深厚宿縁浅薄之事 | 店舗探し.comの過去コラム

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2013/10/23

「一札之事(いっさつのこと)」。

これは、タイトルです。
何のタイトルかと申しますと、江戸時代の離縁状です。

字を書けない人は3本の線とその半分の長さの線を1本書くこと
により離縁状と同等の取扱がされていたため、庶民の間では
“三くだり半”と呼ばれていました。

『三くだり半からはじめる古文書入門』(高木侃著 柏書房)
では1000通の離縁状の実例を、タイトル別に分類しています。

「一札之事」が一番多く、159通だそうです。
次いで「離縁状之事」が145通、「離別一札之事」108通が続き
ます。

気になる離婚理由ですが、なにも書かれていないものが27%と
一番多いそうです。

離婚理由で2番目に多いのは「我等勝手付」と「熟談・示談」
でともに8.6%です。

「我等勝手付」とは夫が一方的に妻を離婚してしまうものです。

夫の都合によるものであるから妻には責任が無いとの表明です。
著者はこれを、今日、退職願などに「私儀、一身上の都合」と
書いて提出するのと同様の心性ではないかとみています。
つまり、本当は文句を言いたいことが山のようにあるけれども
やせ我慢をして言わない美風だというのです。

「熟談・示談」はいわゆる協議離婚のことです。

江戸時代の離婚も、実態は互いに相談して円満に離婚を達成さ
せるのが一般的だったそうです。

次にくる離婚理由は「深厚宿縁浅薄之事」。

縁が浅かったのだ、との理由です。
夫婦どちらの責任でもなく、人知の及ばないことだというわけ
です。
現在、判で押したように使われる「性格の不一致」同様、無難な
言い回しだったために好まれて使われたようです。

駆け込み寺として名高い満徳寺における三くだり半は必ず独特の
書式に則って書かれており「満徳寺離縁状」と呼ばれていまし
たが、「深厚宿縁浅薄之事」はそこに登場する紋切り型の文章
だったのです。

江戸時代には三くだり半と言えば夫が妻に突き付けるものと相場
が決まっていました。

『三くだり半から・・・』では妻から夫への三くだり半を一例
発見したことを誇らしげに記載しています。
まさに隔世の感があります。

「一札之事」で書き出す離縁状。
「深厚宿縁浅薄之事」との離婚理由。

背筋がピンと伸びるようで、結婚が今よりも神聖であったのだと
しみじみ思うのです。