「空想の世界に憧れて」・・・・・・・オンライン小説連載中 -2ページ目

バリア(障壁)~28


「ごめんねえ、ほっちゃん。あれでも良いところあるから許してあげてね」

ママは散らかし放題になっているテーブル上の皿やグラスを要領良く片付けながら言った。

「あいつの事なら少しは理解しているつもりですから。それよりもママがそんな事に気遣わないで下さい」

あらかた片付けが終わった後、残った3人で祝勝会をやり直そうと香織が提案したので、私とママは快く了承した。 誰もが不味くなった酒のまま帰りたくないものよとママが言うと、2人とも頷いた。

入口から一番奥にある4人掛けのボックス席に残り物の料理や飲み物を配置し直してから、改めて乾杯をした。


私はどちらかと言えば大人数で賑やかにするよりこちらの方がくつろげるので、ビールが注がれたグラスをリズム良く口へ運べた。 彼女達もそれは同様だったようだ。


特に香織は少しピッチが早過ぎるのではないかと心配する程で、ママはレモンサワーを作る度に焼酎の分量を減らしていた。

そうするうちに香織はいち早くソファへ崩れ落ちる様に寝てしまった。



「2人帰ってきませんね」


私がそうママに訊くと、星矢を送ったらそのまま帰るということになっていたらしい。


「今日はとことん飲むか」


彼女は私に明日の予定を確認した後でそう言った。


今晩はレースの結果に気を良くした社長が特別休暇をくれたので、明日は休みになっていた。

多少の無理は利く。 そう考えた私は、珍しく飲み明かそうなどと誘う彼女に付き合うことにした。



「香織っていい娘でしょ」


「ええ、いつも笑顔に癒されているような気持ちにさせてくれる人ですね。 ママにそっくりですよ」


「そう? 人に見られていないところじゃ落ち込んでいたりすることがある子だから、良く見ててあげてね」


ママは焼酎割りの中に落とした梅干しをグラスの中で泳がせながら、自分の娘の寝顔を愛しそうに見つめながら話しかけてきた。 梅肉がひらひらとアルコールの中で回遊している。


「ママもそういうことあるんですか」


私は、以前気になっていたことに触れたくて、あえて訊いた。

そう、薬を届けてくれたあの夜のことだ。

泣き跡に見えたような横顔。 あの時本当はそのことに触れて欲しかったのではないか、そんな感じがしたのだ。


「それは当たり前よ、アタシだって人間ですもの」


彼女は深い意味にも取らずそう答えた。


「そうでしょうけど、訊きたかったのはそういう意味ではないんです」


「ほっちゃん、アタシ回りくどい言い方好きじゃないの」


私は煙草を軽く吸い込んで、吐き出すように言った。



「お見舞いに来てくれた夜、泣いていたんじゃないのかと思って」


私が発した言葉の後に見せた彼女の表情は多分初めて見たと思う。


「・・・気付いてたんだ」

「気のせいかなと触れなかったんですけど、今の言葉を聞いたらもしかしてと思って」

彼女はグラスの中の酒をすうっと飲み干すと、

「それじゃ、話したらアタシが聞くことにも答えると約束する?」

と言ってきたので、

「構いませんよ、だけどそれでは交換条件みたいで私的に嫌なので先に話しますよ」

と返した。

それでは、と彼女は前置きをした後にこう話し始めた。

「親として見る限り、香織はあなたのことが好きなように見えるの。けれどもあなたは決して気が進んでいないとも感じてる。 それは、もしかしたらあの時に聞いてしまった奈穂子と言う女性と関係あるのかなと。女の勘だけれどね」


女の勘ってやっぱり凄いですねと呟いた私は、少しだけ迷った後に、これは誰にも話さないでおこうと思っていたと彼女に前置きをしてからウイスキーをちびりちびり飲るように少しづつ言葉を彼女の前に置いていった。


ここから始まるなんて思いもせずに。






次回へ続く・・・





バリア(障壁)~27


「克哉君ってもしかしてすごい人?」


手に持ったビールジョッキの中で弾ける泡をぼうっと見つめていると、不意に香織から声を掛けられた。


「え・・なぜそう思うの」


「なぜって、すごかったじゃない。 レースで後ろの人たち全員あんな風に置いてきぼりにしちゃうなんて」


ああ、レースのことなのかと今更のように理解した。


私の目の前にはシャンパンにオレンジジュース、近所の寿司屋から届けられた特上の握りにフライドチキン。クリスマスパーティーを思わせるような品々がずらりと並んでいた。
自分の人生では一度も座った経験が無い上座に祭り上げられて皆が祝ってくれている。


しかし、心の中は満たされていなかった。それは何故なのか分からないと思っているつもりだったが、なぜか自覚しているような気もしていた。


レースが終わった後というのは、通常は星矢やその時その時に居合わせた知人達と共に、現地の飲み屋で祝勝会をあげるのが定番となっていたのだが今回は東京に戻ってから百合子ママの店に集まることになっていた。 店内は友人知人を合わせると15名程度が集まって各々のグラスを傾けている。


久しぶりだな、と思った。


店内は1ヶ月くらいでは何も変化が無いように感じられたが、良く見るとカウンターの棚には見覚えの無い名前の札が掛かった焼酎やウイスキーのボトルがかなり増えている。 メニューもビールに合うものからウイスキーや焼酎に適したものが増えていた。


そして、1ヶ月が経って私の隣には香織がいた。 私に今日の「初めてのレース観戦」の感想をしきりに話している。

彼女はサーキットにいた時のTシャツとジーパンといったラフな装いから一転して膝上までのデニムスカートに白のタイトシャツを着ていた。 翔子と瞳はカウンターから手渡される料理を各所へ運んでいる。


塚田社長は急な仕事が入ったとかで、この祝勝会の代金だけママに渡して行ってしまった。

そのせいか、星矢は帰る素振りはなく私の知人と談笑している。


「・・って克哉君聞いてる?」

彼女は、周りを見回していた私の視界を遮るようにして覗き込んできた。

頬がうっすらと赤みを帯びているのが、店の暖色の照明下からでも分かる。


「そんなにすごかったかな?」


「克哉は将来のレース界の期待を背負ってるんだ。 多分香織ちゃんが思っているよりずっと凄い奴になって、テレビでしか顔を観れなくなるから今のうちにたくさん話しておいたほうがいいよ」

二人の会話をを遮るようにして、酔いの回った星矢が割り込んできた。


「そんなことないよ、星矢だってあのポジションから6位まで追い込んできたなんて信じられないよ」


「あのくらいは当然だ。そもそもタイムは周りの奴等より良かったんだからな。 それよりもお前とベストタイムで1秒近くも離されている時点で次元が違うだろ、克哉様」


「たまたまだよ」


「たまたまだとしても、関係者や観客にはそう映らない。 お前のほうが年齢的に将来性あるし。 俺はいくら頑張ってもボンボンのお遊びくらいにしか見られないものだよ」


「年齢なんてそんなに関係ないって」


「だったら、お前には来年の話がどんどん舞い込んでいるのに俺にはなぜひとつも来る気配が無いんだ?」



おそらく、星矢にも分かっているんだと思う。

こんなくだらない話が無意味なのを。

私は今回の結果で来年は名門チームから参戦する話が約束された。

夢はどの人にも平等の様で、そうでない。



「星矢ちゃん飲みすぎよ、翔子送ってあげなさい」

百合子ママが折角の場が壊れてゆくのを見かねて口を開いた。


彼は翔子と瞳に抱え上げられるように店を出て行った。

それを合図とするかのように知人達も席を立ち始めた。





次回へ続く・・・・






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タイトル変えちゃいました

3


こんばんは、寺尾です。


最近、作品投稿が遅くてごめんなさい・・

ここ何週間はリアル最優先の方針で生活しています。

いや、正直、他のブロガーの方々の進み方を見ていると焦っていますが・・

身体のほうは(精神的にも)かなり調子が上がってきています。


この分ならいい感じで書けそうです。

息抜きに良い本も手に入りましたしね^^


そうそう、ブログのタイトル変えました!

『寺尾雅志の文藝作家を目指して』ではちょっと微妙だなとは最初から感じていて、良いタイトルを・・なんてここ一週間くらいあれこれ模索していたのですが、ようやくお気に入りの言葉が見つかりまして。


どうですか?

バリア(障壁) 第1章~3


今日は朝から雲ひとつ見当たらない日で、病み上がりの私にとっては肌に優しい日差しが部屋の窓から射していた。 窓はガタつきが酷くてムードは台無しだったが、なぜか今日の私には清々しく感じられた。

昨晩、百合子ママにもらった薬が効いたのか、身体の中にあった病魔はほぼ抜け出てくれたようで私は折角の休日なのだからと買い物に出たいが為に星矢を呼び出した。

しばらくすると外から聞き慣れた車のホーンが鳴った。星矢だ。
建て付けの悪い窓を無理やり開けて階下を覗くと、真っ赤なスポーツカーが商店街のド真ん中に停車している。 なんとも星矢らしい周囲を無視した停め方だ。
私は手招きをして星矢を呼んだ。

「おう、お早う。克哉から呼び出しなんて珍しいな。」

「なんだそれ?手土産か?」

星矢の手には可愛い薄ピンク色の紙袋が下げられていた。

「そんなわけないだろ、お前の部屋の前に置いてあったんだよ。 そら」

無造作に渡されて少しムッとしたがこれから車を出してもらうので堪えた。
袋の中身を確認しようとしたら星矢に急かされたので仕方なく後で見ることにして部屋を出た。


「まったく、会社から電話するなよ。 親父からだと思って朝からブルーになるところだったぞ」

「仕方ないじゃん、電話無いんだから。だから今日、それをしない為にも携帯電話買いに行くんだから」

そう、今日は携帯電話を買うために外出するのだ。
しかし、星矢と連絡を取るためではなく、香織とだが。


なんだかんだ言っている星矢だが、結構相手に気を遣ってくるタイプだ。 今日も「面白い雑貨が置いてある店がある」とか言い出して自由が丘までドライブしてくれた。
しかし、自由が丘のような洒落た街に行くより、日用雑貨が置いてある普通のホームセンターみたいな所に連れて行って欲しかったのだが、これも言葉を飲み込んだ。
星矢の連れて行ってくれた店は、出来れば彼女と巡りたいくらい洒落た店ばかりだった。
まあ、携帯電話代以外は奢ってくれるらしいので、私は助手席で大人しくしていた。

「今日突然呼び出しちゃって大丈夫だった? デートの予定中止してわざわざ友情感じて来てくれたとか?」

「俺は女いないから気にすんな」

「彼女いないん?たまに野暮用とか言って姿くらますじゃん」


「ああ、それセックスフレンド。俺、面倒臭い関係苦手だから」


私は、星矢が吐いた言葉の意味を理解できずにしばらく頭の中で反芻していた。
しかし、理解できない。いや、解ってはいるが解りたくないというのが本当か。
実際ドラマの中でしか体験できないと思っていた関係を持っている生き物が、こんなに近くにいるとは思っていなかった。 星矢は「まさか綺麗事言い出したりしないよな」と言いながら会話に相応しくない洒落た街並みをドライブし続けた。


そうか、そんな関係もありなのかも知れない。 意外に私みたいな女性不信的な人間にはそういった関係で女性に接した方がお互いに傷つくことなくいられるのかもしれない。 心の中で自分の中の様々な人格が1カ所に集まり議論している。私はその会議をまとめきれなくて傍観していた。




ただただ助手席に座っているだけになってしまった私を、星矢は全く気にするでもなく赤いスポーツカーを走らせている。


私は、ゆっくりスクロールする景色をぼうっと眺めていた。

今日店に行ったら早速香織に電話番号を訊きだそう。 ただそれだけを考えていた。

父親の運転するセダンに乗ってこの街に来たときは酷く無機質な景色に映った。

昼と夜の違いはあるものの今映っている同じ道路は、すこし綺麗に映りこんでいるように思えた。


夜、帰り道で通った環八は東京らしい数珠つなぎで、私達も例外なくこの行列に加わった。


私は少しずつ前に進むテールランプの光たちを眺めながら、『この光景を空から観たら天の川みたいで綺麗なんだろうか。その景色を香織と観たいな』 などと、昼間セックスフレンドの話なんかしていて「それもありなのかな」なんて納得しかけた大馬鹿者とは思えない程、いつもの自分に戻りつつあった。

香織に対する気持ちが膨らんでいた。

はやる気持ちを抑えつつ助手席に収まっていた。


「そういえば克哉、来月のレースのエントリーは済ませたのか? お前、ここ一週間レースの話全くしないな」

淡々と運転をしていた星矢が思い出したように話し出し、私はその内容にハッと我に返った。


「締切いつだっけ?」

私はおそるおそる訊いた。


「お前何言ってんだよ、明後日だぞ。エントリー用紙は取り寄せたか? なけりゃ間に合わないぞ」
「ない・・・どうしよう」
「お前大丈夫か?タイトル争いしてる奴が言ってる台詞じゃないぞ。しっかりしろよ、うちの会社はスポンサーでもあるんだからな」


そうだ、そのとおりだ。

私はプロのバイクレーサーになりたかったのだった。

その為に大学を辞めてまで東京に出てきた。親の反対も押し切る形になった。

将来が不透明になる方向付けを自分でしたのだ。 


自分の一番大切なものを差し置いて、恋なんて一時的なものにいくらか傾斜しかけていた?

いいや、そんなはずはない。自分は正気だ。今度ばかりは相手もきちんと観察している。

自問自答し、答えをいつもの心の引き出しにしまい込んだ。

携帯電話を買ったら最初にかけるのは香織だと決めていたが、結局最初にかけたのはレースの主催者だった。



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一ヶ月後。

筑波の空は、瑞色の絵の具をぶちまけたような陽気に恵まれて、今日の決勝レースは少しばかりの集客アップに繋がりそうな予感がした。
キレイなキャンバスに真っ白な雲がひとつ。その雲がレースクイーンの手に持つパラソルに見えて苦笑いした。


若干、東京よりも空気が美味いだろうか。 まあ、筑波は間違い無く私の故郷と匂いは近い。 レースウィークの前日にサーキット入りしたときは、思わずおもいきり空気を吸い込んだくらいだ。
そういえば、東京へ来たばかりの頃に感じた「ゴミの匂い」は最近分からなくなっていた。

筑波もそうだが、こういう大音量でノイズを生み出すサーキットという所はどこも片田舎だったり山の中にあったりする。筑波はその中でもまだルーラル地域ではあるが、平野部に位置するので都心からもアクセスは抜群に良い。
今日はここから筑波山が良く見えるので、私が出場する午後のレースも間違い無くドライコンディションで行われるだろう。


「お、無事レースにこぎ着けた克哉君おはよう」

荷物をまとめ宿泊する下妻のホテルの部屋から出ると、隣の部屋から同時に出てきた星矢が声を掛けてきた。 朝から嫌味を言うなよと軽く怒ってから一緒にホテルを出てサーキットに向かった。

「今日は仁井さんファミリーが応援に来るらしいぞ、良かったな克哉様」
「またそう嫌味を言うなよ。 2人を応援しに来るんだろ」

「ポールポジションとブービーで離れすぎてて百合子さんたち首が疲れるかもな。克哉、お前追いついても抜くなよ」
「そんなことしてたら2位以下の奴らに抜かれちゃうだろ。ムチャクチャ言うなよ」
「そのままゴールすれば見た目だけは俺がトップだから格好つくだろ」
「格好悪いだけだよ」

内心、星矢の心中は複雑だろうなと気にかけていた。本来なら中団からすこし上、7~8番くらいは狙えるタイムを練習走行では出していたのだから。 予選中にエンジンが上手く吹け上がらなくなり不本意なグリッドに甘んじる結果になってしまった。

「後方から追い上げるのはある意味レースで一番注目浴びるからさ、頑張れよ」

「言われなくてもそのつもりだ」

そんな会話をしているうちにサーキットの入口に着いた。
早めに到着したつもりだったが会場は出場予定のライダーと関係者で混み合っていた。



**************************************



ガソリンと溶けたタイヤの匂い。


私はこのサーキット特有の香りがこの上なく好きだ。

サーキット全体がこの甘美なフェロモンに覆い尽くされていて、走る者達を魅了している。

私なんか、可能であればこの敷地内に住みたいくらいだ。


メディカルチェックとライダーミーティングを終えて、私と星矢はマシンのチェックを始めていた。
他のライダー達と共にエンジンを吹かし込み、パドック内には一部の人間にしか理解できないミュージックが響き渡っていた。


「あ、いたいた! 克哉君!」


声のする方に振り返ると、折角の程良い緊張感を吹き飛ばしてしまう光景がそこにあって、私と星矢は吹き出してしまった。


そこにはカジュアルシャツにGパンといったラフな格好をした仁井ファミリーと塚田社長がいたのだが、皆、揃いもそろって御丁寧に首から下げているパドックパスがどこぞの日本人観光客がカメラを首から下げてキョロキョロしているように映って、何とも可笑しかったのだ。 瞳なんて本当に首からカメラをぶら下げている。


「何がおかしいの?感じわる~い」

翔子が唇を尖らせながら近寄ってきた。


「いや、よく迷わずにパドックまで来れたなって思って」

「適当にぶらぶらしてたら偶然入れたの。もうレース始まるの?」

百合子ママがパンフレットを見ながらキョロキョロしている。 この姿、本当に観光客のようだ。


「あと30分程でスタートだよ、スタートするときはピットの上からの方が見やすいから覚えておいて」

星矢が神経質そうにエンジンをチェックしながら言った。


「うちの社名、英語表記じゃ何の会社だか分からないな」

「漢字とカタカナのスポンサーロゴなんて格好悪いだろ、いいんだよこれで」

社長と星矢が二人のバイクのボディに張られた『TUKADA co.ltd』のステッカーを前に何やら言い合いをしている。 私はてっきり社長の了解を経て作ったロゴだと思い込んでいたのだが、どうやらそうではないようだ。 

しかし、内心私も星矢と同意見なので放っておいた。


「克哉君、最近お店に来ないね」

香織が後ろからそっと近寄ってきて耳元でそう言った。


「う・・ん、ちょっとレースに集中したかったから。 今回のレースで勝てばトップに立てるし、関係者がかなり観に来るらしくてちょっと正念場だから・・」


それは本当だった。 今日のレースは全日本選手権と併催しているのもあって、プロチームの関係者もたくさん来ている。 来年の選手権をうちのチームで走らないかと誘ってくれている首脳陣も来ているし、そのチームのメインスポンサーのお偉い方も私を観に来ていた。 

私は来年、プロになれるかなれないかの瀬戸際なのだ。 次は無い。

この世界、上り調子の時にステップアップするチャンスを逃したらもう次は無いのだ。


「ふうん、そうなんだ。 だから一ヶ月近くも来なかったの?」

香織は疑い深そうな眼差しを私に向けながらそう訊いてきた。

「うん、とにかく集中したくってさ・・」

「じゃ、このレースが終わったらまたいつもどおりに来る?」

「行くよ。 当たり前じゃん。 今日勝ったら祝勝会で使わせてもらおうかな」


私は、香織に背を向けた状態でバイクのボディに付いた微かな汚れを拭き取りながらそう答えた。


レースに集中したい。それは本当。 しかし、彼女たちの存在に囚われかけている自分は否定できない。


目の前に、一生に関わることと一時だけかもしれないこと。しかし、ふたつの大切なこと。


どちらを優先しなくてはいけないのかは明白なのに、つい一ヶ月前まで私は・・・

私は結局、レースへの願掛け半分と自分への戒め半分で、あれから一ヶ月間お店に通うことを自分に禁じたのだった。 しかし私は会話の最中に、こともあろうかサーキットのパドックは終日禁煙なのにも関わらず煙草に火をつけてしまっていた。


「そういえば、この前部屋まで来てくれてありがとう。 あれ、うまかったよ」

「何のこと? 克哉君のとこ私まだ行ったことないけど」


そう言うと香織はポケットから白い紙切れを出して私にそっと渡してきた。

さりげなく周囲を見渡してから見ると、そこには電話番号らしきものが書いてあった。


「今日応援してるから。 またあとでね」

彼女はそう言って私のバイクにそっと手を添えると、何事も無かったかのように家族の輪に戻った。

百合子ママや姉妹は他のバイクや機材に気をとられてこちらには気付いていない。

塚田社長と星矢はまだ何か言い合いをしている。


香織からもらった紙切れをもう一度そっと見ると、そこには「090-XXXX-XXXX 香織」と記されていた。


「携帯買ったんだ・・・」

私は数字の羅列を見つめながら呟いた。

一ヶ月前、彼女とお店の中だけではなく外でも連絡が取りたいという理由で、携帯電話を買った。


しかし、こう見えて私は結構おっちょこちょいなところがあって、肝心の彼女本人が携帯を持っているのか全く確認せずに購入してしまっていて、実際は宝の持ち腐れになっていた。 なぜなら彼女は持っていなかったのである。


もちろん、話がしたかったし逢いたかった。
しかし私は一体何のために東京に?
何のために大学を辞めてまで?


本当は彼女達にはレースにも来て欲しくなかったのだが、星矢のやつが私に黙って呼んだのだ。あいつはいつも私にだけ隠し事をするのだ。
なぜこうも言い切れるのかというと、携帯電話を買ったのは彼しか知らないはずなのだから。


ぼうっと考え事をしながらコースの方を見ると、ピットの隙間からレースの表彰式が見える。

私も今日のレースで表彰台の真ん中に上ってあんなふうにシャンパンを振りまくんだ、と想像した。

彼女の前でガッツポーズを見せるんだ、と。


不意に周りを見ると、私以外の出場者は皆ヘルメットやグローブを身に付け始めていた。

そろそろ時間のようなので、私も例外なく準備を始める。

ガソリンを継ぎ足し、ヘルメットを着ける。

ピット裏のパドックからマシンをコース上まで押して行かなければならない。

香織と瞳が一緒に押すのを手伝ってくれている。

星矢の方へ目を向けると、百合子ママと翔子がマシンを押しているが、星矢は押さずに後ろをついて歩いている。 いくら250ccは幾分軽いからといって女性にやらせるなんて何てやつだ。


コース上に到着すると、瞳がひっきりなしに私とマシンの写真を撮り始めている。

実のところ、写真は大の苦手でかなり照れるが、そんなことはお構い無しとばかりにパシパシとカメラに収めている。 

香織はずっと私の隣にいて、カメラに向かってピースサインをしている。

本当にこれからレースなのかと思いたくなるくらい自分の周囲は緊張感が無い。


そういえば、風邪をこじらせた時に部屋の前に紙袋を置いていったのは香織ではないと言っていたのを思い出した。 それでは誰が・・・しばし思案に暮れる。

レース直前にそんなことを悠長に考えている私が一番緊張感が無いのかもしれない、と気付いて苦笑した。


「ライダーはこちらに集合して!」


最後の注意事項を伝達する為に競技委員が出場者全員を呼び出している。


「そろそろだから、行ってくるね」

「頑張ってね」

「どちらかというと、気をつけてねの方が好きかな、俺は」

「うん、気をつけてね」

香織はそう言うと、瞳と共にピットの方に戻っていった。


さて、やるか。


ようやく気持ちの切り替えが出来てゆっくりとグローブをはめた。






続く・・・・





★バリア第一章~3、いかがでしたでしょうか?

物語がこの後動き始めます。続きが気になる方はクリックして元気つけてくんなはれ^^→人気blogランキングへ

エントリ修正のお知らせ


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皆さん、生きています。

寺尾雅志です・・・


最近、本業の仕事で疲れがたまっていたせいか全く筆が進まない状態に陥っています。

直近2本のエントリも正直全く納得いかず、先程「バリア~26」を書き直しました。

もしかしたら頭が冴えているときに、再度修正を加えるかもしれません。 どうしても自分が読んで気に入らないのです。


日曜日の仕事を終えたら休息が取れそうなので、リフレッシュしたいと思います。

そうすれば、脳ミソもスッキリとして気持ち良く書けると思いますので。

身体も頭も疲れていたら回転悪くなりますものね。


NACK5の「鬼玉」でも聴いて頭やわらかくするかな・・(笑)

この話分かるの関東の人限定かも・・