ドストエフスキーさんの短編小説の一節に、
僕はどうしてもあの花瓶を割ってはいけないのだが、僕はあの花瓶をきっと割ってしまうだろう、そう思っていると、どうしたかわけか本当に花瓶を割ってしまうのだ。
みたいな文章があった気がするが、あるいはこれは記憶違いかもしれない【※】
また、運転中に視線が向く方に人は自然にハンドルをきってしまうらしく、要するに私は「ミスをしてはいけない」と思っていたがためにミスを連発してしまった
昨日、自家用車のエンジンが突然かからなくなり、故障の程度により自転車通勤も考慮に入れなければならないだろうかとか考えて精神的にまいってしまっていた、とか「言い訳」はいくらでも思い付く
けれどそれは、改善には結び付かない
上長は私の「ほうれんそう」に落度があったことを指摘したが、上長から私への「ほうれんそう」の落度もあったと私は思ってしまったので承服しかねる部分もないではない。が、「組織」というものはそういうものだ、とおさまりは悪いながら、はらにおさめるより仕方ない。仕方ない。これもまた、社会の条理というものだ。
上長のおっしゃるとおり、「判断に迷ったときは、上長に聞く」ようにしよう
それから、自身がすぐに改善出来ることに注力しよう。
「ミスをしてはいけない」と言い聞かせると、かえってミスを誘発するおそれがある。
今回のミスで言うと、上長からの指摘にあったように「そもそもは、ふだんのお客様の荷物をきちんと観察して把握していれば、今回のようにお客様がいつも持っている荷物を持っていないことに気付けた」はずだ
だから普段からお客様の言動やお客様の荷物や服装を観察しておき、いつもと違うことがあれば気に留めたり、声掛け出来るようにする、というのが今回のミスから導き出された改善案だろうか🤔
承服しかねることもないではないが(くどい)、「組織」で動いていること(ほうれんそうの活用を意識して)を自覚し、「ミスをしてはいけない」と気負わない代わりに、自分に出来ることから取り組んでいくことで、結果として「ミスを犯さない」ように努めたい
※【たしか、この短篇集におさめられた一篇だったかと】