「におい」のない生活 | 店舗探し.comの過去コラム

店舗探し.comの過去コラム

会員様向けメルマガに掲載された過去のコラムを掲載しています。

2013/12/28

 

「anosmia(アノスミア)」とは、「臭覚障害」を表す英語です。

モリー・バーンバウムさんが執筆した同名の本が話題を呼んで
います。

一流シェフを目指して修行していたモリーさんは、ある日交通事故
に遭い、以来、臭覚を失ってしまいます。
『アノスミア』(勁草書房)は、モリーさんが臭覚を失ってから
取り戻すまでの物語です。

同書から引用します。 

 

“においが人のアイデンティティや体験の中心部分を占めていて、
 消えると世界の見えかたに大きな空洞を残しかねないことは知って
 いた。
 わたしの場合、においの欠如とは、たちの悪い単調さだった。

 ドーティのクリニックに通ううち、人によっては、抑うつや不安、
 食生活の異常、性欲の欠如などが起こりうるとわかってきた。
 思い出は風がふけばどこかへ飛んでしまい、親近感は根拠を失う。

 においを感じる力がなくなったときに失うのは、台所でロースト
 チキンが焼き上がるときの塩のきいた脂の多い香りだけではなく、
 なにかもっと深いものなのだ。

 それは子ども時代の記憶かもしれないし、空腹に気づくきっかけ
 かもしれないし、ここがわが家だという実感かもしれない。
 漠然とした、たいていはことばにもできない、それでいて自分自身
 を知り、自分のアイデンティティを把握するために欠かせない基準
 -その人の過去、現在、未来なのだ。” 

 

においを失ったモリーさんは、


「外界をほかのみんなと同じように処理する手段を失うと、世界が
 変わりうる」


ということを痛切に実感することになりました。

では、私たちに、においを失った状態がどんなものかを実感する術
はあるのでしょうか。

においを失ってしまった世界を生きているのは、なにもモリーさん
に限ったことではありません。

現代人の多くが、その生活時間の大部分を生きるPCやスマホからは
匂いを嗅ぐことはできません。
ビデオ通話で話していても、相手からの汗の匂いや体臭が鼻をかす
めることはありません。
ジュージューと音を立てて焼き上げるステーキの映像から匂いが立
ち上ることもありません。

 

臭覚にはなんの異常もない人であっても、PCで展開されるやりとり
においては、誰もがアノスミアなのです。

ただ、においのあるリアルな世界と、においのないPC世界との違い
をはっきりと自覚し、振る舞いを修正している人がそれほどいない
というだけなのです。

 

「アンドロステン」というステロイドがあります。


男女を問わず汗のなかに含まれています。これのにおいの感じ方は
人によって違うのだそうです。

「古くなった尿のにおい」という人と「花のような甘いにおい」と
いう2種類の人がいて、その中間だと言う人は一人もいないのだそう
です。

ビデオ通話では、相手の体臭を、その姿かたちから、花の香りが
するものと想像していたのに、会ってみたら臭い尿の匂いがつんと
鼻を突き、一瞬で幻滅してしまう。
こんな事態は容易に起こりうるのです。

 

PCの中で展開している、においのない世界は、においのあるリアル
な世界の延長線上にあるわけではないのです。
そのことを私たちはしっかりと認識する必要があるでしょう。

 

リアルの店舗では、利益度外視の素人までが多数乱入するネット
ショップによって売り上げを奪われて、苦戦をしているところが
多くあります。

それだけではありません。

「WEAR(ウェア)」の登場によってショールーミングによる危機感も
一気に高まってきています。

 

しかし、それほど悲観的になる必要はないのではないでしょうか。
においの出るPCが登場するには、まだ当分時間がかかりそうです
から。

 

母親に抱かれたときに薫ったかすかな母乳の匂い。

冬の午後、柔らかな日差しが差し込む寝室でくるまった布団から

立ち昇る故郷の押入れのにおい。

砂糖が焦げる時に放つ甘たるくて香ばしい匂い・・・。

 

変化に富んだ匂いが、売り場ごとに次から次に現れるとしたら、
誰もが惹きつけられるように隅から隅まで、舐め回すように売り場
を訪ね歩くようになるでしょう。

 

【におい】こそが、来年以降のリアル店舗の救世主となるでしょう。

そして、においのない生活というものが、いかに無味乾燥として
荒涼なものなのか、人が痛切に実感したとき、PC世界はついに限
界を迎えてしまうのかもしれません。