虹 | 店舗探し.comの過去コラム

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2012/11/22

今日は二十四節気の「小雪」。

‘こゆき’ではありません。‘しょうせつ’と読みます。

そして七十二候では「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」です。
「虹始見(にじはじめてあらわる)」は、4月14日~19日で、二十四節気
「清明」の末候になりますが、これとちょうど対になっています。

「虹始見」から7か月も経ちますと、日の光も弱まります。晩秋から
冬にかけて、虹を見ることはあまりありません。

あはれこの 瓦礫の都 冬の虹   富澤赤黄男

富澤赤黄男は(1902年~62年)は愛媛県出身の俳人です。
新興俳句の担い手として、現代詩の一分野としてのモダニズム俳句を
追求しました。

国際通運(現 日本通運)の社員として勤務していましたが、開業医
だった父が眼疾のため医師を廃業して材木会社を経営することになり、
父を助けるために帰郷しました。
以後、試練が次々と彼を襲います。

まず、父の会社が倒産します。妻の母とセメント重紙袋製造会社を立ち
上げ、堺に工場を持つものの、室戸台風で工場が再起不能となってしまい
ます。
召集され、中国各地を転戦しますが、途中マラリヤに罹り帰国します。
1945年4月には空襲で罹災します。

上記の句は1946年の作。空襲で焼け野原にとなった東京の空にかかった
虹を詠んだものです。

混乱の内に衆議院は解散しました。
選挙区に散った国会議員の内、何人かは戻ってくることができず、入れ
違いに新しい顔ぶれがやってきます。

富澤赤黄男が焼け野原の冬に虹を見たように、荒廃した状況の中から、
救世主となるような希望の虹を見つけることはできるでしょうか。

森山直太朗さんが作った『虹』という曲の一節から・・・

 喜びと悲しみの間に 束の間という時があり
 色のない世界
 不確かな物を壊れないように隠し持ってる

 僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ
 雨上がりの坂道
 僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ
 時は過ぎいつか
  知らない街で 君のことを想っている

 風になった日々の空白を 空々しい歌に乗せて
 未来を目指した旅人は笑う
  アスファルトに芽吹くヒナゲシのように

 僕らの喜びを 誰かが悲しみと呼んだ
 風に揺れるブランコ
 僕らの悲しみを 誰かが喜びと呼んだ
 明日へと続く不安げな空に
  色鮮やかな虹か架かっている

 僕らの出会いを 誰かが別れと呼んでも
 徒(いたずら)に時は流れていった 君と僕に光を残して

国民一人一人の願いを込めて積み重ねる1票1票で、きれいなアーチを
描いて虹を創りましょう。

虹は、絶望から希望へと渡る架け橋になるはずなのです。