ペツェッティーノ―じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし
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1月11日(木)に開催した読書会のレポートです。1月の読書会からは、絵本を中心に、毎回読み切りの短い作品を読んでいくことになりました。作品は毎回変わりますが、テーマとしては何かしらケアに関わるものを取り上げていきます。
第1弾として取り上げたのは『ペツェッティーノ』(好学社)です。
事前に読まれた方も未読の方もいらっしゃいましたので、本書を一度読み上げたうえで、参加者のみなさまからご感想を伺いました。
「子どもが対象だと思うが、自分が部分品だという発想が子どもにあるだろうか? この発想が面白い。自分の子ども時代にはこういう発想はなかった。作者がどういう風にしてこれを発想したのか興味がある」
「人間は歳をとるにつれて、うまくいかないことがあるとわかってくる。中学生や高校生くらいでは全体がわからない。歳をとってはじめて、自分が全体の中の個であって、自分の立ち位置はこれでいいのだとポジティブに考えられるようになる。受容ということがわかって、はじめてこの本の意味がわかる。自己の受容も含めて、人間には受容が大事だ」
「ペツェッティーノには、役に立ちたい、必要とされる存在でいたいという思いが強かった。そういう価値観のもとに、存在意義を探していた」
「ペツェッティーノが自分が部分品ではないかと考えるのは自己肯定感の低さだと解釈していて、役に立ちたいとか必要とされる存在でいたいという思いの表れだとは捉えていなかったので、解釈の違いがおもしろい」
「最初のほうでは『はしるやつ』などと『やつ』呼ばわりしていた。そんな距離感だったのが、こなごなじまから帰ってくると『ともだち』になっている。最初は優しい感じがしなかったのに、距離感が変わっている」
「『自分=部品』というところから、対象をどんどん細かく見ていくという試みを思い出した。人体から呼吸器、肺、細胞、分子……という風にどんどん小さくしていくものだ。逆に、今度は人から太陽、銀河系、宇宙……という風にどんどん遠くなっていくのも見た。どちらも同じような構造だと思う。たとえば自分が細胞などに支えられていることを感じて、小さくなるほうに焦点を当てて元気になることがある。逆に、大きなものの一部であることを感じて、大きくなるほうに焦点を当てることで支えられることもある。両方の視点があると思う」
「落ち込んだときに飛行機から窓の外を眺めることで、自分の悩みの小ささを感じて、気持ちを立て直すことができるという話を聞いたことがある。別の人は、落ち込んだときに宇宙の写真集を見るそうだ。そうすると、やはり自分の存在の小ささを感じて、悩みが楽になるという」
レポート②につづく。