自由人加藤圭一郎の活動と日記 -2ページ目

自由人加藤圭一郎の活動と日記

音楽・文章・写真などなど。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXについて、思うところがあったので書き留めておく。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG
第15話 機械たちの午後 PAT. より

有須田「昔、城を建てた無名の木工は、自分がその仕事に携わった証として、屋根裏に自分の名を刻んだ工具を態と忘れたそうだ。そんな些細な思いすら、お前達は消し去るのか?」
草薙「そうよ。それが体制に何かを明け渡した代償に力を得た者の禍福。」


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 映画監督の夢より
草薙「確かにいい映画とも言えないくもないわね。でもどんな娯楽も基本的には一過性の物だし、またそうあるべきだわ。始まりも終わりもなく只観客を魅了したまま手放そうとしない映画なんて、それがどんなに素晴らしく思えたとしても害にしかならない。」


攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 荒巻大輔セリフより

荒巻「劇とは、観客自体もその演出の一部に過ぎない。」

 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 映画監督の夢はある意味劇中劇としての構造を持っていると言えるけれども。この話(2nd GIG
第15話 機械たちの午後 PAT)はどうなんだろうか。

 クリエーター的、デザイナー的制作に対してアーティスト的アプローチの批判、評論的な意味合いをもたせていると思うけれども、年代的にエヴァンゲリオン批判(劇中に監督自身の名前が出るなど)であり、またエヴァンゲリオン(はオリジナルアニメであることから)より古い作品である、『攻殻機動隊』自体に対しての自己批判のようにも思える。

ドラゴンボールもある意味再構築などによって使いまわされているといえるので、そのあたりも含めるのかもしれない。もちろん個人的にだけれども、衒学的であるという同族嫌悪感を含めてエヴァンゲリオン批判のほうが強いように思う。(攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXのほうがきちんとした出典を持っているという点では旧世紀エヴァンゲリオンのほうが衒学的である)
2014/6/20 に行われた宣言

<宣言文>
 ゼロ年代と呼ばれたこの十年、日本はデフレで物があふれたが、希望より絶望を多く生み出した。そして、福祉はそういう意味ではなにも生み出せなかった。できるのは文章をプリントアウトして精神科へ持って行くのみである。そして、向精神剤が処方されるのみだ。ただのたらいまわしである。回復までの道のりは自分の足で・・一回砕け散ったその足で探しまわる必要がある。また立たなければいけないのだ。



 今、われわれの目の前に広がっているのは、腐った魚のような目をして電車に乗っているサラリーマンや絶望をインターネットでまきしらしているメンヘラたちである。

 欧米を真似た資本主義による成功。そして、その金によって作られた乱立したビルの中では、殺気立った罵声ばかりが聞こえる。そんな風景があるのみである。そこで生み出されるのは希望ではなく絶望である。綺麗な美しいブランディングをしたWeb Pageの、オフィスの裏側にはそんな風景が広がっている。



 この風景は、ゼロ年代の幕開けによってつきつけられた、社会への問い(「監視社会」「無宗教」「無縁社会」「新興宗教」「自殺」・・・)から徹底的に目を背け無化することによって成立している。

 ゼロ年代に入って、ますますわれわれの生活を変容させた情報化の推進は、あろうことか精神において、日本と世界の格差を埋めるものとしては機能しなかった。

 朝、電車が飛び込み、人身事故で電車が遅れようとも、それが人が死んだということをアクチュアルに感じるものがいなくなってしまった。現に私もそうである。

 精神科医は「向精神剤」に充足することで、患者の「情報」から目をそらし、ナマな文化の営みに身を晒さない。健康に対する研究をしている学者は教授という権威で身分を保証され、無根拠な疑似科学によって広告を出し、変な食品や本を売ることで、小器用な職人として金稼ぎをしている。



 ゼロ年代の間、私は地上に姿を表さなかった。なぜなら地上は街は、人がいるのにGHOST TOWNとかわりないからだ。そこにはゴミひとつ落ちていない。私のGARAGEではゴミは落ちている。おかしいではないか。

 Google、2ch、mixi、Flickr、ニコニコ動画、Youtube、Twitter。そこは地上によってもたらされた絶望とその叫びがコミュニティというアーキテクチャ・インフラクチャーによって造成され、まとめサイトという形で絶望が増幅されていた。

 そこでは常に、膨大な匿名性による想像性が渦巻き、叫びともならない叫びばかりがこだましていた。にもかかわらず、年に三万人自殺し、政治家も福祉も精神科医も誰もそれを止めることが出来なかった。

 人間の内面はアーキテクチャのような工学的なものでは満たされないということがよくわかったのだ。

 さらに、「無敵の人」なるものまで生み出した。ゼロ年代は害ばかりが作られてきたのだ。



 そこで私は再び現れようと考えた。目と、耳と、口をつぐんで暮らしていたが、そうすべきではないという結論に至ったのだ。

 人間には人間による暖かさが必要なのだ。人間に希望を与えるのはAIでも機械でもない。人間だ。人間によって作られたアニメや絵や小説や文章、言葉。それらは、温かみがあり、あらゆるアーキテクチャはその媒介物でしかない。

 

 とはいっても、どんなに文章を書こうとも、何と言おうとも、私id:koya2014はただ一人の匿名の一人でしか無い。とても無力だ!否定することは出来ない重要な事実だ!そこで、私の模倣者を探している。もちろん、私自身もあるメッセージを見た模倣者でしか無い。

 この思いを共有してくれる人は、辛かったり、苦しそうな人をインターネットで見たら励まして欲しい。この宣言文を読んでいる諸君、そして淑女達への要求はただそれだけだ。簡単な事に思えるが、案外、難しい。今日の日本のネットではな。だから、私は道化なのだ。

 私はあるとき友人を亡くした。自殺だ。私の友人の数を数えるのは片方の手で足りる。それなのに、自殺を止めることが出来なかったのだ!!

子供を蹴っていてもそこにいる人間が止められない社会になってしまったのだ。禅の魂があると言われた日本は何処へ行った!!

 最後にもう一度言おう。この思いを共有してくれる人は、辛かったり、苦しそうな人をインターネットで見たら励まして欲しい。



 私、id:koya2014はようやく、ここに姿を表す。

 ある匿名の気のある書き込みに情熱を晒して、一、模倣者として新しいインターネットのあり方を模索して。





以上

藝術サークル「Under The Sky」 佐々木小夜

http://underthesky.info

監修 加藤圭一郎

文責


藝術サークル「Under The Sky」
2014/07/02 制作

最近何に価値があるかわからなくなってきてしまったのです。もしかしたら、何にも価値がないかもしれないですし、あらゆること、は価値があるかもしれないとも考えています。倫理的でないこと-例えば、人を殺す。しかも、特に理由なく。それすらも価値があり、また価値がないとも考えています。
また今、体調を崩していまして、仕事をしていません。働かない理由の一つにすることもしないことにも価値を見出せないことが一つかもしれません。
また、生きることについて、死ぬことについても考えています。まあ、これは在学時、また、それ以前からも考え続けたことでありますが。「社会的」(社会という単語もここでは自分は日本語以外の言語が使用できないので日本社会のことを指します)に意味があるとされていることは本当に意味があるのか、建前は意味があると装っていて、実はそこまで辛い思いをしてまで建前を貫き通すことが出来ない人が増えている。そのように、私(のみているパースペクティブ)としてはそう思います。それがニートであり、そこからさらに抑制された状態で、いわゆる「無敵の人」なのだと考えています。
彼らは社会のハイコンテキストな空気に適応出来ず、社会の無言の圧力に抑制された存在なのだと思います。社会の倫理に虐げられた人間に今更、社会の倫理で説得しようとするのは無駄なことでしょう。しかしながら、刑罰という面において従順なのが不思議なのです。それは、おそらく、日本の教育、~しなければならない(must be)が蔓延している結果なのでしょう
最近、永井均や中島義道に興味を持っています。私がその気になれば、すこしくらいなら直接話ができるくらいの距離にいます。
彼らになぜ興味を持っているかと言うと、恐らく彼らも、哲学という手法を用いて意味や価値、生、死について問いづづけた人だからでしょう
今、自分自身がどうしたらいいかわからないのです。社会的には休養して仕事をするという回答をえられるでしょうが、今の仕事は、マニュアル化しコンサルタントによる効率化によって、(世界的も含み)社会がコモディティ化されている。それを経営者はわかっているので、マスメディア的にも経済社会的にも、現在の若者をゆとり世代といい、多くの問題を最近の若者的な問題にすり替えて押し付けている。俺たちの時代もそうだったと昭和世代はいうのだけれど、無縁社会化、監視社会化、昭和的なあなあさの消失、失われた10年、年金問題等々、当時の社会とは違い成長や豊かさという大きな物語が失われたのに関わらずのに同じもの、いやそれ以上のものを求められている。
また、就職活動においてもビジネス化が進み、自分の世代もそうだったが、もはや、通過儀礼(イニシエーション)ともいえるものを乗り越えなければならない。しかも、この通過儀礼は文化人類学的な単純なものではなく、ホンネとタテマエが入り混じり、時にはそれが入れ替わる。欲望、または純粋な希望。そう言ったものが入り混じりそれを通過するにも。とてつもない精神的苦悩のあるものである。
その通過儀礼を通過したとしても、ビジネスモデルとしての使い捨て、いわゆるブラック企業が跋扈している。厳しい競争を勝ち抜いても、その後に、さらに厳しい社会へと放り込まれるのだ。
今の会社はグローバルな競争に向かわざるをえず、主要企業の行っていたビジネスモデルが一年たらずで崩れてしまう。
企業倒産による、失業、リストラ、些細なミスによる解雇、これらは社会においては自己責任であり、手を差し伸べるものでは無くなってしまった。
働かざるは食うべからず。行く場所行く場所そう言われる。
生活保護を受けるのは非国民のような扱いを受ける。そもそも生活保護を受けるのも役人によるしぶとい駆け引きに勝たなければならない。
しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している
障害を持つものも、内臓疾患であれば甘えと言われ、精神疾患も同じく。足がなくとも、同じ状況にある人間ががんばっているんだといい、目の前にいる人間の言葉を無視する。
重要なのは、働くことのみである。
たとえ儲けが出なくても、働かざるは食うべからずという圧力で仕事が作られる。
駅でお菓子を売っている障碍者たちは働かざるは食うべからずの精神で駆りだされ売っている。全く売れなくても「そうしなければならない」のだ。
彼らの中にはそういった欺瞞性に気付くものもいるが、どうすることもできない。運営してる福祉ですら、その欺瞞性を飲み込んでいかなければならない。
初めは人を救うという意志があったものの、欺瞞性や政治の結果、福祉の人として道を外れてしまい、いわゆる「腐った福祉」になってしまう
しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している

朝。そこには雀の気持ちいい鳴き声すら気づかない。
昨日の疲れが取れなかった苦しみだけが残る。
殺気立った満員電車に突っ込み、
痴漢冤罪にならないことを恐れなければならない。
改札のタッチミスで舌打ちが聞こえ、時に電車が止まる。
人身事故だとしても、その人を心配する人はおらず、
むしろ遅延証明書と遅刻の報告のほうが重要なのだ。
知らない人間の命は関係ないーー

こういった風景を見てきてどうすればいいかわからなくなりました
。どうすればいいでしょう

岩崎夏海メルマガ(ブロマガ)に取り上げられました
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry/blomaga/ar572430
1241文字の返信を頂きました
Q&Aで話題になりました
この文章はQ&Aのやりとりから着想を得ました。
http://q.hatena.ne.jp/1402990130
「考え、考えきった結果、余計わからなくなりました。頭のなかにある一部を文章として書きだしたので、なんでもいいので回答を下さい」書きだした文章がこの本文です
http://q.hatena.ne.jp/1404286979
storys.jpでもかいています
http://storys.jp/story/13049
Art Freedom Brass Band
10th ANNIVERSARY 9th Regular Concert

2016.3.13
開演13:30 開場13:00
横浜市都筑公会堂
http://goo.gl/6ndEjr

指揮
金子敦則
肥沼利幸
杉村征年

プログラム
自由への旅
組曲「日本の四季」
祝典のための音楽
そっと、さようなら(ユーフォニアム・デュエット)
映画「みじかくも美しく燃え」より(テナーホーン・トリオ)

ほか

後ろ端のほうでコルネット吹いてます!よろしくです!
 例えば『ハリーポッターシリーズ』は『児童「英小説」』ですけれども、児童文学という色眼鏡をとって、「勧善懲悪」的な要素から外れて考えると、スリザリンの「徳」は「狡猾さ」「手段を選ばない」「自己保身的」などです。


 児童文学的な勧善懲悪においてスリザリンは悪的位置なのですが、ひっくり返せばアンチ・ヒーロー的なスネイプ先生は英国のアンケートで人気ナンバーワンです。アンチ・ヒーロー的な面だけで評価されたとは考えていなくて、スリザリン的な「徳の体現者」と見なされているところがあると思います。完全に悪役に見えるヴォルデモートもスリザリンの「徳」という視点から見れば、「狡猾さ」「手段を選ばない」「自己保身的」の行き過ぎた姿。つまり、「徳の暴走」として描かれていると私は考えています。
 グリフィンドールの「徳」は「勇敢さ」などですから、スリザリンの「徳」とは対立構図にあります。ダンブルドア先生はどちらとも理解し、また行っていたと考えています。対立の話に戻りますたが、それはどちらが正しい悪いというのは、言い切れないと思います。著者は「全ての人を正しくも悪くもあるように書いた」とおっしゃっていたいたのですが、これこそイギリス的なことの一つなのだと考えています。

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)/静山社

¥2,052
Amazon.co.jp

ハリー・ポッターと賢者の石 [DVD]/ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント

¥1,543
Amazon.co.jp

イデア界より来たりしチョコレートケーキ。
私はなぜ、チョコレートケーキがチョコレートケーキであるのか、考えている。
何の表現に、形式に、言葉によって、チョコレートケーキがチョコレートケーキたらしめるのかを。
 東京実業高等学校ブラスバンド部(現マーチングバンド部)Phoenix Regiment Drum & Bugle Corps に二〇〇二年四月入学ととも入部。カラーガードを担当し二〇〇二年七月幕張メッセにて開かれた世界大会に出場。マーチング連盟(現マーチング協会)の全国大会で二〇〇三年一月に日本武道館で小編成金賞受賞。二〇〇三年招待演技で日本武道館に二回出演。二年の時ににレギュラー落ちしたが、部門変更等ありマーチングバンド連盟の第一回カラーガード大会に参加することになった。規約等考慮し他団体の方々も集め一般としてエントリー。二〇〇三年十一月にさいたまスーパーアリーナで行われた。二位まで全国大会の参加権を得られるが関東大会三位となり、惜しくも全国大会への切符を落とす。二〇〇四年にさいたまスーパーアリーナで中編成金賞受賞(席次二位。その後大会演技が一部NHKのマーチング特集にて放映される)。二〇〇四年にさいたまスーパーアリーナで中編成金賞受賞(その後大会演技が一部NHKのマーチング特集にて放映される)。また、卒業旅行でハワイ・ホノルルにてパレードを行う。
 音楽に関しては、Brassパートの同期部員と仲が良くなり、音楽知識などを教わる。独音名などを実用可能レベルで理解する。平均律について純正律でないためピッチの揺れが生じているか気になり、分析する。平均律のピッチの揺れを認識できるようになるが、街中で流れるBGMなどが不快になり頭痛などに悩まされる。以後、快適に生活するために音程感覚について諦める。そのようなことがあり、万騎が原中学校吹奏楽部出身部員を含めて音楽経験者と勘違いされることもあった。Bugle Corps Styleのサウンドに影響を受ける。
 二〇〇四年十二月にセルゲイ・ナカリャコフに憧れフリューゲルホルンを購入し金管楽器を始める。二〇〇五年四月大学入学とともに吹奏楽部に入部しトランペットを始める。ゆるい部活だったため基礎練習の方法を先輩に聞くも、「めんどくさい」などと、はぐらかされ、それをきっかけにメロディに注力する。セルゲイ・ナカリャコフ、モーリス・アンドレ、ニニ・ロッソなどのフレージング・音色を分析・研究。
 一年目の定期演奏会では一部の1st曲でメロディに関して、先輩を差し置いてリードを取るように顧問兼指揮に指示される。「マゼランの未知なる大陸への挑戦」では1stを演奏し、(その他の曲も含めて)ソロ代奏、一部のオプションを吹くことを黙認・容認される。定期演奏会では「マゼランの未知なる大陸への挑戦」のオプションであるhigh Bbをあてる。しかし、それらがきっかけで人間関係は悪化することとなる。
 部室にあったコルネット(Getzen Eternea)を吹き、音の柔らかさに魅了される。英国式ブラスバンドをいつかやりたいと思うようになり、現在使用のコルネットを購入。その後、アルト(テナー)・ホルンも購入。
 二〇〇六年、Art Freedom Brass Bandの第一回目の対外演奏である白幡地区センターの演奏を聞きに行った。その後も定期演奏会等をたびたび聞きに行く。
 二年目になり、前から少し思っていたが『響け!ユーフォニアム』の登場人物である「高坂麗奈」のように「特別になりたい」と思うようになり、教則本『朝練トランペット』の著者に二回レッスンを受け、音域に関して曲中で使えるか定かではないが最高double high Bbまでだせるようになる。しかしそれらが原因で、さらなる人間関係の悪化を招く。
 大学の強化部活指定など人間関係に政治的な要素が入り、部員を追い出そうとするなど人間関係のこと、Getzen Eterneaのコルネットがあるのにファゴット・コントラバスがない、酒の一気飲みのしすぎて酒乱する部員がいるなどの杜撰さに嫌気がさす。
 「September」の1stを奪い取り湘南ひらつかフェスティバルでhigh Cを吹き燃え尽きる。その後、定期演奏会後の二〇〇七年四月吹奏楽部を退部。金管楽器も同時にやめる。
 同年ピアノを始め、クラシック・ポップスのレッスンを受ける。吹奏楽では楽譜の読み方をきちんと習わなかったのでここで楽譜の読み方を教わる。
 同年コミックマーケットに合同誌として初参加。その後も何回かサークル参加、一般参加する。その後、同人即売会としてはM3・コミティア等にサークル・一般参加し同人音楽家としてCDなどを販売。
 吹奏楽部退部後はアコースティックバンドに加入し、ギター・ベース・キーボード・コーラス・カホン等を担当。なお、ベースに関してはアニメ『けいおん!』の影響で購入。慰問演奏に特に力を入れており皇太子徳仁親王妃雅子様の主治医である大野裕氏の講演の前座を務め、神奈川新聞に掲載される。このバンドは二〇一一年三月に脱退。その後はソロあるいは即席バンドで横浜市にある生活支援センター等で主に童謡等伴奏や演奏を行う。
 ソーシャルでの活動はTwitter等SNSの関連した活動を含める。初音ミクを二〇〇八年に購入し、ニコニコ動画・Youtubeに投稿を初める。Twitterではハチロククラスタ(ハチロク世代)と認識される。二〇〇九年津田大介にフォローされ、二〇一四年バラク・オバマ大統領にフォローされる。動画投稿に関してその後、実験的演奏、実験的作曲作品(初音ミクのシンセサイザー的使用作品等)、即興演奏などを投稿。
 部屋が片付けられず、ピアノ即興演奏を行っていることから、『のだめカンタービレ』の「のだめ」のようだとインターネット上で揶揄されることがあり、最近では録音のみの公開が多い。
 その後エレクトロニカジャンルの企画「春ニカ祭」等に動画を投稿し参加している。同人音楽CDなど制作し、その他SoundCloudなどに投稿していた。
 作曲を二〇一〇年に始める。それに関連してピアノ・鍵盤楽器の完全即興演奏(Free Improvisation)を二〇一一年にある程度習得し、即興演奏と一部の作曲した楽曲について職業作曲家・音楽教師に好評価を受け、「音楽教室M-Bank」のブログに掲載される。また、FMラジオ番組 「ぼくらのしあわせなじかんのすごしかた」で楽曲が紹介される。「音楽教室M-Bank」でも職業作曲兼家音楽教師に職業作曲家なることを勧められるが、「やる気スイッチをさがしているところ」といい、はぐらかした。
 二〇一二年四月マーチングバンドを再開しTokyo Phoenix Drum & Bugle Corpsに入団。Soprano Bugleのパートを担当し金管楽器を再開。東京実業高等学校時代の同期であり、大会メンバー兼Brass Staffの団員にBugleの吹き方、マウスピースや呼吸法を教わる。マーチング協会のさいたまスーパーアリーナで行われた関東大会に一般大編成として出場。Drum Corps Japan主催のAll Japan Championshipsが日産スタジアムで行われDivⅡ(Bugle Corps Style小編成)で二位を獲得。団外の友人関係のトラブルを団員に相談したところ、広まってしまい著しく人間関係が悪化。年度の契約満了での退団を決意。がDrum Corps Japan主催Individual & Ensemble ContestにてBrass IndividualにSoprano Bugle Soloでエントリーし、演奏者のミスという波乱があり同じくSoprano Bugle Soloでエントリーしていた上記のBrass Staff(大会曲ソロ担当)より上位を獲得。二〇一三年三月、海老名市文化会館で行われた単独LIVE「Fantasia」に参加。二〇一三年四月に退団。
 二〇一二年ごろから現在作曲を師事している先生に師事するようになる。職業作曲家なることを勧められるが、「即興演奏がしたい」「音楽を楽しみたい」とはぐらかす。
 二〇一二年十二月より音楽事務所音紬Recordsのレッスン生として在籍した。契約内容がゆるく、音楽事務所に入ってみたかったのが理由。ライブ等に出演。二〇一三年十月に先生が妊娠したということで先生のレッスン中の愚痴の時間が多くなり、契約解除。ボーカルとしては三オクターブの音域を持つ。
 英国式ブラスバンドを始めるためG管からBb管に移行するため、洗足大学の英国式ブラスバンドにてPrincipal Cornetを務めたことがあり、Bugleに理解のある。トランペット奏者に当時師事していた。二〇一三年四月教室発表会として「タイタニックのテーマ」をトランペットでピアノ伴奏にて演奏する。
 二〇一三年五月に2nd Cornetとして当団、Art Freedom Brass Bandに入団。
 二〇一三年九月菅野よう子演奏団体Thanks!K Orchestraに入団しトランペットパートを務める。また、演奏会・合唱祭への参加等、合唱(バスパート)としても活動することがある。
 二〇一四年九月よりアートバア「無力無善寺」を始めとした中央線界隈、代々木公園などのストリートでソロ活動などを開始し、現在喉などのインディーズミュージシャン、アンダーグラウンドミュージシャン魔ゼルな規犬、リバ邸横浜の管理人でありDJイベントなどを行う「silent it」代表である雨宮優などと親交がある。音楽教室の代表取締役社長から多様な活動から寺山修司のようだとして表現者・加藤圭一郎と評される。二〇一五年一月二十五日にアートバア「無力無善寺」にて三上寛と対バンする。そのライブでは遅刻したが許してもらえた。自身の演奏等に関してアドバイスをもらう。
 同年六月に新宿JAMで行われた魔ゼルな規犬の企画したライブに参加し、魔ゼルな規犬の技術を盗み出演者一覧に名前がないのに混ざりステージ上に立つ。そのライブはWebメディア「ロケットニュース24」にて紹介される。また、そのライブではNHK Eテレ「バリバラ」の「SHOW-1グランプリ」を受賞したことがあり、同番組に出演しているTASKEと出会い、以降TASKEの主催する「歌舞伎町詩人の集い」などに鍵盤楽器即興演奏や即興詩、また、それを組み合わせたもので参加している。ライブ後終電を逃しファミレスで時間を潰した後に早朝、新宿歌舞伎町でストリートライブを行い、リクエストで「もののけ姫」などを歌う。
 魔ゼルな規犬とともにDJサブカルイベントである魔法祭に何回か参加する。カラーガードの経験もあり、魔法祭や雨宮優の行う「silent it」などのDJイベントでお立ち台に立たされ即興で踊ることもある。
 二〇一五年、秋元康の弟子である岩崎夏海の主催する「岩崎夏海クリエーター塾」二期に参加し、クリエータ的な制作・努力、岩崎夏海自身も関わったAKB48の制作等について影響を受ける。
 二〇一五年は演奏会・ライブを合わせるとだいたい三十回前後の出演回数となる。さまざまなインディーズ・ミュージシャン、演劇、詩人、表現者などから完全即興(Free Improvisation。現在では鍵盤の他に、ダンス、詩、演劇的なものなど多様性が高まった)について高い評価を受ける。
 また、二〇一五年までに十数人の音楽教師、作曲家、器楽奏者、ボーカリスト、音楽理論家等に師事。現在も何名かに師事している。
 二〇一六年一月六日、作曲を師事している方に久しぶりに会い、音楽愛好家の活動を続けながら職業作曲家とコンセプチュアル・アーティスト等を目指すことを同意した。
 なお、繰り返しになるが当団には二〇一三年五月に2nd Cornetとして入団している。
参加します! よろしくお願いします!!

公式WebPage http://www.thanks-k.com/
演奏会:Thanks!Kオーケストラ第3回演奏会
日時:2015年11月28日(土) 12:45開場 13:30開演
場所:神奈川県立音楽堂
演目:今回はエスカフローネがメインです!(参照)
料金:1枚500円(当日券1000円)
支払:当日、チケット売り場でチケットと引き換えにお支払いください(現金のみとなります)

第1部 アラカルトステージ
 ・Power of the Light(プレンパワード)
 ・Dog Fight(マクロスプラス)
 ・ごちそうさん交響曲(ごちそうさん)
 ・アクエリア舞う空(アクエリオンEVOL)
 ・Princess Chris(大航海時代)

第2部 エスカフローネステージ
 ・DANCE OF CURSE
 ・FLYING DRAGON
 ・THE STORY OF ESCAFLOWNE~END TITLE
 他多数

他にも魅力的な菅野楽曲を多数演奏予定です! お楽しみに。
http://ameblo.jp/tenku65820/entry-12091195214.html


上の話はこれに関連した話です。

このブログ上の文章については、2015/5/30ごろ書いたものです。


2015/5/13まで村上春樹が読者とのQ&Aを行っていたサイト、「村上さんのところ」を読んでいた。

所々で「無意識の中の鉱脈」や、空想の話が出ていた。

断片的な話を繋げると、「無意識下の世界に行って着想を得ている」ということだった。また、その世界に行くと病理が発生するということだった。その病理とは、ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で書いていた「深淵を見つめるものは、深淵に見つめられている」と似たものかもしれない。

夏目漱石や太宰治、ニーチェなどは、その病理に苦しめられていたのだろうと思う。
私の着想・インスピレーションは主にここから来ていて、練習(訓練)、分析、芸術的・美術的・音楽的承継よりも自分の能力はそのインスピレーションによるところが多いと考えている。
私は不遇な家庭環境や境遇故にその内面的な世界へとはいってしまった。普通は音楽を聴いたり、本を読んだりして逃れるが、私はなぜかそうではなかった。そのため、無意識の世界による病理に苦しめられている。

その世界のインスピレーションを得るために60、70年代のジャズミュージシャンはドラッグをやってのだろうと思うし、恐らく瞑想でインスピレーションを得ていたクリエーターも同じであろう。

先週の土曜日2015/5/23に岩崎夏海クリエータースクールで岩崎夏海が内面性と美について語っていて、何となく質問されることを望んでいると感じ、上記と同じようなこと(時間的な問題でもう少し簡潔に語ったが)を質問した。

岩崎夏海はそのとおりだと答えて、「村上春樹は用意周到に準備してその世界にインスピレーションを得ている」といった。

岩崎夏海に「ドラッグをやっているんですか?」ときかれて、「やっていないです。ただ、その世界に無意識にいってしまうので、逃れる方法を探しているのです。」と、私は答えた。
「自分を客観視」すること、また「正しいフォース」になること--とは『スターウォーズ』でいう正しい在り方(精神性)になることである。そして、「悪いフォース」やってにならないこと。といっていた。それは、例えばオウム真理教やナチスだといっていた。
麻原が跳ねているアニメなどがあったが、ある種の瞑想の方法でそれは体験することができる。ただ、その状態は俗に言う「魔境」にいる状態で確かに方向性を間違えると恐ろしいことになる。

ナチスは私はくわしくないがチベット密教の影響を受けていたという話だ。
話を戻そう。岩崎夏海は最終的にはどうしたら分からないと答えていた。私が「分析と構造の承継で創っていますよね。ハックルさんは。」

※ハックルとは岩崎夏海のハンドルネームである

そういったら、そのとおりです。と答えた。

「私も内面で作れたらいいのかもしれませんが、怖いのかもしれません」と答えていた。

また、「方法がわかったらその方法で行うかもしれません。」との回答で、そのようなところで私と岩崎夏海の会話は終わった。