読書メモ「戦争まで」(加藤陽子) | IN THE WIND

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副題は 歴史を決めた交渉と日本の失敗 。日本近現代史の研究者である著者が、20世紀半ばの日本の運命を決めた外交交渉について、書店の公募に応じた中高生に講義した内容をまとめた一冊。満州事変に対するリットン調査団報告書をめぐる国際連盟での交渉、英米との敵対を決定づけた日独伊三国同盟の締結交渉、そして1941年12月の対米開戦前の対米交渉を取り上げている。

 

リットン報告書をめぐっては、日本の自衛や満州国の自発的建国は認められなかったものの、必ずしも日本批判一辺倒でなく、満州における日本の権益にもある程度配慮されていたと指摘。さらにイギリス外相が日本に助け舟を出す妥協案を提案し、全権代表の松岡洋右も本国に受け入れを迫ったが、中国との二国間交渉に楽観的だったという当時の外相内田康哉が強硬に反対し、頓挫したという。

 

三国同盟をめぐっては、軍首脳が慎重だったのに対し、政府首脳の方が強硬的だったのは、石油備蓄や工業生産量が軍機だったため、政治家が日本の国力を正しく判断できる情報を知らされていなかったことが背景にあるという。さらに、ドイツの連戦連勝に幻惑され、「バスに乗り遅れるな」とばかりに日本が同盟を選択したという通説は誤りで、三国間の交渉でアジアを日本の勢力圏と定め、ドイツ戦勝の「戦後」において、アジアにあった英仏蘭の植民地へのドイツ進出を防ぐ狙いがあったと解説する。

 

日米交渉では、日米双方の見誤りに言及したのが興味深い。1941年7月の仏印南部進駐後、米国は対日資産凍結と石油禁輸に踏み切ったけれども、日本は仏印南部に進駐しても米国が強硬な対抗措置をとるとは予測していなかった。逆に米国は「最後通牒」となったいわゆるハルノートに至るまで、中国からの撤兵、三国同盟の有名無実化などの原則を崩さなかった、大きな国力の差があるにもかかわらず、日本が戦争を挑んでくるとは思いもよらなかったからだという。

 

本書では、三つの交渉の経緯や史実の解説もさることながら、そうした出来事を理解する助けになる時代の背景や社会の情勢にかかわるエピソードも多い。ゾルゲ事件でソ連のスパイとして摘発された尾崎秀実と、昭和天皇という対極に位置する2人が、当時の日本国民が米英敵視、平和軽視の勇ましい論調に熱狂していたのを嘆く同様の国民観を抱いていたという指摘は、とても興味深い。(朝日出版社)

 

【13日の備忘録】

朝=ご飯1膳、ハタハタ丸干し、リンゴ、昼=ピーマンとタマネギの塩焼きスパゲッティ、夜=カレー風味肉じゃが。飲酒=白ワイン2杯、赤ワイン4杯。体重=64.4キロ。