YASSさんのインタビュー(DVD「Gallery YS 2022」より) | IN THE WIND

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(ネタバレあり)

YASSさんこと鈴木康博さんが1年の活動報告としてファンクラブ会員向けに出しているDVD Gallery YS 2022 が届いた。今回の目玉は、本来2020年10月に開催される予定だったデビュー50周年記念ライブを前に、音楽ライターの富澤一誠さんを聞き手としたロングインタビューの映像。収録は2020年2月20日だったけれど、コロナ禍で記念ライブが延期となったためにお蔵入りしかけていた。今年1月に2年遅れで50周年ライブの開催にこぎつけたこともり、インタビュー映像もようやく日の目を見ることになった。ジャケット写真の先からは、インタビューの中身に触れるので、これからこのDVDを見る人はご注意を。

 

インタビューからは、やはりオフコース時代について語った部分を抜粋してみる。既出の話も多く、オフコースファンとしてはドキッとするような強い言葉も出てくる。収録時間は約48分でノーカットではないようなので、公にして都合の悪いことは省かれているかもしれないけれど、YASSさんがこれだけまとまってオフコースについて語るのは最近ではあまりなかったと思うので貴重なインタビューには違いないと思う。

 

音楽を仕事にするっていうふうにはまだ思ってないですから、自分の周りでなんか楽しめるっていうとフォークソングをみんなでギター持って歌うっていうことで、そこからまず始めようっていう感じで、高校卒業して音楽仲間でアメリカンフォークソング、いわゆるカレッジフォークと言われていたPPM、ブラザースフォーなどを中心にしたね、そういう音楽を、英語で歌うのがカッコいいんじゃないのという、オリジナルがどうのこうのよりもパフォーマンスとして、見られ方として英語でギター弾いて歌ってるのカッコいいんじゃないのってなことで、それが横浜という小さな街の中で、東京までもちょっと含めて、そういうとこ眺めてみるとけっこうなレベルに自分たちいるんじゃないかとうことで、まぁ腕試しでライトミュージックコンテストに出ようというようなことで、まだ、自分たちで曲を書こうとか、オリジナルを作ろうっていう意識はまだなかったんですね。で、LMCに出て2位になって、赤い鳥がダントツ1位で、だいぶ赤い鳥とは差がついていたので、2位だったという意識はあまりないんですけど。でもヤマハからとにかくデビューしてみないと言われて、「群衆の中で」やっていろいろプロモーションしたんだけども、やぱり人の曲だし、それ売れないんで、その後加藤和彦さんに曲書いてもらったり、東海林先生だとか歌ったんだけど、それもヒットしなかった。周りでかぐや姫だとかね、ジローズ、同じ事務所だったんです

 

その人たちと一緒に活動している中で、もう自分たちのオリジナルでやっていかないとダメだと、どういう曲を目指せばいいのかっていう中で、日本の音楽の流れが自分たちのオリジナリティをだんだん求めていくような方向に。作曲家の先生に書いてもらったのを歌うんじゃなくて、自分たちの、歌謡曲とは違う、それなりに影響を受けてブラックミュージック、ロックとか、ビートルズもそうだし、曲の感じが全然違うわけですね。そういうものを日本の中で作らないと人がこっちを向いてくれないとか思っているうちに、チューリップだとかいい感じで出てきてるんですよね。そういう中でも拓郎いるし、陽水もいるし、そういう洋楽じゃないようなサウンド流行ってるし、かぐや姫もそうだし、音楽的にねもうちょっと違うことやった方がいいんじゃないのってなことを模索しながらやってるんですよね、小田と一緒にね、どういう曲がいいのかっていうようなことを、自分たちなりにやってるんだけども、つかめないわけですよ、どこの向かってやっていいかわからないっていう、みんなヒットしちゃってるし、周りはね。で、周りからは「オフコース大丈夫だから、売れるから」って言われるしね。そういう中でやっぱりそういう売れるもの、見つけていかなくちゃいけないんだろうなっていう感じで、オフコースは2人からね、5人になってバンドサウンドで、バンドになった時にやっとなんかオフコースの音楽がスタートしたんじゃないかな、っていうような感じでしたね
 

例えば「ロンド」っていう僕の曲があるんですけど、やっぱりテレビの主題歌で、そういう路線の曲なんですけどね、その曲がタイアップで日本テレビの主題歌になったんだけども、そうなってから小田が「この感じで売れたってしょうがないよ」って、目指すところこのへんじゃないのっていうことで、これはオフコースのライブで歌わない方がいいんじゃないのっていう話になったりね、それはそれなりに自分の曲なんだけど納得してね、先へ進もうという感じになりましたし
(以上、アマチュア時代からデビューを経て、オフコースとして目指してきた音楽について)

 

あのね、やっぱり今までにないものをね、作りたいわけですよ。ユーミンはいるし、YMOはいるし、そういう中でやっぱり外国の音楽でもウエストコーストが日本でも流行り、そういうサウンドからちょっとイギリスっぽいポリスとかが出てきて、サウンドが変わってきた感じがあって、ちょっとそれっぽいのもやりたいなと思ってたんだけども、なんかねそういう中で小田色が強いのが、どうも。「さよなら」でその辺の音楽は終わって、次のあれに行った方がいいんなじゃいみたいな、自分の中ではけっこう焦ってるわけですよ、小田色が強くなってきて、「さよなら」で。もうその後ぐらいから曲書けなくなっちゃってて、アルバムに間にわせるためにもうどうしようもなく書いちゃったんで、小田色が邪魔でしょうがなかったんですね。もうちょっとリズミックというかな、やっぱり元はバラードなわけですよ、「さよなら」にしてもね、「愛を止めないで」にしても。だからなんかね、ちょっと志向が変わるというか、オレ頑張れないな、オフコースの中にいても。でも、「さよなら」から3年ですよね、脱退するのが。2年から3年の間に音楽も変わってるし、そんなに進むとは思わなかったし、そんなにオフコースもあんなになっちゃうっていうかね、まぁなってよかったですけど、もちろん。でも、その前に辞めたかったですね、オレ、ひっそりと辞めたい感じ

(オフコース脱退について)

 

小田さんが「ロンド」をライブでやらない方針を示したというのは初耳のような気がする。ただ、オフコースファミリー発行の「はじめの一歩」によると、1977年10月の「秋ゆく街でⅣ」や78年4月の「小さな部屋Vol.8」のセットリストに「ロンド」が載っている。ほかにラジオで放送されたスタジオライブでも演奏していたような気がする。結局は小田さんの意向は貫徹されなかったことになるようだけれど、YASSさんも納得してたというのだから、どういうことだったんだろう。それはともかく、売れないオフコース時代の曲作りに触れながら「小田と一緒に」といかにも親しげに語っていたYASSさんの同じ口から「小田色が邪魔でしょうがなかった」という強い言葉が出てくるのには少々驚いた。どちらもYASSさんにとっては真実なのだろうけれど。それでもオフコースが売れたこと自体まで否定しなかったのはホッとした。

 

インタビューではほかに、ソロになってからの活動やサウンドづくりでも興味深い話が盛りだくさん。2000年から一時期、山本潤子さん、細坪基佳さんと組んだユニット FOLK SONG MEMORIES についても「楽しかった」と振り返っていた。それまでYASSさんはステージトークを重要視していなかったそうだけれど、細坪さんのトークでお客さんが喜んでいる姿を目にして、トークでライブの流れを作り、お客さんをリードしていくことの重要性に気付いたと語っていたのも印象的。ここ数年のライブでもYASSさんがよくしゃべるのは細坪さんのおかげだったのか。インタビュー終盤には音楽を作る姿勢として 自分にとってやっぱり新しいものを見つけて、自分にとって新鮮なものやっていかなくちゃ意味ないわけです と語っていたのはYASSさんらしい。ライブのMCなどでも「今の自分を見てほしい」というYASSさんの思いは一貫して伝わってきているのに通じるわけで、そういう意味で今のYASSさんにはまったくブレがない。

 

【19日の備忘録】

休肝日1日目。朝=ご飯1膳、ジャコ入り卵焼き、リンゴ、昼=寿司ランチ、夜=豚モヤシニラスープ。体重=59.4キロ。