自由人加藤圭一郎の活動と日記

自由人加藤圭一郎の活動と日記

音楽・文章・写真などなど。

2023-8-13
You can't talk about many Japanese pianists without mentioning "Carl Czerny". He's a genius music educator and you should change your opinion on him.
@imas_official
@asamingosu

 

 

 

コンセプト:諸行無常の音  アウトサイドアート
 今日、音楽あるいは、藝術というものは習熟度で見られることが多くなってきたと考えている。美術においては抽象画から写実的な技術重視の絵ではない流れが始まっており、ピカソの「アビニョンの娘たち」からキュビズムが始まった。キュビズムはルネッサンス以降の一点透視図法を否定し新たな現代美術の一歩だった。キュビズムが始まった少し後の 1910年半ばにダダイズムという活動が始まり、第一次世界大戦への抵抗、規制の概念、常識、秩序に対する否定・破壊的なものの表現である。この活動は世界中に広まった。
 美術・藝術以外でもこの思想の芽が出ており、特に 19世紀・20 世紀前半のドイツによって顕著であったプロイセン帝国によってドイツの統一がなされたが、近代になる前まで分散して統治されていたゲルマン民族を統一的な方向に誘導しなければいけなかった。そのため、徹底的な官僚制が敷かれ、徹底的な理性主義・法治主義を持ち、そして市民を労働・徴兵に駆り立てた。結果的にもたらされたのは、民族的寛容、宗教的無神論、市民社会の軽視、国家の進歩と土台としての勤労の義務化。どこか、ディストピアのような雰囲気を漂わせている。この時期のドイツが生み出したのは、ニーチェ、マルクス、ヒトラーといった人物である。ニーチェは「神が死んだ」と唱えのちの哲学に影響をもたらす。言うまでもなくマルクス・ヒトラーは 20世紀の政治・軍事・思想に多大な影響を与えた。 21世紀である今日でも、彼らが残した思想の種は残り続けている。これらの思想はある意味、資本主義化され、人間らしくなくなり、息苦しい社会が生み出してしまった亡霊なのだと考えている。日本に対する影響としては、江戸時代の日本統治は藩が行っており、その上に幕府があった。明治維新時点では日本という国家はかなりバラバラな状態であった。近代化と植民地化されない対策としてヨーロッパの各憲法を分析した結果、ドイツの当時の憲法を輸入した。その、官僚的制度は殆ど憲法改正が行われていない日本において根強く生き残っており、現在の日本の息苦しさの一つとして統治制度の影響もあるだろう。
 私は今の日本を見ていて、ある意味で大きな物語を失いつつ、小さい物語ができているが、見えない大きな物語にすがりついているように見える。そういった歪みの中で、対応し適応しきれず、「アウトサイド」する人が出てきているようにみえる。いわゆるネットスラングであるところの「無敵の人」は、その「アウトサイド」した人たちの一部であるであろう。私も、また、「アウトサイド」した人たちの一人なのだ。
 オーケストラやロックバンドといったアンサンブルは自己の個性をある程度保有しながら、コンダクター、あるいはドラム、太鼓、、それぞれのアンサンブル形式によるが合わせるべきものに合わせていたのだ。「合わせる」ことは他人と身体的、空間的、社会的に「合わせる」ことであり、社会的動物である人間にとっては重要な行為である。特にハイコンテキストで村社会的な契約より身内内政治を重要視する日本社会にとって重要であり、日本から出現した「アウトサイド」した人間たちはそういった「合わせる」ことから落ちてしまった人ではないだろうかと考えている。明確な大きな物語――コンダクター的な存在が欠けているのではないかと考えている。コミュニケーション能力が必要だと叫ばれる昨今の日本ではそのような、「場の空気」を読めない人間は「村八分」されてしまう。そういった意味では「アウトサイド」している人間は、日本というマクロ社会の大きな物語において、必要な役割であり、「アウトサイド」している私は、もしかしたら、重要な役割をになっているのではないかと考えている。
 音楽・藝術の話に戻そう。ダダイズムで一つ大きな話題を読んだ作品として、レディ・メイドとしての『泉』がある。これは、マルセル・デュシャンが既成品の男性用小便器に R.Muttという署名をし、そのまま作品にしてしまったということである。これは、技術至上主義に対する反発でもあり、反藝術として、なにができるのか。この作品には全く技術はない。一つの表現としての、一つの答えだった。
 ダダイズムが音楽へ与えた影響であれば、ジョン・ケージが有名である。「いかなる実験も、作品が完成する前に行われると考えており、結果を予測できない行為を“実験的”と表現していた」と言っている。奏者自身は何も演奏しない4分33秒という作品を生み出した。
 また、前衛芸術家としてのオノ・ヨーコは前に述べたジョンケージのレッスンを受け大きな影響を受けている。カットピースなどの作品において内面の苦痛を表現している。彼女の表現方法もまた一つの答えなのだと考えている。
 私は、ジョン・ケージ的な実験的思想を承継しつつ、オノ・ヨーコ的な内面性の表現も行いたい。そして、今まで私が見てきた様々なもの、また今に至った思想・背景をさまざまな意味での反技術至上主義的な表現を用い表現したい。また、新たな思考に触れることによって藝術に対して、また自分自身に対しても脱構築する諸行無常的なコンセプチュアル・アート的な音楽を作っていこうと考えている。様々な思考に対してどこまで観念的な表現ができるか試して行きたい。
 作家性として、即興性という手法を用いる。ジョン・ケージの残したものとして即興演奏への否定というものがあるが、ジョン・ケージはリスト・ショパンへの反発であったのと同じく、時代は反復するという点で即興性を復興させたいと思っている。技術的に拘れば楽譜の演奏的な再現性がえられるが、それに反した、時間というのは二度と戻らない。そういう再現性のないものを表現しようと考えている。
 また、オノ・ヨーコ的な内面性を継承し、更に深化させ、「アウトサイド」した私自身の内面の空間において一回価値を完結させる。私から発せられる、音、空間的なものは、意識、無意識にかかわらず、日本的な「歪んだ空間」への表現が含まれている。その完結された価値/価値空間を外部へ発信することにおいてその空間にいるもの、聞くものは何を得られるか、何が価値があるのか、と問うという実験的・即興的要素において制作を行っていく。
第四校 2023/6/15 加藤圭一郎

求めるのにかかった所要時間は約30分くらいでした。鍵盤未使用。
Bb dur = Bb H C D Es F G A Bb
( = ) A# dur = Ais His Cisis Dis Eis Fisis Gisis Ais
なんで、各自Bbに直してからスケール練習してください。
 
A# Dorian Sclae
A# B# C# D# E# F## G#
 
A# Ionian Scale
A# B# C## D# E# F## G##
 
A# Phrygian Scale
A# B C# D# E# F# G#
 
A# Lydian Scale
A# B# C## D## E# F## G##
シャープ多い・・・11個か。
 
A# Mixo - Lydian Scale
A# B# C## D# E# F## G#
 
A# Aeolian Scale
A# B# C# D# E# F# G#
 
A# Locrian Scale
A# B C# E# E F# G#
 
A# Lydian b7 Scale
A# B# C## D## E# F## G#
 
A# Harmonic Minor Scale Perfect 5th Below Scale
A# B C## D# E# F# G#
 
A# Melodic Minor Scale Perfect 5th Below Scale(M,M,P5)
A# B# C## D# E# F# G#
とちらかというと、スケール名覚えられない。
 
A# Melodic Minor Scale
A# B# C# D E# F## G##
 
A# Altered Scale
A# B B## D# E# F# G#
 
A# Whole Tone Scale
A# B# C## D## E## G#
 
A# Altered Dorian Scale
A# B# C# D# E F# G#
 
A# Diminished Scale
A# B# C# D# E# F# F## G##
 
A# Blue Note Scale
A# B# C# D# E# F## G#
 
A# Minor Pentatonic Scale
A# C# D# E# G#

『勝間塾のススメ』のススメで姉と友人が『勝間塾のススメ』で紹介されてます。
よかったら買ってください!
 『夢を諦めない』という書を塾生のネットショップから購入しました。少しと昔のはなしですが。
 
Amazon Kindleからの転載です。

内容紹介

目次
前書き 一粒の種から始まった奇跡
第一章 塾長と塾生の座談会 塾生とともに成長を続ける最強のシステム・勝間塾
第二章 知のスポーツジム
メニュー1 毎月実施される月例会
メニュー2 毎日発行されるサポートメール
メニュー3 塾生が活発的に利用するオリジナルコミュニティ
塾生インタビュー① 著者になった塾生
著者 立花岳志さん ~僕の後に続け~
著者 坂下仁さん ~本を書く価値を作ること~
カツマンガ①
第三章 勝間塾の歴史 勝間塾はこれまで何をしてきたのか
3.1 勝間塾のあゆみ ~勝間塾の歴史をひもとく~
3.2 緊急アンケート! 塾長想定外の結婚カップルはどのようにうまれたか?
塾生インタビュー② 海外で活躍する塾生
ツアーガイド ぽてと男爵さん ~会社を「断る力」~
通訳 ひっつじーさん ~コミュニティ・ラーニング立ち上げへ~
カツマンガ②
第四章 全国オフ会マップ 幹事だヨ! 全員集合 ~全国に広がるオフ会~
塾生インタビュー③ 起業した塾生
社会保険労務士 くろなおさん ~経営者と従業員、両方をハッピーに~
ネットショップ経営 さっくん/ゆっぴぃさん ~言葉でみんなをハッピーに~
カツマンガ③
第五章 塾生の生態 この塾には、いったいどんな人たちがいるのか!?
5.1 塾生100名アンケート!
5.1.1 グラフでみる勝間塾
5.1.2 コメントでみる勝間塾
5.2 勝間塾最大の共通言語・ストレングスファインダーとは
5.2.1 ストレングスファインダーで見る、塾生428名の強み
5.2.2 パートナーシップを考える ~相性のよい資質持ちは誰?
塾生インタビュー④ 塾での学びを仕事に活かす塾生
日本相撲協会加藤さん~空前の相撲ブームの仕掛け人~
セミナープロデューサー兼外資系船会社営業部長 開運すぎさん ~開運王に俺はなるっ! ~
カツマンガ④
あとがき
付録1. 月例会テーマ/ゲスト講師/課題図書 一覧
付録2. サポートメールのテーマ 一覧

このブログにこのようなコメントがついていた。

時期的に母がなくなったばかりなので返信できなかった。すこしそれは後悔している。

 

 全国大会。華やかな一面もあれば、部員が追い詰められて日々消耗してそのステージに出る。そういう一面もある。アンダーグランドに片足突っ込んでしまった人間としてはどちらの面もあると明言したいと思う。

 やめるといっても、同学年にはもちろんいるし同級生とかいう場合もあるだろう。そういったところも考えると「辞める」というのは結構辛いことなのだと、自分の経験でわかる。

 私も部活をやめてしまったら糸が切れたみたいな感じで学校に行かなくなってたかもしれない。そういったところから考えると、一般団体で中高生もいるってところは部活の人間関係を学校に持ち込みたくないっていうのもあるかもしれない。

 私は全国大会出場という肩書があるけれども、反コンクール、反大会主義は否定しない。生徒が、演者が、楽しくなく、いや、苦痛でしかない毎日は嫌だもの。そんなのはよくない。

 ただ、私の場合思い出してやってよかったと思うこともある。いいこともあった。どちらにしたらいいかなんて、言うのは難しい。私だって人間だもの。

 

 あまり、自分のことばかり語ってしまって申し訳ない。ただ、自らの考えを思ったときに書き続けることくらいしかできないのかもしれない。とも、思う。

 

1. 突然すみません

ネットで「自殺願望」についていろいろ調べていたら加藤圭一郎さんこことを知りました。私は、高校生で加藤さんと同じマーチングバンドをやっています。今私は、部活で先輩にずっと怒られていて「私、何やってんだろう。辞めれないならもう死んじゃった方が早いんじゃないか。こんなに辛いことをなんで続ける必要があるのか。このままこの5階から飛び降りたららくになるんじゃないか。」と考えています。辞めようとしても何故か辞めさせてくれません。今は、テスト期間中で、部活は休みなのですが毎朝先輩に怒られていて終わるのが朝のST開始の10分前。泣きながらテストを受けリスニングなんか全然頭に入ってきません。明日もテスト前に怒られて頭がおかしくなって自分を失って部室のある5階から飛び降りるんじゃないかと思って自分でも怖くなります。
6年やる中で残りあと1年半。最後までやりたい気持ちと、「もう無理、楽になりたい」という気持ちが自分の心の中で戦っています。

家庭環境も似ています。同級生同士の関係も似ています。後輩からも舐められています。


突然コメントしたのにこんなにメガティブな発言してしまいすみません。
ただ加藤さんの高校生活に似ているのでついコメントしてしてしまいました。
ブログでは、なるべくポジティブに行こうと考えて書いているのですが最近は、本当にポジティブに考えられなくて投稿は、していません。加藤さんから何かアドバイスがあれば幸いです。

ちなみに私の高校は多分加藤さんも知っている高校だと思います。

 

次の予定!

12/22(木)23:00~翌5:00 投稿者:  投稿日:2016年12月11日(日)08時18分8秒   通報

「魔法祭vol.20」(仮)

 

 

 

日時

 

12/22(木)23:00~翌5:00

 

魔ゼルな規犬枠

 

場所

 

青山ever

 

http://ever-site.com/access-map/

 

http://8430.teacup.com/mazerunaki/bbs/1493

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXについて、思うところがあったので書き留めておく。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG
第15話 機械たちの午後 PAT. より

有須田「昔、城を建てた無名の木工は、自分がその仕事に携わった証として、屋根裏に自分の名を刻んだ工具を態と忘れたそうだ。そんな些細な思いすら、お前達は消し去るのか?」
草薙「そうよ。それが体制に何かを明け渡した代償に力を得た者の禍福。」


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 映画監督の夢より
草薙「確かにいい映画とも言えないくもないわね。でもどんな娯楽も基本的には一過性の物だし、またそうあるべきだわ。始まりも終わりもなく只観客を魅了したまま手放そうとしない映画なんて、それがどんなに素晴らしく思えたとしても害にしかならない。」


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 荒巻大輔セリフより

荒巻「劇とは、観客自体もその演出の一部に過ぎない。」

 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 映画監督の夢はある意味劇中劇としての構造を持っていると言えるけれども。この話(2nd GIG
第15話 機械たちの午後 PAT)はどうなんだろうか。

 クリエーター的、デザイナー的制作に対してアーティスト的アプローチの批判、評論的な意味合いをもたせていると思うけれども、年代的にエヴァンゲリオン批判(劇中に監督自身の名前が出るなど)であり、またエヴァンゲリオン(はオリジナルアニメであることから)より古い作品である、『攻殻機動隊』自体に対しての自己批判のようにも思える。

ドラゴンボールもある意味再構築などによって使いまわされているといえるので、そのあたりも含めるのかもしれない。もちろん個人的にだけれども、衒学的であるという同族嫌悪感を含めてエヴァンゲリオン批判のほうが強いように思う。(攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXのほうがきちんとした出典を持っているという点では旧世紀エヴァンゲリオンのほうが衒学的である)