4畳半のレシピ

4畳半のレシピ

4畳半一部屋から今の人生と生活が始まった。

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今のアパートは3年ほど住んでいますが来るまで10分のところに同棲している長屋に住んでいます。私には3つの将来の希望があり1つは俳優、2つ目は会社社長、最後は代議士。アルバイトをしていたのは1番目の目標に向かっている時期です。百貨店でアルバイトをしているときに知り合いました。彼女は社員で主任なので昼ごはんは食券をもらって社員食堂で食べていました。

少しずつ挨拶をするようになり、旦那が来て電気が消えている翌日は愛想が良い、駅に降りてからぽっりぽつりと降り出した雨、商店街を向けてアパートまでは歩いて5分ほどあまり激しく降っていないので急ぎ足でお妾さんの家の前を通りアパートまで歩いていると窓が少し開き”濡れているね”と声がしたので”はあ⤵”と返事をすると”こっちに来て”と手にタオルを持って拭く手振りをしていた。今まであいさつ程度だったので声を聴いたのは初めて、大人っぽいつやのある声だった。会釈だけしてアパートの中に入った。靴を持ち部屋に入ると胸がドキドキ、しばらく自問自答しながらあの時窓際に行きタオルを借りるか拭いてもらわなかったのだろうかと後悔した。


冬はスーパーの特売で1300円で購入したヒーターを使い部屋を暖かくしている、安くても1キロワットと500の切り替えができ節電になる。すぐに部屋は暖かくなる。寝るときは入口の土間において隙間風がフアンの代わりになり部屋全体に温風が行きわたる。一晩中点けているわけにもいかず、ネットでタイマーを購入したが本体より高かかった。それでも気にしながら寝るよりはまし、しかし夜中部屋の温度が上がり乾燥しているのでのどが渇き目が覚める、そこで空になったペットボトルに水道水を入れ頭のところにおいている。寝る前に多めに飲んで目が覚めたときはのどを潤す程度にしているそうしないと途中トイレに行きたくなり我慢をすると夢の中で便所の場所を探している。どうしても我慢できないときは流しにする、高さがちょうどチ○チンを出すと流しに乗るくらいの高さだ半分寝ているので両手を流しに乗せチ○チンを持たなくても大丈夫、直後は水で流すが、朝お湯を沸かした時に洗い流し、タワシでこするそうすれば汚ないと思わない。この事は彼女にもほかの人にも言わない、私はなんともないがほかの人が聞くと絶句するかも。

私の部屋の前が男女共同トイレで女性は昔ながらのまたいで座る便器、男性の小便はは立ってするタイプある日小便をしていると後ろからジャーとすごい音がするので振り向くと扉の下が少し隙間がある。音をたてないように汚いとわかっていたが床のタイルに顔をつけかがんでみると女性のこんもりしたあそこから滝のように吹き出ているのが見えた。とたんに心臓がバクバク、便所の履物が下駄だったが音をたてないように急いで部屋に帰った。しばらく残像が頭から消えず、急いでパンツをずらし右手を使った。

アパートの部屋の数は8室ずつ1.2階で16室私は隣人の音は片方だけで気を遣わなくて済んだのは反対側が共同洗濯室。夏になると人がいないのを見計らいホースにシャワーの先端を付けた自作をもって洗濯室のじゃ口につなぎ体を洗っていました。部屋の4面のうち1面は台所、1面は出入口ほかの2面は本箱で天井まで本でいっぱいでした。小さいころから本に囲まれた生活が理想で満足していました。シャワーを浴びその場で体をふかなくてっ人が来ない間に部屋に帰り扇風機をかけゆっくり体を拭いていました、後で気付いたのですが共同トイレに行くとき水たまりの足跡が部屋まで2.3歩ついていました。それからはシャワーに行くときは足元をふく雑巾をもって行きました。直接扇風機を体に当てているため暑くて台所のじゃ口で直接水道の水を飲んでいました。汗がとめどなくあふれ布団に寝ることができなく畳にじかに寝ていましたが寝ている間背中が熱くなると少しずつ冷たいほうに体をすらしていました。

風呂なし、トイレなし家賃1万3千円。今にも崩落しそうなアパート。大家のお妾さんは敷地内の一軒家に住んでいて大家が来るときは一軒家の電気が消える、いまどきと思うが夏はエアコンがないので窓が少し開いている、時々銭湯の帰りに屋台が来ているのでいつも大ビール1本と赤ナマコの酢漬けでアパートに帰る遅くなると妾の家の電気が消えているときがあるドキドキしながら窓の近くを通りながら気配をうかがい周りを気にしながら少したたずんでいるとはっきりと声が聞こえてくる。敷地は石ころなので音をたてないように自分の部屋に帰るが電気が消えている間は少々の音を出しても気づかれないことを通っている間に覚えた。お妾さんとは引越しをして半年くらいで顔が合うと挨拶をするようになった。年は40前後で特にセーターを着ているときは胸が大きく見える。ブラジャーが固い時とやわらかい素材では胸の揺れ方が違う。

2006年からアップし始め8年になるけれど毎日開いて読んでは毎回アップしたいと思っている。

注目される内容がない。開設したけれどネタが無くなってアップしなく、長年ほっている人も多くいるはず、日記だと思いアップすれば毎日でも書けると思うけれど1行くらいで終わる。

芝居をしている頃夏になると2週間20名の男女で小豆島の民宿を借りきって合宿をしていた。朝7時に起床、民宿から5分のところにある浜に出て午前中は発声練習、日中は自由時間、、夜は酒びたり、われわれ仲間は本気で芝居のために合宿するのではなく夏休みの延長で泊っていた。ある程度自分を納得させるために練習をしていたところもある。酒盛りの延長で夜浜に出て泳いだり花火をして過ごしたりしていた。ある日1人の女子が飲みすぎて気分が悪いと言い出した。民宿まで送るように言われた男子がその子を宿に送らず浜の先のほうに介助しながら歩いて行くのを見ていた。後で判ったことだが、浜辺でその子は体を奪われたと酔いがさめてから同室の子に話し部員全体に噂になり、その子の彼氏は犯した男性を袋叩きにして全員が止めるまで殴り続けていた。その後その子は犯された男性と付き合うことになり、私は理解ができなかった。
今は季節を通じてやらなくなったが、一時は真冬でもボードセーリングを浜でたき火をして楽しんでいた。冬の時期は沖に向かって風が吹くのと風が一定していないので腕の力だけでは支えきれないのでハーネスをセールに体重を掛けていないと突然の突風に飛ばされる、夏は岸に向かって吹いているので初心者でも沖に流されることがないので練習は夏からすればよい。でもボードセーリングは主に夏の遊びだから関係ないか、夏の浜は海水浴客が多くボードは同じ場所で遊ぶことは規制されていて出せない。それでも出港するときは同じ所から出てできるだけ速く沖に出ないと危ない。特にナンパを目的にするには浜でセールを干して置いておくと必ずというほどグループの子達が寄ってきて中には教えてほしいとか乗せてほしいとか言ってくる。乗せて沖に出ると浜にいる時と景色ががぜん変わって見えるその変りようにたいていは驚く。グループの中には今度1人で来るから教えてほしいという子もいる。夏の間は朝から夕方までは浜にいるからと返事をすることにしている。ほとんどやってくる。中には1人で来る子もいる。その子には夕方まで教え、夕日がきれいな浜のレストランで食事とワインを飲んでホテルに行く。確率的には9割落とせる。心が開放的になるこの季節異性と恋の季節は今でしょう!

北の方では季節外れの雪が舞っていてなかなか夏が来る雰囲気にならない。以前は連休が始まる頃には体を焼きに海へ行っていた。夏本番になると真っ黒の顔で神戸のポートピアホテルの南館に泊まり、直接車でボードを預けてある須磨海岸でウインドサーフィンをやっていた。、夏は日中は風が吹かないので砂浜でビールを飲みながら女の子を見つけては、ウインドの乗り方を教えていた。須磨海岸にも海に突き出たレストランがあり沈む夕日を見ながらワインを飲む事が出来る。それはそれは絵に描いたような情景だ。彼女の顔はワインのせいか夕日でほんのり赤くなっているのを見ていると幸せ感がある。海岸に来る子はたいてい友達と2.3人でくる、教えた子に食事だけと誘うとほとんどOK。ただし友達も一緒。ねらった子を誘うチャンスは友達がトイレに立ったときホテルの電話番号と部屋番号、名前を書いたメモを渡す、当日電話だけの時もあれば、友達と別れホテルに来る子もいる。電話だけで後日須磨に1人でくるのでウインドを教えて欲しいと言ってくる子もいる。そう言ってくる子はだいたいホテルに誘うとOKしてくれる。やはりラブホテルとは違い、リゾートホテルは誘いやすい。すぐには部屋に誘わずエレベーターでホテルの上のレストランで夜景を見ながら食事をする。続きは部屋で呑もうと誘う。もちろんルームサービスでワインを飲む、焦らずベランダのカーテンを開け夜景の続きを眺める。このパターンが今年ももうすぐ、でもこれは過去の話です。