読書メモ「日ソ戦争」(浅田雅文) | IN THE WIND

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終戦間際の1945年8月9日、旧ソ連は中立条約を破って日本に宣戦布告し、旧満州になだれ込んだ。本書は9月3日まで続く日本とソ連との戦いを日ソ戦争と呼び、開戦の背景や経緯、戦況の推移、巻き込まれた在満日本人らの苦難を、両国をはじめ米国などの一次資料や先行研究、既刊書をもとに描き出してゆく。


日本にとって対ロシア外交最大の懸案である北方領土問題をいまだ解決できず、平和条約も結べない状況が続いている。すべての起点はソ連の対日参戦だ。戦争の決着を少しでも早め、自国の若者の命を救いたいルーズベルト米大統領が誘い込み、ソ連に不信感を持っていた後任のトルーマンも対日参戦は許容した。


ソ連に米英との和平の仲介を依頼した日本の政軍首脳の情勢を見る目のなさには脱力する。ポツダム宣言も当初ソ連の名がなかったことでに仲介になお望みをつないだ。開戦前夜、ソ連外相との会談が設定され、仲介の回答を期待して赴いた駐ソ日本大使に読み上げられたのは宣戦布告なのだから間抜けにも程がある。


日本によるポツダム宣言受諾、昭和天皇の玉音放送、日本軍に対する大本営の停戦命令が出ても、満州や南樺太、千島列島ではソ連の軍事行動が続き、歯舞諸島で最後に日本軍が武装解除されたのが9月7日。ソ連はどん欲に参戦の果実を求めた。ただ、ソ連が望んだ北海道占領にはトルーマンもさすがに拒否した。


首都モスクワ近くまで攻め込まれ、多くの民間人が殺戮された対独戦で見せた結束と違って、ソ連国民は日ソ開戦を歓迎しなかったという指摘は意外だった。ソ連国内にも長びく戦争に厭戦気分が広がっていたのか、兵士らの士気高揚のために日露戦争の復讐というプロパガンダも大々的に展開されたという。


満洲などではソ連軍が民間の日本人に暴行、略奪、強姦などを繰り返した。性暴力の頻発はソ連の男尊女卑の社会構造を、略奪はソ連国内の民生品不足を背景に挙げる。敵対派の粛正や、矯正を建前にした強制労働で自国民の人権を抑圧した国家が、占領地の住民や捕虜を丁重に扱うはずがないとも断じる。


一方、日本人も復讐にはやる中国人から開拓団などを守ってもらうためにソ連兵に未婚女性を差し出し、女性たちの純潔や貞操を守るという名目で遊郭などで働いていた女性にソ連兵の「接待」をさせたという。日本人もまた旧来の性差別や職業差別をむき出しにしていたという指摘は重い。


60万人に近い日本人捕虜らが強制労働させられたシベリア抑留では6万人が落命した。対独戦争で失われた労働力の確保などスターリンの意図がどこにあったかは史料的に決め手に欠けるようだ。一方、関東軍がソ連軍に媚びて労働力の提供を申し出たという説は近年の研究では否定されているという。(中公新書)

 

【13日の備忘録】

休肝日2日目。朝=ご飯1膳、ウインナーとシイタケのソテー、リンゴ、昼=ご飯1膳、ニラとシイタケのオムレツ、ミニトマトと茹でブロッコリー、夜=豚バラとキャベツのレンジ蒸し。体重=58.8キロ。