キッカケ | てんのいと(天の意図)

てんのいと(天の意図)

実践から知り得た真実・・・そこには民族や宗教というカテゴリーは存在しない・・・
ただ【魂の法則】があるだけ・・・
*立証するためのオーブ写真・動画・録音などたくさん記録いたしました。
被験者と共に実体験から得た本当の魂の世界。


亡くなった父が頻繁に
夢に出てくるようになりました。

生前、
法力にたけていた父の寺には
全国から
酷い憑依の人、
回復の難しい難病の人、
また家庭環境の複雑な中高生などを預かり更正させる等々‥‥
寺はどんどんと大きくなりました。

もちろん私たち家族は寺と別々に
商売しながら生活をしていましたから、互いに日常の些細な様子は分からないままでした。

毎日多忙な父は元々おおざっぱなので金銭的なやりくりには金庫番なる男性に任せていました。

ところがある時、
その金庫番の男性が消えた。
それも手形を乱発して‥、。

どんどんと増築しながら
大きくなった寺は
たちまち火の車になりました。

最終的に寺の負債は約五億円。
寺も家も競売は免れませんでした。

そして父は病に倒れ

二年ほど闘病しましたが亡くなりました。



私たちの生活は手形を乱発して逃げた金庫番のために一変していました。



カリスマ性のある父と違い、

何もできない母親を知っている従業員たちは目に見えて好き放題するようになり、母といえばストレスと

不安から投げやりになり‥

今でいう鬱状態でした。


しかし、当時23才の私は悲観する間もなく、生きていくためには現状をどうにかするしかありませんでした。


数件あった店舗を何とか整理しながら銀行と話しをつけて

ようやく落ち着いてきた頃、

夢の中に亡くなった父が時々でてくるようになり‥、成仏できず

さ迷っているのが私には分かりました。



でも生前の父が話していたのは

「法力を使っていた者が迷うとあげ    ること(浄土へ送ること)は出来ない」

父の力をもっても出来ないと

言っていたのです。

多くの人たちを助けるために翻弄していた父があがれない?

私は悲しくて仕方がありませんでした。

裏切った人間が許せませんでした。




私は幼い頃からたくさんの
不思議な体験をしていましたが、

巷の祈祷僧や霊能者なる人たちの

ことは全くといって良いほど信用していませんでした。



それは父が回復の望めない病を治したり、風もないのに物を動かしたり、遊び半分でアルミ缶や割り箸をくっつけたり、方位磁石をクルクル回したりするのを目の当たりしていたので、その力の差は比にもならなかったのです。

また幼い頃から私の家庭環境も良くなかった。

しかし、祖母の影響で神仏は信じていても神頼みや占いなどで幸せになれないという考えがありました。


それは父の二度の失敗をもろに被ることになった経験から、現実的な

努力しかないというのが基本となっていたのです。



その頃の私からすると現在の私の

スタンスは青天の霹靂で信じられないことです。



そんな私でしたが、さ迷っている父を放っておくことは出来ず浄土に

あげると決心したのです。



あまりにも不憫で可哀想すぎます。
一生かかっても成し遂げると決めたのです。

さて、決心したものの父が桁違いの法力があったとはいえ側で見ていたわけでも学んだわけでもなく私は何も知らない‥分からない。



私は父の小さな写真を飾り

経をあげるでもなく心を込めて祈ることしかできませんでした。



ある日、見るに見かねたのか父の寺で三年修行経験のある弟が、
自分が寺にいる時に父からもらったという経本と数珠を私に差し出し

「般若心経をあげたらいいと思う」という。



それからというもの朝と夜には三度づつ般若心経をあげながら様々なことを調べ模索しましたね、本当に。

どうすれば浄土にあげることが出来るのか?僧侶でも出来ないのに?



しかし、なんせ自分で決めたことです、やるしかない。


試行錯誤しながら四年半も過ぎた頃にとうとうその祈りが届きました。

それは一瞬でした。

父が上がったことが分かりました。




数日後に父が夢に出てきました。
とてもリアルな夢でした。

それは六道の見合った世界で修行をやり直している父の姿でした。



とうとうやりました!

上手くいったのです。

たったの四年半。されど四年半。



その後、5年ほど経った頃に

自然療法とは何なのか?との

ヒョンな疑問から医療機関では原因不明で回復しない体調不良を改善させることが出来る自分がいることを知ってしまったのです。

私のボランティアが始まりました。



心霊とか魂など目に見えない世界を力説するのではなく病を治せば

そんな世界を立証することが出来ると考えたのです。



私は様々なことを調べ実践して身につけました。全て独学ですが
要は言葉でなく所詮は結果です。

結果がでなければ学んでも、

修行なるものをおこなっても

絵空事で意味がない。



どんどんと深く掘り下げていくうちに魂の世界の深さとその意味を
知ってしまいました。

そんな中で私の知り得たことと同じようなことを語っているのが
「原始仏典」でした。

現世利益を望む現代人には内容が厳しく受け入れがたい教えですが
魂の世界の的を得ています。

真理は時代が変わっても
同じなのです。

生きている時が全てと考えている

人間には手に取ることも

必要もない本ですが。