1月の読書会『ペツェッティーノ』レポート② | 寺田真理子オフィシャルブログ

1月の読書会『ペツェッティーノ』レポート②

1月11日(木)に開催した読書会のレポートをお届けしています。1月の読書会からは、絵本を中心に、毎回読み切りの短い作品を読んでいくことになりました。作品は毎回変わりますが、テーマとしては何かしらケアに関わるものを取り上げていきます。

 

第1弾として取り上げたのは『ペツェッティーノ』(好学社)です。

 

 

1月の読書会『ペツェッティーノ』レポート①はこちらをご覧ください。

 

「周りが大きく見えるというのは、自分を必要以上に小さく感じているのではないか。役割の違いがあるのだと思う。ペツェッティーノは小さいからこそ、いろんなものに当てはめられる。柔軟性があって優しい、そういう役割だ。しゃべる人と聞く人がいるように、小さいからこそ気づいたり、果たせる役割があったりするのだと思う」

 

「ペツェッティーノは小さく描かれているが、もしかしたら実際には小さくないのかもしれない。本当は大きいのに自分を卑下して小さく感じていて、その自分の視点からの大きさを描いているのかもしれない」

 

「セルフイメージでは自分を卑下しがちだが、ペツェッティーノが粉々になった後に自分を拾い集めて、『たりない ぶぶんひんは ひとつも ない ことを たしかめる』という箇所に惹かれる。自分の嫌なところや困ったところをなんとかしようと思っていたが、これが私なんだと思うようになった。最後の場面で、『なんの ことか よく わからなかったけど ペツェッティーノが うれしそうだったから みんなも うれしかったのさ』という箇所が響く。交流すること、響き合う心がとても大事だ。ちょうど同じタイミングで、鈴木秀子さんの『人はいつか死ぬのだから』を読んでいた。最後には名誉や地位はなくなり、どれだけ愛を出したか、受け取ったかのみが残るという箇所に通じるものがある」

 

「『およぐやつ』や『かいこいやつ』など、秀でた存在がたくさん出てくるが、自分も完璧な存在だったと最後に気づけた。ペツェッティーノは、自分を卑下まではしていないけれども、不完全だと自分を認識していた。だが、ひねくれたりすることはなく、足りないものはないかと周囲に訊くことで、役に立てないかという気持ちがあった。『およぐやつ』や『かいこいやつ』などと同じだと気づけてよかったね、という気持ちになった。待っていた友だちも温かい目で見ていて、主人公がかわいい、愛しいと思った。ハッピーエンドのお話だ」

 

「『ぼくを探しに』と同じような話かと思ったら、逆だった。5歳の娘の感想は、『とんでるやつがかっこいい。面白かった』。11歳の娘は『くっついたら強くなるのに、どうしてくっつかないの?』だった」

 

レポート③につづく。

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