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タロティスト”はゆる”です。
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続きです。
住職さんを通して作ってもらった「お位牌」に書かれていた文字が、
”縁”と書くべきところが”緑”になっていて、(それでもいいってホントに大丈夫かなぁ~~)と思いながら毎日お経を唱えていた・・
そこからです。
私は、住職さんに「先祖供養というけど、家系的に繋がりがなくても先祖というのですか?」・・と、尋ねました。
住職さんが言うには、縁には「有縁(うえん)」と「無縁(むえん)」があるのだそうです。
簡単に言うと、家の家系図に載るような繋がりがある人が、「有縁」
家系の人ではない、それ以外の人を「無縁」というのだそうで
私に説明してもよく分からないだろうから、まとめて「先祖」という言い方をしていたのだそうです。
そこで、その供養の方法ですが、住職さんに「上にあがりたい」と助けを求めてきた人達を、
私が作ってもらったお位牌と、お寺で供養するためのお位牌に入ってもらい(それはお寺に置かれました)
私とお寺(住職さん)の両方から、毎日水とご飯とお線香をお供えして、般若心経を唱え、今まで皆さまに気付かなくてごめんなさいというお詫びと、日々の感謝を伝えていました。
それは、その人達が納得するまで、全員、その人達がいう「上」にあがるまで、およそ2か月くらいだったでしょうか
『皆、上にあがられた』と、知らせてもらうまで続きました。
巷には、無念のままでいる未成仏霊を成仏させる・・とか、そうなっている人をお祓いする・・という言い方をして、
それも、たちどころに解決する・・という方達もいらっしゃるようです。
でも、この住職さん、つまりは「不動明王」ですけれど、
先祖とは、かりにも今の自分に命を繋いでくれた人達なのだから、感謝しこそすれ、その尊い霊に対して「成仏」や「祓う」という言い方、考え方
何より、そういう心持ちそのものは不遜である・・と、そういうお考えをされておりました。
なので、「成仏してもらいましょう。はい、お寺さん(霊能者さん)お願いします」というような、力のある人に丸投げではなく、
『自分達が今あるのも皆さまのお蔭です・・と、毎日手を合わせて感謝を伝えることが何より大事で、そうすることで心や思いが先祖に通じる』
と、先祖に日々手を合わせることが子孫として出来ること・・と、そう言われていたのです。
でも、「先祖に感謝をする」というのは、口でいうほど簡単ではありませんでした。
だって、「上にあがりたいけど上がれない」と言っている、その人達のお蔭で家の中がひどいことになった・・と思っていましたから
そこに、感謝しなさいと言われても・・・
「今は分からなくていい。やがて分かるときがくる」と言われていた住職さん。
・・・私の”やがて”は、くねくね曲がった長い長い道の先にあるのでしょう。
いつか、そこに行きつきたいものだと、まだ、そんなことを思っている私です。
さて、家系的に”縁”のある”有縁”の人達には「感謝」が出来たとしても、
直接つながりのない”無縁”の人に感謝する・・ということが、今ひとつピンときません。
そこで、教えられたのが、仏教の「袖振り合うも他生の縁」という言葉でした。
それは、「人との縁はすべて深い因縁によって起きるものだから、、どんな出会いも大切にしましょう」という教えです。
つまり、家系的とか、血の繋がりがなくても何かしら関わったのなら、そこに”縁”が生まれているわけなので
”無縁”だけれど”縁がない人というわけではない”というのが、住職さんの話でした。
実は、そういう”無縁”といわれる人でも、自分を守ってくれて、守護霊などになってくれる人がいるのだそうです。
例えば、何代か前の先祖に大変お世話になった・・と思っている人が、何とかそのお礼をしたいと
あの世でちゃんと修行をすませて上の方にいって、お世話になった人の子孫をお守りするということが、実際にあるのだそうです。
家族じゃないから
親戚じゃないから
そこに家系の関わりがなくても、心とか気持ちとか、魂とかのレベルで”縁”は生まれていて
もしかしたら、自分が覚えていない遠い昔・・前世とか、そのまた前世とか、そういう繋がりが今に持ち越されているのだとしたら、
「それはとても大切で有難いこと」・・と、
『不動が言っている』・・と、住職さんが教えてくれました。
あ、「それで、その供養代はいくらだったの?」と質問があったので、書いておきます。
20代そこそこの私が出せるくらい・・でした
そのお寺で経験した話は、まだまだあります。
また、いつか、少しずつ書いていこうと思います。
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