そんなものはない
はじめの一歩を速く踏み出す
松井秀喜さんがいつか、「僕は決して足が速いわけではないので、はじめの一歩を誰よりも速く踏み出せるようにしている」みたいなことをおっしゃっていた気がするのだが、ネットで調べても出てこないようなので、あるいは記憶違いかもしれない
そもそも一流の野球選手が「足が速いわけではない」ということはあり得ないのかもしれないが、私は正真正銘仕事が遅いので、なるだけ早く出社して、少しでも遅れをとらないよう心掛けている
真の【ファインプレー】
また、仁志敏久さんは「派手な、わかりやすくかっこよく魅せる【ファインプレー】は、実は【ファインプレー】じゃない。【イレギュラー】を予測して、【レギュラー】に見えるような、何事もなかったように見えるようなプレーこそ、真の【ファインプレー】なんだ」みたいなことをおっしゃっていた気がするが、こちらも、あるいは私の記憶違いかもしれない
あわや大事故、大惨事になるところを、すんでのところで、間一髪かいくぐる
それはとても人目を引く、【ファインプレー】に見える
しかし、将来、ひいては未来から逆算して、論理的かつ計画的に日々対策を講じ、実践することで大事故や大惨事を未然に防止することこそ、真の【ファインプレー】に違いない
なんて偉そうなことを書いてしまった私は、実はそもそも、全然野球がわからない人だし、全然論理的でも計画的でもない人なんだから、てんで話にならない
「家事場」の馬鹿力
私の場合は結局()、「火事場の馬鹿力」ならぬ「家事場の馬鹿力」を信じたい
「家事」というものは生きていくうえで避けて通れない
これをおろそかにすると、「仕事」に支障をきたす
「仕事」には金銭的な「報酬」が約束されているが「家事」にはそれがない
だから「家事」には献身さが求められる
普段から献身的に「家事」を行っていれば、「仕事」に対しても献身的な姿勢で臨めるはずだ
(知らんけどね)
おまけ~解決された「問題」は自身の「教科書」になる~
【過去にこういう悪い事例があった】。
なるほど、人はそれや、それに類似した事象を「他山の石」として避けていくことが出来る
本来「他人事」であるものを自分のこととして自分に引きつけることが出来れば、「過去問」は君の「教科書」に変身する
では、経験したことのない「問題」に対してはどうか
これはもう、自分自身が挑戦して、失敗して、躓いて、痛みを知り、学習していくしかないのではないか 「問題」が解決出来たとき、それは君が生きるための「教科書」(テキスト/マニュアル)になるのだから
短歌
乗り越えた
「問題」それは
生きるため
参照すべき
君のテキスト