「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男なんだよ。顔だけは唯その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな。」
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反って気味が悪いんだ。何だか意識の閾の外にもいろんなものがあるような気がして、………」
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」
ーー芥川龍之介さん「蜃気楼――或は「続海のほとり」――」より。
知っているようで知らなかったこと
私はほぼほぼ新聞やニュースをみない。新聞ならデイルームに置いてあるものを数分、ニュースならデイルームで流れてくるものや、送迎車から流れてくるもの、そして、スマホが伝えてくるネットニュースくらいなものだ
何年か前にカタカナの「ヲ」がウルトラセブンのアイスラッガーに見える、と書いていた人がいていたく感心したものであるが、さて、今回のニュースはなんであったか
話題はカタカナの「ヲ」の書き順についてで、普段私は何の疑問も抱かず「フ」を書いてから「ー」を足して「ヲ」にしていたのだが、実は「ー」を二本書いてから、「ノ」を書くのが正しい書き順らしい
これはカタカナの「ヲ」に対して謝らなければならないな
(まあ、そもそも、これまでの人生でカタカナの「ヲ」を書く機会には幸か不幸かそんなには恵まれてこなかった気はするが)
しかし、カタカナの「ヲ」の書き順でさえ間違って記憶してきたのだから、私のなかの記憶違い、というものは掃いて捨てるほどあるに違いない
思い込み、というものは、おそろしいものだ
人を疑わず、自分の記憶を疑ってかかったほうがいいのかもしれない🤔