反応の感覚を研ぎ澄ますことは、どこまでできるのか? | てらいち 、です

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水曜の晩、剣道の稽古に出かけて。

 

判断・決断の手順の打突から反応し出現する打突へ。

なかなかできないことですが…

 

 

反応なんですよ、反射じゃない。

でも、反射的でもある。

 

 

でも、そう考えているにもかかわらず反射的に防御姿勢をとったりしている。

2回くらいお相手の攻めで手をあげてしまった…😣

 

まぁ考えているうちは反応じゃないし、この防御姿勢は対処が後手に回って結果的に何もできていないわけで。

課題多し。

 

それから面へ飛ぼうとして、手が高い。

届いたんだけど、手が高い。

 

もっと手元を低く打突を繰り出せるようにしたいもの、と感じて。

昔、面を打った時、右手の高さは肩の高さ水平、と言われたけれど。

これ、実際はもっと低くすべきと思う。

 

ここも課題意識を持つことができて。

 

 

肘が曲がるのも、「曲がる」、「ゆるむ」、「やわらかい」、「張りがある」といった違いがありそうだ、といったことも感じて。

ここは居合からの延長線上のこと。

 

 

また、お相手にとって、面に来るのか、小手なのか、突きなのか、初動では判断できないような、そういう打突開始動作があるはず。

工夫の余地あり。

 

 

そして・・・

 

崩れず打突を繰り出す先生との地稽古。

 

こちらから何本か当たったけれど、やはり手元が上がり気味だった。

 

返し胴のシナリオを思い描いてしまったり。

返そうとしても手が上がり、肘が曲がるので対処は遅くなる。

 

さらに、お相手の先生は手元を浮かさないので、胴には切り込めない。

 

なるほど~、手元をあげず、間合いがとれて懐が深くなってる。

容易に間合いに入れない。

なるほど、なるほど…

 

そして、攻め入ったつもりで面を狙った。

ものの見事に摺り上げられて面を打たれた。

 

すごいなー

こういう技が出せるのかー

勉強になりました。

 

打たれて学ぶ一本。

 

というか、この先生のと稽古では、必ずと言っていいほどこの一本を食らってしまう。

何とかしたい…

 

 

で、きれいな摺り上げ面を打たれて思い出したことが。

 

 

返し技を返す、そういう技が出現してもいいよね、と。

途切れなければ、そういうこともあるんじゃないだろうか。

 

 

昔、高校生の時。

当時は山梨県ではなく、関東のある県でしたが。

 

確か夏休み中だった。

なかなか技や気が向上しない我々に業を煮やした顧問の先生。

 

「○○武道館の稽古へ行ってこいっ!」と。

 

なんだか訳も分からず部員全員が防具を自転車に積んで出かけてみると…

 

なんと、警察の稽古。

それも特錬😨

 

いや、もう激しいのなんの。

特錬の先生方は高校生相手には手加減しまくりなんですが、我々は全く歯が立たない。

 

というか、レベル、次元が違いすぎる。

 

そして応じ技の稽古が訳分からなかった。

 

はじめは、面摺り上げ面とか面返し胴とか。

さらに、だんだんいろんなパターンが出てきて。

 

挙句にビックリしたのは

 

「面摺り上げ面を摺り上げ面しろ」と。

 

はぁ?

 

やったことありませんし、そんな反応できません。

 

われわれ高校生はワチャワチャやってて、特錬の先生方は高校生が来るとめんどくさそうにゆっくりやってくれるんですが。

それでも我々は追いつけない。

警察の先生方にとって、我々は稽古の邪魔でしかない。

大変迷惑を掛けました・・・😢

 

 

で、水曜の稽古でそれを思い出した。

 

 

先を取ったつもりで面へ打ち込んだ。

それを摺り上げられて面を打たれた。

 

面へ打ち込んで、その後。

摺り上げられて面を打たれるまで、私は何もしていない。

反応も、反射すらしていない。

 

武道でいうところの「止心(ししん)」状態だった。

 

ここ、この時間内を、武道でいうところの「放心(ほうしん)」に出来なきゃいけないんじゃないか?と。

 

打った後の残心、と簡単に口にしていたけれど、ただ打ち抜けて振り返って相手に竹刀を向けていただけではないのか?

 

打った瞬間に残心はあるのじゃないだろうか?

 

「残心とは『次の起こることへの身構えと気構え』である」とある先生から聞いたことがある。

 

そうなると、「返し技を返す」、あるいは「連続技をそれぞれ全部返す」、そういう対処がありうるんじゃなかろうか。

 

八段の先生にかかったり、稽古されている様子を見取り稽古すると、この先生方は私とは時間の流れが違っていると感じる。

 

というか、1秒のうちに私のできることの数倍のことをやりのけてしまう、と。

 

面を返して連続左右胴とか。

普通、胴を一つ打つのが精いっぱいなのに二つ打つ。

 

私が経験したことでは、打ち込んだ面に対して摺り上げて連続左右面、引き小手と、一本打ち込んだら3つ打ち込まれた。

 

時間の流れが違うんだと思う。

 

というか…

 

これまでは「速い動作」「素早く打ち込む」、そういう見方しかしてこなかったけれど。

 

自分の打突動作、その最中、直後も、すぐ次の対処、行動がとれるのかどうか。

真の残心、それがあるかどうか。

残心あるなら動けるのか、動いているのか。

 

このあたり、あいまいにしてきたように思えてきました。

 

 

打つ、突くという動作。

その一瞬にも、途切れさせないものがあるのではなかろうか。

 

 

 

 

 

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