明日の綿あめ | 店舗探し.comの過去コラム

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2013/1/21

綿あめと聞くと子どものころの縁日を思い出します。

自分の顔の倍ほどもある大きな綿あめが欲しくて、いつもねだる
のですが、「ただのザラメに何百円も払うのはバカバカしい」か
らと、滅多に買ってもらえませんでした。

お好み焼きや焼きそばなど、おなかが膨れる食べ物だと割と無造
作に買ってもらえたところをみると、戦争世代の親たちにとって
は、実質的でない食べ物にお金を払うことには大きな抵抗があっ
たのだと、今にしてわかります。
 
たまに買ってもらうときにも、白とピンクと2本が縦に並んだ大き
な袋の方ではなく、白い綿あめを1本だけでした。
綿あめは、口に含んだとたんにあっという間に溶けてしまい口中
に甘い香りが広がります。
一口一口、それこそ愛おしむように食べたものです。

しかし、もったいながってもたもたしていると、次第に綿あめは
小さくなってしまいます。
翌日まで取っておいたら、あの大きな綿あめは見る影もなく、た
だ割りばしの周りにカチカチに固まった飴があるばかりで、大泣
きしたこともありました。
 
一週間前に降り積もった雪が、路地裏や空き地にはまだ残ってい
ます。
降ったばかりの時は、出来立ての綿あめのようにふわふわだった
のに、今では翌日の綿あめよろしく、カチカチの氷となってしま
い、いつ溶けるのやら見当もつかないほどの堅牢さです。
 
雪がふわふわしているのは、通気性があるからです。

しかし、踏まれたり、雪自身の重さによって密度が濃くなり空気
が次第に抜けていくにつれて固くなり、ついに空気が通り抜ける
ことができなくなると「氷」になってしまいます。
 
綿あめも雪も、確かにふわふわの状態の時が一番魅力的です。
固まった綿あめや、氷化した雪は、風情がなくてつまりませんが、
安定していて長持ちだと解釈することも可能です。
 
何に限らず、最高の瞬間というのは長続きしないものなのかもし
れません。
今、光り輝くアイドルたちは、数年もたてば闇の彼方へと消えて
いくことでしょう。
プロ野球のエースでも、真のピークは選手生命のほんの一時でし
かありません。
 
ふわふわの綿あめ時代を生きる若者からは、カチカチ頭で融通の
利かない頑固者にしか見えない中年男にだって、ふわふわの綿あ
めのような甘い青春の一ページは存在していたのです。

中年男が長い間に培ったり了解してきた原理や認識は、踏み固め
た氷のように筋金入りで、揺るぎない行動の指針としていつまで
も長持ちするのです。