↑ 以前書いたブログですが。
ネット時代、いろんな情報が簡単に、即座に手に入る。
学校で先生に教わるのではなく、ネットに出ている情報からレベルの高い学びができる。
そういう時代になった。
本人がやる気になれば、一流の学びをネットから得ることができる。
極論を言えば、学校も先生もいらない。
ホリエモンさんはそのように言っています。
まぁ、そうだよね、私もある程度は同意していました。
最近は「激しく同意」というレベルになってきました。
というのも、こんな事例があったからです。
ケニア出身の陸上・やり投げ選手であるジュリアス・イェゴ。
彼は、特定のコーチがいたわけでもなく、誰かから指導を受けたのではなく、世界陸上で金メダルと獲得したというのです。
どうやって学んだかは、Youtube。
Youtubeでやり投げの優秀な選手のフォームを繰り返し数多く見て、自分で工夫していったというのです。
つまり「Youtubeが先生」であった、と。
Youtube動画を見続け練習して金メダルを手にするとは…
ほんとにすごい😯
ただしっ!!
ネット情報には限界があるっ
それを忘れてはならないと思います!
というのも、ネットから情報を得る道具、ツールはスマホ、タブレット、パソコン。
これらの道具には限界がある。
それは伝えられないものがある、ということです。
におい、味、温度、手触り、痛み、風、すがすがしさ、さわやかさ…
音だって、スピーカーから再生される音、声は、電気信号で再生したものにすぎない。
コンサートの映像を見ても、実際にその場にいた感覚とは違ってしまっている。
触れてみなければ、その場にいなければ得ることができないものがある。
それがリアルな世界。
もう今から40年以上前、新潟県長岡市の花火大会を見たことがあります。
あの三尺玉を見た時の感覚はすごいものでした。
昨年、長岡の花火大会をネット中継で見ましたが…
その場にいたときに味わった花火の衝撃波、花火の光に包まれる感覚を感じることはできなかった。
ネットで見ているとそうなってしまうのは当然のことです。
ネット情報、そしてツールの進化によって、バーチャルな世界がリアルな世界に近づいたとしても、
バーチャルはリアルを超えられない
と考えるべきです。
リアルな世界には、存在意義があるんです。
ネット情報の質が上がったとしても、この点を忘れないようにすべきだと思います。
ですから、学校も教室も同級生も先輩も後輩も先生も必要です。
私はそう思います。
ジュリアス・イェゴ選手は、バーチャルで得た情報を、自分の体を動かしてみるというリアルな世界に戻している。
ホリエモンさんも、バーチャルで得たことは自分で行動して、ロケット作ったりしている。
ちゃんとリアルな世界と結び付けている。
バーチャルとリアルを結びつける、この視点と行動を忘れてしまっては、ネットを本当に生かすことにはならないと思います。
結局は、画面とにらめっこでは完結しないし、自分を向上させることもできない。
引きこもっていてはダメなんですわ。
自分の肌身で感じるものを捨ててはならない。
戦後の昭和で、「書を捨てて街に出よ」といったメッセージがありました。
令和の現代には、「スマホ・タブレットと共に街に出よう」ということになりますかね。
…新型iPad発表のニュースを見て、もう欲しくて仕方ないですが、どれ選びましょうかねぇ😄
Proは高いけど性能は魅力的
でも高すぎる😢
Airもなかなかよい
いや、iPad10世代も値下げしたぞ…
そうなると中古で前モデルだって使えるんじゃないか…
迷いまくり🤣