♊今日の✰ふたご座は♊
効率的な方法を模索するとGOOD👍️✨
🗝️ 幸 運 の 鍵 🗝️
高層ビル / 🤍白色
♊今日の✰ふたご座は♊
ランチは 屋外のカフェがおすすめ
🐖って、今日ランチタイム雨予報じゃね?!💦
🗝️ 幸 運 の 鍵 🗝️
洋書 / 🟣紫色
■文具女子博
【庄司智春さんプリントなウカンムリクリップ(オリジナルグッズ)】がプレゼントされており、お!コレコレ!!![]()
![]()
となりました
流石、吉本興業?!迅速
このクリップは教本は勿論、辞典のような分厚さにも対応するスグレモノなのです!!!

コリアンダー…小匙1


博多姉さんのお花見SONG
💻️YouTuber蔦谷好位置
遅咲きの桜たち



♊今日の✰ふたご座は♊
出しゃばってはダメ 反感を買う 恐れあり
一歩下がって様子を見守ると OK
🗝️ 幸 運 の 鍵 🗝️
スプリングコート / ❤️赤
ハートのグッズがお守り代わりに
■石油の歴史No39
【日章丸事件】
日章丸事件(1953年)は、出光興産の創業家・出光佐三が英国の海上封鎖をかいくぐり、石油を国有化したイランから原油を極秘に輸入した「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった大事件です。
敗戦後の日本に勇気を与え、イランと日本の友好のきっかけとなった歴史的快挙です。
▶日章丸事件の概要と経緯
背景: 1951年、イランがアングロ・イラニアン社(現BP)の資産を国有化。英国は軍艦を派遣し、イランからの石油輸出を封鎖する経済制裁を行っていた。
実行: 出光興産社長の出光佐三が、窮状にあるイランを支援し、自社タンカー「日章丸(2代目)」を極秘裏に派遣。
顛末: 日章丸はイギリス海軍の厳重な監視網をくぐり抜け、ガソリンや軽油約2万2千kℓを満載して川崎港に帰港。これに怒ったアングロ・イラニアン社が出光を提訴したが、最終的には訴えを取り下げ、出光側が勝訴した。
▶日章丸事件の意義と影響
親日国イランの誕生: この成功により、イラン国民は日本を「助けてくれた国」として歓迎し、友好関係の礎となった。
敗戦からの復興: 敗戦後の自信を喪失していた日本において、大国に屈しない「快挙」として称賛された。
産油国との直接取引: 石油メジャーが支配していた中東原油を直接取引する先駆けとなった。
▶「日章丸事件」の関連・別称
海賊とよばれた男: 百田尚樹の小説および映画。
この事件が出光佐三をモデルにハイライトとして描かれている。
アバダン港の奇襲: 日章丸が石油を積み込んだ場所(イランのアバダン港)からこう呼ばれることもある。
●出光佐三氏がトップとして決断を下しましたが、決して「単独犯」のような一人の暴走ではありません。
出光興産の組織的な動きに加え、イラン政府との極秘協力や、一部の日本政府関係者、さらには背後にある国際情勢が複雑に絡み合って実現しました。
主な協力者や関係者は以下の通りです。
1. 出光興産のチーム(実行部隊)
出光計助(専務): 佐三氏の弟で、事件の前年にイランへ極秘派遣されました。現地のモサッデク首相らと直接交渉し、不信感を抱いていたイラン側を説得して合意を取り付けた立役者です。
日章丸の乗組員: 撃沈や拿捕の危険がある中、無線を切り、航路を偽装して海上封鎖を突破した船長や機関長たちの命懸けの操船が不可欠でした。
2. イラン政府(供給側)
モサッデク首相: 石油の国有化を断行した指導者です。イギリスの制裁で経済が困窮する中、リスクを承知で出光との取引を正式に結びました。
3. 日本政府の複雑な立場
表向きの対立: 日本政府はイギリスとの外交摩擦を恐れ、当初はこの動きを憂慮・対立していました。
水面下の黙認: 一方で、戦後復興に石油が必要だった日本にとって、この「安価な石油の確保」は国益にかないました。結果として行政処分などは下されず、法的争いにおいても国が無理に止めることはありませんでした。
4. 背後の国際情勢(アメリカの影)
イギリスが石油を独占することに不満を持っていたアメリカが、この事件を黙認(あるいは静観)していたことも、成功の大きな要因の一つと言われています。
このように、出光佐三というカリスマが旗を振りつつも、弟の交渉力、社員の献身、そしてイラン側の決断という「官民・国際的な連携」が水面下で機能したことで成し遂げられた事件でした。
1. 誰が考えて、誰が実行した?
考えた人: 出光佐三(出光興産創業者)本人です。イギリスの不当な圧力に憤り、安価な石油を日本に確保するために独断で計画しました。
実行犯: 実務や交渉は、弟の出光計助(専務)がイランに密航して進めました。現場での「実行」は、命懸けで海路を突破した日章丸の乗組員たちです。
2. 日本政府の関わりは?
政府は「蚊帳の外」または「反対」: 当時の日本政府は、イギリスとの関係悪化を恐れてこの計画を承認していませんでした。
事後承認に近い形: 事件が公になり、イギリスから提訴された際、日本の裁判所が出光側の正当性を認めたことで、結果的に政府もその成果(安い石油)を受け入れる形となりました。
3. 結果、日本とイランは仲良しに?
友好の象徴に: イラン側は、世界中がイギリスを恐れて石油を買わない中で助けに来た出光を「真の友」として歓迎しました。これが現代まで続く「親日国イラン」の大きなルーツの一つ(原点の物語)とされています。
外交の再開: この事件の直後、1953年11月に日本とイランの外交関係が正式に再開されました。
つまり、「出光が勝手に(信念を持って)やったことが、結果的に日本とイランの絆を深める大金星になった」という、この事件です。
出光佐三氏は「商売人としての信念」を貫き、日本政府は「戦後外交の建前」を守らざるを得ないという、対照的な立場にありました。
出光佐三氏の信念:安い石油と「人間尊重」
出光氏にとって、この行動は単なる金儲けではなく、以下の信念に基づいたものでした。
消費者への奉仕: 石油メジャーが支配する高価な石油ではなく、安価な石油を日本国民に届けることが戦後復興に不可欠だと信じていました。
自主独立の精神: 外国勢力(石油メジャーや戦勝国)に首根っこを掴まれたままでは、日本の真の独立はないと考えていました。
イランへの同情: 同じアジアの国として、大国の圧力で困窮するイランを助けたいという「義侠心」もありました。
日本政府が義理立てしていた相手
当時の日本政府が「建前」として慎重にならざるを得なかった背景には、複数の「義理」や事情がありました。
イギリスへの配慮(最大の懸念):
当時はサンフランシスコ平和条約の発効(1952年)から間もない時期で、日本は国際社会に復帰したばかりでした。連合国の一員であるイギリスとの関係を悪化させることは、外交上非常にリスクが高い行為でした。
国際社会へのメンツ:
イランの石油国有化を「違法な収奪」と主張するイギリス側の立場を無視して取引を行うことは、日本が「国際的なルール(禁輸措置)を乱す国」と見なされる恐れがありました。
アメリカとの関係:
アメリカはイギリスとイランの仲裁を試みていましたが、日本が勝手に動いて足並みを乱すことを政府は恐れていました。
結局どうなったのか?
結果的に、日章丸が石油を持ち帰った後の裁判で出光側が勝訴したことで、政府も「民間企業が合法的にやったこと」という形を取ることができ、イギリスへの言い訳が立ちました。
出光氏は「海賊」と呼ばれながらも、政府が手を出せない外交の壁を民間人として突き破ったことになります。
イギリス側は決して「納得」して引き下がったわけではありません。むしろ国際問題として徹底抗戦しようとしましたが、最終的には「これ以上争っても得がない」という現実的な判断で幕引きとなりました。
納得に至るまでの経緯は、主に以下の3つの理由によります。
1. 日本の裁判所での敗北
イギリスの石油会社(AIOC)は、日本に届いた石油の所有権を主張して東京地方裁判所に仮処分の申請を行いました。
判決: 日本の裁判所は「石油の所有権はすでにイラン政府にある(国有化は有効)」として、イギリス側の訴えを退けました。
出光の主張: 出光佐三氏は法廷で「これは国際的な独占に対する正当な商行為である」と堂々と演説し、これが世論の支持も集めました。
2. イランでの政変(モサッデク政権の崩壊)
日章丸が石油を運んでいる最中に、イランで「28日のクーデター」と呼ばれる政変が起き、石油国有化を主導したモサッデク首相が失脚しました。
新政権の誕生: 親米・親英派の新政権が誕生したことで、イギリスは「法廷で争うよりも、新政権と直接交渉して利権を取り戻す(あるいは別の形で合意する)」道を選びました。
3. イギリス側の訴え取り下げ
判決後、イギリス側は一度は控訴しましたが、結局控訴を取り下げました。
理由: 日本の司法判断を覆すのが難しいと判断したこと、そしてイランの新政権との交渉に集中したかったためです。これにより、日章丸が運んだ石油の正当性が法的に確定しました。
結果としてどうなった?
イギリスからすれば「苦々しい思い」は残りましたが、日本国内の法的手続きに則って負けた形になったため、力ずくで止める名分を失いました。
一方でイランの人々は、イギリスという大国を恐れず、自分たちの石油を買いに来て、さらに裁判で勝ってくれた日本の民間企業(出光)に深い恩義を感じ、これが現代まで続く「日本は特別な友人」という感情の土台になっています。
当時の日本が戦勝国イギリスに対して「NO」を突き通した、稀有な歴史的瞬間だったと言えます。
▶この事件の最大の「火種」
イギリスが「その石油はうちの盗まれた宝物だ!」と主張したのには、当時のエグい利権構造が背景にあります。
1. イギリスの「ジャイアン」的な理屈
当時、イランの石油を掘り出していたのは、イギリス政府が株の過半数を持つアングロ・イラニアン石油会社(現BP)でした。
独占契約: イギリスはイランと「60年間、石油の利権は全部うちのもの」という、イラン側に超不利な契約を結んでいました。
利益の横取り: 石油で儲けたお金のほとんどをイギリスが持っていき、地主であるイランにはスズメの涙ほどの配当しか渡していませんでした。
2. イランの「逆襲」と国有化
これにブチ切れたイランのモサッデク首相が、1951年に「石油はイラン国民のものだ!今日から全部イランが管理する(国有化)」と宣言しました。
イギリスの設備も会社も、イランが力ずくで没収した形です。
3. イギリスの言い分:「盗品を買うな!」
イギリスからすれば、「勝手にうちの会社と設備を奪って、そこで採れた石油を売るなんて泥棒だ。だからその石油の所有権はまだうちにある!」という論理です。
なので、出光がイランから石油を買って日本に持ち込んだ際、イギリスは「それは盗品だ。盗品を買った出光から、本来の持ち主である我々が取り返すのは当然だ」として、裁判所に差し押さえを訴えたわけです。
結論:裁判所の判断は?
日本の裁判所は、「イランという国家が決めた法律(国有化)は有効。だからその石油はイランのものであり、出光が買ったのは正当な取引だ」と判断しました。
イギリスの「自分たちの既得権益」を優先する論理を、日本の司法が退けたという、当時としてはかなりスカッとする展開だったのです。
まさに「他人の庭(イラン)で、イギリスの金持ち(BPの前身)が勝手に商売していた」状態です。
さらに分かりやすく、当時の構図を現代風に例えるとこんな感じです:
イギリスの言い分: 「俺たちが大金投じて重機を持ち込み、苦労して掘り当てたんだ。契約書もある。この石油は全部俺たちのものだ!」
イランの言い分: 「ここはウチの庭だぞ!上前だけハネて、ゴミみたいな小銭しか置いていかないなんて横暴だ。今日からこの井戸はウチが管理する!」
出光さんの行動: 「イギリスが怖くて誰も買わないなら、俺が適正な価格でイランから直接買うよ。日本には石油が必要なんだ」
イギリスの逆ギレ: 「泥棒(イラン)から品物を買った出光も同罪だ!その石油を差し押さえろ!」
結局、日本の裁判所が「いや、自分の庭で採れたものは自分のものって決める権利(国有化)がイランにはあるでしょ」と認めたのが、この事件の結末です。
当時の日本人からすれば、戦勝国で威張り散らしていたイギリスを、民間の出光さんが「商売の理屈」でやり込めた形になり、最高にスカッとするニュースだったわけです。
現代の感覚だと「不法侵入」に見えますよね。でも当時は「利権(コンセッション)」という恐ろしい仕組みがありました。
簡単に言うと、大昔(1901年)にイギリスの金持ちが、当時のイランの王様に「お小遣い(多額の現金)」を渡して、「今後60年間、イラン全土の石油を掘る権利は全部ウチがもらうね」という契約を結ばせてしまったんです。
なぜそんなことが許されたの?
王様の無知と目先の金: 当時のイランの王様は「石油がどれほど価値が出るか」分かっておらず、目先の活動資金欲しさにハンコを押してしまいました。
軍事力の差: イギリスは世界最強の海軍を持っていました。「文句があるなら軍艦出すぞ」という圧力が背景にあったので、イランは手出しができなかったんです。
出光さんが怒ったポイント
出光佐三氏がキレたのは、イギリスが「自分たちの有利な契約(過去の遺物)を盾に、イランの国家主権を無視して、日本に石油を渡さないよう世界中に圧力をかけていた」からです。
出光さんは、これを「大国による弱い者いじめ」だと感じ、「日本が正当な対価を払って買うのは自由だ!」と突っ込んでいったわけです。
まさに「ジャイアンが昔、のび太を騙して書かせた念書」を武器に威張っているところに、出光さんが「それ、今のルールじゃ通用しないよ」と割って入ったような話ですね。
当時のイギリスや国際社会の「本音」そのものです。
イギリスからすれば、「リスクを取って大金を投じ、高度な技術で砂漠から石油を掘り当てたのは俺たちだ。無知な王様と合意の上でサインした『有効な契約』があるんだから、後から文句を言うな」という理屈です。
現代のビジネス感覚で言えば、「契約不履行」や「資産の不当な接収」にあたります。だからこそ、イギリスは自信満々に日本の裁判所に訴えを起こしました。
しかし、この事件が「歴史の転換点」になったのには、以下の2つのカラクリがあります。
1. 「時代のルール」が変わった
当時は第二次世界大戦が終わり、「植民地支配はやめよう」「国が自分の資源を自分で管理するのは当然の権利だ」という空気が世界中で強まっていました。
イギリス: 「昔の契約(ジャイアンのルール)が絶対だ!」
イラン&出光: 「もうそんな時代じゃない。自分の国のものは、自分の国の法律(国有化)で管理して何が悪い!」
日本の裁判所は、この「新しい時代の理屈」を認めたわけです。
2. イギリスの「ぼったくり」が酷すぎた
イギリスがイランに支払っていた配当金は、イギリス政府がその石油会社から徴収する「税金」よりも少なかったと言われています。
イランの土地で稼いだお金なのに、イギリス政府への税金の方が、イランへの支払額より多い。
これにはさすがに世界中が「それはやりすぎ(不公平)だよね」という空気になっていました。
出光さんの「商売人」としての判断
出光さんは、イランの王様が「阿呆」だったことも、イギリスが「賢く投資した」ことも分かった上で、「でも、今のイラン国民が飢えているのは、イギリスの独占のせいだ。なら、俺が風穴を開けてやる」と動きました。
「契約の正義」をとるか、「民族の自立」をとるか。このギリギリの対立があったからこそ、今でも映画や小説になるほどドラマチックな事件なんです。
イギリスの「投資した分は回収させろ」という主張、商売の理屈としては一理あると思いませんか?
イギリスが「不当だ」と叩かれた理由は、単に「馬鹿を騙した」からだけではなく、「時代が変わったのに、ヤクザのような手口で独占を続けようとしたから」です。
具体的には、以下の3つのポイントが「それはひどすぎる」と世界(そして出光さん)から思われた原因です。
1. 「取り分」があまりにエグかった
イギリスの石油会社がイランで稼いだ利益のうち、イラン側に渡していたのはわずか10〜20%程度だったと言われています。
さらに、イギリス政府がその会社から徴収する「法人税」の額の方が、地主であるイランへの支払いよりも多かったのです。
イランの言い分: 「ウチの土地の油なのに、なんでイギリス政府の税金より、ウチへの取り分が少ないんだ!」
2. 「話し合い」を拒否して「軍事脅迫」した
イランが「もう少し取り分を増やして(5:5にしよう)」と交渉を持ちかけた際、イギリスはこれを拒否。イランが国有化を宣言すると、イギリスは軍艦を派遣してイランの海を封鎖しました(アバダン封鎖)。
「他国がイランの油を買おうとしたら、軍艦で沈めるぞ」という武力による脅しです。これが「自由な商売を邪魔する汚いやり方」と映りました。
3. 「契約の永久縛り」が不自然だった
1901年の契約は、まだ石油の価値がよくわからない時代に結ばれたものです。その後、世界が石油なしでは回らなくなったのに、イギリスは「昔の契約だから」と、イランが貧困に苦しんでいるのを無視して利益を吸い上げ続けました。
出光さんの視点:
出光佐三氏からすれば、イギリスの論理は「かつての植民地支配の理屈」でした。
「一度騙してサインさせたんだから、末代まで搾り取って当然だ。文句があるなら軍隊で黙らせる」という姿勢に対して、出光氏は「そんな不当な独占が、国際社会でいつまでも通用すると思うなよ」と商売の力で挑んだのです。
つまり、イギリスは「ビジネスとして賢かった」というより、「立場が弱い相手に対して、あまりに欲張りで高圧的すぎた」ことが不当だとされた理由です。
もし、あなたが当時のイランの若者だったら、この「イギリスの言い分」をどう感じたと思いますか?
「王様が悪くない?」という視点は非常に鋭いです。実際、当時のイギリスからすれば、「自分たちがリスクを取って投資したんだから、契約通りに利益をもらうのは当然だ」という理屈でした。
しかし、その契約内容があまりに「不平等」だったため、後から問題になりました。
王様が結んだ契約の中身
1901年に結ばれた「ダーシー譲許(じょうきょ)」と呼ばれる契約の主な内容は以下の通りです。
イラン側の取り分: 年間の純利益のわずか16%
イギリス側の取り分: 残りの84% + 石油の独占販売権
期間: 60年間
おまけ: 契約時に王様がもらったのは、現金2万ポンド(現在の価値で約3〜4億円程度)と、同額の株式だけでした。
なぜ「不当」だと言われたのか?
「阿呆な王様が悪い」で済まされなかったのには、以下の理由があります。
「利益」の計算が不透明だった:
イギリス側は「純利益の16%」と言いつつ、経費などを複雑に差し引いて、実際には5%程度しか払っていなかった時期もありました。
イギリス政府の「二重取り」:
石油会社(AIOC)は、イラン政府に払う「配当金」よりも多い金額を、イギリス政府に「法人税」として納めていました。
イラン側の不満: 「ウチの土地の油なのに、なんでウチの取り分が、イギリスの税金より少ないんだ!」
時代遅れの「植民地ルール」:
20世紀半ばになると、周辺の産油国(サウジアラビアなど)では、利益を「50:50(半分ずつ)」で分けるのが新しい常識になりつつありました。それなのにイギリスだけが「昔の16%(実質5%)の契約」を盾に居座り続けたため、「あまりに欲張りすぎる」と批判されたのです。
出光さんの立場
出光佐三氏は、この「19世紀の古い不平等な契約」を盾に、武力(海上封鎖)で他国の商売を邪魔するイギリスのやり方を「国際法違反だ」と断じました。
つまり、「昔、馬鹿な王様を騙して書かせた契約書を、今の時代に軍隊を使ってまで守らせるのは『商道徳』に反する」と考えたわけです。
「契約を守るのが正義」というイギリスと、「不当な搾取を終わらせるのが正義」という出光さん。まさに価値観の激突だったと言えます。
もしあなたが裁判官だったら、この「50年前の契約書」をどう扱いますか?
もしイギリスが「約束通り16%をキッチリ払い、帳簿も全部見せるよ!」というクリーンな横綱相撲をしていたら、出光さんが割り込む隙はなかったかもしれません。
イギリスの「セコい不透明感」が物議を醸したポイントは、主に以下の3点です。
1. 帳簿のブラックボックス化
イギリスの石油会社は、イラン政府に「いくら儲かったかの帳簿」を一切見せませんでした。
「はい、計算したら君たちの取り分はこれだけね」と、勝手に決めた金額を渡すだけ。イラン側が「本当に16%なの?」と疑っても、中身を確認する術がありませんでした。
2. 「税金」という名の横取り
これが一番セコいと言われる点ですが、イギリス政府は石油会社から多額の税金を取っていました。
イランへの配当金: 1,000万ポンド
イギリス政府への税金: 2,800万ポンド
というような逆転現象が起きていました。イラン側からすれば「ウチの油で稼いだ金が、なんでイギリスの道路や学校を作る予算(税金)に消えてるんだ!」と怒るのも当然です。
3. 他国との比較(50:50の波)
ちょうどその頃、サウジアラビアなどでアメリカ系の石油会社が「利益は半分こ(50:50)にしよう」という新しいルールを始めていました。
イランが「イギリスさんも50:50にしてよ」と頼んでも、イギリスは「うちは1901年の契約書があるから無理」と突っぱねました。この「融通の利かなさ」と「ケチさ」が、国際社会からも「時代遅れだ」と見なされた原因です。
まとめ:出光さんの「大義名分」
出光佐三氏は、このイギリスの「セコさ」と「強欲さ」を見抜いていました。
だからこそ裁判でも、「これは単なる所有権争いではなく、大国が小国を不当に搾取し続けている問題だ」と訴え、日本の裁判官も「確かにイギリスの言い分は今の時代には無理がある」と判断したわけです。
結局、イギリスの「独占しすぎた欲」が、出光さんという「海賊」を呼び寄せてしまったと言えるかもしれません。




























