一番きれいだったときから・・・ | 店舗探し.comの過去コラム

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2013/3/11

 

3月11日。

今日は、日本に住むすべての人々が、毎年、必ず立ち止まらな

ければならない日です。

 

今日、私の胸にふっと浮かんできたのは、ある詩でした。

 

「わたしが一番きれいだったとき」 

 

                茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達がたくさん死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり

卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからはジャズが溢れた

禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように

              ね

 

単純に数字だけを比較すれば、戦争による被害は、東日本大震災

よりも遥かに大きな被害をもたらしました。

しかし、まだ生まれていなかったものから見れば、戦争は人災で

あり、理性と英知で避けることができたのではないかとの思いを

拭い去ることができません。

 

2年前の大震災は、紛れもない天災であったにもかかわらず、後から

の検証が進めば進むほど、避けられたはずの被害があったことが

明らかになってきています。

いくつものありえたはずの人生が半ばにして道を閉ざされ、進む

べき進路は、無理矢理方向転換させられてしました。

今なお、多くの人々が苦しみの中にいます。

 

「わたしが一番きれいだったとき」から時を経て、茨木のり子さん

の心情は、ついにある一つの到達点に達します。

 

「倚りかからず」

 

 もはや

 できあいの思想には倚りかかりたくない 

 もはや

 できあいの宗教には倚りかかりたくない

 もはや

 できあいの学問には倚りかかりたくない

 もはや

 いかなる権威にも倚りかかりたくない

 ながく生きて

 心底学んだのはそれぐらい

 じぶんの耳目

 じぶんの二本足のみで立っていて

 なに不都合のことやある

 倚りかかるとすれば

 それは

 椅子の背もたれだけ

 

まだたった2年しかたっていません。

しかし、確実に2年は経過したのです。

生き残ることができた私たちは、どんなに絶望し、苦しみの底に沈んだ

としても、志半ばに命を失った人の分まで長生きし、いつかは絶望や

苦しみを克服し、強くならなければいけないのでしょう。

 

“倚りかからず”。

じぶんの耳目、じぶんの二本足のみですっくと立てるその日まで・・・。