テキーラ情報専門のキュレーターとして今年から記事を執筆している、ぐるなびが運営する食の情報サイトippinで、3つ目の記事を掲載いただきました。
今回のテーマは「ドン・フリオ」です。
ブランドの誕生秘話から、テキーラ界で伝説のフリオ・ゴンザレス氏とドン・フリオの歴史やこだわり。
先日来日した2代目のマスターディスティラーエンリケ氏のセミナーレポート、ドン・フリオの日本でのプロモーション活動についてまとめました。
少しだけブランドを解説すると、ブランドについて解説すると、ドン・フリオの創業者であるフリオ・ゴンザレス氏は、父親の他界とともに家族6人を養うことになった時、彼はまだ15歳。
財産と呼べるものはごく僅か。それでも家族への愛と、独自のテキーラを作る夢の追求に突き動かされ、1942年に初めての蒸溜所を購入し、最初のアガベ株を植え付けます。
彼がが選んだのは肥沃な大地。その方がより甘味の強いアガベが育つことを彼は知っていたのです。
そんなハリスコ州にあるアトトニルコの土地が気に入り、アガベの甘味や柔らかさの特徴をより引き出す十分に育成されたフレーバーになるまで何年も待ち続け、1949年にラ・プリマベーラ蒸留所で十分に成熟したアガベの初収穫を自身の手でおこないこだわりのテキーラを作りはじめました。
当時メキシコで重要視されていなかった従来のテキーラ製法の改善と品質の追求にこだわり、「世界一美味しいテキーラをつくる」という目標を掲げ、何年間も試作を続け、品質向上のための努力を重ねてきましたが、1985年に脳卒中で倒れてしまい1年間病に伏してしまいました。
彼を心配した家族が快気を願って開催したパーティーに家族や友人が600名集まり、家族のために残していた渾身のテキーラを振る舞ったところ大変評判となり、なんとしても売って欲しいという声に応えてできたブランドが自らの名前を冠にした「ドン・フリオ」です。
まさに、フリオ・ゴンザレス氏の人生をかけた最高のテキーラがこの時誕生します。
先日来日した、現在のドン・フリオ蒸留所のマスターディスティラーのエンリケ・デ・コルサ氏のお話によると、フリオ・ゴンザレス氏はとても真面目で几帳面な方で、何か問題があった時にすぐにわかるように、習慣を変えずに生活することを心がけていて食事も毎日同じ時間にとっていたそうです。
80歳を超えてからも、現場を離れずアガベ畑を歩き回るのを日課にしていたため、体にはいくつものアガベの葉の刺し傷が残っていると言われていました。
2012年に亡くなるまで、人生の全てをテキーラに捧げました。
フリオ・ゴンザレス氏のテキーラ作りへの情熱は、エンリケ氏に受け継がれ、ドン・フリオブランドのこだわりを守り続けています。
実は蒸留所には、2度ほど訪問していて、ドン・フリオの畑も見学しているので、セミナーで聞いたブランドのこだわりは、自分の目で見て体験してきたことと重なり、とても納得できる内容でした。
こんなステキな誕生秘話があるドン・フリオについてもっと知りたい
という方は、ぜひご覧になっていただけたら嬉しいです。

ちなみに、同じタイミングでGQのラッパーYGインタビューの記事「これなしでは生きられない必需品」で、1番目にテキーラをリストアップ。
ブランドはドン・フリオのブランコを指名していました

私ももちろん、テキーラなしでは生きられない

勝手に親近感がわいてしまいました。
テキーラ好きのミュージシャン、本当に多いですね。
こういうニュース、もっと増えたら嬉しい😊