“先日、夫婦でシニア割の映画観賞などを楽しむため、久々に名古屋へ出かけた。道中いろいろあり、記憶に残る日だった。自宅から車で最寄り駅に向かう途中、交通事故現場を目撃。負傷者が担架で運ばれるところで、一層運転に注意した。無事、列車に乗り込むと混み合っている。仕方なく立っていると、若い女性が席を譲ってくれ、気持ち良く名古屋に到着できた。
繁華街・栄の交差点で、スマートフォンで目的地までの道のりを確認していたら、40代ぐらいの女性が「どこへ行かれるのですか」と心配げに尋ねてきた。恐縮したが、その女性は自身のスマホで経路を調べてくれた。お礼を述べると「気を付けて」と心温まる言葉を頂いた。
つくづく、他人の親切心が身に染みた一日だった。妻がしみじみ言う。「たまには都会に出てリフレッシュしましょう。年を取るのも悪くないわね」”(11月1日付け中日新聞)
愛知県弥富市の農業・宇佐美さん(男・76)の投稿文です。親切を連続して受けて感激する、こんな話も時折あり、この「話・話」でも取り上げている。世の中自分勝手な人も多いが、それ以上に親切は人も多い。そしてこの投稿で面白いと思ったのは「年を取るのも悪くないわね」と言う言葉である。本当に歳を取ると悪いことばかりである。忘れ物が多くなる、行動が鈍くなる、体も不自由になる、数え上げたらキリが無い。若いって本当に良いと思う。そういう中で、この言葉である。年を取るのも悪くない、こう思えたら本当にいい老後である。こう言える日が1日でも多く、一つでも多くあったら、長生きしてきた良さがある。電車の中で、席を譲られて断る人を見かける。折角の厚意である、老いを認め甘えればいいと思う。
“私は登下校で自転車に乗ります。そのたびに思うことがあります。それは自転車の立場があまりにも弱すぎることです。
来年度から、16歳以上が自転車で交通違反をした際に反則金を科す制度が施行されます。ながらスマホや信号無視、酒気帯び運転などは、自分の注意で防げます。しかし車道を走ることや左側通行をすることは、交通環境上難しいです。自転車が車道を走るには、自転車用の道が狭すぎます。
以上のことから、自転車が通る道を広くし整備してほしいです。ほかにも一時停止などの交通ルールをわかりやすく学べる環境ができるといいと思います。”(10月29日付け中日新聞)
名古屋市の高校生・西村さん(女・16)の投稿文です。ボクも来年度からの自転車交通違反については非常に興味を持っている。そしてやろうとされていることに、非常な危惧を抱いている。西村さんも同じだったのだ。スマホや信号無視、酒気帯び運転などを取り締まることには当然と思う。一番危惧するのは、自転車は車両と言うことで原則車道通行そして左側通行と言うことである。どこに安全に車道を走れるという道路があるというのだろう。自転車専用道など、数えるほどのほんの一部である。狭い路肩を自転車が走ったら、自転車も恐いし車も恐いだろう。今ほとんどの自転車は歩道を走っている。それが一挙車道である。ボクらのように高齢者は歩道を走ることが認められているようだが、それでも原則は車道である。その他心配事はいろいろある。大混乱を起こす気がしてならない。返って事故が多発する気もする。ボクの意見もあるが、しばらくは様子を見ていたい。
“地元に1965(昭和40)年ごろ建立された「交通安全地蔵」がある。場所は国道と県道が交わる交差点の近く。その付近には滋賀県や福井県へ向かう道路もあり、観光に行くために通行する車が増えている。
当時全国的に「交通戦争」という言葉が使われるほど死亡事故が多発し、この地域でも痛ましい事故が後を絶たなかったため、地元の老人クラブが地蔵を建てた。以来、クラブ会員が付近を清掃して保存に努め、毎年8月に犠牲者を慰霊し、無事故を祈る催しを開いてきた。
地蔵を長年守ってきたクラブが3年前に解散。以降、地区の有志がその役割を担っている。最近、地蔵を「守る会」の設立を目指す動きがあり、私も賛同している。協力者が一人でも多く集まることを願う。”(10月28日付け中日新聞)
岐阜県揖斐川町の農業・高橋さん(男・82)の投稿文です。交通安全のために老人クラブで地蔵を建てた、と言われる。こんなことをした老人会もあるのか、ビックリである。そしてその地蔵を守ってきた老人会が3年前に解散したと言われる。これほどまでに活発な老人会も解散するのか、この流れには逆らえないのか、とこれには頷くのみである。そして次は、解散した老人クラブに代わって地蔵を守る会の設立である。これだけの流れを聞いているだけで、時代の変遷を感じる。交通戦争はどうなったのであろうか、事故はもちろんなくなっていないが、事故数等は格段に減った。減ったからいいというものではない、人の死に繋がる重要なことである。今もいろいろな努力がなされている。
昭和40年頃と言われているので、老人クラブはいつ頃からあったのか気になった。調べてみたら戦後まもなくからである。もう80年近く続いてきた。その老人会が今や風前の灯火である。ボクのところは、ボクが何とか解散を防いでいるが、これもどこまで行けるだろうか、最大の関心事である。世の中が変わっていくのは自然のことであるが、できれば住みやすい方向に変わっていって欲しい。
“澄み渡った秋晴れのある朝、ふと、空を見上げたら、3筋の飛行機雲が長い尾を引いていた。30分ほどして再び空を見ると、同じ場所で、淡く白い雲が目に入った。これをきっかけに雲に興味が湧いた。
後日、地元の図書館で雲の種類やその名称などを網羅した図鑑を見つけた。読むと、100種類近くの雲の写真が掲載されていて、「わあ、こんなにきれいな雲」と感動の連続。名前も肋骨雲、乳房雲、蜂の巣状雲などと面白い。これほど多くのタイプの雲があり、空でどのような現象が起きているかなど、これまで気にもかけていなかった。
以後、雲の不思議な魅力に夢中だ。雲の変化を観察するのが本当に飽きない。一冊の本のおかげで、人生の楽しみがまた一つ増えうれしい。”(10月25日付け中日新聞)
愛知県犬山市の武内さん(女・84)の投稿文です。秋の七草の次は雲です。何となく空を見上げれば雲が目に入る。そしてその形も様々である。これはボクでもいつも経験する。ところが武内さんは、図書館で雲の図鑑を見つけて勉強された。興味は広がった。1冊の本から人生の楽しみが広がった、と言われる。行動には本当に少しの違いであるが、その結果は大違いである。少しの興味が大きな違いを生み出す、人生とはこういうものだろう。
ボクは若い頃からよく言ってきた。我々は毎日いろいろな出来事に合い、それを何となく見過ごすか、好奇心を持って少し関心を持つか、それによってその後が大きく違って来る、と。35歳の頃から川柳を始め今も続いているが、このきっかけたるやほんのいたずら心である。第九を歌うことになり、その会の初代会長を担うことにもなるが、これも何が何だか分からない。そして、今は気まま書にはまっている。
“今年の夏は酷暑と呼べるほど暑かった。高齢の私たちのみならず、若い人たちにも厳しい夏だったのではないか。やっと涼しくなり、読書の秋、食欲の秋を迎え、紅葉も加わってくる。こんな折なので、秋の七草でも覚えよう。「好きなお服は」で覚えると良いそうだ。
す「ススキ」、き「キキョウ」、な「ナデシコ」、お「オミナエシ」、ふ「フジバカマ」、く「クズ」、は「ハギ」。ちなみにススキの語源は一説に「すくすく育つ木」との意味に由来するのだという。
七草をめで、美しい月を眺めつつ、俳句でもひねりながら秋の夜長を楽しみたいものだ。”(10月23日付け中日新聞)
愛知県小牧市の吉田さん(男・85)の投稿文です。秋の七草を「好きなお服は」で覚える、これも知恵である。そして、七草をめで、美しい月を眺めつつ、俳句を作る。こんな時間は至福の時間であろう。時間はあっても、なかなかそのようなことにはならない。これができるのは吉田さんだからである。素晴らしい老後と思う。
多分多くの高齢者に時間はたっぷりあると思う。その時間をいかに過ごすか、大きな問題である。時間を持て余し、ボンヤリテレビの前に座っている。ボクもいつかはそうせざるを得ない時が来るかもしれないが、これは可能限り避けたい。幸い今のボクは、テレビを見るのは夜の2時間くらいである。昼間見ることはほとんどない。それだけすることがあるのである。この「話・話」 は出歩くことができなくなっても書ける。これができれば気まま書も書ける。そんな中で、吉田さんのようなこともしてみたい。
“60年ほど前、幼い頃からの友達と6人で、滋賀県彦根市から琵琶湖―周の自転車旅に1泊で出かけた。当時、舗装された道路はほとんどなく、自転車も今のように走行性能が高いものではなく車体は重かった。湖の北側、賤ケ岳の坂道では押して越えたのをよく覚えている。
当日は天気が悪く、今の高島市の湖岸で野宿の準備をしていると雨が強くなり、困った。近くにお寺があり、宿泊をお願いしたら、本堂に泊めていただいた。また、持参した食材を夕食用に調理してもらった。翌日、お礼を言って元気に出発し、無事1周を成し遂げた。
70歳になって、どうしてもあらためてお礼を言いたい思いが募り、再訪したが、お寺は別の場所に再建中だった。偶然会えた檀家の世話方さんに、持参したお仏供米をお渡しし、安堵して帰った。後日、お礼の手紙が届いた時はうれしかった。”(10月18日付け中日新聞)
滋賀県彦根市の自営業・西川さん(男・75)の投稿文です。今75歳で60年前と言われるので、中学生時代であろう。友人6人と自転車で琵琶湖1周を計画し、お寺さんで一晩お世話になった。今、改めてそのお礼を伝えられたという話である。前話の思い出ノートではないが、この歳になるといろいろ過去のことが思い出されてくる。残り少なくなって、自分の人生はどんなだったか、気になってくるのであろう。西川さんは、そんな中で自転車旅行のことを思い出された。それだけ思い出が深い出来事であった。
ボクは西川さんと同様な思い出、と言うよりもっと大きな思い出がある。ボクは大学時代、自転車で4回、合計48日間自転車で主に西日本を回った。そしてほとんどの宿泊を学校や寺院でお世話になった。それも無銭飲食である。その感謝は一言、二言では済まない。その後の人生に大きな影響を与えた。ボクという人間を作った一つかもしれない。お世話になった人が生存しておられることはないだろうが、いけそうな寺院を一度訪ねることもいいだろう。
“敬老の日に、中1の孫息子と小5の孫娘からある郵便物が届いた。人生の記録をつづることで自分史をつくれる「思い出ノート」だった。ノートには、名前の由来や記憶に残る恩師など、100の質問がある。それらに答える形で記憶を書き込んでいけば、出来上がる仕組みだ。
仕事をしながらの子育て、つらい闘病生活など、思えばいろいろあった。長男や次男が学生の頃、いつも時間に追われていた私は、つい彼らに「早く準備をして!」などとせかしていた。親子でじっくり話す余裕がなく、申し訳なかった。
そんな半生を振り返り、見つめ直すことができる思い出ノート。これを機に、高齢であってもこれから先の人生を前向きに楽しめる、「夢のある日々」を重ねていこうと思う。”(10月18日付け中日新聞)
岐阜県可児市の主婦・秋山さん(77)の投稿文です。お孫さんから「思い出ノート」が送られてきた。100の質問に答えると、自分史が作れると言われる。そしてこれをきっかけに、これから先の人生を前向きに楽しめる、「夢のある日々」を重ねていこうと言われる。良い話である。さて始められたであろう。
実はボクの手元に数冊のエンディングノートがある。いずれも頂いたものである。内容は秋山さんが言われる思い出ノートと似たようなものであろう。書こう、書こうと思いながらもそのままである。書くことによって今までを整理し、次へ向かうことになろう。本当に早々に着しなければいけないと思う。今年はまだ1ヶ月以上ある。年内に着手したい。
“3年ほど前に新聞ちぎり絵に出合って以来、その魅力に引かれ、作品作りにいそしんでいる。材料となるカラー面を求め、毎朝新聞を開くのが待ち遠しくてたまらない。「今日はいい色があるかな」と期待に胸を膨らませながら、紙面をチェック。繊細な色味や目を引く文字は、見逃さない。その確認が終わると、カラー面を切り取り、赤、青、黄色などの色ごとに分けて整理する。その後、やっと制作に没頭する。
山岳風景や魚など、テーマは多岐にわたり、作品数はいつしか約140になった。どれも色鮮やかで心が躍る。だが、目下の悩みは、次の題材がなかなか見つからないこと。新聞ちぎり絵は奥が深い。この年齢になって最高の楽しみに巡り合えて、まさにラッキーのひと言だ。”(10月17日付け中日新聞)
愛知県新城市の主婦・豊田さん(73)の投稿文です。中日新聞では毎日曜日にちぎり絵が掲載されています。ボクには全く知識も経験もありませんのでよく分かりませんが、新聞などのカラー部分だけで、こんな絵ができることが不思議です。それにはいろいろな努力がいるでしょう。そして、豊田さんは3年でもう140作です。この年齢になって最高の楽しみに巡り合えたと言われるように、楽しいから続くのでしょう。新聞が来るのも待ち遠しくなる。まさに至福の老後です。
しかし、ボクも負けていません。ボクは気まま書を始めて4年で約140作です。ネタさえ気がつけば、1時間程度で書けます。11月1日、2日に地元の文芸展に初めて出品しました。それをきっかけに、今月からある喫茶店で4枚ずつ掲示させて貰えることになりました。毎月替える予定です。本当の素人芸です。本当にこんなことが始まるのだろうか。
“我が家は私たち老夫婦、息子夫婦、孫娘夫婦が、一つ屋根の下で暮らしている。敬老の日は孫から私たちにプレゼントが届くのが恒例である。今年も孫たちから敬老祝いの品が届いた。そんな中、同居する孫娘夫婦が「今年のお祝いは問に合わないから1週間待ってね」と言ってきた。何か特別なものを取り寄せてくれるのかなと、心待ちにしていた。
秋分の日、「お彼岸だから」と言いながら、皆が揃ってお供えを持って仏壇にお参りに来た。孫娘の胸には、プレゼントらしい丸い箱が大事に抱えられていた。私たちがテーブルに座ると、丁寧に丸い箱が置かれた。傍らにはスマホを手にした息子がスタンバイしている。「えっ、何?」と箱を開けてみたら、柔らかい詰め物の上に1枚の紙が置いてあった。メッセージでも書いてあるのかなと思いながら見ると、なんと胎児の写真ではないか! そして傍らに母子手帳が並んでいた。
主人と私は、このサプライズに驚きと喜びを隠しきれず「おめでとう、おめでとう!」と拍手で祝った。母子手帳の発行が、敬老の日に間に合わなかったという。2ヵ月前には外孫から妊娠の報告を受けたばかりだ。来年には2人のひ孫を迎える。元気な赤ちゃんの誕生を願うばかりである。”(10月14日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・竹内さん(80)の投稿文です。これはまた気の利いた贈り物である。敬老の日の贈り物に、孫娘さんからひ孫の胎児写真である。こんなことを思いつくのも素晴らしい。これも良い家族関係からだろう。この年の敬老祝いは忘れられないことになろう。そして竹内さんは3世代、一つ屋根の元で暮らしていると言われる。これはまたこの頃では希有のことではなかろうか。そして孫娘さんは結婚されていて、まもなく4世代となられる。こうなるとますます希有のことである。
ボクは娘2人が近くにいると言っても別の家屋である。そしてひ孫の可能性は、不可能ではないが、かなり遠いことであろう。ボクがあと10年生きればかなりの可能性があろうか。ボクができるのはそれまで生き延びることである。
“定年を経て長年勤めた会社を4月に退職した。振り返れば職場ではいろいろなことがあった。東京や大阪への単身赴任では家族にも迷惑をかけたと思う。ほとんど休日もなく夜遅くまで残業という働き方を長い間してきた。私なりに頑張ってきたが、子どもたちの面倒は妻に任せきりで、大変な思いをさせた。
退職に際し、息子2人の家族と食事会をした。思い返せば私が50代後半になって初孫の男の子が生まれた時はうれしかった。2年後に生まれた孫娘は今、高校生となり、学業にダンスにと活発に過ごしている。
その孫娘から表彰状をもらった。「貴殿は家族を支えるために働く課程を修了したことを、ここに賞します」。妻と2人で涙を流して喜んだ。何よりの宝物だ。”(10月14日付け中日新聞)
愛知県豊田市の神薗さん(男・76)の投稿文です。孫からの便り、贈り物、何でも嬉しいものです。神薗さんは76歳まで勤められた。ほぼ50年であろう。この時代の勤め人は仕事第一、家庭を振り返る人は少なかったであろう。この投稿文を読んでいると、それを非難する感じはしない。それどころか、孫娘さんは「家族を支えるため」と言っている。それは誰もがそのように思っていたからであろう。そしてこの様に思いがけない感謝状を贈られた。よかったと思う。
実はボクも孫からの手紙を保管している。この投稿文から、久しぶりにそれを開いてみた。70歳の誕生祝いの時である。ウォーキングに連れて行って嬉しかったことを書いている。やはりボクはウォーキング爺さんで記憶に残っていくのだろう。ウォーキングはボクの人生である。こういうことを残せてよかったと思う。最近は来年の一宮友歩会の下下見でよく歩きに出かけている。