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休日には、ヘラブナ釣りに行ったり、パチンコに行ったりして、ほとんど家に居なかった父親。当然家族サービスなどはしませんでしたから、どこかに連れていって貰った記憶は数える程しかありません。
そんな自分勝手な父でしたが、小学校の頃よくキャッチボールをしてくれた思い出があります。
先日火葬場にて、父の遺体を焼いている間、母と父の思い出話になりました。
私が、
「そう言えば親父、よくキャッチボールしてくれたよね」
と私が言うと、母は、
「何言ってんの?あんたとは私がずっとキャッチボールしてたんだよ。おっきくなってからはさ、あんたが投げる球が段々速くなって来て、もう私じゃ無理だから、仕方なくお父さんやってよって私が頼んだら、しょうがねえなって渋々何回かやった程度でしょ」
この話は初耳でした。
私には、母とキャッチボールをした記憶はありません。
ただ、父親とキャッチボールをした記憶はあるのです。
それ以外は、家の外壁にボールを当てて、一人でボール遊びをしていた記憶しかありません。
恐らく父とした数回のキャッチボールが、少年時代の私にとって物凄く嬉しかった思い出だったのでしょう。それで記憶に残っていたのだと思います。
野球好き。ジャイアンツファンの父は、読む新聞も読売でしたし、新聞を契約した時に観戦チケットをよく貰っていました。その時は、父と一緒に野球を見に行きました。
今は無き後楽園球場に行った時、ナイロン製の阪神タイガースの茶色い財布を買ってもらった事をよく覚えています。
父がジャイアンツファンだったので、私は逆にタイガースファンだったのです。
「ジャイアンツのじゃなくて良いのか?」
と不思議そうに聞く父に、
「うん。俺阪神ファンだから、これで良い!」
と言ったのを覚えています。
その後、後楽園球場から東京ドームになった時にも、二人で野球を見に来ました。
「あそこの鉄骨とか、俺が作ったんだぞ!」
と言う父の言葉に、
「へーっ!凄いね」
と少年だった私は、心から父を尊敬したのを覚えています。
他にも父には、二度程映画に連れていって貰った事があります。
一度目は、小学校二年生の時だったと記憶しています。
新聞の広告に、面白そうな洋画の広告が載っていました。
「これ、面白そう」
と私が言うと、父も身を乗り出し、
「確かに面白そうだな。じゃあ行くか?」
と言いました。
しかしその映画二本立てで、一本目は広告に載っていた馬鹿々々しいギャク映画だったのですが、二本目が成人向け映画でして、今で言う所のR15とかPG12のような類の映画でした。R指定の映画だった為、近所では上映しておらず、東京の数か所の映画館でしか上映していませんでした。
父と私は電車を乗り継いで、わざわざその映画を見に行きました。
今では、R指定の映画に小さな子供が入ろうとしたら、絶対に止められると思うのですが、昔は規制が緩かったので、父と二人で普通に入れました。入場する時に怒られるんじゃないかと、ドキドキしながら通ったので、その時の光景は目に焼き付いています。
案の定、周囲を見回すとほとんど客はおらず、居てもおじさんばかりで、子供は皆無でした。
二本目の映画が始まるや否や、湖に浮かぶボートの上でカップルがイチャイチャし始めました。
さすがに幼い私に見せるのはまずいと思った父は、私の目を手で覆いました。
しかし指と指の隙間から、映像が見えてしまいました。純情だった幼い私にとって、その映画はインパクトが大きかったです。私がその後性に潔癖になってしまったのも、この時の事が原因のような気がしてなりません。(今は性に寛容ですけどねw)
通常子供の事を考慮したら、二本目は見ずに出るのが普通だと思うのですが、父は払った金が勿体ないと思ったのか、どうしても最後まで見たかったのかは、今では確かめようがありませんが、最後までしっかり見てから帰宅しました。
母には沢山遊んで貰ったそうですが、ほとんど(と言うか全く)記憶に無いのですが、父と出掛けたり、遊んで貰った記憶はしっかりと残っています。
きっと幼かった私は、いつも遊んでくれない父が珍しく遊んでくれたので、その時の事が強烈に記憶に残っているのでしょう。
家族旅行には一度も連れていってくれなかった父でしたが、一度だけ社員旅行について行った事があります。次回はその話を書きます。
※同じような批判コメントを付ける方が多いので、それに答えた各記事があります。
批判をする前に、まずそちらに目を通して下さい。→ 中傷、反論する者に答える。