★こちらの記事の続き(?)です


 




★大天使ミカエルは
戦いのエンジェルで…


私はいつもだいたい
大天使ミカエルさんと
一緒にお仕事させていただくことが多いです👼


エンジェルの中にも
戦いを司る存在がいらっしゃるのか~
と最初、ミカエルさんのことを知った時は
少しびっくりしました


エンジェルの戦いとは
言論による戦いです


それから
長いものに巻かれずに
差別やいじめ、ハラスメントなどに
ノーと言う戦いですね


弱きを助け強きをくじく
…ですね





私のような仕事
(スピリチュアルなこと
心理に関わる仕事)では


イメージすれば願いは叶う
ってことをよくお伝えしたりします


これって本当に
人生の真理だなあと思います



このやり方で
個人の生活は公私ともに
だいたいうまくいくと思います


この段階をクリアして
少し余裕のあるかたは
次の段階に進んでみましょう
(もしあなたがイヤじゃなければ)


自分の世界を満たせたら
次に世界(社会全体)にも
視野を広げてみると

ミクロ…私個人の世界、価値観
マクロ…社会全体のシステム、価値観


そのどちらにもエンジェルパワーを
発揮していくことができそうです

…………………………………………………




★今日の記事も
ちょっと長いです😊🙇



れいわ新選組の大石あきこさんと
山本太郎さんの動画で↓
私がハッとしたことについてです


動画の1:54あたりから始まるところ…
「生産性で人を計らない第一歩だ」
っていうお話(言葉)についてです



この言葉、とにかく何だか
とても心に残りました


↓こちらの動画








★れいわ新選組には2024年現在
障害を持っている3人の
国会議員のかたが所属しておられます




・舩後 靖彦 議員 


平成11年、41歳の夏に突如、箸、歯ブラシ、ペンが上手く握れなくなる。翌年5月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の告知を受ける。麻痺は全身に及び、平成14年、人工呼吸器、胃ろうを装着。平成20年、最後まで動いていた右手中指も麻痺。現在は歯で噛み反応するセンサーでPCを操作しながら詩歌や童話などの創作活動、意思伝達装置「伝の心」を用いての講演活動に取り組む○現在株式会社アース顧問

こちらのサイトより引用↓
 





木村英子 議員


生後8か月の時に障害を負い、幼少期のほとんどを施設と養護学校で育つ。養護学校卒業後、重度障害者は家族が介護できなければ、施設しか生き場がない現状の中で、地域で生活したくて施設を拒み、19歳の時に国立市で自立生活を開始。以後、仲間と共に障害者運動に携わり、地域での自立生活歴・障害者運動歴ともに35年、障害者の自立支援を行う○現在全国公的介護保障要求者組合・組合員、自立ステーションつばさ・事務局長



↓こちらのサイトより引用
 





天畠大輔 議員

14歳の時、医療ミスにより、四肢麻痺・視覚障がい・嚥下障がい・発話障がいを負い、重度の障がい者となり、車椅子生活となる。コミュニケーションは、「あ、か、さ、た、な話法」を用いる。2008年、ルーテル学院大学総合人間学部社会福祉学科卒業。2019年、立命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻一貫制博士課程修了、博士号(学術)取得。2020年、一般社団法人わをん設立、代表理事就任。重度障がい当事者の支援活動に携わる。中央大学社会科学研究所客員研究員。立命館大学生存学研究所客員研究員。

↓こちらのサイトより引用

 





★れいわ新選組が
障害のあるかたを
参議院選挙の候補者として発表された時
そのたびごとに
世間から、めちゃめちゃ叩かれておられた



「障害者を利用して
選挙に勝とうとしている」


「障害者を見世物にしている」


「障害者は弱い存在だから
仕事などせずに
家の中にいて家族に保護されるべき」


「障害者なんか何の役もに立たない
障害者が政治家になっても
まともな仕事はできない」


主に、こういうような意見が
多かったかなあ…




※これらの意見について…
どう思う…?


私は
小学生の時クラスに
障害のあるクラスメイトがいらしてね…
その子のことをふと思い出しました


そのクラスメイトがもし
自分は障害があるから
家にいたいと願うなら
それが叶う社会のシステムを
応援したいなあと思うし


そのクラスメイトがもし
自分は障害があるけど
一人暮らししたい
政治にも携わって
世の中の仕組みを変えたい
と願うなら
それもやっぱり応援したい






★今回のテーマと
少しリンクするように感じる事件が
2019年に京都でありました



(船越議員と同じ病気である)
ALSの女性の患者さんが


お医者さんに
薬物投与(安楽死、尊厳死)
することを依頼して…
その女性のかたは亡くなり


依頼された医師二人は
嘱託殺人罪に問われ
医師免許を取り消しされました


※その医師のうちの一人は
「高齢者は見るからにゾンビ」
「寝たきり高齢者は
どこかに棄てるべき」との投稿を
SNSに投稿されていたり


ペンネームにて
「扱いに困った高齢者を
枯らす技術」なる電子書籍を
執筆されてもいたそうです



 






★この嘱託殺人事件について船越議員は


(ご自身もALSになり
一度は尊厳死を考えたことがあるそうですが
でもやっぱり「生きたい」と考えるようになられ…)


「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。
どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています」との声明を出されました。




その声明について
維新の会の馬場伸幸議員
(当時、維新の会の幹事長
現在は、党代表)が


「議論の旗振り役になるべきかたが
議論を封じるようなコメントを出している。
非常に残念だ」と批判されました。


(つまり…
ALS患者である船越議員自身
安楽死、尊厳死について 
考える必要があるのでは?
と馬場議員は、遠回しに
おっしゃっておられる)

←馬場議員のこの発言は
「ひどい!」ということで炎上しました





その馬場さんの発言について
当時の維新の会の代表
松井一郎さんの見解です↓









雨宮処凛さんの

こちらの記事も…

よかったら読んでみてください



「ALS女性嘱託殺人事件~

「死ねなくてかわいそう」の前にできること


https://imidas.jp/girls/?article_id=l-60-096-20-08-g421






※このエッセイの中の「」の文章が

すごく…心に残りました



こちらは

京都の嘱託殺人事件についての文章ではなく

別件についての記述なのですが

障害者、介護の必要な高齢者のかたなどの

介護について

すごく大事な視点なのだ…と思いました




「介護は家族だけでやっちゃ駄目なんです。

もっと人を入れて、このケースだったら息子さんと母親をきっぱり引き離すことが重要でした。

家族だけで解決しろ、介護やれってなると、絶対に家族の中で殺し合いになる。」









★もし自分が障害を持ったとしたら…

そんなとき

以前の私だったら…




周りに迷惑をかけるのもイヤだし

社会のお荷物だって

自分で自分のことを

思っただろうなあ…と思います



もしかしたらそれで…

こんな社会のお荷物である私なんて

生きてる価値ないとか

死にたいとか考えたかもしれません




でもれいわの

舩後さん、木村さん、天畠さんを見ていて

考えが少しずつ変わりました

正確に言うと

変わっていく途中…かな…




冒頭の

大石さん、太郎さんの

「生産性で人を計らない」という価値観

まだまだ完全には私の中で

根付いていないから…

まだ変わっていく、その途中です





私自身、恥ずかしながらまだまだ

がんばらない人を見ると

いらっとしたり

もっとがんばればいいのに…

って思ってしまうことあるなあ…

と思うからです



生産性とは…

外見のよさとか

若さとか

健康であることとか

たくさんお金を稼げることとか

仕事がよくできることとか

そういうことですね




そういうものをより多く持てる方が

そりゃあ確かに…その方がやっぱり

なんかいい!  と私はまだまだそう思います



なので私自身はやっぱりこれからも

できる限り努力しようとも思っていますし…

できるだけ、より良い自分でいよう

いたいとも思っています

自分の人生に

より良いものをらそこそこの量、得るために




でもその基準だけで

その基準オンリーで

世の中を見ようとすると…




私は、自分より生産性の低い人を

心のどこかでバカにしたり



もし自分が障害を持ったり

重篤な病気になった時

自分なんて生きてる価値がないって

やっぱり思ってしまうかもしれない



それって中々しんどい生き方だ…



自分に対してそう思うのも

すごくしんどいし

自分以外の人に対しても

そんな風に思いながら生きるのは

やっぱりしんどい

生きづらい



  




★繰り返しになりますが…




外見の良し悪しとか

年齢とか

健康かどうかとか

たくさんお金を稼げるかとか

仕事がよくできるかどうかで



自分で自分のことをポンコツだ

と考える…ということは




それってつまり

自分よりも

外見、年齢、体調、お金の量

仕事の能力等が劣っている人のことを

ポンコツだと思ってしまう

ということでもある




「それって!

なんと差別的な!」

と思うと…

  


生産性で人を計る心のクセ

私自身も

だんだんだんだん

変えていけそうな気がします







★ちなみにこちらの記事も

今回のテーマとリンクしているなあ

と思うのでシェアさせていただきます↓





※カナダでは「安楽死」が
合法化されているそうです


安楽死が法律で認められてから
わずか5年で
安楽死者が4万人を越えているそうです



更に、その4年の間に
安楽死が認められる対象範囲が広がり


精神的な苦痛や
障害を持った新生児も
安楽死が容認される方向へ…とのことです







★最後に

プラン75」



こちらの映画ももしピンときたら

観てみてください



アマゾンプライムとか

U-NEXTなどの配信で

観ることができます





~映画あらすじ~



高齢化対策として

75歳になったら

「プラン75」が 申請できる法案が

国会で可決された



プラン75とは

生死の選択権(安楽死)を与える制度



この制度を申請すると

薬物投与により

苦しまずに死ぬことができて



支度金(死ぬ前にやりたいことをやるための)

10万円が支給される



プラン申請から実施までの間

一回15分のカウンセリングも

何度か無料で受けることができる…









重いテーマの映画ですが

ラスト…

なんて言葉にしていいかわからないけれど… 

光みたいなもの

すっ…と吹く風みたいなものを感じました



あの光と風の感じ

今もまだ私の中に、ずっと残っています



あの光と風は

私の中の「自分への無価値観?」みたいなものを

あれからもずっと

ちょっとずつ癒してくれているような気がします



※劇中、主人公の倍賞千恵子さんが

お惣菜の入っていたパックを

きれいに洗ってから捨てるところも

とても印象に残っています







★長い記事になりましたが…

自分や自分の大事な人の

生産性が低くなった時



生産性という物差しをちょっと

横に置いて



自分のことや

その人のことを見ることができるかな…



世の中全体が(私自身も…)

生産性で人をジャッジしてしまう

この世界で



生産性の低い自分や

生産性の低い大事な誰かや

そんなに大事じゃなかったり

よく知らない生産性の低い誰かのことを

「ポンコツ」って言い捨てたりせず…



その人(&私)のこと 

1人の人として尊重できるかな…



今年はこのことも私…

ずーっと考え続けます