『認知症ケアの倫理』第3回読書会レポート④ | 寺田真理子オフィシャルブログ

『認知症ケアの倫理』第3回読書会レポート④

2021年12月9日(木)に開催した『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』の第3回読書会のレポートをお届けいたします。

 

第3回読書会レポート①はこちらをご覧ください。

第3回読書会レポート②はこちらをご覧ください。

第3回読書会レポート③はこちらをご覧ください。

 

 

「黙っていることによって迷惑をかけることがあってはいけないので、自分はわりと何でも言うようにしてきたが、歳を重ねてから、世の中には損得で物事を黙っている人が多いと知った。だが隠しすぎても助けてもらえないという不利益もある。言う、言わないは本人の価値観で判断してしまうものだが、世の中の価値観もある。言えるようになったら周囲も言うものだ。昔は女性の性被害や毒親などは言い出せなかったが、近頃は変わってきた。他にも被害にあった人が黙っているケースがあるのかもしれない。暴力もしつけと正当化されることがあった。みんなの価値基準が変われば、変わるのかもしれない」

 

「昔だったらお互いの家族のことを近所の人同士がわかっていたが、今はマンションでも隣の生活を知らない。よく通うお店の人とか、自分の生活に直接関わってくる人に対してだけオープンにすれば良いのではないか。他方で、言ってはいけないこともある。同級生の子どもが結婚したが、その結婚相手ががんを抱えていた。そのことを本人は言わなかった。もし言ったら結婚できないと思っていたのと、子どもが欲しかったのが理由だった。だが結婚相手の親である同級生にとっては、やはり言って欲しかったという気持ちがあったようだ。言うことによって絆が強まるなら言うのもいいし、言わないことで強まるなら言わなくてもいい」

 

「子どもの頃に一緒に住んでいた祖母は今思えばハイハイアルツハイマーだが、当時は認知症という言葉がなかった。概念そのものがなかった。私の住んでいる区は高齢化率が高いので、これだけ高齢者が多いと、言っても言わなくても周りのほうで察してくれる。周囲にも認知症が多く、認知症であることが普通の状態になっているので、言えるし楽になっている」

 

「子宮内膜症があるのだが、最近は有名人が本を出したりして、その痛みを知ってもらえるようになった。医師にも、『自分は男だからわからないけれども、痛いものなんだね』と言ってもらえるようになった。また、日本子宮内膜症協会にも加入した。わかってもらえる人が1人でもいると楽だ」

 

「自分はわりと身近な人のことを言いふらしてしまう。言ったほうがいいんじゃないかと思っているからだ。たとえばパートナーががんになったことも言っていたが、そういうふうに言うと、他の人も『うちも』と言ってくる。人権のことを考えれば、言ってはNGなことだけれども、言ったほうが良いと思っている」

 

最後に、認知症が登場するYA文学『タフィー』(本書についてはこちらのインタビュー記事で詳しく言及しています:第150回 出版翻訳家インタビュー~三辺律子さん 前編 - ハイキャリア (hicareer.jp))や『振り回されてナンボ』『年34日だけの洋品店』『ゆっくり、いそげ』をご紹介しました。

 

 

 

 

 


次回は34ページの「7 結論」から見ていきます。次回は1月13日(木)の開催となります。どうぞよろしくお願いいたします。