これはちょうど一年ちょっと前の昨年8月28日火曜日の食事記録。

この頃は大体一日のタンパク摂取を25から27グラムに抑えていた。秋になるとさらに厳しく17.18グラムまで持っていった。記録を見てみるとそれでもたまに30グラムを超えてる日もある。クライアントや社員との会食で、どうしても食べなければ場が持たない時だった。

この頃はスケールで全食材を計って、自分で朝、昼、夜と調理していた。

自分で作るので、今日は何をどんな風に食べようか、といろいろ悩むのが楽しいといえば楽しかったし、そのとき自分の気分に合わせて限られた範囲の中でも食べたいものをセレクトできたのは、誰かに作ってもらうよりストレスがなかった。

1年もそうして計算していると、目分量でどれが何グラムかがわかってくるようになる。

今ではほとんど計量しないが、大体のところは目分量でわかる。多少違っても、以前ほどの厳しいコントロールでないので良しとしているのだけど。

この頃の食事はてんぷらが多い、そしてオリーブオイルを多用している。カロリーを上げるためだ。塩はほとんど使わない。ベーコンが、そして時にしゃけフレークが塩の代わりだ。あとは減塩醤油をほんの少しだけ。これは今も変わらない。

以前はてんぷらはほとんど食べなかった。しかし小さな電気フライヤーを購入してから、野菜やきのこをてんぷらするのが楽しみになった。

また御飯は玄米かサトーの低タンパク米である。玄米の栄養素を取り入れたかった。17グラムにタンパクを抑えるときは、すべて低タンパク米にした。

カロリーが足りなさそうなときには、ウィダーインゼリーを飲んだ。あとはじゃがいもをふかしてバターをたっぷり付けた食べた。

この頃はカードに食事記録を付けていた。食材を一つ一つ計って記入するのでカードが使いやすかった。カード一枚に一日の情報。体重は血圧なども記入して。

しかし問題は、後から見ても読みにくいのと、一覧表とかに出来ないところだ。

情報整理もなかなか悩ましいものだね。


朝  1)玄米50グラム、 タンパク(P)1.5

    2)しゃけフレーク8グラム P2.28

    3)パンプキンスープ150グラム P0.24 

    4)ハーフベーコン1枚9グラム  P1.56 

    5)オリーブオイル大1

    ●カロリー296  タンパク(P)5.58グラム


間食 1)ウィダーインゼリー

    2)じゃがいも64グラム   P0.89

    3)バター1個 

    ●カロリー282  タンパク(P)0.89グラム    


昼  1)玄米150グラム、 P4

    2)てんぷら 海老と玉葱のかき揚げ、なす  P6

    3)だし P0.2

    ●カロリー600   タンパク(P)10.2グラム  


夜  1)玄米107グラム、 タンパク(P)3.2

    2)しゃけフレーク10グラム P2.85

    3)パンプキンスープ200グラム P0.3

    4)ハーフベーコン1枚9グラム  P1.56 

    5)オリーブオイル大1

     6)ゴマ油大1

    7)ラクトアイス P2

    ●カロリー611 タンパク(P)9.91グラム


総カロリー1789  総タンパク26.58グラム


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峰岸徹をはじめて見たのは、テレビドラマの『若い季節』という番組だった。

1962年から4年に放送されていたこのテレビドラマは生放送だった。

だから毎回いろんなことが起きる。

まだたぶん十代であった峰岸徹は女社長の甥という役柄で出ていたが、本当に演技がへたくそで、そしてけっこうトチッていた。ある時まったくせりふが出なくなって、立ち往生していたら、ADがセットの机の下にもぐりこんで、そこからに根岸にせりふを教えているのが、バッチリ放映されたのだった。

あれから、峰岸徹を見るたびにあのシーンを思い出してしまうが、だいぶ演技もよくなったし、雰囲気も出てきた。


亡くなったと聞いて、寂しい。


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三浦和義が自殺した。

自殺の兆候が見えなかったところから、また三浦和義という人間の性格から「信じられない!」という人が多い。ともすると、拘留中に殺されたのでは?という、ニュアンスで語られているように思える。

私は、三浦和義が和美さん殺しの犯人であることを疑ったことがない。

今回の自殺は、さすがに彼の限界を超えたのだろう。たぶん、今度ばかりはダメだなーと観念したのだ。さまざまな証拠を出される前に、死んで自己のある意味保身を図ったのだろう。


三浦和義が国内で逮捕されたのは1985年9月11日だった。

お昼のワイドショーがこの逮捕劇1色で埋め尽くされた。

なぜ覚えているかというと、この日、私の両親があるお昼の番組に録画出演することになっていた。それがこの逮捕事件で飛んだ。別の日に再放送されることもなく幻に終わったのだった。


あれからずいぶんと月日が流れた。

両親はもう亡くなっているが、三浦和義の名前を見るたび、幻に終わった両親のインタビュー映像に思いが至るのだ。

「こいつさえいなければ、映像を記念にビデオにとっておけたのに」と。


1985年、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がアメリカで劇場公開された年である。


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