“エンカ”の神様 | 店舗探し.comの過去コラム

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2012/10/19

1914年(大正3年)夏に始まった第一次世界大戦をきっかけに、
「大戦ブーム」が起き、好景気に沸いた日本ですが、その反動
から1920年からはいわゆる大正不況となります。

翌21年、不況はいよいよ本格的に深まっていきます。
この年に野口雨情の作詞、中山晋平の作曲で『枯れすすき』が
作られました。
更に翌22年、『船頭小唄』と改題されてレコード化されました。
この歌の大流行の最中、1923年(大正12年)9月1日に関東大震
災が起こり、この地震を予知していた歌だったのではという説
が流布しました。

 己は河原の 枯れ芒(すすき)
 同じお前も かれ芒
 どうせ二人は この世では
 花の咲かない 枯れ芒

1937年「昭和12年)。盧溝橋事件が起き、これが発端となって
日本と中華民国間に、日中戦争が勃発しました。
ニューディール政策により世界恐慌から抜け出しつつあったア
メリカは、財政支出大幅削減予算により、いわゆる「ルーズベ
ルト不況」を招きます。

この年、上原敏が歌った『裏町人生』(作詞:島田磐也 作曲:
阿部武雄)が大ヒットします。 

 暗い浮世の この裏町を
 覗く冷たい こぼれ陽よ
 なまじかけるな 薄情け
 夢も侘しい  夜の花

1974年(昭和49年)前年に起きた石油危機とそれに伴う総需要
抑制策によって消費は低迷し、日本は戦後初のマイナス成長を
記録しました。
さくらと一郎が歌った『昭和枯れすゝき』(作詞:山田孝雄 
作曲:むつひろし)が大ヒットしました。

 貧しさに負けた
 いえ 世間に負けた
 この街も追われた
 いっそきれいに死のうか
 力の限り 生きたから
 未練などないわ
 花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき

不況時には演歌がはやる、と言われてきました。

辛い時、悲しい時、不幸だと落ち込んでいる時、自分よりも不
幸な人を確認することで、自分の不幸は相対的に軽く感じられ
るのです。

日本人は、不況のたびに演歌によって慰められてきました。
しかし、庶民生活が経済的に脅かされている状態を不況と呼ぶ
のなら、おそらく空前の大不況が続いている今日、いっこうに
演歌がヒットする兆しは見えません。

まだまだ演歌で救わなければならないほどの不況ではないと、
演歌の神様が判断しているのでしょうか。

それとも、日本人の苦痛はもはや演歌の神様の手に負えないほ
ど深刻で、演歌のヒット曲の一つや二つではどうにもならない
と神様も手をこまねいて立ち尽くしてしまっているのでしょうか。

それとも・・・

日本人が、これまで何度もの不況をしたたかに克服してきたこ
とで、日本人はもう十分にたくましく強靭になり、演歌の力な
ど借りなくても、困難など必ず乗り越えていけるはずだと安心
した演歌の神様が、役目を終えたと感じて、既に引退してしま
ったということなのかも・・・。