読書メモ「彼は早稲田で死んだ」(樋田毅) | IN THE WIND

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1972年秋に早稲田大学で起きた過激派セクト・革マル派による一般学生の殺害事件をめぐるノンフィクション。副題に 大学構内リンチ殺人事件の永遠 と掲げ、当時の在学生であり、事件後に革マル派糾弾に立ち上がった一般学生の先頭に立った著者が関係者を取材してまとめ、2022年の第53回大宅賞を受賞した。

 

当時の早稲田大学は法学部を除いて各学部の自治会を革マル派が支配。癒着なのか、弱みを握られていたのか大学当局によって授業料と一緒に徴収された自治会費が革マル派の資金源になっていたとされる。授業の後半は革マル派の担当者による討論の時間に割かれるほど革マル派が幅を利かせていたという。

 

革マル派に限らず、社会主義や共産主義を掲げて「革命」を目指す当時の過激派セクトは自派の勢力維持・拡大のためには暴力をいとわなかった。早稲田では教員や学生が革マル派の暴力に日常的にさらされていたといい、リンチ殺人の被害者は革マル派の対立セクトのスパイと決めつけられて命を落とした。

 

事件後、殺害された学生が所属していた第一文学部では一般学生が革マル派に対抗して新たな自治会の立ち上げを目指した。運動の中心を担った著者は非暴力を掲げて再建自治会の委員長に選ばれる。運動は他学部にも広がるが、革マル派の暴力に対抗して武装を容認するグループも現れて自治会再建は混迷する。

 

そんな中、著者もついにキャンパス内で革マル派に襲撃される。鉄パイプで全身をめった打ちにされたといい、駐輪用の鉄柱にしがみついて何とか「連行」は免れたものの、約1カ月の入院を余儀なくされたという。退院後もしばらくは自治会再建運動に関わり続けたが、3年生への進級を前に身を引いたという。

 

著者は全国紙の記者を退職後、事件や運動の当事者、同級生らを訪ね、ビラや新聞など当時の資料も用いて本書をまとめ、この事件が何だったのかを問いかける。当時の自治会幹部やリンチの実行犯といった革マル派の元活動家にも取材した労作ではあるが、著者もまた当事者であり客観性は要注意だろう。

 

早稲田は我が母校であり、在学中も革マル派が一部学部で自治会を支配していたが、僕を含め多くの学生は自治会に関わらず、学生生活を謳歌していた。失われた命は貴いが、在学時に事件が学内で語り継がれていたかの記憶すら定かでなく、遠い世界の話にしか思えない僕は意識が低いだろうか。(文春文庫)

 

【9日の備忘録】

休肝日1日目。朝=ご飯1膳、ジャコ入り卵焼き、リンゴ、昼=ご飯1膳、塩サバ、ミニトマトと茹でブロッコリー、夜=ミンチとチンゲンサイ炒め。体重=60キロ。