本日、法事にて、ご質問頂いたことです。
3つあります。
1.納骨をお寺さんを介さずに勝手に済ませてしまったけど、大丈夫か?
2.墓誌が増えましたが、新しいお墓の場合、墓誌はどうしたらいいですか?
3.墓じまいは多いですか?
です。
順にお答えします
1.私はあまりお勧めしません。理由は納骨はやはりお骨を納めるという儀式になりますので、お経をよんでいますので、何もなしで、ただ入れるとなると儀式ではなくなるので私はお勧めしません。私の場合はお墓で直接式の流れも説明して順番に行っていきますので、ただお骨を納めるだけなら確かに悪くはないのでしょうが、あまりお勧めする理由はないように感じます
2.墓誌は確かに大変増えましたが、増えた理由として、お墓の墓石は4面ありますよね。そのうちの3面をお名前を彫るために利用しているはずです。最大12お名前を彫れるはずですが、それ以降はどうする?となって、墓誌が登場しました。ある人は前の12人をリセットといえばよろしいか、新しい墓石にすることでなしにして、新しい人のみの名前にするという選択肢をとられた方もいらっしゃいます。それもありです。でも前の人も残していたい、となった場合、墓誌しか選択肢が残りません。ですから墓誌が増えているのです。ですから、新しいお墓にいきなり墓誌は多分ないと思います。
3.墓じまいは完全に地域性が出ています。嫌なことに、珍しいからとニュースや記事になって話題になったら、さも当たり前にしないといけないことのように解釈されてしまい、不要な墓じまいが増えた可能性すごく高いです。結果、次の世代になってまたお墓をたてられた人もいらっしゃいます。ですから、墓じまいは情報操作だと言わざるをえません。ですから、私の住む地域では今のところ墓じまいは0です。ですから情報に踊らされないようにしてほしい旨をお伝えしました。
という感じで、今日はご質問頂きました。
結構、私とうちの門徒さんとはこういう何気ない質問が多々あります。
それをすぐにお答えするようにしておりますので、たくさん毎日ご質問頂けてありがたい限りです。
知らないを放置することこそ害があると私は思っていまして、聞きにくいからと放置する話はよく耳にします
これはひとえに、お寺さんとの関係が悪い証拠だと私は思っています
こういう気軽に聞ける環境、関係性が求められていると思っています。
法務として、月参りがありますが、それのみをして、すぐに席をたつお寺さんもよく耳にします。
お茶をくみにいって戻ったらもういない、とか、聞きます。
結果、疎遠になっていくのですよね
私たち僧侶の仕事は昔も今も心の会話があってこそだと思います
気心しれない人とは質問なんて出ませんから、そういうところに力を注ぎたいと私は思うのです。
ということで、明日はどんな質問を頂けるか楽しみです
気が向くと1日に20回日記を更新しています。