日日是好日 | 店舗探し.comの過去コラム

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2014/3/12

雲門文偃という禅僧がいました。

雲門宗の開祖で、公案(禅問答)の題材を多く提供したことで
知られています。
雲門和尚に対してある僧が問いかけます。

「如何なるか是れ仏(仏とは何か?)」

雲門は答えて

「乾屎橛(かんしけつ)」

乾屎橛とは「糞かきべら」、つまり、排便の後でお尻を拭く小
さな木片のことです。
つまり、雲門和尚は、仏とは糞かきべらである、と答えたこと
になります。
その真意とは・・・

乾屎橛の立場で考えてみます。
乾屎橛には仕事が嫌だと逃げることはできません。しかもお尻
の選り好みもできません。
ただ黙々と、目の前に現れたお尻を拭くだけなのです。

こんな乾屎橛でも、作るためには材料となる木が必要です。
その木が育つには、大地や空気や水の助けが必要です。さらに、
その木から木片を切り出す人間がいて、お尻を拭くために乾屎
橛を使う人間がいます。
使用済みとなって捨てられれば、ミミズやバクテリアが分解し
て土に戻してくれます。

乾屎橛は過去、現在、未来の様々なものに助けられて存在して
いるのです。

乾屎橛の存在をたすけてくれるものたちも、他の無数のものに
支えられています。
一枚の乾屎橛は世界のあらゆるものを結ぶ網の目の中心に位置
しているのです。
すなわち、仏とは乾屎橛そのものです。

この世界に存在するものは全て乾屎橛と同じと言えます。
生きている者死んだ者、ありとあらゆるものが何かの役目を背
負いしかも世界の中心であるのでしょう。

「日日是好日」

雲門和尚の残した言葉で最も有名な言葉でしょう。
本来、“日日”は「ひび」ではなく「にちにち」と読みます。

私達は、今日は良い日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、
お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあ
ったなど、そんな物差しで判断します。
これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。

そうした指標で判断していると、ある日幸運が訪れても、その
後に来る不運に脅えなければなりません。

日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切
って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地を
言っています。
嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、た
だひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのです。

乾屎橛たる私たちは、今日もそして明日も、是非、【好日】を
生きていきましょう。