クソババア | のんびり日記

のんびり日記

日々の事書いたり。
自分のペースで、のんびりやってます。

私は自分の母親を「ババア」と呼んでいる。

2~3か月くらい前から呼び始めた。

いや、もっと前かな。

甥っ子が産まれてからかもしれない。

だとしたら3年くらい前からになる。

でも本腰(?)入れて呼び始めたのは2~3か月くらい前からな気がする。

ムカついたときは容赦なく「クソババア」と呼んでいる。

面と向かって呼んでいる。

 

スマホの電話帳に登録してる呼び名も「クソババア」だ。

ついでに父親のことも「クソジジイ」だ。

連絡とるとき楽になった。

か行にいるし、並んでいるし。

以前は「父」「母」と登録してたから面倒くさかった。

先日ババアからSMSが来たとき、画面に表示された登録名「クソババア」を同僚の先輩(三人のお母さん)

に見られた。

「私もいずれ娘にそう呼ばれちゃうのかなぁ・・・」

ってちょっと落ち込ませてしまった。

先輩ごめんなさい(笑)

でも先輩なら大丈夫だと思いますよ。

知らんけど。

大学生の娘さん(一人暮らし)が何かと頼って連絡とってるじゃないですか。

私だったら親の呪縛から解き放たれたいから絶対連絡とろうとしないもん。

そんな私は現在実家住まい。くそぅ・・・。

一人暮らしのために断捨離したりといろいろ準備はしている。

経済力は心配だけどあんなこといいなできたらいいな♪って楽しみに妄想にふけっている。

 

自分にとって彼らは毒親だ。

とりわけ母に於いては立派な毒親だ。

毒親を普通の人間として扱っているから苦しいのだと気づいた。

あれは人間じゃない。

クソババアだ。

クソババアから産まれたんだから私もクソガキだ。

それで大いに結構だ。

子供の頃から周りに合わせられないことを散々クソババアに責められ、自分でもコンプレックスとなっていた。

でも社会人になっていろんな人と会ううちに自分自身と向き合うようになった。

そこで、

「私は私。人は人。」

と徐々に割り切れるようになり、常識や「みんなの普通」に当てはまらない自分を責めるのをやめた。

 

だけどいつまでたっても浮かばれていない子供時代の私(インナーチャイルド)がいる。

だから私は私を癒すために母親を大事にするのをやめた。

そう。

「クソババア」と面と向かって呼び始めた。

 

先にスマホの登録名を「クソババア」や「クソジジイ」にした。

この時点でだいぶ、いや、かなりスッキリした!

もっと早くやればよかったー(笑)

 

次に面と向かって「クソババア」や「ババア」と呼び始めた。

父親に「クソジジイ」と面と向かっていうのはなんだか効果がない気がしたので呼んでない。

というか父親はどっちかというと味方のような感覚がある。

自分の妻が子供から「ババア」とか「クソババア」って呼ばれてても庇わないし、私をたしなめることもなければ、

むしろ私のババアに対する愚痴に賛同する始末(笑)

ちなみに妹もそう(笑)

 

そんな家族の支えもあり私はババアに直接「あれ嫌だ」「これ嫌だ」「ムカつくんだけどそういうの」とか

「本当そういうとこクソババアだな。」とか

不満や怒りを直接、ため込まずに言えるようになった。

他の家族に対しても本音としていろいろ言えるようになり、ため込まなくなった。

感謝している。

自由度が増した。

 

前は顔色伺ったり、面倒臭くて関わりたくないからいろんな負の感情ため込んだりしてたけど、

限界が来た。

嫌気がさしてきたのだ。我慢することに。

どんな形であれ、きちんとこちらの要望、要求は伝えなければならない。

自分のテリトリーは自分で守らなければならない。

「家族だから」というのを理由に、土足で踏み込まれたり、軽んじられたりしてはならない。

自分の娘なんだから何をしてもいいし、自分の管理下にあるという考えは通用しないんだと、

跳ね除けなければ私は私を守れない。

 

抵抗したときに出てくる罪悪感はクソババアの声。

「クソババア」呼びなんて、可愛いもんだ。

 

私には兄弟が一人いる。

二つ下の妹だ。

子供の頃から妹は、友達が多く、人付き合いや世渡りがうまく、

家族が何かやってあげるととても喜び「ありがとう」と言って、

皆から可愛がられていた。

 

対して私は自分の気持ちに正直に生きていた。

それが素直だとも思っていた。

親から与えられるものでも

いらないもの貰っても嬉しくないから正直に「いらない」と言っていたし、

友達を増やすことよりも自由帳に絵を描いたり漫画読んだり、鉄棒で新しい技を習得したり、

自分の興味が湧くことを追いかけている方が楽しかった。

 

クソババアはそんな妹と私を比べてはいつも、

ババアのババア(私の祖母)と一緒になり

「かわいくない」だの「素直じゃない」だの「何をやってあげても甲斐がない」

だのと罵ってきた。

そんな環境にいるとだんだん笑えなくなってくる。

漫画やアニメを見たときにしか笑えなくなってくる。

 

家にいても疎外感しかなかった。

ババアどもの言う「素直じゃない」は

「自分の都合良く動いてくれない出来損ない」に聞こえてた。

 

そんな罵りの言葉を浴びせられていたから、

こちらも言葉で応戦しよう。

大人になって私は強くなったなぁ。

 

目には目を。

歯には歯を。

言葉には言葉を。

 

人様が何と言おうと、

どんな目で私を見ようと、

これからも私は、私のために、母親を「クソババア」と呼ぼう。

 

最初は憎しみと恨みを込めて呼んでいた。

しかし、呼んでいるうちに気付いた。

「クソババア」と呼ぶことで、憎しみや恨みの感情が薄れてきている。

そしてこうやってブログにアウトプットすることで更に昇華されたような気がする。

心がより軽やかになってきた。

お風呂や布団の中で涙を流したときよりも、

浄化されてる気がする。

 

私にとって「クソババア」と呼ぶことは、

母親と程よい距離感を保ったり、

家族を大切にしたり、

誰かを愛したり、

自分を愛したり、

周りに感謝したり、

自分に感謝したり、

いろんな可能性を広げて自立するために必要なことだと思う。

 

いままでめげずに生きてきた私を再確認できて、

更に自分が愛おしくなった。