仙台は明日から晴れ間が出て、しばらく気温が29~32℃と上がるようです。
やっと夏らしいお天気になる。
ジメジメして妙に肌寒いお天気はもうおしまい
今日はまだ夜に雨が降ってグズグズしますけどね。
私は2011年9月からアメブロを始めて、震災の切羽詰まった状況から立ち直り、引っ越ししたマンションでの暮らしが落ち着いた頃です。
八戸(青森県)で数年、仙台の別の教室で1年間オカリナを習い、2011年6月から鬼先生の教室に通うようになりました。
その頃の記事を見ると教室に入って間もなくオカリナ合宿に参加したり、初めてのジャズフェスティバルの観賞をしていました
まだツリーと出会う前だから日常のいろんなことをポツリポツリと綴り、少しずつブログのお付き合いも広がっていきました。
ブログの中で仲良くなった方もいればお別れした方もいます。
意図的に疎遠になった方に恨みがましい気持ちは持っていません。
決定的な何かがなくても離れていくことはあるし、きっかけがあってお別れすることもあります。
もちろん自分で反省するべきところもあるし、逆にどうして解釈の仕方が違うのだろうと思ったり、リアルの世界同様に人の持つ感覚は様々です。
離れた方のお一人で未だにどうしても解せないのが、震災時、計画停電により不自由な暮らしをした自分達も「被災者」であると言ったこと。
関東在住です。
これは他の方にも話した内容ですが、確かに電気の使用が制限されていつものように家事ができない、マンションで断水が起きたり、エレベーターを使えずに階段の上り下りでくたびれるなどの苦労はあったでしょう。
だとしても「自分達も被災者」と、あれだけの大津波のあった地域の私(仙台)に言いますか?
計画停電によりお料理する時間がずれたと苦言を言っていましたが、不満はあっても食事が取れていたんですよね?
私達は今日はかろうじて食べ物があっても明日はどうなるのかと常に不安でした。
その食べ物もりょう父さんと2人で一人分のご飯を分けたり、水と食料確保の為に毎日ほとんどの時間を店舗や給水所に並んでいました。
半人前だろうが簡素なものだろうが、口にできるものがあっただけでも幸せ。
命があっただけで幸せ。
だって大勢の人が亡くなってしまい、残された私達はどうあっても生き延びていく使命があったのですから。
このことを書けば反感を感じる方もいるだろうし、今ままで書かずにいました。
でも記事の流れから書くことにしました。
あの言葉を言われたときは怒りのあまりに身体が震えました。
こんにちはですにゃ
ここからは僕、ツリーがお話します。
ぷー母さん、今日こそブラッシングしてよね
「わかったよ。お昼寝が終わってからね」
6月4日午後。
僕はお薬を飲んでいるけれど、ふだんは元気に暮らせているんだよ。
前よりちょっとやせちゃったけれど、まだまだぷー母さんに甘えたいし、毎日じゃらしで遊びたいんだ。
「りょう父さんが帰ってきたみたい」
あ、じゃ、また遊んでもらえるかな
僕はりょう父さんのことも好きだよ
ご飯を用意してくれるし、じゃらし遊びもしてくれるもん
「夜中に起きると2人で一緒に布団でねんねしてるよね」
ツリーがまだ幼かった頃、りょう父さんが撫でようとすると露骨にその手を振り払うようにしていました。
まだ心を許していなかったんですよね。
それから距離が縮まっていったのは、彼がめげずに遊び相手したり、温かく大きな心で接していたからです。
こうして家族になっていくんですね
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