16-1-14 更新・修正 音楽歴 | 自由人加藤圭一郎の活動と日記

自由人加藤圭一郎の活動と日記

音楽・文章・写真などなど。

 東京実業高等学校ブラスバンド部(現マーチングバンド部)Phoenix Regiment Drum & Bugle Corps に二〇〇二年四月入学ととも入部。カラーガードを担当し二〇〇二年七月幕張メッセにて開かれた世界大会に出場。マーチング連盟(現マーチング協会)の全国大会で二〇〇三年一月に日本武道館で小編成金賞受賞。二〇〇三年招待演技で日本武道館に二回出演。二年の時ににレギュラー落ちしたが、部門変更等ありマーチングバンド連盟の第一回カラーガード大会に参加することになった。規約等考慮し他団体の方々も集め一般としてエントリー。二〇〇三年十一月にさいたまスーパーアリーナで行われた。二位まで全国大会の参加権を得られるが関東大会三位となり、惜しくも全国大会への切符を落とす。二〇〇四年にさいたまスーパーアリーナで中編成金賞受賞(席次二位。その後大会演技が一部NHKのマーチング特集にて放映される)。二〇〇四年にさいたまスーパーアリーナで中編成金賞受賞(その後大会演技が一部NHKのマーチング特集にて放映される)。また、卒業旅行でハワイ・ホノルルにてパレードを行う。
 音楽に関しては、Brassパートの同期部員と仲が良くなり、音楽知識などを教わる。独音名などを実用可能レベルで理解する。平均律について純正律でないためピッチの揺れが生じているか気になり、分析する。平均律のピッチの揺れを認識できるようになるが、街中で流れるBGMなどが不快になり頭痛などに悩まされる。以後、快適に生活するために音程感覚について諦める。そのようなことがあり、万騎が原中学校吹奏楽部出身部員を含めて音楽経験者と勘違いされることもあった。Bugle Corps Styleのサウンドに影響を受ける。
 二〇〇四年十二月にセルゲイ・ナカリャコフに憧れフリューゲルホルンを購入し金管楽器を始める。二〇〇五年四月大学入学とともに吹奏楽部に入部しトランペットを始める。ゆるい部活だったため基礎練習の方法を先輩に聞くも、「めんどくさい」などと、はぐらかされ、それをきっかけにメロディに注力する。セルゲイ・ナカリャコフ、モーリス・アンドレ、ニニ・ロッソなどのフレージング・音色を分析・研究。
 一年目の定期演奏会では一部の1st曲でメロディに関して、先輩を差し置いてリードを取るように顧問兼指揮に指示される。「マゼランの未知なる大陸への挑戦」では1stを演奏し、(その他の曲も含めて)ソロ代奏、一部のオプションを吹くことを黙認・容認される。定期演奏会では「マゼランの未知なる大陸への挑戦」のオプションであるhigh Bbをあてる。しかし、それらがきっかけで人間関係は悪化することとなる。
 部室にあったコルネット(Getzen Eternea)を吹き、音の柔らかさに魅了される。英国式ブラスバンドをいつかやりたいと思うようになり、現在使用のコルネットを購入。その後、アルト(テナー)・ホルンも購入。
 二〇〇六年、Art Freedom Brass Bandの第一回目の対外演奏である白幡地区センターの演奏を聞きに行った。その後も定期演奏会等をたびたび聞きに行く。
 二年目になり、前から少し思っていたが『響け!ユーフォニアム』の登場人物である「高坂麗奈」のように「特別になりたい」と思うようになり、教則本『朝練トランペット』の著者に二回レッスンを受け、音域に関して曲中で使えるか定かではないが最高double high Bbまでだせるようになる。しかしそれらが原因で、さらなる人間関係の悪化を招く。
 大学の強化部活指定など人間関係に政治的な要素が入り、部員を追い出そうとするなど人間関係のこと、Getzen Eterneaのコルネットがあるのにファゴット・コントラバスがない、酒の一気飲みのしすぎて酒乱する部員がいるなどの杜撰さに嫌気がさす。
 「September」の1stを奪い取り湘南ひらつかフェスティバルでhigh Cを吹き燃え尽きる。その後、定期演奏会後の二〇〇七年四月吹奏楽部を退部。金管楽器も同時にやめる。
 同年ピアノを始め、クラシック・ポップスのレッスンを受ける。吹奏楽では楽譜の読み方をきちんと習わなかったのでここで楽譜の読み方を教わる。
 同年コミックマーケットに合同誌として初参加。その後も何回かサークル参加、一般参加する。その後、同人即売会としてはM3・コミティア等にサークル・一般参加し同人音楽家としてCDなどを販売。
 吹奏楽部退部後はアコースティックバンドに加入し、ギター・ベース・キーボード・コーラス・カホン等を担当。なお、ベースに関してはアニメ『けいおん!』の影響で購入。慰問演奏に特に力を入れており皇太子徳仁親王妃雅子様の主治医である大野裕氏の講演の前座を務め、神奈川新聞に掲載される。このバンドは二〇一一年三月に脱退。その後はソロあるいは即席バンドで横浜市にある生活支援センター等で主に童謡等伴奏や演奏を行う。
 ソーシャルでの活動はTwitter等SNSの関連した活動を含める。初音ミクを二〇〇八年に購入し、ニコニコ動画・Youtubeに投稿を初める。Twitterではハチロククラスタ(ハチロク世代)と認識される。二〇〇九年津田大介にフォローされ、二〇一四年バラク・オバマ大統領にフォローされる。動画投稿に関してその後、実験的演奏、実験的作曲作品(初音ミクのシンセサイザー的使用作品等)、即興演奏などを投稿。
 部屋が片付けられず、ピアノ即興演奏を行っていることから、『のだめカンタービレ』の「のだめ」のようだとインターネット上で揶揄されることがあり、最近では録音のみの公開が多い。
 その後エレクトロニカジャンルの企画「春ニカ祭」等に動画を投稿し参加している。同人音楽CDなど制作し、その他SoundCloudなどに投稿していた。
 作曲を二〇一〇年に始める。それに関連してピアノ・鍵盤楽器の完全即興演奏(Free Improvisation)を二〇一一年にある程度習得し、即興演奏と一部の作曲した楽曲について職業作曲家・音楽教師に好評価を受け、「音楽教室M-Bank」のブログに掲載される。また、FMラジオ番組 「ぼくらのしあわせなじかんのすごしかた」で楽曲が紹介される。「音楽教室M-Bank」でも職業作曲兼家音楽教師に職業作曲家なることを勧められるが、「やる気スイッチをさがしているところ」といい、はぐらかした。
 二〇一二年四月マーチングバンドを再開しTokyo Phoenix Drum & Bugle Corpsに入団。Soprano Bugleのパートを担当し金管楽器を再開。東京実業高等学校時代の同期であり、大会メンバー兼Brass Staffの団員にBugleの吹き方、マウスピースや呼吸法を教わる。マーチング協会のさいたまスーパーアリーナで行われた関東大会に一般大編成として出場。Drum Corps Japan主催のAll Japan Championshipsが日産スタジアムで行われDivⅡ(Bugle Corps Style小編成)で二位を獲得。団外の友人関係のトラブルを団員に相談したところ、広まってしまい著しく人間関係が悪化。年度の契約満了での退団を決意。がDrum Corps Japan主催Individual & Ensemble ContestにてBrass IndividualにSoprano Bugle Soloでエントリーし、演奏者のミスという波乱があり同じくSoprano Bugle Soloでエントリーしていた上記のBrass Staff(大会曲ソロ担当)より上位を獲得。二〇一三年三月、海老名市文化会館で行われた単独LIVE「Fantasia」に参加。二〇一三年四月に退団。
 二〇一二年ごろから現在作曲を師事している先生に師事するようになる。職業作曲家なることを勧められるが、「即興演奏がしたい」「音楽を楽しみたい」とはぐらかす。
 二〇一二年十二月より音楽事務所音紬Recordsのレッスン生として在籍した。契約内容がゆるく、音楽事務所に入ってみたかったのが理由。ライブ等に出演。二〇一三年十月に先生が妊娠したということで先生のレッスン中の愚痴の時間が多くなり、契約解除。ボーカルとしては三オクターブの音域を持つ。
 英国式ブラスバンドを始めるためG管からBb管に移行するため、洗足大学の英国式ブラスバンドにてPrincipal Cornetを務めたことがあり、Bugleに理解のある。トランペット奏者に当時師事していた。二〇一三年四月教室発表会として「タイタニックのテーマ」をトランペットでピアノ伴奏にて演奏する。
 二〇一三年五月に2nd Cornetとして当団、Art Freedom Brass Bandに入団。
 二〇一三年九月菅野よう子演奏団体Thanks!K Orchestraに入団しトランペットパートを務める。また、演奏会・合唱祭への参加等、合唱(バスパート)としても活動することがある。
 二〇一四年九月よりアートバア「無力無善寺」を始めとした中央線界隈、代々木公園などのストリートでソロ活動などを開始し、現在喉などのインディーズミュージシャン、アンダーグラウンドミュージシャン魔ゼルな規犬、リバ邸横浜の管理人でありDJイベントなどを行う「silent it」代表である雨宮優などと親交がある。音楽教室の代表取締役社長から多様な活動から寺山修司のようだとして表現者・加藤圭一郎と評される。二〇一五年一月二十五日にアートバア「無力無善寺」にて三上寛と対バンする。そのライブでは遅刻したが許してもらえた。自身の演奏等に関してアドバイスをもらう。
 同年六月に新宿JAMで行われた魔ゼルな規犬の企画したライブに参加し、魔ゼルな規犬の技術を盗み出演者一覧に名前がないのに混ざりステージ上に立つ。そのライブはWebメディア「ロケットニュース24」にて紹介される。また、そのライブではNHK Eテレ「バリバラ」の「SHOW-1グランプリ」を受賞したことがあり、同番組に出演しているTASKEと出会い、以降TASKEの主催する「歌舞伎町詩人の集い」などに鍵盤楽器即興演奏や即興詩、また、それを組み合わせたもので参加している。ライブ後終電を逃しファミレスで時間を潰した後に早朝、新宿歌舞伎町でストリートライブを行い、リクエストで「もののけ姫」などを歌う。
 魔ゼルな規犬とともにDJサブカルイベントである魔法祭に何回か参加する。カラーガードの経験もあり、魔法祭や雨宮優の行う「silent it」などのDJイベントでお立ち台に立たされ即興で踊ることもある。
 二〇一五年、秋元康の弟子である岩崎夏海の主催する「岩崎夏海クリエーター塾」二期に参加し、クリエータ的な制作・努力、岩崎夏海自身も関わったAKB48の制作等について影響を受ける。
 二〇一五年は演奏会・ライブを合わせるとだいたい三十回前後の出演回数となる。さまざまなインディーズ・ミュージシャン、演劇、詩人、表現者などから完全即興(Free Improvisation。現在では鍵盤の他に、ダンス、詩、演劇的なものなど多様性が高まった)について高い評価を受ける。
 また、二〇一五年までに十数人の音楽教師、作曲家、器楽奏者、ボーカリスト、音楽理論家等に師事。現在も何名かに師事している。
 二〇一六年一月六日、作曲を師事している方に久しぶりに会い、音楽愛好家の活動を続けながら職業作曲家とコンセプチュアル・アーティスト等を目指すことを同意した。
 なお、繰り返しになるが当団には二〇一三年五月に2nd Cornetとして入団している。