった。



さいごにハノイで飛行機を降りるとき、名残り惜しくてうるうる。

CAさんたちも、そんな私に、ニコニコ手をふってくれた。



ハノイで入国てつづきをしていると、あらとなりにCAさんたち。



「今夜はハノイに泊まるんですか?」



「はい、今夜はここです」



けっきょく荷物を受け取るときまで、いっしょだった。

さいごに別れるとき、


「ヂューカンマイナ!」


また会おうねっていうと、みんなニッコリ。


「ええもちろん」


と4人で手をちぎれんばかりに振ってくれた。



ああもうハノイやめてバンコク行きたいな、と思った瞬間。

というのはハノイは6年前に一人で来たことがあって、

とってもシビアーッな街だと知っていたから。



着いたらもう夜。



センセイが予約してたホテルの車が、迎えに来てた。

海外個人旅行のはじめの難関、タクシー運ちゃんとやりあう、というのがなくって、とても楽ちん。



ハノイの空港から市街まではずーっと田んぼ。

だから明かりが少なくて、ときどきだけど道路にクギみたいのをまいて、ドロボウが来たりした時代もあったみたい。



「なに、ほんとに街に向かってるの?」



とセンセイは半信半疑。

それもそのはず、空港から離れれば、離れるほど暗くなる。

でも私はヘーキ。車に乗ってればそのうち着くと分かってた。



ハノイの細い路地に入って、ホテルの前で停車。

なかから戦車みたいなガタイのいいホテルマンが

あらわれた。



(つづく)