先人たちの言葉
【名言クイズ】「知識は忘れたころに◯◯となる」紀伊國屋書店社長・松原治氏の名言です
https://www.iza.ne.jp/article/20240426-HOFOBVZXDBDVHNUO7WP5TFX34M/
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。
ーー太宰治さん「正義と微笑」より。
私の偏見(あくまで偏見です。あしからず)
食べ物の好き嫌いが多い人は、万事につけ、好き嫌いが多い。
嫌なこと、苦手なことを苦にしないでこなす訓練を経れば、好き嫌いは改善出来るはずだ。
名前を失念してしまったが、ある成功者は「私は絶対に負けるはずがない」という自信にあふれていた。
なんでも、その方は、どんなに些細なことでも一番にならないと気が済まないらしく、それはたとえば、目的地に最短距離で最短時間で到着することにさえ徹底的に一番にこだわった。
その方の論理によれば、これだけ些細なことで一番になれる自分は、どんな勝負でも一番になれるのであった。
私は別に「下足番」を命ぜられたわけではないが、お客様の「下足」が「下足箱」のどこにあるか、毎日、頭に叩き込んでいる。
この「下足箱」は縦が5列、横が10列あって、たまに空の下足箱があり、たまに1箱にお客様二人分の靴が入っている。
私はこれを小さな手帳の最後の方のページに書き写し、出勤してから朝礼がはじまるまでの間、毎日変わるお客様のテーブル席を巡り歩きながら、指差ししたり、三色ボールペンをあてがったりしながら、頭に叩き込んでいる。
お笑いのネタで、自分の腕を使って道を説明する人、というのがあったが、あれは意外と理に適った記憶方法かもしれない。文字通り、自分の体で覚える、体に叩き込むイメージだ。
さて私はお客様の「下足箱」を覚えてどうするのか、というと、なんのことはない。お客様が来所されたら、すぐに出せるようにするためだ。
ただそれだけのため、と言えばそれまでだが、小さなことに忠実でい続ければ、やがて大きなことも成し遂げられるのではないか、という甘い期待を抱いていないこともない。
事実、最近は「見つけるの早いね!」とか、「覚えてくれたんだね」とか、お客様や先輩から声をかけていただけるようになった。
些細なことではあるが、そういう声掛けは私にとって力になるし、自信になるし、行政書士試験も、毎日こつこつ勉強すれば、知らずしらずのうちに合格へと近づけるのではないか、とやはり甘い期待をいだいているのだ
耕した
土に何かの
種がほら
舞い込みいつか
花を咲かせる
【59番街橋の歌】
https://youtu.be/SxvjI8nnQ0s?si=mcX7pJc6iwdeSaoq